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ゴブリンの王国外伝  作者: 春野隠者
五風十雨の平穏
15/61

熱砂の神の懐で

 王暦7年の頃である。

 大陸を席捲した東征あるいは、大争覇戦争と呼ばれる戦の傷跡も未だ癒えない頃であった。一つの幸せな出来事が、大陸を支配するゴブリン達と妖精族の間を駆け巡った。

 ──フェルビー結婚す!

 風の妖精族にあってその剣技は比類なく、後方地域を任せて良く治安の維持に貢献した功臣である。当然大陸を制覇したゴブリン達にも、王都レヴェア・スーにて政務をとる宰相プエルを始めとしたシルフの中にも、彼を知る者は多い。

 そしてその相手は、人間族の娘だというではないか。

「ほぅ……」

 宰相プエルは、久しぶりに痛快なことを聞いたと口元に黒い笑みを浮かべ。

「ふぅん? あの野蛮人がね」

 シルフの惣領を受け継ぐシュナリア姫は、切った張ったしか記憶にない同郷の男のことをそう評して、皆の微苦笑を買った。

 相手はリシャンという宰相補エルバータの娘。

「つまり、護衛に託けて彼女を口説いていたと? やるじゃないか」

 愛人の数は既に3人を数える西都の主ヨーシュ・ファガルミアの言葉に、フェルビーは結婚式の主役であるにも関わらず、盛大に眉をしかめたものだった。

 旧エルレーン王国の首都で行われた結婚式には、遠く西方大森林の彼の故郷から、英明のシューレその人が臨席し、四将軍の弓と矢の軍(ファンズエル)からは、ラ・ギルミ・フィシガから祝電と称して大量の食料が届けられた。

 また辺境将軍シュメア、オークの惣領ブイ、北の名君リィリィ・オルレーアからも祝電とともに多量の贈答品があった。

 ギルド総支配人ヘルエン・ミーアは世界中の珍奇な品を冒険者ギルドに依頼まで出して集めさせ、送り届けた。

 東方に赴任し最も距離が離れているはずのガノン・ラトッシュからは、群島諸国の名産品とともに、交易を通じて得られる希少な品物がこれでもかと贈られた。

 ヘルエン・ミーアやガノン・ラトッシュなどにしてみれば、彼らを最初に見出してくれたエルバータの娘の結婚式である。

 エルバータはヨーシュ・ファガルミアの下で力を発揮する機会を与えてくれた恩人であるばかりでなく、官僚としての基礎を教えてくれた恩師でもある。

 その彼の、一人娘の結婚式となれば奮発して当然だった。しかもエルバータがそれこそ目に入れても痛くない程に可愛がっているのを、彼らは知っている。

 普段は厳格な官吏であるはずのエルバータが、酒を飲むと娘の自慢しかないというのは、旧エルレーン王国の官僚たちの間では、暗黙の了解以前の常識ですらあった。

 結婚式当日には、忙しい中を黒衣の宰相プエル・シンフォルアが臨席し、ヨーシュと共に冒険者セレナ、英明のシューレと共に、旧植民都市ミドルドの総督フェイ、高級官僚となって大陸中を駆け回るシュナリア姫、ヘルエン・ミーアなども出席した豪勢なものになった。

 国の政治的中枢が一堂に会することになったその結婚式は、近隣地域の語り草となるほどだった。

「……」

「……」

 目の前に積み上げられた贈答品の山と、それを背に無言でかれこれ酒が座を一巡するほどにフェルビーを見つめるヘルエン・ミーア。対するフェルビーも決して口がうまいわけではない。用事があるのだろうと、ヘルエン・ミーアが言葉を発するのを待つが、彼女は何も言わずにじっと見つめるだけである。

 ようやくにもヘルエン・ミーアが納得したのか、手にしたスズランの花束を彼らに投げると、その結婚を祝福した。

 森の神を信仰するシルフからすれば、その意味は当然のようにわかる。むしろさっぱりわからないという顔をしている隣のリシャンに、フェルビーはその花の意味を聞かせるほどだった。

