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それは、深い森の中にあった。
街道を進み、三つの宿場町を経由してからノアは森に入った。道無き道を進み、野宿をした末に辿り着いたのは、こんこんと水が湧き出る泉だ。泉の水に、救世の女神の力が凝縮されているのだという。
「ここに入れば良いの?」
泉に着いて、カールの手で馬から降ろされた志保はティアに確認する。肯定の返事が来たようで、そのまま志保は服を脱ぎ始めてしまった。
「何故脱ぐ?」
「だって服が濡れるじゃない。見たくないなら目を逸らしていてちょうだい。」
志保の言い分は確かにそうだが、イヴァンダルの多くの国では、女が夫や恋人以外の人前で服を脱ぐなど娼婦くらいしかしない。ノアは平然と眺めているがカールは少し狼狽えた。
テキパキと服を脱いで一糸纏わぬ姿となった志保は、そろりと泉に入って行く。ノアは全く動じずにその様を眺め、カールも溜息は吐いたがそのまま眺めていた。
少し黄みがかった志保の肌はシミもなく滑らかで、身体の凹凸がはっきりとしている。形良く上向いた志保の胸の柔らかさをカールは知っていた。幾度と無く抱き上げたり、馬上で身体を支えていたのだ。不可抗力である。
志保は泉に頭まで浸かってからざばりと顔を出す。その光景はまるで、女神の水浴びのような神秘的な何かがあった。しばらくそうして泉に身体を浸していた志保が水から上がり、珍しい事にノアへと近付いて行く。
ここに辿り着くまでは、ずっとカールと行動を共にし、志保はノアに近付こうとしなかった。宿場町での夜はカールと酒を飲みに行き、野宿でもカールの傍で眠っていた。
意外に思いながらカールが見守っていると、志保は何も身に付けない濡れた身体のままでノアに両の手を伸ばす。
「ノア、愛しい貴方。約束を果たすわ。もうしばらくの辛抱よ。」
志保の顔と声で、志保がしない表情で微笑むのは誰なのか。
「セレスティア!やっと、やっと貴女に会えた!」
ノアが震える声で呼んだのは、救世の女神の名だった。志保の濡れた身体を抱き寄せて、ノアは女神の名を呼ぶ。二人は微笑み合い、ノアが志保の唇に己の唇を重ねた。それを見て、カールは自分の胸が妙な痛みを訴える事を不思議に思い、内心首を傾げる。
くったりとノアの腕の中で意識を失った志保は、それからしばらく目を覚まさなかった。
一行は泉の畔で夜を明かす事にした。
パチパチと焚き火が爆ぜる傍では、身体を布で包まれた志保がノアの腕の中に抱えられている。先程の出来事でノアの態度は百八十度変わり、今は腕の中で意識の無い志保をとても愛しそうに見つめて頬や髪を撫でている。
「ティア?目が覚めたか?」
ゆるゆると瞼を持ち上げた志保に、ノアが優しい声音で話し掛ける。途端苦く笑った表情は、志保のものだった。
「ごめんなさいね。今は志保。ティアはまだそんなに長く出られないみたい。」
舌打ちでもしそうな顔をしたノアの腕から抜け出して、志保はカールの元へ歩み寄る。
「カール、お腹空いたわ。お酒も飲みたい。」
志保のいつもの台詞と笑顔に、カールは何故かほっとした。
布を巻いていてすっかり乾いた身体に、志保は脱ぎ捨てていた衣服を身に付ける。泉に辿り着く前と同じようにカールの傍で干し肉とパンを齧り、瓶から直接酒を飲む。その様をカールが眺めていると志保は酒の瓶をカールにも差し出してくるが、野宿の時は飲まないとカールは断る。護衛は大変ねと笑って、志保は一人静かに酒を飲んでいた。
焚き火を囲んで眠り、志保はいつものように明け方に起き出す。
余り離れないように泉の淵で腰を下ろし、膝を抱えて泣く。
毎晩流される志保の涙。理由を聞けないまま、カールは毎晩見守り続けていた。
「本当は怖いんじゃないか?」
なんとなく気が向いて、カールは泣いている志保に歩み寄り声を掛けた。カールが隣に座ると志保はびくりと身体を揺らした後、袖で涙を拭って顔を上げる。その顔には既に、笑顔が貼り付けられていた。
「怖いのは生き続ける事よ。早く終わりたいわ!」
にっこり貼り付けた笑顔を見せる志保は、泉に手を伸ばして水に触れる。その横顔にカールは苛立った。
「なんでそんなに死にたがってんのか、俺には理解出来ないね。」
鼻を鳴らして呟いたカールに、志保は笑う。
「理解なんて求めてない。良いじゃない。いらない命なんだもの。あんなに会いたがってる二人を再会させる手助けが出来るなら、くだらない人生の最後が意味あるものになるわ。」
そう言って笑っている志保の横顔をじっと観察していたカールは、手を伸ばして志保を抱き寄せた。そのまま唇を重ねて、志保の唇を割って舌を滑り込ませる。息を絡め取るようなキスをして、カールは志保を見下ろした。
「なら、そんな泣きそうな顔してんじゃねぇよ。」
真っ赤な顔でパクパク口を開け閉めしている志保に、もう一度口付けをして、カールは離れた。
「な、なんでキス?」
呆然とへたり込んでいる志保に背を向けながら、カールはぽつりと答える。
「消毒だ。」
それぞれの思いを抱える四人の旅は、まだ始まったばかり。
森の泉での夜は静かに明けていく。




