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ゴブリンの王国外伝  作者: 春野隠者
継承者戦争
18/61

序章≪狂騒の宴≫

 王都レヴェア・スーで年が改まり、王暦二十一年。激動の年となるその一年は、静かな始まりであった。一年の終わりと始まりを祝う宴会の日々もどこか、葬式じみて静かに終わり、誰もかれもが息をひそめて情報を欲していた。

 その最大の原因は、西に起こった反乱である。

 ──ギ・グー・ベルベナの反乱。

 彼は何を以って反乱を起こしたのか、それすらも誰にも判然としなかったのだ。

 不穏な静けさの中にあるレヴェア・スーの中にあって、それでも日々の生活は続いていく。それは表の世界でも、裏の世界でも同様だった。

首領(ドン)!」

 このレヴェア・スーの裏社会で首領と呼ばれる人物は一人しかいない。血盟赫月(レッドムーン)の事実上の盟主にして、血盟の偉大なる父(ゴッドファーザー)シュレイ。奴隷であった亜人達を開放し、己の手勢に加えるとともに、いかなる繋がりか、この国の最上部黒衣の宰相プエルとまで面識のある男。

「姐さん!」

 その傍らで、シュレイと共に立っているのは、血盟の偉大なる母(ゴッドマム)ルー。裏世界を取り仕切る血盟の基盤を整え、その躍進を支え続けたまさに生みの親である。

 奴隷であった亜人達は、自分達を開放してくれ、奴隷の生活と比較すれば真っ当な生活を取り戻してくれた彼らの為に、熱烈に働いた。敵対する組織に対する殴り込みは、数知れず、流血沙汰も全く恐れず立ち向かって行くその姿は、まるで放たれた矢のようだった。

 未だ三十の若さにあって、総勢三千を超える直属の配下を持ち、さらに独立させた子分達、子分達の更に子分である孫組織まで含めれば、その総数は五万を超える。関係ある人間を含めれば、さらに倍は増えるだろう。

 押しも押されぬ最大手、いやもっと言えばほとんど裏社会そのものと言っても良い。

「新年、明けましておめでとうございやす!」

 一斉に声を揃える二十五人にも上る幹部達の挨拶を、鷹揚に受け流すシュレイとルー。

「ああ、おめでとう」

「今年もよろしくね」

「へい!」

 黒を基調とした揃いの服。背中には誰の目にもわかるほど大きく赤く塗り染めた三日月。揃いも揃って強面の彼らを前にして、未だに慣れないシュレイは内心で冷や汗をかきながらなんとか頷きを返す。

 ──なんで、こうなったんだ!

 挨拶が終われば、後は宴会である。

 板敷の部屋に、横開きの扉はふすまという作り。

 椅子や、テーブルなどを使用せず車座になって飲む形式は、彼らが奴隷であった頃を忘れぬため、というシュレイなりの戒めだった。

 順繰りに酒が回り、一通りの盃をまわし合ったところで後は無礼講となる。酒精に赤ら顔となったオークは、抱えるほどの大盃に並々と酒を注いで、一気に飲み干す。その傍らでは、手の中に納まるほどの徳利に強い酒を注ぎ、舐めるように飲む亜人。差し向かいで飲むのは、アマツキ流の剣術を修めたゴブリンだった。

 ギ・ゴー・アマツキを神の如く尊敬する彼らは、世界各地に道場を開きその剣術の素晴らしさを喧伝していた。

 土の妖精族(ノーム)の男は酒もそこそこに、出される料理を掻き込んでいるが、隣の人間の女と料理の取り合いを繰り広げていた。

 ヴィネが失踪して以来、彼らレッドムーンの勢いは萎むどころかさらに増していた。

 敵対する組織は既にヴィネが粗方潰し終え、元々流血沙汰にはあまり向かないシュレイとルーは徐々にその方向を転換してい言った。ヴィネの失踪に、端を発した混乱はほとんどなかった。

