公園の少女
巫子は悪夢にうなされた。
公園の少女が、喧嘩ばかりしている両親を部屋の隅で見ている光景。
母は少女を置いたまま家出をして、程なくして父は別の相手と一緒に暮らし始めた。
新しく住み始めた女性は妊娠しており、少女は疎まれ、食事も満足に与えられず、次第に放置されるようになった。食事は家にあるパン。風呂を使うことは許されず、学校でも避けられ、誰も自分と仲良くしない。
弟が生まれると、少女への関心はさらになくなり、弟に存分の愛を与える夫婦を見て、初めて孤独を知ることになる。
弟への思いは憎しみに変わり、幼さを残した瞳は、公園の外に出たときのような、少女とは思えない憎悪の色に染まっていった。
この夢の内容を朝食を終えたリビングで、目覚と間堂にも話すと、表情を変えずに紅茶に口をつける二人。
「そんな夢を見た…。」
「それは続きを見たほうがいいな。呪いが巫子と同調して、内側から蝕んでくる。疲弊も消耗もするが、気をしっかり保っていたら大丈夫だ。」
「大丈夫。あの子…いつも見かけてたときは、公園で友達と一緒に遊んでるみたいだったの。子どもの顔だった。」
「出られない原因を見つける。依代があるなら供養できるまで保管をするか、消してしまう。それが対策だ。憎い相手を殺したいと願う者を成仏に導くには、その恨みを引き継がないといけない。」
「しない。」
(当たり前だ!)
「当たり前だと思うのは、取り憑かれる前だ。夢で見たように、段々自分の思考が他者に呑まれる。恐怖や苦痛で思考を惑わす。引き継げるのは悪霊と同じく荒んだ気持ちだ。特定の誰かへの憎しみをそのまま引き継ぐことは滅多にない。知らないやつだからな。自分の憎いやつを相手に自制が効かなくなるんだ。いつか錯乱して、自分をも殺す。」
「嫌…。」
「そこまでしっかり取り憑かれるのも珍しいけどな。悪霊がいる場所ってのは、そんなに近寄れないものだから。」
「侵入禁止の場所や、廃れたまま放置された場所に肝試しに行く者もいますな。曰く付きと分かっていても住む人は、それなりの精神力がありますし。信じないというのも強い力になりますよ。」
「ある程度は信じて、危ないものに近寄らないが良いとは思うね。恐怖を感じる場所にも理由はある。」
「じゃあ…悪霊じゃないんだよね。人がいなくなる場所じゃないもん。」
「そうか?夕方以降の公園は行くなと言われただろ?」
「あ…うん。夕方になる前に帰るように。」
「公園は溜まり場になりやすいから。」
「元は人間ですからね。あの公園は溜まり場にはなっていませんが。夜になると熱が上がったり、負の感情が出やすいのも、元人間だということですね。」
「夜は静かだし…忙しくない。暗いのが嫌で電気のある場所に行きたくなるかも。」
「そうだ。一人になった公園で何をする?」
「…たくさん考える。考えることしかできない。会話も聞こえないし、遊んでる子どももいない。もう…出してあげたい。あの辛い経験をずっと…。」
(知るか!)
「知っちまったら仕方ねーな。」
「呪いを受けたら仕方ありませんとも。」
(あーあ…俺の光じゃダメなのか。)
「幽霊くんはたまに光るの。」
「浄化してるんだ。前の前の家にいたときも、たくさん悪いのがいたんだろ?それが巫子の部屋には来なかったのは、こいつが追い払ってたからだ。」
「幽霊くんありがとう…。」
(俺も嫌だもん。ずっ…と横で愚痴やら恨み言やら言われてたらウザいぞ。ネガティブな思考は、仲良いやつがたまに溢すから心配すんだよ。知らないやつのネガティブを押し付けられたらウザいしかねーよ。うるさいんだよ。知らねーよって。)
「ウザいよな。」
「ほほほ。それが霊障とも言われますね。聞こえていないようでも、耳にはずっと入っています。脳が疲れてしまいます。ストレスになれば体調も崩します。それしか言うことが残っていないのです。毎日の出来事がもうないのです。」
「毎日…横でそれは眠れないね。あの子はそういうの何も言わなかった。憎いのは…悲しいからだよね。愛されたかったから憎いと思ったんだよね。私は前のお父さんにも、お母さんにも憎いと思わない。愛されたくない…。」
「気色悪いよなあんなのに好きだって纏わりつかれても。裏があるとしか思えねーよ。」
「んー…困っちゃう。」
(困る!?気色悪いだろ!!)
