【短編小説】ニコ・ロビンで抜いたネコ
猫が鳴いているのです。
ファミリーレストランの配膳ロボットが、全てネコの顔をしているのです。
人類の多くは、根本的にネコに対して強気に出られないと言うのを、逆手に取ったものだそうです。
確かに、人間の配膳係や人形ロボットであると何か文句を言いたくなりますが、ネコなら仕方ないと思うものでしょう。
そう言えば、職場の床を掃除するのも、ネコの顔が表示されたロボットであります。
忙しくしていると、床を這うロボット側が邪魔なのであっても、ついついこちらが避けなければと思ってしまうものです。
そうやって世界は、ネコで溢れ始めたのであります。
車やバイク、バスや電車、果ては飛行機までネコの様な顔が表示されております。
ネコをぶつけるのは厭だと言う気持ちが、譲り合いの精神を産んで、交通事故は圧倒的に減りました。
世界はネコを中心として和やかに回っているのです。
当然、ネコ顔の男女がモテるようになりました。
狭小住宅は、ネコの額住宅と言い換えられて、飛ぶように売れました。
世界は、もはやネコなのです。
ですが、それは救いではありません。それは擬態だとか、法則の変更などであって、救いにはならないのです。
だから、実際の世界では、私たちは戦っているのです。
それは当然のことで、この世界ではどうでも良いような些細な事ですから、わたしはネコも好きですし、何も考えていないようなイヌも好きだと、表明しておく事が必要です。
それにいま、昼間に食べたラーメンの量が思ったより多く、まだ苦しい事実があります。
それは、わたしの体調が悪いのかと思いましたが、そうでは無いとわたしが言います。
それを言ったのは、画面の中で産みの母と交わっているわたしでして、恐らく、胎内に帰ろうとしているのだと思います。
彼女は、わたしの理想とするヒロインで、たぶん何かの物語から出てきたのでしょう。
ですが、わたしは物語を知らないので、この世界の全ての人が死ねば済む、と言う強い憎しみを持って、今年もいっぱい書いていきます。
わたしは人と違うのです。
人がする事を、どうしてもできません。それは、本当の母がいまの母ではなく、アダルト女優でありますから、それは育ての母と言いますが、わたしを産んでもいますから、やはり母なのです。
そうやってわたしは六等分されましたので、白人や黒人でもあります。
わたしが死ぬと白人から黒人になり、わたしが死ぬと黒人から黄色人種になります。
その後は、虫や魚になります。
だから、わたしを呼ぶときは、人気のない山の中を全裸で乱舞するとか、便所の100万ワットとか好きに言えばいいのです。
誰もわたしを待ってないのですから。
それは腹が立ちますが、それは誰かがわたしの煙草を勝手に吸ってしまうからです。
わたしは、わたしがありませんが、わたしの中に子どもがいる気がします。
しかしわたしは男ですから、女でもあると言うことになります。
それは、画面の中にいる母が、母と交わっていると言うことです。
そうやって、わたしたちの皿を乗せて、ネコ型配膳ロボットがどこかへ消えていくのです。
あの暖簾の奥に、わたしたちの未来があります。それは、もうひとつの世界と言えますが、誰もそこに入れません。
だから、この世界では、ネコ型の霊柩車。
ネコ型の火葬。
ネコ型の煙。
ネコ型の葬列。
ネコ型の人たち。
ネコ型の墓。
ネコ型の柄杓でネコ型の水を掛ける。
ネコ型の線香とネコ型の花。
そうなっています。
画面の中で、アダルト女優が絶頂を迎えましたが、それはわたしの絶頂です。
つまり、世界に対する許しなのです。
ネコネコレマサバクタニ。
わたしのネコ型をした骨が、ネコ型の配膳ロボットに乗せられて遠ざかりました。
誰もわたしの骨を待ってないのです。
あぁ、喉猫が鳴きます。
やーん。