 あの悪辣な狂刃のヴィネなら、失踪したと偽って反抗して来た組織を潰すつもりかもしれない、という大悪名の為せる業が一つ。もう一つはヴィネの薫陶よろしき子分達が大多数を占めていたからだ。

 今は第一線を引退し、娼館街を取り仕切るサリーネイアを始めとした武闘派達は、少しでも反抗的な動きを見せた組織に対して容赦なく殴り込みを敢行、徹底的にその萌芽を潰していった。

正義は苛烈なるべしフィス・ディアード・ヘル!」

 それが彼らの信条であり、容赦という言葉ほど彼らと無縁なものはなかった。

 上に対して顔が利くシュレイは、もっぱら彼らの尻拭いをするという役割を担わされたが、それもあって彼らの組織に陰りは全く見えなかった。

 また、裏稼業のいわゆる護衛代金だけでは、増えて来た手下を養いきれないとシュレイが商売の路線に舵を切ったのも大きい。商売人を抱き込み、店を構えさせると月々の売り上げの何割かを徴収するやり方と併用で、隊商への出資という形での利益の回収も行う。競馬、賽の目、射的、賭け試合らの賭博全般は言うに及ばず、富くじなども彼らの収益としてレッドムーンの懐に入る。

 レッドムーンの懐に入る金は、ヴィネがベルク・アルセンと始めた零細クランの面影は全くなく、むしろ大商会か何かのように見えた。

 スリなどにより裏に流れた品物を、買い取り販売し、利益を上げるという小遣い稼ぎから、強盗の類まで彼の耳に入らぬことはなく、情報を生業とするソフィアともつながりがある。

 まるでレヴェア・スーという国の中枢に、根を張ったかのようにレッドムーンは存在していた。

 だからこそ、その第一声に、彼らは困惑した。

「殴り込みだー!」

 その第一声が聞こえてから、幹部達は顔を見合わせた。

 酒も入っていたこともあって、どこか現実味の無い嘘を聞かされたような感覚に陥った彼らの中で、やはり真っ先に反応したのはシュレイとルーだった。

 視線だけで、やばいよどうしよう、と問いかけるシュレイに、ルーは大丈夫、と頷いて手を打ち鳴らす。

 震えそうになる声を叱咤して、強面達から一斉に集まる視線の中、彼女は腹の底から声を張り上げた。

「迎え撃て!」

 次いで鷹揚に頷くシュレイを確認した幹部達は、酒も手伝って一斉に気炎を上げた。

「得物よこせ!」

 一瞬にして沸騰した彼らの戦意が場を満たす。

 口に咥えていた骨を吐き出しながらノームの戦士が懐から短剣を取り出すと、それを見咎めた隣の女は、非難の視線とともに、ふすま一つ隔てた隣に控えていた部下から手甲を受け取る。

 ゴブリンと亜人の剣士はそれぞれ無言で立ち上がると、互いに視線で邪魔をするなよと己の得物を手に偉大なるゴッドファーザーとゴッドマムの前に立ち塞がる。

 大酒のみのオークは、大剣を担いで最前線に立つ。

 まさに鉄壁。

 現状レッドムーンの揃えられる最高戦力を揃えた布陣に、その衝撃は襖をぶち破る手下と共にやってきた。深く被ったフードに小柄な身長、手にした曲刀は抜かれてもおらず、鞘に収まったまま。

「無礼もん、がぁ!」

 オークの一声と共に振り切られる大剣。襖や柱ごと叩き切って膂力に任せた一撃は、全てを薙ぎ払う暴風の一撃。だが、襲撃者はそれを軽々と潜り抜け、シュレイ目指して疾走を開始する。

 ──身のこなしが軽い!

