新しい環境
玄関を開けると、シューズクロークに繋がる通路があり、目の前には階段と廊下がある。
廊下を進むと十字の分かれ道に出た。真っ直ぐに進む目覚の後を追い、背後で存在感を感じさせないよう静かに歩く執事に対し緊張を張り詰めながら、二つの十字の分かれ道を通り過ぎて突き当たりの扉を開く。
暖炉の炎が赤く空間を彩り、深紅の絨毯を柔らかく照らしている。
巫子が使っていた布団よりも大きなソファーは柔らかそうな丸みのある形で、癒しに誘われるようだ。
テーブルは自然な木目が美しい一枚板。やはり置物や絵画は飾られていないが、暖炉の上の黒猫型の時計だけが影を作り、この空間の飾りにちょうどいい温もりを与える。
「テレビで見た…外国?」
「ここは祖父母から譲り受けたんだ。祖父母は外国で暮らしているよ。」
「紅茶でございます。こちらを入れるとミルクティーになります。」
「ありがとうございます…。」
「私、この館のバトラーをしております。フェリックス・間堂と申します。お嬢様も何なりとお申し付けください。」
「他は通いで来てる。」
(地主なんじゃねーか?それか、チンピラが脅して金巻き上げた。)
「んーん…。」
「私はたまに外国に行くこともあるんだ。仕事までは連れて行けないけど、一緒に来てもいい。留守番しててもいいよ。」
「お仕事忙しいんだね。」
「大したことないよ。骨董品を売るような仕事だな。」
(それにしちゃ家には何もねーな。)
「骨董品が好きなの?」
「趣味とは違うけど、気に入ったのは他の部屋にある。絵は飾らないな。祖父母の仕事を継いだんだ。私も数ヶ月前までは外国にいたよ。」
「英語喋れるの格好いい。」
「巫子も喋れるようになれるよ。夕飯はここに持ってきてくれ。」
「畏まりました。」
運ばれた夕飯はハンバーグプレート。添えられたサラダは、子どもが喜びそうな動物の形に飾り切りされていた。
食事をゆっくり楽しみ、二階の部屋に案内されると、広い部屋には絨毯にクローゼットにタンス、幅のあるベッドにはテディーベアーのぬいぐるみが置かれていた。
室内の案内を間堂にされたあと、巫子はベッドに腰を下ろした。
(チンピラだったな。)
「チンピラって何?」
(不良だよ。)
「不良じゃなかったもん。唯ちゃん…お部屋一人になったけど、寂しくないかな。」
(同じように心配してっかもな。学校だって転校だしさ。)
「私の初めてのお友達は幽霊くん。二番目が唯ちゃん。金森さん…バイバイできなかった。お手紙書こうかな。」
(いいよ別に。子供の一年なんてすぐ忘れるよ。それにいつか戻るんだろ?そしたらまた会えるかもしれねーしさ。)
「そしたら気まずくなる!お友達の住所知らないや…。」
(連絡網あんだろ?)
「何それ。ないよ?」
(あー…ないのか。)
「んー…。」
幽霊くんと考えていると、扉がノックされて目覚が入ってきた。手には一枚の紙を持っている。
「目覚さん。」
「春休みにいきなり引っ越しだったから、クラスメイトにお別れできなかったろ?春休み明けても三年までクラス替えしないって聞いたから、新学期に挨拶の手紙と一緒にお菓子を送っておくよ。手紙はクラスメイト宛に書いてくれたらいい。」
「ありがとう!今ちょうど話…考えてたところ。」
「机はあそこ。書いたら風呂に入ろう。」
「一緒に?」
「そうだ。」
「じゃあちょっと待っててね。」
「はいよ。」
手紙も書き終え、目覚と一階にある広い風呂に入った後は目覚も同じ部屋でぐっすりと眠りに落ちた。
春休みは近場の公園や公民館を案内され、今は珍しい商店街や飲食店が固まった通りなども散策。補助輪付きの自転車も乗りこなすようになった。
目覚は本当の母というより、姉のような近く安らげる存在になり、養子手続きも終えた巫子は『鬼門巫子』となり、名前と生活を変えた。
数日は風呂と寝室を共にしたが、目覚は部屋で仕事をしないといけないとの理由で、巫子は一人で眠ることになった。
(見たよな!?アルバム見た!?)
「見た。あれだよね……不良。」
(特攻服着てたぞ!元レディースだったよあいつ!)
「間堂さんがお嬢様様はヤンチャでしたからって笑ってたね。」
(ヤンチャに振り幅あんだよ!レディースはヤンチャな子ねって笑えないの!)
「んー…バイクに興味あるのか?って聞かれた。自転車…。」
(巫子は補助輪自転車でいいの!絶対あぁなるなよ!?泣くからな俺は!)
「んー…うん。補助輪はいつか外れたらいいなって思う。」
(まだ早い!)
