どこにもいかないで、どうか俺と結婚してください
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年一発目はほのぼのな甘いお話で。
「彼女と結婚を考えているんだ」
彼のその言葉を耳にした瞬間、私は凍り付いた。
「へぇ、だから家探してんの?」
「そう。どんなとこがいいかなぁ。職場が近いほうがやっぱいいよな」
「珍しくキースが饒舌! のろけ話だからか?」
私が聞いていることを知らない彼は、同僚の騎士と会話を続けている。これ以上話を聞いていられなくて、私は音を立てないように気を付けながら、そっとその場を離れた。
彼女と結婚。
彼──キース・エンベルクと私は親しい友人だった。休みが被った時にカフェへ行ったり、ちょくちょく夕飯を一緒にしたりする程度の、仲の良さ。だから、一瞬その「彼女」は私のことじゃないかという思考がよぎったことは否めない。
けれど──けれど、だ。
私たちは、付き合ってはいない。彼に好きと言われたこともなければ、私も言ったことはない。
もちろん恋愛的な意味で私は彼が好きだし、彼も程度はどうであれ、好意は抱いてくれているんじゃないかと期待してはいた。
でも、私たちは付き合ってはいないのだ。一緒に出掛けたりはするが、好意をしめす言葉もなければ、身体的接触もない、単なる友人関係。そんな相手と結婚を考えるはずもない。しかも、子爵家の三男である彼と、平民の私では釣り合わない。結婚となるとエンベルク家が承諾しないだろう。
(そういえば、この間のお休みは実家に戻るって言ってたな)
婚約者がいたのだろうか。
あんまりにもしっくりくる存在に、じわりと涙が浮かんだ。三男とはいえ、彼はれっきとした貴族だ。婚約者がいておかしくはないだろう。
「好きだったんだけどなぁ……」
玉砕覚悟で想いを伝える道もあるけれど、自己満足にしか過ぎない好意を告げられても、彼は困るだろう。私は気持ちに区切りをつけられるだろうが、それで彼と彼の奥さんに迷惑をかけるのは本意ではない。
でも、幸せそうな新婚の彼を見て笑顔を浮かべられるほど余裕もない。仕事中は笑顔でいられるだろうが、さっき耳にしたような彼ののろけ話を聞いたら泣く自信がある。無理、ほんと無理。
騎士の彼と医務員の私。騎士団付きの医務室で知り合った私たちは、お互い仕事をしていたら顔を合わせる可能性が高い。結婚後は今みたいに誘いに来なくなるとしても、結婚報告には絶対来るはずだ。それくらいは仲がいいと、さすがの私も自認している。
彼から結婚したことを伝えられたとき、泣かないで祝福してあげられるだろうか。
「どうしよう、これから。ああ、でもとりあえず、仕事しなきゃ……」
医務室へ行こうとしていた私は、彼がいた部屋を避けて遠回りする道を選んだ。少し時間がかかるけれど、気持ちを立て直すためには必要な道だった。
◇
「彼女と結婚を考えているんだ」
俺がそう言うと、同僚のヴィンセントは身を乗り出してにやにやした。
「へぇ、だから家探してんの?」
「そう。どんなとこがいいかなぁ。職場が近いほうがやっぱいいよな」
「珍しくキースが饒舌! のろけ話だからか?」
ヴィンセントの実家は不動産業をしている。すぐ決めるわけではないけれど彼女と住む家を探したいと告げると、良さそうな場所を見繕ってくれると言う。ありがたいことだ。
彼女──エリン・バークレーは医務員だ。医務室の天使だと俺は思っている。小柄で華奢なのに、ガタイのいい騎士たちにひるむことなく、いつでもにこにこと怪我の治癒を請け負ってくれる。話題に乏しく、かつ口下手な俺の話でもきちんと聞いてくれる彼女に惚れるのは早かった。つやつやの栗色の髪も、琥珀みたいな大きな瞳も、どれもこれもきれいだ。デートだからと、仕事中はきっちりまとめてある髪が下ろされているのを見た時なんて、人前じゃなかったら絶対に触っていた。花が咲くような笑顔も、真面目な顔も、おだやかな話し方も、どれもこれも魅力的だ。