 オークの一撃を潜り抜けた襲撃者が通る経路上には、既にノームの戦士と人間の女。短剣と手甲から繰り出される速度を重視した一撃は、ほぼ同時に繰り出された。

 オークの一撃によって通る経路を限定され、さらに速度を落とすことを目的とした二連撃。

「な、に──!?」

 しかし、襲撃者は止まらない。

 短剣を鞘で受け、さらに手甲による一撃をまるで受け流すように受け止めると、叩きつけられた力を利用して、女の体勢を崩し更に投げ飛ばして後ろから迫るオークの視界と攻撃を防ぐ。

 即座に走り出す襲撃者の足を止めようと、組み付かんばかりに二つ目の短剣を繰り出すノームの戦士だったが、襲撃者の方が僅かに上。無理な態勢から繰り出した一撃によって留守になった足元に向かって、足払いを決めると、体勢を崩した隙に更に前進。

 無言の内に二人の剣士の間合いの只中にその身を躍らせる。僅かに身をかがませた襲撃者に対して、瞬時に繰り出される二人の剣士の一撃。

 身をかがませた上に振り下ろされる剣の一撃は、それ以上彼らのゴッドファーザーとゴッドマムへの接近を許さないためのもの。最悪自らの身体を盾にして、襲撃者の全身を止めることを狙った彼らの一撃は、即座の連携としてはこれ以上ないほどのものだった。

 だがその上を、襲撃者は超えてくる。

 振り下ろされた二振りの刃に対して、襲撃者は腰だめに構えた曲刀に初めて手をやる。

 直後、剣の神に愛された銀閃が、宙に一筋の軌跡を描く。

 切り落とされる振り下ろされた二振りの長剣の切っ先は、隔絶した技量の格差か、あるいは魔法の為し得る業か。

 踏み込んだ姿勢のまま愕然とした二人の剣士は、それでもレッドムーンの抱える幹部だった。

 振り返りざまに、襲撃者の背後を狙った一撃を繰り出す。

 それよりもわずかに早く襲撃者が前に動き、彼らの一撃は襲撃者のフードを切り裂くのみ。もはや壁はなく、ゴッドファーザー・ドン・シュレイの首筋に突き付けられる白刃の煌めきに、全員が絶望の想いを以ってその光景を見守った。

「まて、全員、動くな」

 手を挙げて尚も、ゴッドファーザーを救い出そうと動き出そうとした幹部達の動きを制したのは、あろうことかシュレイだった。

 やはり、ゴッドファーザーと雖も命は惜しいのか、と幹部の誰もが見守る中。シュレイはフードの破れた襲撃者の素顔を、目を見開いて凝視し、傍らのルーは口元を手で押さえて目を潤ませていた。

「……ヴィネ、さん!」

「よぉ」

 破れたフードから長い黒髪が流れ出る。

 ──ヴィネ……狂刃のヴィネ、レッドムーンのヴィネ・アーシュレイ!

