目覚
唯と巫子、そして幽霊くんとの共同生活も春を目前にした、三月のある日。まだ寒さの残る春休みのことだった。
襟に毛皮のついたコートを靡かせ、赤い口紅と長い金髪が目を引く女性がブーツの音を廊下に響かせ、花園子供苑の廊下を堂々と歩く。誰の親だろうかと子どもたちに注目を浴びる女性は園長室に入っていく。
その様子を、外で落ち葉掃きをする唯と巫子も目を細めて眺めていた。
「男と逃げた、うちの腐れババアかと思った。」
「派手な感じなんだね。」
「あの人は派手だけど、腐れババアは汚い。そういう意味ならよく目立つよ。」
(ゴミ屋敷か。)
「ゴミ屋敷かって。」
「ゴミに対して失礼を前提なら、そうだって言っとく。」
(ふふ。)
「それでね…あっちの方角なの。昨日も犬の声してた。」
(気のせいだって…。)
「行くなよ?」
「うん。」
「あの奥は神社があったんだよ。犬神神社。」
「神!?」
「神社はそういうところだしね。犬神神社は、犬の神様じゃなくて、犬は神様の使い。稲荷神社とかと同じで、賢慈宗霊菩薩って名前の女性の神様が祀られてるんだ。昔は信仰があって、あちこちから神職が来てたみたいだけど、今はどうなってんのか…裏山は災害で崩れて、倒壊の危険があるからって立ち入り禁止なんだよ。んで、今もそのまま。」
(信仰が聞いて呆れるな。)
「信仰が聞いて呆れるって。」
「相当前だからな。爺さん婆さん世代はまだ祈ったりしてんのかな。犬神の神使が悪霊を喰って、神様が不浄を祓うって感じだったかな。地元民は林間学校とか遠足やらで何かしらで聞くよ。」
「林間学校か…。」
「泊まるの学校だけどね。怖がってた奴は多かったよ。学校に危ないのいないんだろ?」
(一番危ないやつがいるからな。)
「一番危ないやつがいるからって。」
「創設者の銅像の爺さんだっけ?」
(そう。)
「そうみたい。カミナリ親父?凄い厳しいの。でも、子どもを思っての厳しいだから…愛の鞭ってやつ。」
「最近はそういう大人いないもんな。大人の言うことは絶対ってのもどうかと思うけどさ。悪い奴に命令されたら言いなりで誘拐されるかもしれないしさ。」
「大人の言うことか…尊敬する人の言葉は重く受け止めましょうでもいいよね。同じこと言わないもん大人だって。」
「そういうことだ……よ…な……。」
「どうしたの唯ちゃん?」
唯は巫子の背後を見上げて動きを停止させた。巫子が唯に近付いて様子を伺う前に、自分に覆い被さるように影ができ、唯の目線を追って振り返る。
そこには、先程園長先生と一緒に歩いていた女性が仁王立ちしていた。鋭い瞳と同じ角度に上がった眉。金に染めた髪が逆光を受けて輝きを放っている。
「会えて嬉しいよ巫子。」
「山本巫子です…もうすぐ二年生。好きな食べ物は秋刀魚と納豆です。」
(丁寧に自己紹介すんな!何だこいつ!悪霊退散!)
唯は巫子の腕を静かに掴み、幽霊くんは女性に向けて手から光を放った。女性は微動だにせずに巫子を見下ろすと、ふ…と微笑んでみせた。
「私は。鬼門目覚。目覚めると書いてめざめだ。巫子の叔母だよ。」
「叔母さん…こんにちは。」
「こんにちは。そしてお待たせ。一緒に帰ろう。」
「…え?」
「あ…ちょっと…ちょっと待ってよ。巫子の両親の兄妹ってことだよな?」
「そう名乗るのも恥ずかしいけど、説明しなきゃいけないならそうなる。巫子は私の養子にするから、私の娘になる。」
「あわわ…。」
「……。」
(大丈夫かよこれ!?)
