約束を
三年の月日が過ぎ、目覚と幽霊くんと共に児童養護施設への道を行く。その時間が長く、巫子の心を弾ませた。
到着した児童養護施設で出迎えてくれた園長は小鳥を頭に乗せた女性ではなく、いつも食事を配膳してくれていた中年女性に変わっていた。
「前の園長先生はどうしたの?」
「腰を痛めて引退したの。それで息子夫婦と一緒に下の布団屋さんにいるよ。」
(子ども相手だと屈むことも多いしな。歳だったし仕方ねーよ。)
「そっか。元気なら良かった。」
「元気だよ。今は通学路に旗を持って立って、横断歩道を安全に渡らせてくれる活動もしてるの。巫子ちゃん…唯ちゃんを迎えに来たんだよね?」
「うん!」
(どうした?唯もグレたか?)
新しい園長に案内されて園長室に入りソファーに座ると、園長は向かいのソファーに座った。
「唯ちゃんはね…もうここにはいないの。」
「え…どこに行ったの?」
「…去年……天国へ。」
「「……。」」
静寂に包まれる園長室に、外で遊ぶ子どもの声までも遠く響く。最初に声を出したのは目覚だ。
「そんな連絡は受けてませんよ。」
「身内以外への報告は…その…できないんです。訃報を知らせるとなると余計に…。」
「どんな決まりなんだよそれ!」
(落ち着けよチンピラ!何かの間違いじゃねーのか?)
「唯…ちゃん……嘘だよね?約束したの…いるよ!!」
「巫子!」
「巫子ちゃん!」
(探すのはいいけど、山には行くなよ!?)
巫子は伝えられた言葉を信じることができず、一緒に過ごした部屋に走り、扉を開ける。
そこには、あの時とは全く違う子どもの私物が置かれていて、あの温もりに満ちた空間は、もう別の空気になっていた。巫子は施設を飛び出し、最後に唯と行った思い出の釜飯屋や公園なども走るが、どこにも唯はいない。
「はぁ…はぁ……このお地蔵様…。」
「巫子ちゃん?」
「…あ…園長先生……唯ちゃん…探してて…。」
「連絡…いってないの?」
「きてない…約束したから…。」
白髪になった頭に小鳥を乗せた元園長は口に手を置き、巫子の肩に触れると、静かに涙を流した。
「巫子ちゃん…唯ちゃんは…どこにもいなかった?天国に行けたのかな……グスッ。」
「う…うぅ……。」
(泣いた…。)
巫子は唇を噛みしめ、ボロボロと涙をこぼした。元園長は巫子を抱きしめ、一緒に涙を流す。
巫子を探し回っていた目覚が駆けつけて、涙を流す巫子と元園長の近くで止まり、空を見上げた。
「早過ぎる…どうして唯は亡くなったんでしょうか。」
「交通事故よ…田舎だから信号も少ないし…地元の人じゃないと、子どもが出そうな場所は分からないからスピードを上げて走るの。横断歩道だったんだけどね…信号のない場所で…アルバイトをしていたから…夜の帰り道で…即死だったの。私が引退した半年後……。」
「唯ちゃん…その横断歩道は…どこ?」
「三番公園の前…行った?」
「行った…唯ちゃんはいなかった…。」
「そう…きっと天国に行ったのね。唯ちゃんのお父さんと同じお寺にあるよ。行く?ちょっと歩くけど。」
「うん…。」
「車を出しますよ。」
「その方がいいかもしれないわね。少し遠いのよ。」
(なんだかな…はぁ。)
目覚は車に戻り、巫子と元園長を乗せて霊園へ。大きな病院近くの霊園は古く、幾人かの霊が彷徨っている。
その中から唯を探そうと見回しながら『藤堂家の墓』と書かれた墓石の前で元園長が立ち止まり、屈んだ。
「ここだよ…父方のお墓で、唯ちゃんも唯ちゃんのお父さんも、その二代前までのご先祖様が入ってる。もう…継ぐ人がいないけど、ここはお寺さんが供養してくれる。」
「唯ちゃん…どこに…迎えに行けばいい?約束…したの。」
「今日は…巫子は施設に泊まれますか?唯との部屋じゃなくても、お泊まり室はありますよね?巫子の最後の思い出に。」
「できるように電話しておきます。ごめんなさいね…話しているとばかり…。」
「うぅん…先生は悪いことしてないから。唯ちゃん…天国に行ったのかな…。」
「きっとそうよ…。」
(天国か…。)
幽霊くんは空を見上げて複雑な思いを乗せる。それは空を睨むようだったり、悲しむようだったり。
墓を丁寧に磨き、元園長を送り届けると、巫子は施設へ戻った。目覚は明日は迎えに来ると告げると、丘を下っていった。
巫子は施設内には入らず、よく二人で座って笑って話していた木の裏に座る。
まるで巫子と唯と幽霊くんだけの世界にいるようで、木の裏の小さな世界が大好きだったのだ。
巫子は体操座りで膝に顔を埋め、肩を震わせながら声を殺して泣いてしまった。
(…夜になるぞ。巫子…寝てんのか?風邪ひくぞ…お前は生きてんだからさ……。)
幽霊くんの声は巫子には届かず、触れようとした手は肩をすり抜けた。自分の手と暗くなった空を交互に見た幽霊くんは、施設の入り口に視線を移して動きが止まった。
(……巫子!!起きろ巫子!!おい起きろ!!)