「幸福を願う、だ」

「ふ~ん? 口で言えば良いじゃない」

 身も蓋もないリシャンの言葉に、フェルビーはため息をつきそうになった。猪突猛進こそ彼女の本領である。だがそれでも照れて俯くヘルエン・ミーアに、満面の笑みで、ありがとうと言葉を贈る。

 僅かに頬を赤くしたヘルエン・ミーアは、首振り人形のようにコクコクと頷くのが精一杯だった。

「これは、フォルニの……」

今日という日に(ガーレフェット)祝福を(ラディアス)隣人よ(ノイゼン)

 かつて争ったフォルニとシンフォルア。その勝者はシューレ・フォルニであり、破れたのはプエル、フェルビーを始めとしたシンフォルア側だった。

 その勝利者であるシューレから隣人よ、と呼びかけられるのはフェルビーに何とも言えない気分を味合わせた。

ありがたく(デルデット)

 朗らかな笑みで頷くシューレの前を辞すと、彼の元には妖精族の誇る才媛達が集まってきていた。

「随分と可愛らしい花嫁ですね」

 にやりと、口元に笑みを浮かべるのは黒衣の宰相プエル。その上品に微笑む口元が、なぜだかフェルビーには肉食獣のものに感じられ、彼は勘違いだと自らに言い聞かせた。

「む……」

「出会いは、何だったのですか?」

 ヨーシュと共に出席していたセレナが、興味津々で目を輝かせながらフェルビーに聞いて来る。

「ああ、それは……」

「私の与えた任務の間に、女性を口説くとは、さすがはフェルビー」

「……表現に毒を感じるが」

「おや、何か心にやましい事でも? ねえ、シュナリア様?」

「ほほほほ、ええ、まったく! しかも寝室で押し倒されるなんて、ふふふ」

「な、なぜそれをっ……!」

 驚愕に目を見開くフェルビーに対して、才媛達は容赦ない。

「情熱的ですよね。好きな人の為に剣術を嗜むなんて!」

「いや、リシャンは前から……」

「ふふふ、狙っていたわけではないでしょう? でももしかして、これ幸いと?」

 セレナからシュナリアへ連携した攻撃で、フェルビーの精神疲労は瞬く間に上昇する。

「それとも何かしら、私の与えた任務では退屈過ぎて女性を口説くのに忙しかったとか? それでか弱い少女に押し倒されるなんて事態になったのでは?」

「いや、そんなことは」

「愛の力ですね!」

「ええ、本当に羨ましい」

「流石は、フェルビーですね」

 褒め殺しとでも言うのか、シルフの誇る才媛の攻撃は、フェルビーの耐久力を根こそぎ奪い取るような苛烈さを見せる。

「俺は、与えられた仕事は誠実にやり遂げていたつもりだ」

 その言葉に、プエルの瞳が猛禽類の鋭さを見せて一瞬光る。

「でしょう。そうでしょう? でもそうですね。貴方には次から新しいお仕事をお願いしましょう」

「それが良いですわね。ええ、是非」

 得体のしれない迫力が二人の妖精族の才媛にはある。非の打ち所の無い美貌のプエル。妖精族の姫君として日々その美しさに磨きがかかるシュナリア。傍から見れば、誰もが羨む組み合わせである。

「いや、だが結婚したばかり……」

 妖精族の常識でも結婚したばかりの夫婦には、ある程度の仕事の免除が与えられる。

「おやおや、いけません。今さっき貴方の言葉をもうお忘れで?」

「いや、それは……だが」

「ふふふ、ではわたくし達はこれで」

「ククク、楽しみにしていなさいフェルビー」

「御馳走さまでした!」

 存分に言いたいことだけを言って、シルフの才媛達はフェルビーの元を去る。

「う、う~む……」

「ちょっとフェルビー!」

 友人と話を終えたリシャンがフェルビーの腕をつかむ。甘えたい彼女は、ほとんど抱き着くように彼の腕に自身の腕を絡ませ、体を寄せ合う。

「なんだ?」

「なんでもないし!」

 ぷくーっと頬を膨らませるリシャンの顔に、フェルビーは首を傾げる。薄絹で作られたヴェールは、リシャンの髪の色に映え、フェルビーの贈った髪飾りと合わせて彼女の健康的な美貌を輝かせていた。