「まずは告白からだな」
「は?」
何度も出かけて、彼女が俺を嫌っていないことはわかった。少しずつ続けてきたアプローチが受け入れられたんだ、勝算はある。
こぶしを握り締めた俺に、ヴィンセントが気の抜けた声を上げた。
「ちょちょちょ、待て待て待て、今なんか怖いこと聞こえたんだけど」
ヴィンセントは両手で俺の肩を押さえると、顔を覗き込むようにして訊いてくる。エリンみたいな色合いの瞳に焦った色が乗るのを、俺は驚きと共に受け止めた。
「告白って、なに?」
「告白は告白だろう? エリンに付き合ってくれと伝えるんだ」
親しい友人から一歩進んで、恋人同士になる。結婚を考えている相手がいると、先週実家の父には伝えてきた。相手が平民でも、継ぐ爵位のない三男ならばいいだろうと、ようやく承諾を得られたのだ。動かない理由がない。
「エリンちゃんと付き合ってなかったの? え、噓でしょ、それなのに結婚とか言ってんの?」
「結婚が見えない不誠実な付き合いは、エリンに申し訳がたたない」
「怖い怖い怖い! 俺はキースの思考回路が怖いよ! 付き合ってもいないやつから結婚を告げられたら怖いって! エリンちゃんが恋愛的にお前のことを好きじゃなかったらどうすんだよ!」
ヴィンセントのその言葉に、俺は固まった。エリンが──俺のことを好きじゃない?
「家を探すよりやることあんだろお前!」
「いや、家はすぐに決めるつもりではなかったんだが──え、エリンが俺を嫌ってる?」
「一足飛びに行きすぎ。嫌いとか言ってないだろう俺は。あのね、俺は非常にまともなことを言ってると思うよ? 考えてみろよ。単なる友達、もしくは同僚だと思っていた相手に結婚してくれとか言われて、怖くない?」
「エリンは異性だから怖くないが」
「それはお前がエリンちゃんが好きだからだろうが! 違うって、一般的な意見の話! あのね、恋愛的に好きじゃないやつに言い寄られたら、恐怖でしかないから! しかもお前みたいにでかくて威圧感のあるやつにだよ? 先走るにもほどがある!」
ヴィンセントの言葉は、今まで戦ってきた魔物よりも強く俺を打ちのめした。
俺は、エリンにとって恐怖を与える相手かもしれない? 好きだから結婚してほしいと告げることが間違っている?
「結婚てさ、重いわけよ。一生添い遂げるわけじゃん? その前に付き合って、この人となら一生いられるって思って、初めて結婚って言葉が出てくるわけよ?」
俺の知っている結婚と、ヴィンセントの結婚は重さが違ったらしい。商家の出のヴィンセントの意見は、多分エリンと似ているはずだ。
貴族と平民では結婚の位置が違うとは思ってもいなかった。結婚して血を繋ぐことを求められる貴族は、まず結婚前提でないお付き合いというものが存在しない。結婚したいから婚約する。結婚して家と家を繋ぐ必要があるから結婚する。そういうものだと、思っていたんだ。
どうしよう。エリンはどう思っていたんだろう。好きだと告げるわけでもなくデートを重ねる俺は、怖い相手だったんだろうか。
「どうしよう……」
血の気が引くのが自分でもわかった。
◇
その日は、怪我人多発で忙しかった。お昼もまともに取れないくらいの医務室の状況に、ちらりと顔だけ出したキースが困ったような顔をしたのが見えたけれど、私はあえて見なかったことにした。結婚報告の先延ばしくらい許してほしい。まだ、気持ちが落ち着いていないのだ。
と言っても、いつまでも逃げられるわけではない。わかっている。医務室にいる限り、騎士との接触は不可避だ。でも、医務員の仕事は私に合っているし、なにより私はこの仕事が好きだ。辞めるつもりはまったくない。せっかく資格も取ったのに、辞めるなんてありえない。
