1 失恋
『エドアルド皇太子、本当にごめんなさい……
グレゴリウス様と婚約しました……
ユーリ・フォン・フォレスト』
涙の跡を指でなぞり、この涙は誰の為に流したのだろうかと溜め息をつく。
初恋の相手からの断りの手紙を何度も読み返していたエドアルド皇太子は、くしゃくしゃに破り捨てた。
イルバニア王国とカザリア王国が同盟を結ぶ為の政略結婚の相手に、一目惚れしてから2年と半年。
強力なライバルであるイルバニア王国のグレゴリウス皇太子と婚約したと、本人からの手紙を読んで、エドアルドは地の底まで落ち込んだ。
破り捨てた手紙には、ユーリが自分への好意と親切に感謝すると書いてあったが、エドアルドはライバルが側にいたのが敗因だろうかと、悔しくて胸が張り裂けそうだ。
金色の髪と、緑色の瞳を煌めかして、騎竜イリスに飛び乗るユーリの姿が頭から離れない。
破り捨てた手紙を未練たらしく並べて、愛しい人がイルバニア国王に強制されて、グレゴリウス皇太子と婚約したのでは無いかと読み返す。
……絆の竜騎士であるユーリを嫌いな相手と強制して、結婚なんてさせられない。
過保護なイリスがそんなこと許さない……
何度、読み返しても、意味は明らかだ。
エドアルドは自分の未練を断ち切る為に、大事に引き出しにしまっていたユーリから貰った手紙と共に暖炉に撒き散らした。
同盟締結の特使としてグレゴリウス皇太子がニューパロマに訪問した時に、兼ねてから絆の竜騎士であるユーリとの縁談を申し込んでいたので同行してきたのだ。
旧帝国から分裂した三国では、竜騎士でなければ王位に付けないという不文律がある。
女性の竜騎士は少ないし、絆を結ぶ程の能力があるユーリには縁談が各国から舞い込んでいた。
エドアルドもユーリに会う前は、竜騎士の子孫を得る為の政略結婚に過ぎなかったが、華奢な身体に可愛い容姿、騎竜イリスとの絆の深さに一目惚れした。
イルバニア王家の血を引いているにも関わらず、両親が駆け落ちして庶民として成長したユーリは、礼儀は凄く正しいとはいえないし、感情のコントロールもできない。
しかし、着飾って冷たい心を隠している貴婦人達を見て育ったエドアルドには、ユーリの全てが魅力的に見えた。
ユングフラウへ帰国したユーリに何十通もの手紙を書き、返事を貰っては暗記できる程読み返していた。
暖炉の火に手紙が黒く焼けて灰になるのを眺めながら、エドアルドは涙を堪える。
暖炉から手紙の焼き残しが温風に煽られて、エドアルドの前にふわりと落ちた。
『ジークフリート卿の騎竜パリスが産んだエリスがとっても可愛いの。
まだ、羽根が乾いてないから、少しバランスを取るのが難しいみたいで、よちよち歩くのを見ると笑ってしまいます』
ふと手に取って読んでしまい、エドアルドは本当に竜馬鹿なんだから! と苦笑した。
「ユーリ!」
様々な欠点と共に、優しさや暖かい人柄が思い出されて、エドアルドは暖炉の中の手紙を拾い上げたくなった。
「何をされるのです!」
教育係でもあるマゼラン外務大臣に、思わず暖炉に延ばしかけた手をつかまれる。
「本当にユーリはグレゴリウス皇太子と婚約したのか?」
マゼラン外務大臣も絆の竜騎士であり、緑の魔力持ちのユーリをカザリア王国へ欲しいと熱望していたので、落胆はしていたが、落ち込んでいる皇太子を叱咤激励する。
「ええ、正式にはローラン王国との戦争が終わってから発表されますがね」
エドアルドはイルバニア王国の厳しい情勢を思い出し、愛しいユーリが戦争で辛い目に遭わなければ良いがと思う。
「私から婚約のお祝いを言わなくてはいけないだろう。
少し落ち着いたら書くので、ユーリ嬢にお届けして下さい」
同盟国の皇太子として、礼儀正しい立派な態度だと、マゼラン外務大臣は頷いた。
エドアルドは婚約を祝う手紙を書いたところまでは、立派だったのだか………
「マゼラン外務大臣、エドアルドをどうにかしろ!」
その後はぐずぐずと失恋を引きずって、パロマ大学もさぼりがちで、校長先生からこのままでは退学に処すとの警告書がヘンリー国王の元に届けられた。
マゼラン外務大臣は独立性を重んじるとはいえ、皇太子に対して無礼な退学処分など警告してきた校長に決闘を申し込みたくなった。
「パロマ大学だけではない。
竜騎士としての修行もサボっていると、ウェスティンの校長からも苦情がきている。