踊る鳥達も(ゲルンメスト)火傷しちまうな(フィヨランダ)! フェルビー」

 戦友たちからの罪のない囃し立てる声に、注目が一気に彼らに集まる。

「あ、う……」

 思わず茹でたヤルドスのように赤くなるリシャン。

 それをみて、父親であるエルバータは強めの酒を一気に煽った。

「祝宴の席で親が泥酔しては、始まらないだろう?」

 親友であるドルディアスの言葉に、エルバータは頷いた。

「まぁ、娘はいつか親の元を離れるもんさ」

「……お前の娘も、そうなるのだぞ」

 酒の勢いも手伝ってうっすらと目じりに涙を浮かべた厳格な官吏は、親友の言葉にそう反論した。

「なん……だと……?」

 まるで世界の真理を突然突き付けられた賢者のように、ドルディアスは狼狽し、力なく俯いた。

「……やっぱり飲みに行くか。いつもの屋台だ」

「……ああ、そうするか」

 その夜、やはり茹でたヤルドスをつまみに、彼らは人目も憚らず騒ぎ、娘の門出を彼らなりのやり方で飲み下したのだった。


◆◇◆


「旅行!?」

 結婚式が終わり、宰相プエルから新しい仕事を待っていたフェルビーの元に、彼の妻から伝えられたのは、あまりにも唐突な言葉だった。

「そう、ミーアさんから」

 差し出された羊皮紙に書かれた文字を読み込むフェルビー。そこに書かれていたのは、宰相プエルの正印入りの正式な命令であった。

「……期間も場所も書かれていない巡察だと?」

「お金は全て宰相府持ち、だよ」

「つまり、報告さえしておけば……」

「旅行をプレゼントされたのと同じでしょう?」

 アルロデナ宰相という今現在の最高権力者から贈られたこの贈り物を、フェルビーは苦笑と共に受け入れた。うるさい服務規程などはない時代の話である。贅沢も贈り物も全て個人の良識の範囲内で、という大らかな気風は、ゴブリン達が国を成したからこそ成り立つことだった。

 細かな銭勘定などは苦手であり、武勇こそ命にも勝る誇りであるというのが彼らの主張なのだ。ゴブリンの王は不正を排したが、贈り物全てを禁止するなどということは不可能だと知っていた。

 感謝の気持ちがあれば自然贈り物をしたくなるものだし、人間関係の潤滑油としてそれが有効だとも知り得ていた。だから細かな規定などは設けず、良心に恥じることなくば、という大らかな治世を良しとしたのだ。

「そうだな……では、せっかくの好意だ。甘えるとしよう」

「うんうん!」

 彼らが向かったのは、熱砂の神(アシュナサン)の思召す処だった。エルレーン王国から南へ下ると、アシュナサンの大砂漠が広がる。隊商(キャラバン)を形成する者達が、宝石街道(ジュエルロード)を通って大陸公路の大動脈となす。

 大争覇戦争時に一時荒廃したそのジュエルロードを復興させたのは、宰相プエル。彼らキャラバンの活動が大陸経済を復興させると読み切った大規模な投資は、彼女の経済感覚の冴えを物語る。

 動乱が遠くなり、平和が到来する時期になってもキャラバンが廃れることはなかった。盗賊の種は尽きないものだし、何より大規模なキャラバンを組んでいた方が、不測の事態に対応しやすいのだ。

 病気や怪我、それらに対処するためには、大人数でキャラバンを組む方が効率がいい。薬師や癒しの女神の信徒、病人を寝かせるための馬車の提供など、ある程度の金があれば、夜警すらも自分だけでやるのと交代する者がいるのでは、まったく疲労が違う。