 幹部達の脳裏に駆け巡るその名前。

 暗黒街を震え上がらせた最凶の支配者。

 その帰還であった。


◆◇◆


「で、なんであんなことを?」

 場所を移してシュレイの仕事部屋。

「だってよぉ~」

 革張りのソファーに腰かけ、だらしなく足をテーブルの上に乗せてヴィネは口の端を歪ませた。

「久しぶりに帰った我が家で、誰だてめえは? だぜ。そりゃ教育してやる必要があるだろうよ」

 その返答にシュレイは天を仰ぎ、ルーは頭を抱えた。

「あのですねぇ……十五年ですよ」

「おっとルー、あたしに文句をつけるとはいい度胸だ」

 うっ、と詰まるルーは直後に来るであろう言葉に身構えた。

「これでまたシュレイの寿命が縮んだな?」

「シュレイは関係ないじゃないですかっ!」

 十五年前と同じやり取り、それににやりと笑ってヴィネは上機嫌で酒を飲み、頬を膨らませながらもルーはくすりと噴き出した。

 彼らの中では、今でもヴィネはレッドムーンの凶悪な盟主で彼らはその舎弟みたいなものだった。

「とりあえず無事に帰って来てくれて良かったです。盟主の地位はお返ししますので、大人しくしていてください」

 真面目にそういうシュレイに、ヴィネは眉を顰めた。

「そういうわけにはいかねえなぁ。アタシは人を探しに寄っただけだからな」

「人探し?」

「娘だ」

 顔を見合わせるシュレイとルー。

「誰の?」

 頷くルーはヴィネに問いかける。

「あぁン? アタシのだよ」

「またまた~」

「冗談がうまく、なったん……です……ね?」

「……」

 むすっとした表情のまま黙り込むヴィネ。

「「えええぇぇええぇえ!?」」

 悲鳴じみた驚愕の声は、とても裏社会を取り仕切るゴッドファーザーとゴッドマムと敬われる者達の声とは思えなかった。

「だ、誰が相手なんですか!?」

 ルーの視線にヴィネはしばらく考え、そして知らんと答えを返す。再び絶叫が彼らの間から叫ばれた。

「誰とも知れない相手の子供を産んだんですか!?」

「なんで早く戻って来てくれなかったんですか!? そうすれば相手はこっちで見つけたのに!」

 凶悪なる盟主が夜鷹の真似事をしていたのだと勘違いした彼らの悲嘆は、脳内で考えたこと全てを吐き出してしまうほどに混乱していた。

「やっぱりこんなところにいないで、僕らがついていくべきだったんだ」

「ベルクさん……そうだベルクさんがついていながら、なんでこんなことに……まさかベルクさんは死んでしまって、ヴィネさんはその相手に!?」

「うわぁぁ!」

「うわぁあ!」

「──おい!」

 混乱の極致にある二人に、ドスの効いた声で、ヴィネが明後日の方向に飛んでいく思考を戻す。

「あ、はい!」

「大丈夫です。ヴィネさん必ず見つけ出してみせます!」

「ああ、一つ言っておくけどよぉ……」

 眉を顰めたヴィネの言葉を、シュレイとルーは遮った。

「いえ、大丈夫です!」

「何も言わなくても!」

「あ、あァ?」

「待っていてください! 今すぐに連れてきますから!」 

「最悪首に縄を括りつけて、馬で引き摺ってでも! で、特徴は!?」

 力強く頷いたシュレイとルーは、呆気にとられるヴィネを置き去りに、直ちに部屋を出ていき、集まっていた幹部達に大号令をかけた。

「緊急事態です!」

 ルーの叫びに、幹部達は眼を見開いて耳をかっぽじって注視する。特徴を言い終えるルーに代わって、シュレイは鬼気迫る勢いで口を開く。

「僕らの敬愛するヴィネ・アーシュレイの娘を探して来てもらいたい! 金はいくらかかっても、人手をいくら投入しても構わない! よろしく頼む!」

 普段は物静かで彼らのことを守ってくれるゴッドファーザーの頼み事。

 それに奮い立たないのは、子分としての義理に欠ける。そう判断した彼らは、敵対組織を叩き潰す時以上の情熱を以って、一人の少女を探し求めることになる。

 ──カーリアン・アルセン・アーシュレイを探せっ!!

 裏世界を牛耳るレッドムーン、構成員を含めて五万人さらに関係者含めて十万人に対して、緊急かつ最優先の大号令が発せられたのだった。


◆◇◆


 ソフィアの手先となって働くヴェリンが魔都シャルディを訪れた時、そこは普段の街の様子よりもなお一層沸き立っていた。

 戦時特需が沸騰していたためだ。冒険者として、そこを訪れたヴェリンにしてみれば、武装した兵士の数が多いばかりではなく、黒い揃いの服に、背には三日月を背負ったレッドムーンの構成員達も多い気がする。

 レヴェア・スーを本拠とするレッドムーンだったが、魔都シャルディにも当然の如く支店を配置している。揉め事の山である魔都シャルディでは、特に武闘派を選んで配置させるほどだったが、同時にそれに伴うあがりもかなりのものが見込めるのだった。

 表の治安を担うのが兵士だとしたら、裏社会を一極支配するレッドムーンは、裏の治安を担っていた。そのれの見回りの数が多いということは、何か騒がしいことが起きていることの兆候だった。