となると、私が取れる道は二つ。ひとつは、このままここでの勤務を続け、彼の結婚を受け入れて笑顔でこの恋を忘れること。もうひとつは、勤務先の異動だ。元々、私がここの騎士団付きになったのは、医務局の指示であって希望したわけではない。
(異動願い、出すかぁ……)
この医務室に来て、三年。十八で着任した私は、もう二十一だ。結婚適齢期まっさかりでもある。いつかは結婚したいとは思っている身としては、ここで彼の姿を見ながら新しい相手を探すしかないのだが、ちょっと気持ち的に難しい。でも、もたもたしていたらあっという間に適齢期を通り越してしまう。心機一転するにもありなのではないかと思うのだ。
……逃げていることは、わかっているのだけれど。わかってはいるけれど、でも選べるかどうかと確認するくらいは許されるだろう。許してほしい。
「室長、今異動願い出した場合、受け入れられるのっていつくらいになります?」
怪我人の波が落ち着き、室長と先輩と三人で遅いお昼を取りながら、私は尋ねた。
「エリン君、異動したいの?」
「まぁねぇ……異動もいたしかたないわよねぇ。大抵みんな別の職場を選ぶしね。暗黙の了解というか」
困ったように笑うバルサ先輩に、私は驚いた。え、先輩もしや全部わかってらっしゃる? 三人の子を育て上げた熟練の美女であるバルサ先輩なら、私とキースの関係性や、彼の結婚に付随する私の気持ちもわかるのかもしれない。先輩、騎士団のことなら何でも知ってるし。
「うーん、すぐに別の騎士団付きに空きがあるかどうかはわかんないんだけど、隣町にある僕の実家の人出が今足りないんだよねぇ。そこのお手伝いとうちの勤務、半々にしながら近場で探す?」
勤務表を確かめながら、室長が思いもよらない提案をしてきた。兼務なら、少なくともキースの休日と被る可能性が低くなるかもしれない。少しずつ距離をあけていけば失恋の傷も落ち着くかもしれないと、私は室長の提案に飛びついた。
「エリン君、寮だよね? ここと隣町と行き来するから大変になっちゃうけど、大丈夫? しんどいようなら向こうの手伝いの日数減らすから、いくらでも言って。あ、辻馬車代は給与に上乗せします」
「大丈夫です。経験も積めそうだし、ぜひお願いします」
「近隣の騎士団に空きがないようなら、医局と相談して近場の勤務地探すけど、可能性として一番高いのはうちの実家なのでよろしく」
国家公務員である医務員は、全員が医務局所属だ。室長も先輩も私も、所属はここの騎士団ではなく医務局であって、騎士団へはあくまでも派遣されているに過ぎない。派遣先が王宮になるか騎士団になるか町の医務院になるかはわからないのだ。既婚の医務員だけは自分の医務院を持つことを許されているけれど、私のような独身の医務員は医務局の指示に従うのみである。今回のように派遣先が合わなかったりすると異動願いが出せるので、派遣先の異動は比較的簡易にできるけれど。
「最近魔物が増えてきてるっぽいからあんまり医務院の勤務日数増やせなくて悪いんだけど、逆に人手の募集はすでに依頼済みだったから、そこまで待たせずに済むと思うよ」
室長のありがたい申し出に、私は感謝した。終わりが見えるのなら、まだ耐えられる気がする。彼から報告を受ける前に、私から職場を異動することを伝えようか。彼もホッとするかもしれない。
◇
エリンに会えない。
ヴィンセントに自分とエリンの認識の誤差を指摘されたあの日から、俺は彼女と接触しようと試みたのだが、彼女と個人的な話をするタイミングがまったく見いだせなかった。魔物が増えて俺たちの出撃が増えたのもあり、彼女と勤務帯が嚙み合わなくなったのだ。元々そこまで怪我の多くなかった俺がエリンと知り合えて、個人的に交流できたのが奇跡だったのだと、改めて思う。なぜタイミングが嚙み合っているときに告白しなかったのか、自分で自分を殴りたくなる。各方面に根回しする前に彼女に告白していれば、また違った手段も取れたかもしれないのに!
