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ゴブリンの王国外伝  作者: 春野隠者
五風十雨の平穏
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デォナデォナ!

 ギ・ブー・ラクタは、先の大戦の英雄の一人である。

 獣士の中で傑出した才能を持っていたギ・ギー・オルドの補佐として、常に裏から魔獣軍双頭獣と斧の軍(ザイルドゥーク)を支え、各地に牧場を作りながらその基盤を整えていった。

 アルロデナの歴で7年頃になると、大争覇戦で損耗した魔獣達については、その数、質ともに元に戻っていた。だが、問題はこの頃より始まっていたのだ。

「ギ・ブーよく来た」

 歴史の回天の最中には、堅実な指導者よりも傑出した天性の才能を糧に組織を引っ張る者が時に必要になってくる。強力な個性、他と比較するのも馬鹿らしくなるような才能の塊。それが、獣士の間では、ギ・ギー・オルドという存在であり、ギ・ブーとしてもその認識に間違いはなかった。

 ただ、他の憧れて居れば良いだけの獣士達と違って、ギ・ブーはその副官として彼を支えねばならないと言う責務が課せられていただけである。

 声をかけられたギ・ブーは無言の内にギ・ギーの周りを見渡す。

「……」

 ──また増えてやがる。

 言葉にこそ出さないが、うんざりとした視線の先にはギ・ギーを慕う魔獣達の姿。しかも、どこかの犬っころと違ってオスメス両方が番いでいることが多い。

 足元には最近やっと牧場での家畜化に成功したはずの南方大蜥蜴(ファルガオン)や、東方の希少な魔獣である東方砂猫(イラザット)などがいる。

 ギ・ブーはダブルヘッドに背中を預けながら、憮然とした表情を崩さない。こう言う時の上司の言葉は、たいてい無茶振りと決まっているのだ。今迄の経験から、ギ・ブーは即座に撤退せねばならないと内心で決断した。

 英雄たるもの、決断は素早く果断でなければならないものだ。

 自分自身の決意に頷くと、ギ・ブーは無言のままに、回れ右をした。ギ・ヂー・ユーブの誇る規律厳正なレギオル達でも文句のつけようのない、完璧な回れ右である。

「おぉい、まてまて、相変わらず無口な奴だ」

 困ったなと苦笑を貼り付け、立ち上がるギ・ギー。

 敵の妨害に惑わされてはいけない。我が偉大なる王も言っていたではないか。一度決めたならば、迷ってはいけない。迷えば兵は死に、迷えば進むべき道を見失うのだから。

 ああ、偉大なるゴブリンの王よ!

 まぁ、実際はギ・ドー・ブルガの書いた『歴史』にそんなことが書いてあるらしいのだが、文字を最近習い始めたばかりのギ・ブーでは、まだまだ本は読めない。人間を雇って読んではいるが、未だ勉強不足の身を恥じ入るばかりである。

 そう、話がそれた。

 離脱である。後退である。撤退である。

 何と言葉を変えてもいいが、とりあえず今の上司の前から逃げねばならない。

 だが、ギ・ブーの決意も虚しく、がっしりとその肩を掴むギ・ギーの握力は、さすがに4将軍と称えられるだけの実力者であった。

 あるいは、仕事を押し付ける上司とは須く冥府の悪鬼よりも悪辣で、巷に蔓延る詐欺師達よりも狡猾なものかもしれないが。

 その上司、先の大戦の大英雄たるギ・ギー・オルドが笑っている。

 そりゃもう、満面の笑みで。

 その時点でギ・ブーの脊には冷汗が流れ、胃はきりきりと悲鳴を上げる。過去味わった数々の試練のいくらかが、ギ・ブーの脳裏を駆け抜け、走馬灯のように浮かんでは消えていった。思い出すだけで目の前の上司をぶん殴ってやりたくなるが、決してそんなことはしない。

 英雄は勝てる戦をせねばならないからだ。

「ギ・ブー・ラクタ」

 まっすぐ見つめてくるギ・ギーの視線の鋭さは、まるで刃物である。権力という名の刃を具現化したら、こんな目になるんじゃないかと思わせる圧力。見ているだけでガクガクと足は震え、喉は干上がっていくようだった。

「調子はどうだ?」

 ──今、最低になりました。すぐ帰らせてください。

 そう口に出せたらどんなに幸せなことだろう。即座に締め上げられる未来を想像して、なんとか無言の内に頷く。

「そうか、なかなか良いか。うんうん」

 誰もそんなことは言っていないが、魔獣に好かれる天才は、勝手に人の意思を読み取るらしい。魔獣のみならず、人の意思まで勝手に判断するとは、さすがは天災である。やはりギ・ブーは過去の出来事を思い出し、天の災いとしか言いようのない試練の数を数えて、気が遠くなった。

「そこで、そんなお前に仕事を用意した」

 悲鳴を上げなかった自分を褒めたいギ・ブーだったが、遠くに行った自分の意思はもう戻って来れなさそうだった。あるいは、冥府のどこかにいるという王の魂に直接直談判に行く良い機会だったのかもしれないのに、至極残念である。

 ごくりと、喉を通る唾の音が大きく響く。

「ザイルドゥークの……」

 ──なぜそこで言いよどむ!?