「ん…んー…あれ?寝ちゃった…。」
(来るって連絡受けてんのに、来ないなら探せよなあのババア!じゃなくて!入り口!玄関とこ!)
「んー…玄関?あ…誰かいる。子どもが起きちゃったのかな。」
巫子は固まった膝を伸ばし、一度屈伸運動をしてから施設の入り口に歩く。施設内は消灯時間を過ぎていて静かだ。
入り口の前で自分の上着の裾を掴み、下を向く自分より少し小さな女の子の肩に手を乗せようと伸ばした手はすり抜けた。
「あ…幽霊…どうしよう……えっと…あなた…お名前は?」
(…唯。)
「はっ!!」
(そうだよな!?顔が唯なんだよ!チビ唯!!)
「ゆ…唯ちゃん…唯ちゃん…お待たせ…私だよ。巫子。」
小さな唯は服の裾を握ったまま巫子を見上げたが、また下を向いてしまった。
(知らない…。)
「…私…唯ちゃんの親友なの。」
(違うもん…唯…友達いないもん…。)
(この大きさってことはさ、この時期より先は分からないんじゃねーかな…この時に未練があるっつーか。)
「そっか…でも…唯ちゃん。一緒に帰ろう?一緒に行こう?迎えに来たよ。」
(行かない…お父さんが迎えに来てくれる…約束したの…ここにいる。)
「唯ちゃん…施設に来たの、小学校二年生だったんだよね…唯ちゃん…お父さんのこと大好きだった。」
(ジジイとか言ってたけどな。大好きだったんだろうな。)
「唯ちゃん…でも……ごめんね唯ちゃん…会えて…嬉しくて…寂しくて…会いたかった…。」
(にしても…夜か…夜は生命の力が弱くなるんだよ。活力の太陽が隠れるからさ…昼だから消えてんじゃねーけどさ、唯は夜にだけ見えるけど…ずっとここに立ってたんだろうな。)
「唯ちゃんのお父さん…探す。」
(馬鹿か。顔も知らないだろうが。)
「写真見たもん!眼鏡で痩せてて、耳が小さいの。唯ちゃんそっくりの耳。」
(ピンボケしてたし、どこにでもいそうな…それで幽霊見たからって声かけまくったら厄介なやつに当たるぞ。唯を説得しよう。)
「説得してどうにかなることじゃないよ。会いたい人に会えないのは…でも…会えたらこんなに嬉しい…私も唯ちゃんに会いに行くのやめなって説得されても、嫌って言ってた。唯ちゃんは今で止まってるなら…お父さんが迎えに来ないと思ってない。」
(死んだの知らないこの時ならな…。)
「親友が泣いてて…このまま帰るなんて…できない!待ってて唯ちゃん!探してくるから!」
(おーーーい!!)
巫子は体を反転し、一目散に走り出した。唯と一緒に行った場所、昼に来た墓、父親と一緒に外食をした場所。病院の周りなど、あちこちを走り回る。
(車ぎだだ!!危なーーい!!)
