最初の挑戦
巫子は中学生になった。
一年以上、インターネットや本で知識を深めた巫子が向かったのは、引っ越してきてから自転車の練習で何度も通った公園。
そこに行くたびに、必ずいる少女のことをずっと気にしていた。最初の相手は、あの少女と決めていたのだ。
公園はブランコ、滑り台、砂場のある遊具コーナーのほか、犬の散歩にも使われる石畳の遊歩道も整備されている。
広い公園だが見晴らしが良く、遊歩道のベンチに座る親からでも遊具で遊ぶ子どもの姿が見渡せる。
巫子が公園で向かった先はブランコだ。必ず同じ場所にいるのではないが、たいていは遊具の近くにいる。夕方になると子どもが親と手を繋いで帰る姿を見つめていたり、公園ギリギリまでついていこうとしている。
夕方、人の姿が途絶えるころ。巫子は警戒態勢の幽霊くんと共に少女の前へ出た。
小学生の低学年ほどの幼い見た目の霊は、ピンク色のワンピースを着て短い髪を一つに結んでいる。今日も誰もいなくなったブランコに乗って寂しそうに揺れていた。
「こんにちは…。」
(……。)
「あなたいつもここにいるね。誰かを待ってるの?」
(……。)
少女はブランコの動きを停めたが、下を向いたまま動かなくなった。
「ここに…いたいの?それとも出られないの?」
(出たい…手…繋いでくれる?一人じゃ怖いの…。)
「分かった。繋げるかな……あ…繋いでる。」
(繋ぐなよ巫子…ブランコも揺れてる。霊体以外の力があるんだ。気持ちだけで物を動かすことはできない。)
「長い時間をかけて思いのある本に触れたりとかできるって書いてあったよ。ずっとここにいるの?」
(うん…ママが…ここにいなさいって。お迎えに来てくれないの…寂しくて…もうここで待っているのは嫌だ…。)
「そっか…じゃあ…ここを出たら何がしたい?」
(うーん…手を繋いで…一緒に出られたら…それでいい。)
「そっか…うん。一緒に出よう。」
(ありがとうお姉ちゃん…。)
温度は感じないが、確かな手の感覚を離さないよう、しっかりと握ったまま石畳を歩き、公園を出た。
公園を出た瞬間、繋いでいた手が強く握られ、巫子は痛みに顔を歪めた。
「うっ!」
(巫子!離せクソガキ!こいつは連れて行けねーんだよ!!)
(ふふふふふ…殺そうなんてしてないよ。こいつと結んでいなければ元に戻っちゃうからね。やっと出られた…あいつはどこだ…誰が私を封印した…私を殺したあいつを殺してやる!!あははははは!!)
(悪霊退散!うっ!!)
幽霊くんの放った光は鏡に弾かれたように眩く反射し、幽霊くんを吹き飛ばした。
「待って…話をしよう……何を…痛っ…。」
(話をしたら生き返るのか?殺された無念が晴れるとでも言うのか…可哀想な子どもの手を、離すつもりで掴むなよ。)
「悲しみや憎しみだけでこの世にいるのは悲しいよ!自分の声が誰にも届かなくて…誰からも無視される。怖がられて嫌われて……そこに一人でいるのは悲しい!そこで自分を見て心配してくれた人が、どれだけ自分を救ってくれるのかも知ってるから!だから!幽霊くんに救われた私が、一人で悲しむ幽霊さんを救いたいと思って…私は無視する人にはなりたくない!!」
(だったら俺の言うことを聞けばいいだろうがーー!!)
(うっ!!)
「幽霊くん!」
後退していた幽霊くんは、拳に光を集めて少女目掛けて拳を振り下ろした。痣になるでもないが、衝撃は伝わり、少女の力が緩んだ隙に巫子を引っ張ろうとするが、幽霊くんの手は巫子をすり抜ける。
(クッソ!!逃げろ巫子!!)
「逃げない!!」
(馬鹿!!)
巫子の握られた手は青く変色し、その色は手首にまで広がっている。少女は憎しみと怒りに満ちた表情で幽霊くんを睨み、手を翳す。
目を見開いて驚く巫子は、咄嗟に少女の翳された手の前に身を滑り込ませるが、バランスを崩して倒れ込んだ。
少女の攻撃は巫子には何も影響を与えていない。額を擦りむき、僅かに血を滲ませる巫子が、幽霊くんに向けると、幽霊くんのいた場所は真っ黒な怨念が集まったような塊に包まれていた。
「幽霊くん!!」
巫子の悲痛な叫びが切れると同時に、真っ黒な塊は真ん中に吸収されるように消え、そこには絵本でよく見る三角帽子にローブ姿の、間堂が黒い宝石のブローチを翳して立っていた。
間堂の後ろでは、巫子以上に口と目を見開いた幽霊くんが間堂を見て驚愕している。
「間堂さん!ま…間堂さん!?」
「まさしく、フェリックス・間堂でございますお嬢様。ヤンチャは血筋でしょうかね。ほほほ。」
「そのまま後ろに下がれ巫子!」
「はっ!目覚さん!」
さらに後ろから歩いてきた目覚。今日は豹柄のスプリングコートに金のズボン。相変わらずの格好に、確かに自分の母だと確認した巫子は言われた通りに後ろに下がる。
間堂は少女に水晶を翳し、静かに呪文のようなものを唱えた。少女は呻きながら腕で目を隠し水晶を眩しいものでも見るかのような仕草をしている。
巫子が公園の中まで戻ると、目覚が巫子の腕に札を貼り、少女は叫び声を上げて消えていった。
「あ…。」
「すぐに出るよ。それはもう印になっている。あいつがこの世から去らない限りは、影を伸ばして後を追うこともできる。」
(おいチンピラ!)