 間を持たせられたギ・ブーの心境は、死刑台の前に乗せられて判決文を読みあげられている囚人の気分だった。ひと思いにやってくれと、懇願すら漂わせたその視線に、ギ・ギーは気づいているのかいないのか、後ろからやって来たダブルヘッドがギ・ギーの両肩に顔を乗せるのに合わせて、目の前の悪辣なる上司はギ・ブーの肩をがっしりと掴みなおす。

「店を出そうと思う」

 店……。

 遠くに行っていた意思は、その言葉を聞いてやっと戻って来たようだった。

 店である。

「どのような?」

「魔獣のだ」

 魔獣の店。だめだ、さっぱり意味がわからない。

「もう少し詳しく」

「ああ、それからギ・ブーよ」

 人の話を聞かないのは、大英雄の特権か。そんなものがあるなら投げ捨ててしまえ。

「しばらく旅に出る。半年ほどで戻るから、それまでやっておけよ」

「……」

 絶句である。

「準備はできたのか?」

 後ろから聞こえる低い声。反射的に振り向く先には、同じく大英雄たるギ・ジー・アルシルの姿。あまりの唐突な出現に、顎が外れるかと思うぐらい口が開く。

「まったく、お前の準備は入念すぎるぞ」

「大所帯だからな」

 石のように固まるギ・ブーを無視してさらりと進められる大英雄同士の話。どうやら、二人は旅に出るらしく、相当前から決まっていたようだった。

「た、旅に出るとは?」

 怪訝な視線を向ける二人の大英雄。

「言ったではないか、半年ほど旅に出ると」

 ──ええ、ええ、そういうことを聞きたいわけじゃあないんですよ。

 じゃあ店って、魔獣の店ってなんなのだ? そんな置き土産はいらない!

「任せたぞ!」

「あ、の、ちょ」

 言いかけたギ・ブーとギ・ギーの間を、集まっていた魔獣達が遮ってギ・ギーについていく。声をかける機を逸してしまったギ・ブーは、唖然としたまま状況が移り変わっていくのを見守るしかなかった。

 ギ・ブーが正気に戻って奇声を上げたのは、すっかりと大英雄たる二人がいなくなった後のことである。


●●○


 店、店、店……。

 その夜から、ギ・ブーは歩きながらぶつぶつとそればかりを繰り返し呟いている。見た目には完全な病んでるギ・ブーの姿に、部下たる獣士は生暖かい目で遠巻きに見守り、牧場経営の様子を見にきた妖精族の役人などは、目頭覆って泣いた。

「なんということだ。ゴブリンの中からも新兵病がでるとは!」

 精神的均衡を失うことにより、その行動に異常をきたす病を妖精族では新兵病という。戦に初めて出る新兵が掛かるためにつけられた名前だが、まさか剛毅にして豪胆なゴブリンまでもがこの病にかかるとは、いかに優秀な役人でも思わっていなかった。

 しかも先の大戦の英雄、ギ・ブー・ラクタがである。

 その報告はすぐさま役人から宰相プエルに伝わり、彼女の微苦笑とその役人に対する彼女の評価のマイナスを招いたが、一顧だにされなかった。

「心配いらないでしょう」

 そういったきり説明も億劫そうに彼女は別の案件に目を通す。なおも心配そうにしている役人に、宰相プエルはため息をつきつつ、言い切った。

「どうせ、ギ・ギー殿が何か言いだしたのでしょう? そんなことより仕事に戻りなさい」

 役人を追い出すと彼女は、少なくともザイルドゥークの反乱の心配をする必要はなくなった。事前にギ・ジー・アルシルから届けられた報告にも、ギ・ギーと二人で旅に出る、とだけ報告は受けているのだ。

「……そういえば」

 彼女は書類から視線を上げ、少し昔のことを思い出していた。

「最近あの男に仕事をさせていませんね」

 細い顎に指を当て、にやりと笑う。久しぶりに楽しいことを思い出したとばかりに、高速で回転する彼女の頭脳は、瞬時に導き出される回答に満足そうに頷いた。彼女は最近妾を囲っていると話題の西都の総督のことを思い出していた。


●●○


「先の大戦の英雄たるゴブリン達の生活基盤の安定と、その功績を讃えて……」

 西都の主、百万の命を握る男(ミリオンディーラー)ヨーシュ・ファガルミアの下に宰相プエル・シンフォルアから届けられた書類の巻頭を読んで、彼は何とも嫌な顔をした。まるでよくできた上司から、できるギリギリ可能な仕事を押し付けられた時のような、そんな気分であった。

