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ゴブリンの王国外伝  作者: 春野隠者
継承者戦争
16/61

序章≪大帝、既に亡く≫

外伝最終章≪継承者戦争≫になります。どうぞお楽しみください。

 黒き太陽の王国(アルロデナ)建国以来、その報は最大の衝撃を以って迎えられた。

 ──ギ・グー・ベルベナ反乱す。

 王亡き後のゴブリンという種族の大英雄にして、アルロデナ建国の功臣。黒衣の王国宰相プエル・シンフォルアは、怜悧なその美貌に僅かな動揺だけでその報告を聞いたが、続いて齎された報告は、彼女をして動揺を隠すことが出来なかった。

 ギ・グー・ベルベナの反乱に、ギ・ベー・スレイ及び元王の騎馬隊の半数が同調。

 その報告に、彼女は座っていた椅子を蹴倒しながら立ち上がり、震える腕で、自身を支えるのがやっとだった。

「……っ!」

 絶句し立ち尽くす彼女の様子は、普段の様子を知る者達からすれば信じられない思いである。それほどの事態が起きたということを、宰相府に勤める者達は感じ取り互いに視線を交し合わねばならなかった。

 王の騎馬隊は、そのほとんどが王の死後引退を申し出て、王の廟堂を守るか、西方大森林にて若手の養育に当たっていたのだ。その彼らが反乱を起こしたということは、当然ながら西方大森林のいくらかは、ギ・グー・ベルベナに同調したことを意味する。

 大陸全土を支配するアルロデナの中で、西方大森林は不安定な東部を比較して絶対的な安心の置ける地域だと彼女は考えていた。征服して獲得した土地である中央から東部とは違い、アルロデナの成立に深く関わり、根拠地とも言える西方地域から反乱が起きるということは、彼女の治世の失敗を意味している。

 少なくとも、彼女はそう考えた。

 王の生き様を知るからこそ、彼女はその身にアルロデナの全てを背負っているという自負がある。それは彼女の誇りでもあり、我が子同然の国に、その最初の一歩である西方に叛かれたのは、彼女にとって痛恨事以外のなにものでもなかった。

『──プエル。お前は、俺と共に国を作った』

 崩れ落ちそうな彼女は、閉じた瞼の裏に王の姿を描く。彼女の腕をすり抜けていった彼の身体の感触が、机に着いた掌に蘇り、耳にはその言葉が蘇る。

「……負ける、ものですか」

 誰にも聞こえないように、小さく呟いた彼女は、彼女の前で立ち尽くす彼女の部下に鋭い視線を向ける。それは幾多の戦場を越えて、神算鬼謀と称えられた軍師の目。内に燃える熱情を包み込む冷徹無比な王の軍配を握る者の目だった。

 そしてその翡翠色の視線を僅かに落とす。伏せられた長い瞼の奥で、彼女が高速で思考を繰り返しているのだと亡きギ・ザー・ザークエンド辺りならば考えただろう。

「ギ・ガー・ラークス殿、ギ・ギー・オルド殿、ラ・ギルミ・フィシガ殿を招聘。西都に使者を出します──」

 茫然と彼女を見守る部下達に、彼女は声に烈火の怒りを滲ませる。

「急げ!」

 彼女の怒声というものを聞いたことがなかった部下達は、逃げる様に彼女の声に追われ、走り出す。

建国の功臣(ギ・グー・ベルベナ)反乱す!」

 ゴブリンの王がその忠誠と、確かな実力を認めて将軍位を与えたゴブリンが叛いたのだ。

 偉大なる王から与えられた斧と剣の紋章旗(フェルドゥーク)を掲げて、彼らは叛いた。

偉大なる支配者(ギ・グー・ベルベナ)反乱す!」

 西方大森林最大の実力者。ゴブリンの中でも最大の派閥を持ち、東征における数多の英雄を部下に持つゴブリンが、国に叛いたのだ。

 再び暴風を奮う為に。

 鉄と血の吹き荒れる懐かしき戦場を、彼らの王と共に駆け抜けた、あの懐かしき戦場を再び呼び戻すために──。

「四将軍フェルドゥークのギ・グー・ベルベナ反乱す!!」

 かつて暗黒の森と呼ばれた、昼さえ尚暗い大森林の中、彼らは立ち上がったのだ。


◆◇◆


 その報せは、まるで悲鳴のようであった。

 アルロデナという国が体を引き裂かれる痛みにあげる悲鳴の声。文字通り国を引き裂くその反乱の知らせを、だが一方歓喜を以って迎えた者もいる。

「そうか……遂に、か!」

 大陸を制覇したアルロデナという国だが、その全てを黒き太陽の紋章旗(アルロデナ)の下に統合したわけではない。

 同盟国としてクシャイン教徒の国ブラディニア。

 属国として、小国シーラド、シュシュヌ教国、ハノンナキア。

 隣国として、群島諸国をまとめるアルガシャール。

 “分割して、統治せよ(エル・ラ・ヴェレッセ)ただし、風通しは良く(デル・ダ・ジスタ)”を信条とする緩やかな統治は、自由都市と呼ばれる自治を任された領主達も、あるいはその中に入れても良いのかもしれない。

