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馬に荷物を括り付けるカールの元へ身支度を整えた志保が近付き、いつも通り平静を装おうとして、失敗した。
笑おうとした顔は中途半端に引き攣り、それに気付いた志保は視線を逸らす。志保の様子に口角を上げて笑ったカールは馬に飛び乗り、志保を軽々と引き上げた。
二人をチラリと見たノアが馬を駆けさせ、カールは素早く志保の唇を奪う。滑り込ませた舌で口腔を舐め、赤い顔の志保を抱き込んで、ノアを追って馬を走らせた。
この日一日、志保は静かだった。
途中で挟んだ休憩の合間も黙っている。いつもならティアと会話したりカールに話し掛けたりしてくるのだがそれもなく、カールから終始視線を逸らせていた。
日が暮れてから着いた宿場町でも、志保は酒を飲まず、飯だけ簡単な物を食べると早々に床に就く。だが明け方には起き出して部屋を抜け出した為に、カールも後を追った。
宿の裏手にある庭の隅に、志保はいた。珍しく泣かずにぼんやりと空を眺めている。隣に座ったカールには、ピクリと体を揺らしただけで何も言わない。
「シホ。」
志保の頬に手を伸ばし、自分の方へ顔を向けさせてカールは唇を重ねる。滑り込ませた舌で志保のそれを追い、捕まえて、絡め取る。
「ねぇ、これはなんのキス?」
抵抗せずに受け入れていた志保が瞳を揺らしてカールを見た。カールは熱を孕んだ瞳で見返して、また口付ける。答えようとしないカールに焦れたように志保が二人の唇の間に手を差し込み、カールを睨んだ。
「あんたは、なんだと思う?」
囁いて、邪魔する志保の掌に舌を這わせる。
「わ、わからないわ。」
指にまで舌を這わせ始めたカールから目を逸らして声を震わせる志保に、にやりと笑い掛け、カールは呟いた。
「わかりたくないだけだろ?」
そうして志保の手をカールが退かして再開された口付けを、志保は拒まなかった。
また静かな志保を乗せて馬を走らせ、山に入る前の最後の宿場町に着いた。日が暮れる前に着いたそこで、山に入る為の買い物をする。
またいつものようにすぐに宿の部屋に篭ったノアを置いて、志保とカールが買い物へ出る。
買い物の前に商会の仕事があると言って、カールはこの町にあるセレス商会の支部に寄った。
仕事が終わるのを散歩しながら待つと言った志保の言葉には許可を与えず、カールはまるで逃がさないというように志保の腕を掴んで仕事を終わらせた。その際、逃げたりしないわという志保の主張は黙殺されたのだった。
カールの仕事と買い物を終えると一旦宿で荷物を整理してから酒と食事をとる為に二人はまた宿を出た。
町の酒場では恒例の飲めや歌えの大騒ぎ。頃合いを見計らってカールに連れ出された志保は機嫌が良く、カールに腕を引かれて歩いている。
「シホ、女神の復活は、どうしてもお前が死ななくてはいけないのか?」
「ティアも色々試したんだって。五千年掛けても実態にはなれなくて、子供に宿って生まれようとしたけど、身体に拒否されたらしいわ。」
「何か他の方法はないのか?」
志保の腕を引きながら歩くカールを見上げて、志保は首を傾げる。
「私は死ぬの。」
にっこり、カールの嫌いな表情で笑って、志保は言い切った。
その志保の表情に、カールは顔を歪めて歯軋りする。
「何か、探せばあるはずだ。女神も聞いてるんだろ?何もあんたが犠牲になる必要はないんじゃないか?」
「やめて、カール。」
初めて、志保は強い声音で、表情でカールを睨んだ。
「私は死ぬの。死にたいの。もう、生きてたくない。生きたって、どう生きるの?もう嫌なの。」
抱き寄せようとしたカールの腕を払い、志保は後退る。泣き出しそうに歪んだ顔で、カールを拒絶した。
「シホ。」
「やめて!!そんな声で、瞳で、私を呼ばないで、見ないでよ!!」
「シホ。」
「だって!!!約束したもの!ティアが幸せになるの!それを、私が助けるの!約束したんだもの!」
「死ぬな、シホ。」
無理矢理抱き込んだカールの腕の中で、志保は声を上げて泣き叫んだ。子供のように、泣いて、暴れて、カールの頬を叩く。叩いてしまった自分に驚いて、また泣きじゃくって蹲った。
「シホ。生きてくれ。」
「いやよ!!!」
「愛している。」
高い音が鳴り響いて、カールの頬が痺れた。強い瞳で志保はカールを睨み付け、唇を強く噛む。
「やめてちょうだい。いらないの。また裏切るんでしょ?もう、こりごりなのよ。」
そのまま志保はカールを置いて、宿へと駆けて行ってしまった。残されたカールは熱を持った頬を撫で、その背を見送った。
次の日、日が高く昇っても、志保は目を覚まさなかった。