 読み進める彼の手元の書類を要約すれば、それも誤解を恐れずプエルの内心をヨーシュが独自解釈して読み解けば、このような命令になる。

 つまり『ザイルドゥークの獣士達の生活基盤を整えて、反乱ができないように骨抜きにしておけ。できるだろ?』である。

 一読しただけでそれを読み取ったヨーシュは、やはり何とも嫌な顔をした。

 その言葉に裏に、先の大戦での慰労と感謝の気持ちがあるのは、当然ながら彼は知っている。どちらも彼女の本音であろう。一個人としての感情と、一国を預かる宰相としての判断。どちらも両立しつつ、さらにはヨーシュに仕事を振れるという、宰相プエルには良い事尽くめの計画であった。

 そして、何より彼の内心を複雑にしていたのには、できるかできないかで問われれば、出来ると答えるしかない自分の立場である。

 先日、彼はプエルの秘蔵っ子であるセレナと男と女の仲になってしまった。

 なってしまっていた。

 諸々な事情があるにせよ、それは事実であり、その事実をプエルが知らないはずはなかった。プエルは、セレナの保護者である。少なくとも、彼が知る限りセレナを取り戻すために、ゴブリンの王とすら争っている。

 そんなセレナに手を出している自分を、プエルがどう思うか……考えただけでヨーシュはゲンナリとしてくる。

「あの、プエル姉さんが何か?」

 不安に怯えるセレナの声に、ヨーシュは頭を振る。

「いや、ギ・ブー殿を助けてほしいとのことだ」

 裏の事情と彼女の思惑をわざわざセレナに話す必要はないと判断して、ヨーシュは事実のみを端的に説明する。

「受けるのですね。さすがヨーシュさん」

 純粋無垢な彼女の視線にさらされ、ヨーシュは若干気まずくなりながら頷いた。彼女の無邪気な視線に、これは貴女の保護者からの嫌がらせです、とは流石のヨーシュも口に出すことが憚られたからだ。

 セレナの目に映るのは、尊敬する強く賢いプエルと、同じく敬愛する上司のヨーシュが手を組んで平穏に馴染まないゴブリンの手助けをするという美しい物語だろう。ヨーシュの所には追加で、愛するとなるかもしれないが。

 言葉にすればその通りなのだが、その裏の思惑を彼女に話すべきだろうかと、ヨーシュは真剣に悩んだ。彼女の今の立場は、腕利きの冒険者である。見聞を広め、更にはシュナリア姫やヨーシュの下で働くのも、プエルの強い推薦あってのことだ。

 いずれは、次世代の後継者に、と彼女が考えていて当然の彼女に、悪い虫がついた。その悪い虫を、徹底的に利用しようというプエルの冷徹な判断を話すべきなのか、それとも純粋無垢な彼女の物語を信じさせてやるのが正しいのか……。

「君のお姉さんは優秀だよ。本当に」

 あるいはそれで悩むのすらもプエルの掌の上か、とヨーシュは考えて微苦笑を浮かべた。

「はい、私もいつかプエル姉さんみたいになりたいですっ!」

「それは……せめて僕が死んだ後になってほしいものだね」

 複雑怪奇な政治の世界を生き抜く巨魁にしては珍しく、本心からヨーシュはそう願った。


●○◎


 ギ・ギーが思いつき、ギ・ブーが任され、プエルの耳に入り、ヨーシュが手助けした『魔獣の店』。その実現は意外と早く二ヶ月としないうちに出店の運びとなった。自身の力をフル活用して、ヨーシュは西都に魔獣の店一号店を異例の速さで出させることに成功させる。

 それは実に平和な時代の象徴的な店になっていた。

 それ以前から人間達の間には、希少な動物を自身の愛玩動物として飼うという発想があった。大争覇戦以前の東部や、王都などでも富裕層に特に人気だったのは、猫類や犬類である。どこかの灰色狼は、移り住むたびにハーレムを形成していたが、それから分かるようにその趣味に金をかける人間は数多存在していたのである。

 そこに、ヨーシュは目をつけた。

 ──大陸中の希少な魔獣が、しかも従順なままで手に入る!

 そう謳い文句がつけられた魔獣の店に、その手の趣味に目がない富裕層は飛びついたし、さらに手に入れる資金のない富裕層に憧れる人々の為に、魔獣と触れ合える喫茶店を建てた。そしてそれも大当たりである。

 実質的に西都を支配するヨーシュの手配は、完璧であった。

 富裕層の中での話題つくりに、中間層への宣伝。情報の流れを支配するヨーシュの戦略は、人々の購買意識を刺激し、一種のステイタスとして、魔獣を連れて歩くというのは流行すら巻き起こした。

 そこを始まりとして、ギ・ブー・ラクタは、ヨーシュと協力して手広く商売を始める。

 大陸中のゴブリン相手に、魔獣料理を提供する店を展開し、食品業に進出するとともに、魔獣を労働力とした輸送業、冒険者ギルドへも獣士の冒険者としての登録の許可など、大陸の歴史に度々登場することになる財閥ラクタ家の基盤を築くに至るのである。

 牧場から送り出される魔獣に向けて、愛情込めて魔獣を育てた獣士達はさらば(デォナ)さらば(デォナ)といって、送り出した。

 後年、そこから商品を出荷することをデォナデォナということになったが、それは彼らが死に絶えて後のことであった。


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