 ──戦時特需だけ、じゃないのか。

 という情報を脳裏に止めて、ヴェリンは手紙の配達の仕事を終わらせる。

 信頼というものは、長い間の積み重ねによって築かれるものだった。それは表社会において有利になるだけでなく、任される責任の大きさにも関わってくる。だからこそ、ソフィアの経営する孤児院の者達は、真っ当な職業に就く。

 ヴェリンのように、荒事にも手を染めるのは極々一部でしかなかった。

 そこから上がってくる情報は、平時も戦時も変わらずソフィアから宰相プエルに伝わり、その判断の資となっているのだ。

 どちらが優先かと問われれば、やはり裏社会の方を優先させるべきだろうとヴェリンは判断した。戦争に関する情報は、ソフィアも優先的に集めているはずだった。それならば、自分は今魔都シャルディで起きていることについて追及していくべきだった。

 結果として大したことのない場合でも、レッドムーンが力を入れていることならば今後の為に役に立つこともあるはずだった。

 レッドムーンの傘下にある賽の目賭場でほどほどに負け、それを潮にヴェリンは情報収集に力を注ぐ。いかにも賭け事が好きだが、身を持ち崩すほどじゃないという節度ある若者を装う彼の演技力は、その胆力も合わせてみれば、劇団で主役を張れるかもしれなかった。

 だが、結果としてみればこれは失敗だった。

 今回のことに関して、レッドムーンの構成員達は、嫌に口が堅い。レヴェア・スーから来てるレッドムーン直属の子分達の影響もあるのかもしれなかったが、ヴェリンには知る術もなかった。

 怪しまれる前に姿を消すと、今度はレッドムーン傘下にはない賭場に入り込み、そこで大勝をする。ばれなきゃイカサマではない、とはソフィアの言葉だったが、その通りに彼は大勝してその足で勝ち逃げを決める。

 いかにも浮かれ気分で、夜の魔都を歩くヴェリンは、大金をせしめられた胴元側からすればカモでしかないとみられたのだろう。一人歩くヴェリンの背後を狙って男達が襲撃をした。

 ヴェリンにしてみれば予想通りの展開である。

 ここで相手を叩きのめし、情報を引き出すのが彼の緊急時のやり口だったが、今度ばかりは手練れが混じっていたのが彼の運の尽きである。

 アマツキ流を遣うゴブリンの剣士。

 ゴロツキと混じって賭場の用心棒などしているのが不思議なほどの腕前あったが、その剣には狂気がある。相手を痛めつけて楽しむ残虐さが、その剣にはあった。

 傷を負いながらも八人までを倒したヴェリンは、その剣士と相対した瞬間、即座に力関係を把握してしまった。

 これは勝てない。となれば、やることは決まっている。

「勝ち過ぎたか?」

 眉を顰めて傷口を抑え、逃げにかかるヴェリンに、襲撃者達は執拗に追いすがる。組織立った追撃に、ヴェリンの背にも柄にもなく冷や汗が流れていた。

「困ってそうだね、お兄さん」

 場違いな声は、彼がどうにも逃げられないと悟って路地裏のどん詰まりに追い込まれている時にかけられたものだった。

「助けてあげようか?」

 明日の天気は、晴れですよと告げられるような緊張感のない声。その声の主の姿は、可憐な声を裏切らず、そして彼の予想よりも少しだけ大人びていた。

 目につくのは腰に差したる二対の曲刀。長の同じ、それらを逆さに括りつけた彼女は、スリットの入った踝までを覆うスカートをはいていた。スリットから覗く蜂蜜色の素肌に、すらりと伸びた足先には、カリガと呼ばれるサンダルを履き、長く伸ばした髪は銀色。