我が国もローラン王国との国境線での紛争が続いているのに、皇太子がこんなざまでは、国民に示しがつかない」
今まで優等生だったエドアルド皇太子が、失恋でここまで落ち込むとは、ヘンリー国王とマゼラン外務大臣は頭を悩ます。
「エドアルド皇太子には、後で注意しておきます。
それより、春にはローラン王国とイルバニア王国は戦争になります。
イルバニア王国からは同盟国として、ローラン王国の西国境線に侵攻して欲しいとの要請がありましたが……」
マゼラン外務大臣はエドアルド皇太子の失恋問題より、旧帝国三国のうちの二国が戦争になる方が気にかかる。
それはヘンリー国王も同じで、失恋などいずれは他の令嬢に恋すれば癒えると思っていたし、姪のコンスタンス姫が離婚されたのに幽閉されたままなのが気になる。
「カザリア王国としても、先年無理やり書き換えられた国境線を正当なものに戻したい。
しかし、コンスタンスが人質にされたままでは、イルバニア王国の要請に応えられない。
マゼラン外務大臣、コンスタンスの救出作戦はどうなっているのだ!」
コンスタンスの両親から、毎日のようにせっつかれているヘンリー国王はゲオルク王の汚い遣り口に、自ら攻め入りたい程腹を立てている。
姪のお淑やかで控え目なコンスタンス姫がルドルフ皇太子を裏切って不義密通などするわけがないのだ! と、腸が煮えくり返るが、深呼吸して出来る範囲でのイルバニア王国への要請に応える道を探る。
教育係のマゼラン外務大臣に叱られて、エドアルドもパロマ大学を退学になるのは嫌だと考えた。
学友のハロルド、ユリアン、ジェラルドにも励まされ、久しぶりにパロマ大学に来た。
「ほら、今日から気持ちを入れ替えて勉強しましょう」
……あの芝生でユーリは突然泣き出したんだ。
両親の命日だと思い出してしまって……
芝生を見ても、学食の不味いサンドイッチを食べても、ユーリを思い出してしまうエドアルドを、学友達も持て余す。
「不味い……ユーリはこのサンドイッチを一口食べて、目を白黒していたなぁ。
ああ、あの時もグレゴリウスがユーリのサンドイッチを食べたんだ!」
愛しいユーリと、憎いライバルのグレゴリウスを思い出して、サンドイッチを皿にポトリと落とす。
「おや、エドアルド皇太子!
ちょうど良いところでお目にかかりました。
これからリヒャルド皇子の居城跡へターシュの探索に行くところなのです。
ご一緒に如何ですか?」
こんな冬にリヒャルド皇子の居城跡がある北部になど、誰が行きたがるものか! と、アレックス講師の言葉をハロルド達は無視した。
しかし、エドアルドはユーリとサマースクールで一緒にターシュの残像を見たのを思い出す。
「ターシュ! ユーリが真名を教えてくれたんだ」
アレックス講師もエドアルド皇太子がついて来てくれたらと、目をキラリと輝かす。
「そうですよ、あのターシュです。
カザリア王国の始祖アレキサンダー王はリヒャルド皇子の子孫です。
エドアルド皇太子はカザリア王家の血の契約でターシュを得ることができるかも!」
ハロルドとジェラルドは、アレックス講師がエドアルド皇太子をターシュを呼び寄せる餌にするつもりだと腹を立てる。
「アレックス講師! こんな冬の最中にターシュなど探索しなくても良いでしょう」
「貴方が酔狂にターシュを探し回って、風邪をひこうが、肺炎になろうと勝手ですが、エドアルド様を巻き込まないで下さい」
ユリアンも夏休みにターシュ探索をしても、無駄だったのにと止める。
「ターシュの影すら、見たこともないのでしょ。
エドアルド様、そんな無駄なことは止めて、週末はダンスパーティを開きましょう!
綺麗な令嬢方を沢山招待しますよ」
エドアルドは綺麗な令嬢方は自分の皇太子という地位にしか興味がないのだと、ユリアンの提案を拒否する。
……ユーリは皇太子の地位など欲しがらなかった!
私が皇太子でなければ、ユーリは……
しかし、ユーリはグレゴリウス皇太子と婚約した。
ということは、グレゴリウスが皇太子でも、結婚したいほど愛しているのだ……
ライバルに完敗したのに気づき、エドアルドは地の底に穴を掘って落ち込んだ。
その時、金色の瞳のターシュが、自分の身体を通り抜けた。
「ターシュ! 金色の瞳で私を見ていた!
アレックス講師、私もターシュを見てみたい」
全員が引き止めるのも聞かず、エドアルドはアレックス講師とターシュ探索の旅に出た。