いや、過去を悔いていても仕方がない。諦めたくなければ、どうにかしてエリンの心をつかむしかないんだ。戦う前に退くわけにはいかない。
「あの」
エリン本人に会えないならば、エリンがいる日に俺が予定をあければいい。エリンの休みの予定は本人以外も知っているはずだ。長年ここに勤めている医務員のバルサ女史なら知っている可能性がある。エリンはバルサ女史によくなついていたから。
「エリンの次の休みはいつですか」
「怪我人の付き添いで来たと思ったら、用件それ? 彼氏君、エリンちゃんから聞いてないの?」
彼氏君、という呼び名に勝手ながら鼓動が早まる。エリンがそう話していたのか、もしくはよそから見ても俺は彼女の大切な位置にいたということか。いやいや、勝手な期待はいけない。自分の認識とエリンの認識の違いに気づけなかった俺だ。うかつな行動や判断は控えるべきだ。
「あの、今全然会えなくて……」
「まぁね、結婚前で忙しいんでしょ。結婚したら職場異動はよくあることだけど、そりゃ兼務だとどうしてもバタつくわよねぇ」
「え」
結婚前。誰が? エリンが? 結婚? 誰と? 待って、職場異動って言った?
目を見開いて固まる俺に、バルサ女史が目を瞬いた。なにを言っているんだと、双方の顔に書いてあるのかもしれない。
「……ちょっと待って、うん、情報を整えましょう。さ、君の怪我の治療は終わったわ。テルセル君、君は造血剤呑んでちょっと病室で休もうか。で、エンベルク君はここに残ってもらってもいいかな? ちょっとややこしそうなにおいがするし」
治癒が済んだ同僚を別室に案内した後、バルサ女史は神妙な顔で戻ってきた。昼前だからか、医務室にはあまり人がいない。室長はこちらを気にしつつも最後の患者を診ているし、もう一人の医務員──医務室にはいつも三人の医務員が常駐してくれている──はこちらに背を向けて薬品管理簿に向かっているようだった。
「あんまりプライベートなことをここで話すもんじゃないけど、かわいい後輩のためだもんね。ちょっと端っこにおいで」
「はい」
初陣の時より冷や汗をかきながら、俺は呼ばれるまま医務室の端に寄った。俺は知らないことがたくさんありすぎるようだ。
◇
ゲートフィールドの医務院は、ほどほどに繁盛していた。町中の医務院なせいか、騎士団の医務室とは診れる症状が違う。治癒術は外傷にしか効かないため、こちらでは薬術の方が必要とされているから色々と勉強になる。
ごりごりと乳鉢で薬草をすり潰しつつ、私は今後のことを考えていた。騎士団医務室付きの方が新しい出会いはあるかもしれないけれど、今すぐ次の恋は考えられない。私は、思った以上に彼のことが好きだったようだ。金の髪や青い目の人を見かけるたびに思い浮かぶのは彼のことだし、日常に潜むちょっとしたこと──たとえば、彼の好きなコーヒーだとか──に思い出を引っ張り出されてはついため息をつきそうになってしまう。
やっぱり、町の医務院勤務の方がいいかな。ご老人が多い町なんかないかな。あんまり彼につながるような項目のないところがいいけれど、さすがに無理か。時間薬に頼るしかないかな。ああ、こんな風に忘れる薬も作れたらいいのに。ああ、でも忘れちゃうのはさみしいな。だって、とても楽しかったもの。あんなにドキドキしたことなかったもの。
「エリンさん」
「はい。どうしましたか?」
上司である室長のお父さんに声を掛けられ、私は薬草をすり潰しながらも顔を上げた。繊維を均一にできたら、次は乾燥だ。手順を思い出しつつ、医務院長の話を待つ。
「君にお客さんが来ているよ。今は患者さんもいないし、会っておいで」
医務院では指名は受け付けていない。なのに私宛に来客ということは、患者さんではないのだろう。家族にはまだ兼務の話をしていないので、騎士団の医務室の誰かだろうか。
作業の終わった薬草を平らに均して乾燥に回すと、私は手を洗って休憩室に向かった。行先が休憩室だったから、完全に面会相手は医務員だと思い込んでいた。
「エリン」
休憩室のドアを開けた私は、そのままドアを閉めた。なんだろう、会いたすぎて幻覚でも見ているのか。疲れがたまっているのは確かだ。辻馬車でうとうとしたのも一度や二度ではない。