「チンピラは卒業しております。今のお嬢様は立派な呪具師です。」
「チンピラになった覚えはねーよ。さっさと来い幽霊野郎。清めの光じゃ、夜が昼にはなんねーんだ。」
(う…。)
「チンピラくんが…見えるの?」
(混ざってる!チンピラこいつ!)
「ほほほ。」
「ふふ。帰ろう。先ずは呪い封じだ。ただし、一時凌ぎだぞ。」
「うん!う…ごめんない目覚さん…間堂さん…ありがとう。」
「いいんだ…無事ならそれで。ただ…分かったろ?会話だけじゃ済まないやつもいる。私達とは違うんだよ。同じと思ったらいけないところはある。恐れられる理由もあるんだよ。」
「はい…唯ちゃんみたいに…。」
「見えたかもな…公園で一人でさ。分かるけど、唯じゃない。知らないやつだ。悲しみが深いだけ怨念も深いと思った方がいい。唯も変質しなかったとは言い切れない。悲しみが深くなるだけ。」
「…うん。」
(でやあああ!!)
「あっ!」
「帰りますぞ!ほほほほほ!」
「はははは!」
「お…おー!」
間堂は、幽霊くんを肩に荷物の担ぎ上げて、若者顔負けの動きで走っていく。巫子をおんぶした目覚もその後ろを走り、帰るべき家へと辿り着いた。
普段は決して入らない一階の目覚の仕事部屋があるスペースの、さらに奥にある部屋で巫子は間堂によって術をかけられている。
白線で囲まれた四角の中央に座り、四隅には白い壺が置かれている。壺から壺へと、長い数珠が一周して繋がり、巫子の腕にも札のある数珠が巻かれた。
間堂の口からは異国の言葉で祝詞のような単調な詠唱がされている。
「いたたた…。」
「終わりました。その数珠が切れるまでしか凌げません。公園に入れば一時間も持たないでしょう。ここなら一週間は大丈夫です。ただし、呪いの解除は公園に行き、根源を断つことをしなければなりません。」
「はい…ありがとうございました。」
「いえいえ。ほほほ。」
「幽霊くんは…。」
「何ともありません。彼に呪いは効きませんから。単純な浮遊霊ではありませんよ彼は。浄化に弱いはずの霊が、朝も昼も自由に光を浴び、自らも浄化の力を持っています。使いこなせてはいませんがね。今は目覚お嬢様と対話なり、呪具を使った実験などをしています。」
「呪具って…大丈夫なの?」
「うちで扱うのは呪いとは違いますから。お呪いといったら分かりやすいですね。食事をしましょう。今日はカツ丼でございます。」
「はい…失敗。」
「最終的に勝てるのなら、成功への過程にすぎません。ほほほ。」
いつもと変わらぬ綺麗な所作で、静かに歩く間堂はローブと帽子を外し、燕尾服になった。
「間堂さん…魔法使いさんだった…。」
「ほほほ。」
否定も肯定もしない優雅な所作の間堂に促され、まだ痛む手首の青い痣に触れないよう、服の裾で隠してリビングに向かう。ノックをして中に入ると、魔法使いのように両手を天に伸ばす目覚が、幽霊くんを浮かべて光らせている。
「目覚さん!?幽霊くん!?」
「早かったな。」
「私、熟練の者にてございます。」
「そうだったな。ふふ。」
(降ろせチンピラーー!チンパン猿野郎!)
「あんだテメーこの野郎!!次猿って言ったら封印すんぞおらぁ!!」
(だーー!!猿回し!!)
「おらぁーー!!」
(だあああああ!!)
「ひぇ…。」
「ほほほ。ヤンチャが血なら、尽きることもないということです。夕飯を運んでまいります。」
幽霊くんはコマのように回転させられてしまった。幽霊くんの足元にはろくろのような道具が置かれている。これが光るほど、幽霊くんも光る。特殊な波動に反応する道具は目覚が足で回している。回す必要はない道具である。
食事中の会話は少なく、何かを聞かれることもない。何を言われるかと待っていた巫子も言葉をカツ丼と一緒に飲み込んだ。
食事が終わっても、リラックスした状態で何も聞かない目覚に痺れを切らした巫子が口を開いた。
「目覚さん…いつから知ってた?」
「巫子を迎えに行く前。学校に様子を見に行ったときに、巫子は私の子だって思った。その後で何度か様子を見に行ったんだ。今の生活が大切で、手放したくないと思うなら、施設を出てからでもいいと思ってたから。何だか幽霊がストーカーしてやがると思ってさ、」
(誰がストーカーだ!)