 亜人達の支配する草原地帯には、基本的に不干渉であったし、西方大森林の遥か奥。ゴブリン達の楽園である深淵の砦からもさらに西、そこに広がる風の妖精族(シルフ)の森でも、それは同じであった。

 彼らの中には、その悲鳴を歓喜の想いと共に聞くものもいた。

 いかに自治を許されているからとはいっても、あまりに巨大すぎるアルロデナという国は彼らに対して圧迫感を与えずにはいられなかったし、それを気にするような国でもなかったのだ。

 アルロデナは覇王の創った国である。

 何よりも武勇を重んじるゴブリンは、ともすれば戦を望んでいるかのように時に人々の目には映った。まるで隣で牙を研ぐ強大な魔獣がいるような、そんな精神をすり減らす日々を送る者にとって、その報せは福音に違いなく、歓喜の混じった声すら聞こえて彼らはその報せを受け取ったのだ。

 特に、一度干戈を交え尚屈しなかったアルガシャールは、その声が強い。

 海の英雄ロズレイリーと、彼の率いる海賊頭達は、今や遅しとその報せを待ち望んでいた。

 海を隔てたこの国は、アルロデナの侵攻にも屈しなかった国として、アルロデナに不満を持つ者達の楽園となっていたのだ。陸戦兵力を増強し、海賊の稼業で稼ぐ収益はほとんど全てを軍備の増強に向けられた。

 群島諸国に残った最後の国。

 かつて十年近く前、アルガシャール勃興の折に併合され吸収された諸国の最後の一つハノンナキアは、アルロデナの悲鳴を我が事のように聞いた。

 軍備の増強を隠しもしない隣国の台頭は、彼の首を真綿でゆっくりと締め上げられるようなものだった。国境付近を守るのは、今や彼らの独自の兵力ではなくアルロデナの派遣したオークやゴブリンを中心とした兵達だ。

 鋼鉄製の武装とそれを扱う強靭なスタミナに支えられた強兵を以ってでさえ、アルガシャールの台頭を抑えきることはできなかった。

 ハノンナキア出身の劇作家ブリュンテは、隣国のことを舞台の中でこう評して悲鳴を上げた。

「奴らは勝てば勢いづき、負ければ報復を誓って士気をあげる。彼らを諦めさせるには、一体どうしたら良いのだ!?」

 アルガシャールほど顕著ではなくとも、シーラドもシュシュヌもそのアルロデナと比較すれば小さな国土の中に、不満の種は育っていた。

 一つには拡大する経済格差がその背景にある。

 広大な面積を有するアルロデナは、自治都市や亜人の生活する西方を除いてほとんど税を取る関所というものが存在しない。もちろん人の出入りを監視する為の関所は存在するのだが、それは行政区域を区別するためのものでしかないのだ。

 自治を許されている地域は、むろんその地域独自の法が存在する。

 それを明確に示す為に設置されたのが関所だが、小国が乱立していたランセーグ地方などで国境で税金と称して金を取られることのなくなった商人達は、その活動範囲を大きく広げた。

 今までは利益が出ないとして見向きもされなかった村落に商人が巡りはじめ、貨幣経済の浸透が進む。地方の特産品は都会に出荷され、市を形成する中で有名になれば、その特産品を求めてさらに商人が村落を訪ね、さらに金が落ちる。

 金が落ちれば、今まで物々交換であった物は、その便利さに気づき、次第に戻れなくなっていくだけだった。

 金が回れば景気が良くなり人々の生活は豊かになり、さらに豊かになろうとその循環を繰り返す。好景気の循環が、そうしてアルロデナ全域を覆っていた。

 戦は遥か遠方の出来事になり、平和は人々の暮らしの中に、明日への希望を見出させるようになっていた。

 ──今日よりも、確実に良い明日を迎えられる。

 ──努力すれば報われる。払った代価は、必ず何らかの形で報われる。

 たった、十余年。

 ゴブリンの王が死して後、たったそれだけの年月でこれだけ意識の改革が進んだことは、神々のもたらす奇跡などでは決してない。

 ゴブリンの王の残した威風が守られ、王国宰相プエル・シンフォルアの統治が公正であったためだ。信義を重んじる法律と、平等ではなくとも公平を目指した税制は、広く大陸の民に受け入れられ、その統治は公明正大であった。

 黒衣の宰相プエルのもたらしたこの平和と安定は、五風十雨(ランシッド)の平穏と呼んだ。

 その楽観的な考えがアルロデナの下で生きる者達に漠然と信じられた平和で豊かな時代であったのだ。

 そして国境を隔てているために、その流れに乗り切れないのが属国や小国などである。それは属国同士の間でさえ、存在する。

 拡大する格差は、徐々に彼らの心に拭い難い真黒なヘドロのようなものを堆積させていった。

 ──なぜ、奴らだけが!