深呼吸だ。落ち着くには呼吸を整えるのが一番。大丈夫、落ち着け、落ち着けるはずだ。
震える手でもう一度ドアを開けようとするのと、ドアが内側に開いたのは同時だった。バランスを崩した私を、中にいた彼が受け止める。
「ご、ごめっ」
「す、すみませんっ……」
慌てた声が重なる。変わらぬ彼の声に、ふっと力が抜けた。めぐりあわせだろう。決断の時なのだろう。これからどうするか、それを決めるにはこの恋に終わりをつけてからだ。
「お客様ってキースさんだったんですね」
「あ、その……君に会えないから、いろんな伝手をたどってみた。伝えたいことがあって。その、早急に」
饒舌でない彼には珍しい、せっつかれたような口調。グレーがかった青い瞳は、いつものように優しい。けれど、どこか焦った色を帯びていた。
「急ぎの用件ですか?」
結婚報告とは別だろうか。私的な内容だ。わざわざ訪ねて報告するようなことではないだろう。となると、仕事がらみ? たまたま彼が伝達者だっただけかしら。
「えっと、どこから話したいいのか……」
「とりあえず座りましょうか? なにか飲みますか? ここ、休憩室にコーヒーを準備してあるんですよ」
「いや、コーヒーはいらない。君と話がしたい」
仮眠もとれるようにだろうか、ここの休憩室には食事用のテーブルや椅子だけでなく、三人掛けの長椅子がある。横並びに座るのははしたないかしら。婚約者の方に申し訳ない気がするので、食事用の椅子に案内しよう。
そう思ったのに、キースが座ったのは長椅子の方だった。ぽんぽんと自分の隣の座面を叩いて、座るようにアピールしてくる彼に、こらえ切れずため息が出た。最後の思い出と割り切るには、私の想いは重い。できるだけ間をあけるようにして、ひじ掛けぎりぎりに腰掛ける。
「エリン」
真剣な面持ちの彼に、私もつられて真顔になる。つられてというか、笑えない。泣かないようにこらえるのが精一杯だ。奇襲なんて卑怯だと思う。もう少し、猶予がほしかったのに。
「…………」
「……あの?」
言葉を探すように口をぱくぱくさせていたキースを待っていたが、一向にその話とやらが始まらないので、さすがの私も少し冷静になってきた。目の前で焦っている人がいると冷静になるのは、ある種職業病なのかもしれない。
「エリン。あのね……」
「はい」
元から口が重い人ではあったけれど、これほど言葉を探してさまよっているところは見たことがなかった。どうしようか戸惑っていると、がっと膝の上にそろえていた両手をつかまれた。
「どこにもいかないで、どうか俺と結婚してください!」
食事は何度もしたけれど、私たちは手もつないだことはなかった。それくらいの間柄なのだとわかっていたし、それでも異性の影のない彼の、一番近い異性だと思っていたけれど、さすがにこれは予想を超えてきた。
「え?」
待って、今なんて言った?
「え?」
「エリンが好きです! どうか俺と結婚してください!」
目をぱちぱちとさせている私に、キースは同じ言葉をもう一度言った。さすがに、今度は脳が認識する。結婚……結婚?
顔を上げると、真っ赤に染まったキースがいた。お酒を飲んでも赤くならない彼が、耳まで真っ赤にするのは初めて見る。
「ヴィンセントに俺と君の認識の違いを指摘された。バルサ女史とトーガ室長に頼ってここまでこれた。俺は、エリンが好きだ。エリンだけが好きだ。もし君も同じ気持ちでいてくれるなら、どうか結婚前提で、俺と付き合ってください!」
さっき触っていた薬草に、幻覚作用はなかったはず。手から伝わるぬくもりは、夢でないはず。
「あの……私、私、え、ほんとに? キースさん、待ってキースさん、ほんとに?」
過去一番、意味の通っていない言葉が出た。どうやら私は混乱しているようだ。好き……好き? キースが、キースも、私を?
「エリン、結婚したいくらい、一生一緒にいたいくらい君が好きだ。俺じゃダメかな? ねぇ、俺の一生を君に渡すから、君の一生が俺は欲しい」
失恋に向き合えないくらい重い片想いだと自分では思っていたけれど、それよりももっと重い気持ちがぶつけられるとは思っていなかった。一生……私の側に?