 諸所の事情により、この当時旅と言えばあまり一般的ではなかった。いかに大動脈が復活し、その街道がゴブリンを主役とする者達の守られていようと、危険が付きまとうのだ。

 例外を挙げれば、西都で成立しているオルレーア商会の北部避暑地への旅行であるが、それも治安の徹底的な安定を図るために富裕層向けとなっている。

 危険と隣り合わせの旅行に、向かったフェルビーとリシャンだったが、その旅路は思いの外順調そのものだった。

「旅行だと! それなら必要なものは全て任せろ」

 そう言って力強く請け負ったのは、地方を回ることが多いドルディアス。二日酔いで痛む頭を抱えながら、エルバータの相談を受けた彼は敏腕な官吏の片鱗をこれでもかと発揮し、必要な人員から荷物に至るまでを整えてくれた。

「護衛としては、雇えるならゴブリン達かオーク達だろうな」

 西方大森林南方を支配地域とするギ・グー・ベルベナ配下のゴブリン達は、行く先々で強者に戦いを挑むという悪癖を持ち合わせていたが、それでも信頼を寄せるに値する護衛戦力であった。大体が三匹一組を基本として、人間の冒険者や傭兵よりも安い給料で護衛を請け負う彼らは、数が少ないものの裏切られる心配の少ない戦力として考えられていた。

 彼らはゴブリンの王が亡きあとも、信義と契約を殊の外重視していた。西方大森林で生まれるゴブリンのほぼ全ては、偉大なる王の話の聞いて育ち、その麾下で戦った将軍達のおかげで暮らしていけることを徹底して教育される。

 未だ彼らに古き歴史など存在せず、詰め込まれる知識などない彼らにとって、歴史と言えば胸躍らせるゴブリンの王登場以後の勇躍の歴史のことでしかない。そしてそんな彼らの憧憬して止まない将軍達は、今まさに世界に生き残っているのだ。

 身近に感じる栄光の時代に、ゴブリン達は最も信義と契約を重視する種族して通っていた。

 また極少数ながらもオーク達も西方大森林から都市部への進出を果たしている。

 この裏には、ギ・ブー・ラクタの始めた魔獣の店の影響が大きい。住む森を離れても、ある程度の資産があれば、故郷と同じかあるいはもう少し上質な食事が味わえるというのは、ゴブリンやオークが都市部へと進出するのを幾分か後押しした。

 ベルベナ領のゴブリン達を3組ほど雇うと、護衛としては十分だった。荷物を運ぶのは砂馬と、餌付けされた蟻人(キラーアント)。アルロデナ成立以前は、隊商を襲う害獣としての扱いしかされなかった蟻人達だったが、ファンファン率いる土鱗(ダプピダエ)の活躍によってその地位を引き上げていた。

 ファンファン率いる土鱗(ダルピダエ)の一族は、害獣としか見做されていなかった彼らと話をすることが出来た。そこで餌を与えるのと交換条件に、砂漠を渡る間の荷物持ちとして彼らを雇用することで商売としたのだ。

 エルレーン王国内の最も砂漠に近い都市ペグニツェアには、ダルピダエの商人が常駐する商館が存在し、そこで荷物持ちとして雇用したい蟻人の人数を告げれば、蟻人を借り受けられるという仕組みを作り上げたのだった。

 森林内の貿易では翼在る者(ハルピュレア)のユーシカに大きく差を開けられていただけに、八旗の中での商人としての地位は、この仕組みを成立させることにより差を縮めることになった。

 砂漠を渡るための外套を始めとして、昼は気温が高く夜になれば昼間の気温が嘘のように下がる砂漠で生きていく為の装備を整えると、彼らは吉日を差してエルレーン王国の首都を出発した。

 後に、新婚旅行を行った歴史上最初と言われるフェルビーとリシャンの旅行は、『熱砂の神の懐で』という表題で出版され、観光ガイドの起源となったと言われている。


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