鬼門目覚。元レディースの副総長である。
総長の懐妊と結婚により解散。総長は眉を全部剃り落とされたスポーツ刈りの頭だったが、現在は体重が倍に増え、五人の子持ち家庭で、旦那の地方の農家に入り、豪快な義両親とも旧知の仲のように、肩を組んで豪快に笑い合う円満な家庭で幸せいっぱいに暮らしている。
春休みが明け新学期。巫子の通う学校は、毎年クラス替えがあるため、転校の挨拶ではなく、皆と同じ自己紹介として始まった。私立の学校で、勉学の中に週に一度『真理学』『神学』の時間がある。学校の中に礼拝堂もあるほどだ。
「今日の神学の時間は教科書39ページ。」
「「……。」」
「祈りと信仰について。祈りというのは、神に捧げると言いますね?自分の願いを叶えてほしいと願うことは、神様に捧げられるものではありません。信仰の深い人ほど祈りの力が強いとされています。祈りは聖なる力となり、神様に力を捧げることができます。ただし、祈りの力は今ある生命力や霊力といった自分の中にある力だけで行う儀式です。強い祈りを神様にお渡しし過ぎると倒れてしまうこともあるのです。」
(あー…。)
「手を合わせて、祈るだけでは力は出ませんよ。神への感謝や思いを込めて自分の力を立ち上げるつもりで祈るのです。祈っている間は体が熱くなり、祈り終えると手先が冷たくなり、寒くなります。これを感じたら祈りの力を出せています。時には神様が力を貸してくれることもあるでしょう。ただ願いとして受け入れるのなら力はもっと捧げることになります。覚悟が必要なほどにね。さぁ、皆さん祈りを捧げましょう。」
「「……。」」
「ラーメン…。」
「大滝くん。アーメン…今は言わなくていいけどね。」
「はい…。」
(…お…おぉ?結構出てんじゃねーかこのクラス!スゲー!ラーメン小僧がいいの出てる!はははは!)
「はい。いいですよ。手先が冷たくなった人。」
「「はい。」」
「「……。」」
(ラーメン小僧は手を挙げないな。あれだ。それくらいじゃ力使ったとは言えねーなってことだろ。なかなかじゃねーか。ふっくくく!)
(キャンキャンキャン!)
「指差すからだよ…。」
(ふっくくく!)
巫子の頭の中で『ラーメン小僧』のフレーズが頭に焼き付き、静かにしてほしいと切に幽霊くんに祈るのであった。
ラーメン小僧こと、大滝の背中には小さな黒い犬が浮いている。小さな犬は子犬のようだが、必死で大滝を守ろうと可愛い声で吠えているのだ。
クラスメイトの何人かには背中に幽霊が見えている者もいる。毎日ではなく、たまに背中に誰かが来ることもある。それは、侍のようだったり、異国人のようだったり、動物であったりと様々だ。
終業の鐘が鳴り、先生に礼をすると帰り支度が始まる。
「巫子ちゃん一緒に帰ろう!花梨ちゃん一緒に帰ろう!」
(ラーメン小僧来た!)
(キャンキャンキャンキャン!)
(はははは!)
元気な大滝と、淑やかな花梨は、巫子の家に辿り着く前の住居街の住人だ。三人は仲が良く、休日の公園でも偶然鉢合わせては一緒に遊んでいる。学校まではスクールバスから降りて、徒歩十五分。坂の道も緩やかで、体育に慣れた子どもの体には苦もない散歩道になる。
「見て!歯が抜けたの!」
「本当だ。痛そう…。」
「痛いよね。ご飯大変?」
「全然大丈夫なの!僕ね!もう一生このままでいいと思ってる!」
「え!凄い!歯がないのに!」
「怖いよ…。」
「あははは!構わないの!」
(ワン!)
(ふっくくく…何で犬がドヤ顔してんだよ。)
(ワン!)
(ふっくく!)
天真爛漫な大滝、怖がりだが心配性な花梨は、巫子には嬉しい友達だ。
花梨の背には、たまに母が勉強している花梨の頭を優しい笑みで撫でている。普段からずっと一緒ではないが、母を失った花梨に教えたくなるほどに、心から花梨を愛していると分かる光景に巫子の心も温かくなるのだった。
花梨の父は過保護で、いつも玄関の前で花梨の帰宅をそわそわと待っている。眼鏡の奥からでも見える人柄の良さは花梨の母と重なって、巫子の頬を綻ばせる。
大滝の家には、何頭もいる大きな犬が庭を巡回している。それも全て生物として認識される犬ではなく、幽霊なのか他の何かなのかは分からない。一際大きな浮遊する犬は屋根に乗り、警備をしているかのように勇ましく家を守る。
大滝の両親は常に着物を着ているが、息子の大滝と、弟はどれだけ泥だらけになってもいいようになのか、トレーナーやTシャツのような服ばかりだ。高価な着物を着せるには、大滝少年は無邪気なのだろう。
学校から戻ると目覚に日々の報告をする楽しい時間も欠かせない。毎日が充実した巫子の小学生生活は早く感じるようだが、唯を思う巫子には一日が長い。運動会などの行事の忙しさの中でもそれは変わらず、長い年月となった。
保護者同伴の遠足では、目覚の同級生であり、同じレディース仲間のママ友も参加した。その子どもは既にレディースとしての頭角を表しているかのような男勝りの女の子でクラスのリーダーのようになっている。
巫子は特別目立つタイプではないが、男勝りの彼女とも仲が良く、補助輪が取れたら一緒に公園を爆走しようと約束をしているのだ。
これを必死で止めた幽霊くんの気苦労は、守護霊というよりは、巫子をレディースの道から遠ざける保護者のようだ。