息を吸って、吐いて。そう、落ち着いて。落ち着けるはず。大丈夫。
「あのね、キースさん」
「はい」
赤いまま、神妙な顔でキースが頷く。つないだ手が震えているのは、私のものか彼のものか。あるいは、両方かもしれない。
「私も、キースさんが好きです。あなたが結婚するって話を聞いて、びっくりして堪えられなくて逃げだしちゃったくらい、私はキースさんが好きなんです。他の誰かに寄り添うあなたが見れないくらい好きなんですけど、それでもいいですか?」
「!」
「私は平民で、あなたの世界とは違うところで育ってきました。あなたの隣に立つ権利がないかもしれません。でも、それでも、あなたが望んでくれるなら、その隣に立ってもいいですか?」
弱い私は確証が欲しい。怖いのだ。一生を揺るがす言葉を紡ぐのが。でも、彼が手を差し伸べてくれたのに、それを取らない選択肢なんて選べない。
「あなたが好きです。だから、結婚してって言葉が……とても嬉しい。精一杯頑張るので、どうぞよろしくお願いします」
告げた言葉の最後は、空気でなく彼の胸に吸い込まれた。
◇
「おまえさぁ、ほんと、ずるいくらい直線で行くよなぁ」
あきれたようなヴィンセントの言葉に、俺は首を傾げた。
「直線?」
「エリンちゃんの横を確保しに行くスピードも、誤解を解きに行くスピードも、結婚を申し込むスピードも速かったってこと。団員の誰も勝てなかっただろうね」
エリンちゃん人気あるんだぜぇ、と、からかうようにヴィンセントが言うが、人気があろうがなかろうが、エリンは俺の奥さんである。
そう、奥さん。妻。伴侶。俺とエリンの認識の違いから一瞬エリンは遠くに離れかけたけれど、どうにかこうにか俺の告白は間に合った。結婚の申し込みも快く受けてもらえたので、最速で手続きをし、式を挙げ、新居を選んで引っ越した。
「ヴィンセント、本当にお前には感謝している。あのとき教えてもらわなければ、俺は今頃ここにいなかった」
「怖。いきなり怖い告白やめてくんない? お前の告白唐突すぎて怖いんだよ」
自分の気持ちを相手にうまく伝えるのは難しい。エリンですらすれ違うところだったのだ。言葉を尽くすのは大切だと、俺は学んだ。
「感謝の気持ちは伝えないと伝わらないと学んだ」
「感謝だけじゃねぇだろ」
「そうだな」
エリンとは、たくさん話そうと約束した。暴走しがちな俺と、冷静なエリン。バランスが取れているから、ちゃんと立ち止まって確認すれば大丈夫だと、エリンは言う。
「今度、うちに遊びに来てくれと、エリンから伝言を預かっている」
「あー、エリンちゃん元気にしてる?」
「元気だ」
異動願いを出していたエリンは、結局結婚を機に異動した。元々夫婦は同じ職場で働かない不文律があるせいで、彼女の引き留めに成功しても、同じ職場で働き続けることは難しかったのだ。非常に残念だ。医務員として働いているエリンは、本当に天使みたいに輝いているのだ。
「今度休み合わせてお邪魔しに行くわ」
「待っている」
エリンの新しい職場は、ゲートフィールドの医務院に決まった。俺としては新居もそちらにしようとしたのだが、急な呼び出しがある俺に合わせるべきだとエリンが譲らず、結局騎士団の近所に家を借りたのだ。エリン曰く、ここなら騎士団の医務員たちとも気軽に会えるからとのことだが、エリンの負担が気になるので、定期的に体調や負担を確認しようと思っている。たとえば、子どもができたらエリンの負担が最優先だと、俺は思うので。
それもまた話し合う必要がある大事なことだ。
「結婚おめでとう、キース」
てらいのない友人からの祝福に、俺は破顔した。ああ、本当に幸せだ。あのとき、すれ違わなくてすんだから、大切な人との今がある。本当に、こいつには感謝しかない。
「次はおまえの番だな」
「余計なお世話でーす。俺は好きに生きるの!」
どちらからともなく、笑い声が広がった。