「ふふ。」
「ほほほ!」
夢に公園に縛られる手がかりがあるはずだという結論になり、目覚と間堂はできるだけ巫子の日常を崩さず、恐怖や不安を感じないよう、通常通り努めている。
巫子を一人にしないように、どちらかは会話や道具の説明などで自然に巫子の近くにいる。
この日の夜も巫子が眠りにつくと、夢にうなされた。
あの少女が心を荒ませ、学校で暴力や物を壊すといった問題行動を起こすようになる。クラスメイトは一層距離を置き、教師は問題児として少女を叱りつけては、最後はもう学校に来ないでと言い放った。
少女の問題行動を聞いた両親は、少女に食事を与えなくなり、学校に行く以外はベランダから出ることも許さなかった。
学校では使われていない空き教室でプリントを出され、一人で給食を食べる。担任も来ない。教師に話しかけても無視され、クラスメイトには逃げられる。
その日々の中で、ベランダに座りカーテンの隙間から部屋を見る少女の目に、小さな弟が初めてハイハイができたと喜び、笑顔の弟を抱き上げて幸せに包まれた光景と、その家族が写った大きな写真が壁に飾られているのが記憶に焼きついた。そこに自分はいない。少女の視界はぼやけ、涙で景色の全てを霞ませた。
「って…夢を見た。」
(ひでー親だな。)
「通報しろや学校も。」
「家庭の事情と学校の事情は切り離せますから。」
(施設入れるとかさ。)
「予想の一つとしては、手当てが貰えなくなることですかね。家に置いても金がかからないのなら、損と考えたのかもしれませんな。」
「家出しろよって年齢でもないしな。他に行く場所なんて何も思いつかないよな。」
「子どもが外で暮らすには危険が多いです。探されないでしょうな。」
(はぁ…。)
「「ふぅ…。」」
「私は…幽霊くんと唯ちゃんと…友達が嬉しかった。自分を嫌う人だけなのは…誰もいないより…悲しいね。それで誰もいなくなったのも…悲しい。」
(知らないの!)
「知ったんだもん…。」
「プリンにするか?横山さん家から貰った餃子もあったな。」
「餃子にしたい。」
「餃子にしましょう。ほほほ。」
(横山も通りのやつ?)
「そう。あそこは完全に廃業してる。ただ、地元の神社から預かってる宝具を保管して大切にしてるよ。役割は終わってない。今は輸入系の茶葉屋やってる。大体は通販だけどな。紅茶なんだよ。」
「お嬢様はお二人とも紅茶を飲みませんからな。」
「茶って言ったら麦茶か緑茶だよ。」
「そうだね。おやつと言ったら餃子だよ。」
「そうそう。ふふ。」
「ほほ。あそこは奥さんが惣菜屋さんをしているのですよ。若い子がいる家庭に人気です。」
「ボリュームとガツンとくる味がいいんだよ。」
落ち込んだり、深く少女を考えそうになると、目覚と間堂に日常の会話に戻される。
この日の夜も夢にうなされた。
毎晩、心配そうに巫子を覗き込む幽霊くんは、俄かな光を巫子へと送っていた。
夢の中で少女の顔付きは完全に変わってしまっている。
常に憎悪を滲ませた表情になり、少女からは怒りが取り巻いているように見える。それに気付く者はいない。誰も少女に関心を向けない。
日毎に怒りが膨れ上がった、ある日の夜。寝静まった部屋に窓が開く。ベランダから微かな音を立てて少女が部屋に入っていった。両親は眠っていて、弟はハイハイをしながら台所で掴まり立ちをしていた。
調理台の上には、タオルが手拭き用に下に垂れるように敷かれ、その上に洗った食器を入れる籠が置かれている。弟はタオルを掴み引っ張ると、籠から包丁が飛び出しそうになった。
少女は包丁を持ち、弟への落下を防いだ。弟は声を上げて屈託のない笑顔を見せると、少女に抱っこをせがむように両手を伸ばした。少女は困惑したような表情で少し屈み、弟の頬に触れようと手を伸ばした。
すると、少女の襟首が掴まれて背後に投げ捨てられる。包丁を持っていたことで、叫んだ母親の声に起きた父親は、少女の怒りの顔を見て、少女の包丁を持つ手を踏み付けた。
少女は翌日は痣だらけの姿で両手足を縛られ、口も布で覆われ、押入れの中に閉じ込められた。
それからの記録は、押入れから漏れる僅かな光と、光を失ったことで朝と夜が認識できるだけの景色が続く。
光を遮る影が近寄り、部屋の灯りが消えるたびに少女に痣が増え、体も骨が浮き出るまでに痩せていった。
そして、少女は弟が初めて立った光景を押入れの隙間から見て、一筋の涙を流して死んでしまった。
「って……ことみたい。」
「「はぁー…。」」
(新聞にねーのか?)