「歩道だぎゃりゃ!!はぁはぁ!」
幽霊くんは脇目も振らずに走り回る巫子を心配しすぎて取り乱し、ガードレールの内側の歩道を走る巫子を何とか押そうと肩に何度も腕を貫通させている。
「はぁ…はぁ…アパート…ここだよね…。」
(確か…ここだな。一階の奥。)
「電気は点いてないね…。」
(カーテンあんのかな…反対側から見てくる。)
「ありがとう幽霊くん…はぁはぁ…。」
(少し休んどけ。外で寝て、そんな汗だくになって…熱出るからなお前…。)
「上等だ!」
(それは言わないの!目覚の真似はしたらいけないんだから!レディースになるな!)
アパートは一階と二階で四部屋ずつ。唯の住んでいたアパートは一階の端。アパートの敷地内には仕切りや目隠しもなく、自転車が扉の横に置かれた部屋もある。
(誰かいるっぽいけど…汚いぞ。缶ビールとか弁当の空容器が大量に床に捨ててあった。布団には誰も寝てなかったけど、台所の方で誰か動いてた。)
「行ってみる。起きてるなら……台所?お弁当の空容器が大量でも、作ってもいるのかな。」
(…行ってみるか。俺が先に声かけてくるから、窓のところにいて。)
「うん。ありがとう幽霊くん…。」
(俺にも唯はダチだからであって、幽霊のために走り回ってんじゃねーからな。)
「うん…唯ちゃん…あぁやって…しょっちゅう外に出て待ってたのかな…。」
(さぁな…。)
静かに歩き、アパートの端から横を通り、裏側に移動する。裏側は駐車場になっていて、出窓程度の窓は巫子でも背伸びをすれば中が見られる。
敷きっぱなしの布団の上には服が乱雑に乗せられ、低いテーブルにはプラスチックの空容器とビールの空き缶が並び、床にはゴミ袋やゴミが落ちている。奥に続く半分開いたガラス扉の向こうに黒い人影のような揺めきがある。
幽霊くんが窓をすり抜けて中に入ると、少しして左右で高さの違う歪んだ眼鏡をかけたスーツ姿の痩せた男性を連れてきた。
(藤堂さんで合ってた。唯の父親だよ。)
「ありがとう。藤堂さん…私…唯ちゃんの親友の鬼門巫子です。」
(唯の…友達がいましたか。いらっしゃい。今、夕飯の支度をしているんです。唯はもう少しで帰ってくると思うのでご一緒にどうですか?)
子どもに対しても丁寧な敬語で話す優しそうな男性。巫子は静かに目を閉じ、ゆっくり目を開ける。
「唯ちゃんはここには帰ってきません。あなたは死にました。」
(えっと……ん?)
「帰りたかったんですよね…唯ちゃんと。でも…唯ちゃんは迎えに行かないと一緒に帰れないんです。迎えに来るって言われた場所で待っているから。」
(よく見ろおっさん。ここ、本当にあんたと唯の家か?台所だけしか見てねーんだろ?見てみろ中。)
(……汚っ。)
「ね?」
(な?)
(あれ…何か…。)
(死んだ後は微睡みがあんだよ。寝起きみてーな。ボーッとした中で、思い出す人生のどれかがある。ボーッとしたまま二度寝でもしたら俺みたいに何も思い出せなくなんのかもな。)
「んー…。」
(唯…。)
「藤堂さんは病気になったの。それで唯ちゃんを丘の上の児童養護施設に託したの。」
(丘…丘の上!そうだ!嘘を言ったつもりはなかったんです…絶対治すぞって…だから…入院してしっかり治そうとしたんですよ…約束したから…諦めるつもりもなくて…死にたくない…唯を一人にしたくない…唯は……元気にしてますか?恨んでいるでしょうね…一目だけでも…。)
「行きましょう。唯ちゃんが待っています。」
(待っていてくれていても…もう…。)
「行きましょう。」
(はい…行きます。)
「唯ちゃんは…死にました。」
(え!?)
パッと部屋の灯りが点き家主の帰還を知らせる。三人は急いで窓から離れ、施設への道を歩く。
道すがら藤堂に、巫子が唯から聞いていた思い出話や、唯に起こった出来事を話す。藤堂は額に手を乗せていたが、ゆっくりと記憶の欠片がパズルのようにはまり合っていく。