 何よりも、その耳は長く彼女が妖精族の血を色濃く引いていることの証左だった。

 肩から胸腹部を覆う袖なしの上からは、鉄製の胸当て。職人手作り(オーダーメイド)であろうそれは、彼女の身体に張り付くように設計されていた。

 傷口の止血に痛みに呻いていたヴェリンは、その痛みすら忘れて見上げる彼女の顔は、美貌の剣士と言われても否定できないものだった。

 瞳の色は赤く、勝ちに釣り上がった彼女の視線からは、絶対的な自負をうかがわせる。

 茫然と彼女を見上げるヴェリンに、彼女は勝気に微笑んだ。

「ん?」

「いたぞ!」

 彼を茫然自失から立ち直らせたのは、追撃者の声。

「ここにいると、危ないぞ」

「ふっ……危ないのはお兄さんでしょ」

 鼻で笑った彼女の態度に、ヴェリンは少し傷ついた。

「だと思うなら、解決してみろよ」

「お安い御用よ」

 そう言って彼女は、追撃者達の前に立ち塞がる。

「ガキ、そこをどけ!」

 どすを利かせた男の声に、彼女は微笑むだけだった。

「通りたいなら、命を賭けなさい」

 勝気な彼女の目が細まる。

 年端もいかぬと見える少女の言葉に、追撃者達は激高し、結果として全て叩き潰される。剣すら抜かず、素手だけで叩き伏せられた彼らを見下ろし、彼女は高らかに言い放った。

「大陸最強の剣士になる予定の私に勝負を挑むなんて、無謀の極みね」

 高慢きわまるその発言に、反応したのは今まで手を出す予定のなかったゴブリンの剣士だった。

「娘、大言壮語、高くつくぞ」

 大陸最強の剣士は、唯一ギ・ゴー・アマツキのみ。剣の頂きに駆け上ることよりも、快楽の為の剣に堕して尚、ゴブリンの剣士には譲れぬものがあった。

 アマツキ流を学んだそのゴブリンにとって、否、全ての剣を志すゴブリン達にとって、不朽の存在である剣神ギ・ゴー・アマツキ。それを倒すと、目の前の小娘が言ったのだ。

 それは、堕した剣士への否定であった。

 己の中にそれほどの怒りが沸き起こったのを不思議に思いつつも、それでもゴブリンの剣士は迷いはなかった。剣士たるもの、真理は一つだけ、斬るか斬られるか、それだけだった。

「あら、いるのね。こんなところにも」

 高慢に笑う妖精族の少女は、僅かに足を引くと、腰を落として構えを取る。

「──アマツキ流ゴ・ルエ、推して参る」

 ゴブリンの剣士の抜き放った曲刀は、月光に煌めき──。

「──剣舞士カーリアン・アルセン・アーシュレイ、受けて立つ」

 ──剣舞士は逆さに腰に差した二対の曲刀に、肉食獣の笑みを浮かべたまま両手を絡ませた。

 それは刹那の勝負。

 対峙した瞬間、間髪入れずに間合いを詰めるゴブリンの剣士。それに対して矢の速度で間合いを詰めるのはカーリアンも同じ。瞬く間に互いの間合いを侵略し、体の中心、腹に向かって突き出されたゴブリンの剣士の曲刀は、どのような変化にも対応して見せるとの自負感じさせる技巧の剣。

 だが、加速する視界の中に剣士ゴ・ルエは彼女の姿を見失う。

 いかようにも変化するゴ・ルエの剣。それを、彼女はひらりと飛び越えた。

 闇夜を切り裂くべく、振るわれたカーリアンの曲刀二閃。

「……見事」

 崩れ落ちるゴブリンの剣士の最期の賛辞を当然のごとく受け入れて、彼女は血糊を払う。

「……貴方もね」

 死したる剣士に小さく賛辞を述べて、曲刀を鞘に納めるとヴェリンの前に戻ってくる。

「さて、お兄さん。私は高いわよ?」

「お前……何者なんだ?」

 その質問に、彼女は得意そうに鼻を鳴らして腰の曲刀を鞘ごと抜き取り、地面に突き立てた。

「カーリアン・アルセン・アーシュレイ。今はまだ大陸で三番目の剣士。そして近い将来最強の剣士になる予定よ!」

 腰に手を当て、胸を張る彼女にヴェリンは眉間にしわを寄せた。

 確かに強いかもしれないが、こいつは馬鹿なのではなかろうか、と。


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