「近隣での事件は調べましたが、記事にはありませんでした。」
「あのね、あの子を閉じ込めてから父親が学校に電話してたの。やっと子どもの親が引き取りにきたって言ってた。自分は親じゃないみたいな言い方で……結婚はしてたのかな?」
「その言い方なら結婚どころか、認知もしてなかったかもな。」
「住居変更手続きなどもしないで、渡り歩くような女性だったとしたら…所在不明児童になりますね。」
「結婚したくなった女を呼ぶために、相手の女の浮気を問い詰めたり、子どものDNA検査するとか言えば…逃げるかもしれねーな。」
(じゃあ…施設に入れたらよかったじゃねーか。)
「頭になかったのかもな。それかやましいことを隠したかったか。馬鹿の考えてることは分からねーな。」
「子どもが過ごしやすいように施設に入れようと思う人だけではないのでしょう。施設にも、どこの誰かは知らない少女と暮らしていたとは言えませんから。親戚と嘘をつくのも無理はありますし、我が子と言っても、親戚に養育できないかの連絡はいきます。認知をしていない子の存在自体が、やましいことだったのかもしれませんね。」
(うわ…それっぽい。)
「それっぽいな。」
「…その辺の詳しいところは全然分からない。」
(公園にでも埋めたのかもな。)
「あの公園に埋めたって分かるとは思うけどな…人が埋められるほど穴掘るのもさ。」
「いくら深く掘ろうとも臭いも出るでしょうね。」
「次で…分かるかな。」
「それが核だと思うんだ。ただ、夢から守る枕を使ってくれ。悪夢が霊に関することなら、酷くなる前に起きられる。」
「分かった。」
この日の夜は、目覚も巫子の部屋で見守る中、眠りに落ちる。
少女の家族はホームセンターでキャンプ用品を買い揃え、大きなクーラーボックスに氷を入れ、少女の亡骸を入れて蓋をした。
キャンプ用品と一緒に車に積み込み、クーラーボックスを入れるところを近所に見られているが、好意的に話しかけられるだけ。夫婦には笑顔が増えているし、近所も、やっと母親が迎えにきたそうだと、問題児として有名になっていた少女から解放された哀れな親戚だと噂している。
家族は車を夜になるまで走らせ、妻が周囲を警戒し、父が少女の亡骸を崖から投げ捨てた。中の氷も全て落とすと、車はすぐに発進し、昼まで走らせてキャンプ場へ到着すると、テントを組み立ててキャンプを楽しんでいた。
何事もなかったようにキャンプから帰ると、少女の少ない荷物を整理する。服や学校の教科書はキャンプの焚き火に消えているが、ランドセルは使い古したように踏み込み、肩紐を切り、捨てることが自然な状態に細工した。
少女の荷物の中から、血のついたピンク色の箱が出てきた。血は洗っても擦っても消えず、ゴミに捨てても元の場所に戻ってくる。中を開けようとしても開かず、壊そうとしても壊れない。
夫婦はその日から眠っている間に酷くうなされるようになり、狂ったように喧嘩を繰り返すようになった。
弟が歩けるようになると、弟も悪夢を見るようになり、母が寺に連れて行き、家族でお祓いを受けた。
その日の夢はさらに酷かったようで、三人は眠りにつけないほどにうなされた。
深夜、両親はお祓いを受けた寺に忍び込み、土地神を祀っているという寺の庭に置かれた祠から紙垂の巻かれた石を取り出して盗み出した。
二度と出てくるな、ここにいろと発狂に近い声を途絶えさせずに箱と一緒に石も公園に埋め、夜逃げをするように引越していった。
夢は続き、少女が一人で公園の木陰で佇んでいた。
(私の…願い…叶わない……誰か…助けて……お父さん…お母さん……。)
少女は涙を流し、僅かに浮いた足と地面の間には紙垂が鎖のように繋がれていた。
夢から覚めた巫子は泣いていた。目覚に抱きしめられ、幽霊くんに光を浴びせられて目を開けると、二人が心配そうに自分を覗き込む顔が見え、止まることのない涙を溢れさせた。