「自覚あんなら黙ってろ!回すぞ!」
(あいい!がるるる!)
「ほほほ。犬猿の中ですな。」
「猿はこいつだな?」
「どちらでもありません。比喩ですから。」
「はん。」
(がるる!)
「んー…それで?」
「それで、こいつが守護霊かなんかかと思ってたんだけど、守護霊ってのは知らずに契約してるもんなんだ。霊のほうが勝手にな。」
「契約…した?」
(してない。)
「誓いとも似てますな。」
「そう。この家や一族を守ろうとかさ、昔世話になった恩人に、何代先までは守ろうとかさ。その誓いっていうのが、霊と人間で調和した色が出るんだ。それがなかった。だから様子を見ていたら、巫子が幽霊野郎と会話してるのを見かけてね。見える子だと分かった。地面を這ってる霊を避けてたしさ。」
「あぁ…あの人…。」
「あれはいいんだ。そのうち消える。顔を上げさせなきゃいい。目を合わせたら取り憑かれる。」
「んー…。」
「キモいだろ?」
「…んー……うん。」
「何をしてんのかも知らないほうがいい。それが関わらないってことだ。」
「うん…。」
「私が知ったのはその時。変なのに取り憑かれても、うちなら対策を知ってる。あの辺は人がいる場所ならいいけど、廃墟とか人のいなくなった場所には悪霊が多い。そういう場所には、相当悪いのがいる可能性もある。触らぬ神に祟りなしだ。」
「田舎…怖いね。」
「田舎のほうが、そういう力が出やすい。自然の力が源になっちまう。都会は都会で、電気や電磁波やらが源になるから当たり前に歩いてるけどな。」
「死んだ自覚のない者は都会のほうが多いですね。」
「ずっと何かに追われてるよな。」
「時間ですかね。都会らしいですな。この辺はちょうど良い田舎ですよ。」
「そうそう。」
「私が見えること…言わなかったね。」
「うん。自分から言わないなら、言いたくないことなんだろうから。分かるよ。知られても好奇の対象になったり、無償で助けてもらえる便利な盾にされたり、怖がられたりさ。巫子を手放したゴミどもから、酷いこと言われた話も学園長から聞いた。気持ちは分かる。」
「見えぬ者に言ったところで、ということもありますね。」
「そうそう。ふふ。」
「あのね…大滝くん…。」
「犬な?」
「ちょっと大きくなりましたかな?ほほほ。」
「あー…。」
「「ふふ。」」
「この通りに続く家はそっち系を生業にしてた家が繋がってるんだ。今でも教えを守って、家の仏壇やら道具を丁寧に祀ってるよ。不義理はしない家だ。大滝のところは犬使い。犬の一族と、人間が手を組んでた。遥か昔だ。使役してるとかではねーんだ。気に入ってるから一緒にいる。縁が切れてないのは、大滝家がずっと犬に好かれる人柄や行いをしてるんだ。実際の犬は飼ってないけどな。大滝の兄は見えてねーけど、弟は見えてるぞ。」
「そうなんだ…。」
「あそこはペット霊園や動物供養をしてる家だ。保護活動をする団体も作ってるし、見える奴らで動物霊を特別な場所に導いて、食い物を供えて祈り続けて成仏させたりしてる。」
「立派だね…。」
「あそこは完全に動物限定だ。人間霊は専門外で、そっちは一切何もしない。」
「それが成功の秘訣ですな。」
「そうそう。うちは呪具を扱ってる。」
「お呪いって言ってたやつ?」
「そう。守り、盾、浄化、解析、そっち系だな。霊を集めて悪さをさせるような呪具は扱ってない。そういう集団もあるけど、全く関わりはないよ。どっちも荒らさなきゃいい。」
「暗黙の了解です。今は外国に拠点がありますな。」
「動かないだろうな。この辺には来ないよ。続きは明日にしよう。今日は眠れ。公園のあいつの話も明日だ。」
「分かった…。」
(巫子…手、青くなってるぞ。大丈夫か?)
「うん。」
「一週間が限界です。公園に行けば一時間以内に切れるでしょう。」
(対抗策はあるんだよな?)
「それも明日だ。」
(どうしたら止まるんだよな…巫子の対策も教えてほしいよ。)
「ふふ。」
「血筋なら仕方ありませんな。ほほ。」
「ん…おやすみなさい。」
「おやすみ。」
「おやすみなさいませ。」
目覚と間堂の落ち着いた表情から、僅かな安心感を得た巫子と幽霊くんは部屋へ戻った。巫子は眠りにつき、幽霊くんは窓際で見張るように朝まで座っていた。