 声なき声は降り積もり、徐々に国全体を蝕んでいくようになる。

 国境という見えない地線をまたいだだけ。ただそれだけの差が、絶望的な差を齎す現実は、彼らを徐々にではあったが追い詰めていった。特に、貧困とそれがもたらす飢えは、国境をまたいで双方に不幸の種をばらまいていった。

 同じだけ努力し、同じような土地を耕す農村で、一方の子供はきれいな服を着て、祭りの時には着飾ることも出来るのに対して、一方の子供は生きて行くのもやっとといった有様であった。

 自分の愛する子供の飢えて細くなった手足。戦が無くなり平穏になったはずの同じ世界で、あまりにも目に見えてしまうその格差。

 それが行きつく先は、あるいは絶望という淵でしかないのかもしれなかった。

 そしてもう一つは、やはり心情だった。

 アルロデナは覇王の建てたる国である。

 魔物を統べ、亜人を束ね、蛮族と呼ばれた者達を率いて立ち上がった王の国であった。その前に立ち塞がった国の悉くを打倒し、平らげて建国した国。ならば、その平穏はやはり血塗られた屍の上にしか成立していない。

 怨嗟の声は鳴りを潜めても、消えて無くなりはしないのだ。

 ──奴らに、親を殺された! 兄弟を、友を、恩師を、恋人を!!

 ──奴らに、故郷を奪われた。財産を、絆を、誇りを、夢を!!

 世界の大多数を構成する人間族にとって、それはやはり屈辱以外の何物でもなかった。特に力のあったものにとっては、猶更である。

 彼らにとって恐るべき、魔物達の王。

 大陸を駆け抜けた覇王にして、前人未到の偉業を成し遂げた混沌の子鬼(ゴブリン)

 勇気の女神の寵愛を受けし、人類の大敵であったあの王は、既に居ないのだ。

 もしかして、今なら勝てるのではないか──。

 あの魂を震え上がらせる咆哮をもう戦場で聞くことはなく、暴風のように振るわれる大剣の一撃は彼らの上に落ちてこない。

 冥府に誘う炎を灯した大剣を掲げたあの突撃を、化け物のような肉喰らう恐馬(アンドリューアルクス)の馬蹄に掛けられる悪夢を幻視することはない。

 フェルドゥークの暴風を、アランサインの疾風を、ザイルドゥークの猛進を、ファンズエルの巧緻を!

 サザンオルガの突進を。

 ガイドガ一族の猛撃を。

 レギオルの鉄壁を。

 剣士隊の斬撃を。

 ドルイド達の知勇を、オーク達の蛮勇を、亜人達の熱狂を、妖精族の精緻を。

 それらの戦力を結集し、その身一つで束ねていた王と、戦場で相対することはもう永遠にないのだ。

 なぜなら、その王は死んだから。

 ゴブリン達が、心からの忠誠を何の躊躇いもなく捧げる唯一の存在──ゴブリンの王。

 その彼は、もう冥府の門を潜っているのだから!

 なら、あるいは勝てるのではないか──。

 まるで安い酒を飲んで悪い夢でも見ているかのように、その囁きは誰の心の中にもあった。

 何よりも、彼らは互いに刃を以って交えることを選んだ。

 ゴブリン達が結集することはもうない。妖精族も、亜人達も、魔物達ですらもう結集することはないだろう。融和と統一、その夢を託した彼らのアルロデナが伸ばした手を、混沌の子鬼(ゴブリン)は自ら跳ね除けた。

「ねえ、ヴィル」

 紫衣の法衣は、枢機卿の証。大きく主張をして已まない胸元は、年を重ねるごとに磨かれる美貌に、より一層の魅力を加える。

「国が亡ぶかもしれないわね」

 子供を既に三人産んだとは思えない細くくびれた腰元。豪奢な黄金色の髪に、きめ細かな肌はいつ見ても人々の視線を奪う。

 くすりとその報告を聞いた同盟国に君臨する女帝は笑った。

「大帝既に亡く、遺功既に枯れ果てぬ……ですか?」

 同盟国ブラディニアの中ですら、聞く者が聞けば不穏当極まりない会話が囁かれる。

「どれに賭けるべきかしらね」

「どちら、ではなくですか?」

「そう、どれに、よ。我が愛する夫(ドルメリス)──」

 ミラ・ヴィ・バーネンの嫣然たる笑みに応え、その夫であるヴィラン・ド・バーネンは変わらぬ忠誠とともに膝を突いて彼女の素足に口づけした。


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