女性の背後で待機する園長は、微笑んでいるのか困っているのか判別できない、まさに微妙な表情をして頷いている。
明日迎えに来ると言い残した女性は颯爽と去っていった。背中を見送る巫子を放心状態から引き戻したのは、腕を掴む唯の手に力が入ったとき。唯は眉間に皺を寄せた力の入った表情を隠すように下を向いている。
「巫子ちゃん…親友の唯ちゃんもいらっしゃい。部屋で話をしようね。」
「はい…。」
「……はい。」
(チンピラだぞあれ!ヤベーって!)
騒ぎ立てる幽霊くんとは裏腹に、静かな巫子と唯が園長室へ。向かい合うソファーの中間に置かれたテーブルに温かいお茶を園長が準備する。巫子はお茶に口をつけるが、唯は静かに目線を下げたまま動かない。
「唯ちゃんは高校生になるよね。そしたら、あと三年。」
「…はい。」
「三年後に迎えにくるって言ってくれてるのよ。」
「え…は?誰のこと?」
「鬼門さんよ。鬼門さんはね…三ヶ月前からやり取りが続いていたの。巫子ちゃんの存在は親戚では死んだことにされていて…巫子ちゃんが生まれたことも教えられてなかったみたい。それで姪の存在と、その姪が亡くなったことを聞いてから、戸籍を取得してみたら巫子ちゃんが生きてることを知って探してくれたのよ。」
「何で…。」
「巫子ちゃんはしっかりしてるから言うけど…鬼門さんは姉と両親とは仲が悪くて絶縁状態だったみたい。だけど鬼門さんから見た祖父母とは仲が良くて、巫子ちゃんの年頃には家も分けて完全に分裂してたんですって。」
「そうなんだ…。」
「鬼門さんがどうして巫子ちゃんを…私も聞いたのよ。可愛い娘を迎えにくることに理由が必要でしょうかって…鬼門さんね、巫子ちゃんを学校帰りに見たときに、自分の娘だって思ったそうなの。腹を間違えたんだって。」
「あ…。」
「その…私のことも何か言ってなかった?」
「うん。今の施設の話とか、関係性も話したの。唯ちゃんっていう親友もいるって。一緒に引き取るって言ってくれたんだけど、うちは里子制度がないからね。じゃあ三年後に迎えにくるって。唯ちゃんが良ければなんだけど…有無を言わさないというか……里子制度があったとしても、彼女は独身だから難しいんだけどね。巫子ちゃんと唯ちゃんは…どう?」
巫子と唯は顔を見合わせるが、唯は悩んでいる様子で目線を下げる。
「唯ちゃん、将来はまたこの街に戻ったらどうかな。私ここ好きだよ。優しいし温かい。大学だって、どうせ県外なんだもん。だから…私…唯ちゃんと三年離れても、その後の何年も一緒にいられる方がいい。」
「……うん。そうだね…。」
(あいつ大丈夫なのかって!チンピラなのに!)
「引き取った後も花園子供苑からも電話する。その時に困っていたら、最初に咳払いをして。それを合図にしましょう。」
「はい…。」
「巫子…三年…待っててね。」
「うん。私も一緒に迎えにくるね唯ちゃん。」
「うん…待ってる。」
園長は終始、微妙な表情のまま二人を見て頷いた。
(ほら!園長も微妙な顔してんぞ!微妙なんだってあのチンピラ!何か隠してんじゃねーだろうな!?書類はどれだ!?身元のやつ!)
「お別れ会はしないけど、夕飯の後に報告はするね。」
「はい。佐竹さんも友達と仲良さそうだし、多田くんも加藤くんと決闘して勝ったし…心配はない。唯ちゃんとさようならじゃないのが何より嬉しい…えへへ。」
「今日は明るくなるまで話そう…そうだ。小遣いで、行きたかった釜飯屋行こう。あそこいつ潰れっか分かんねーもん。」
「釜谷さんね。跡取りがいないからね。美味しいよあそこは。走って飛び出さないように。気をつけて行くんだよ?」
「はい!行こう!」
「行こう。」
巫子と唯は手を取り合い、暫しの別れを惜しむ小さな旅に出かけた。
街や学校の前、施設の近く。学校からの通り道にある公園や、唯の家だったアパートの前にも行った。門限の時間はギリギリになったが、誰も咎める先生はおらず、夕飯後の巫子が卒園の話を聞いた子どもは暗い顔になったり、おめでとうと労ったり、別れに涙をしたりと、さまざまな反応を見せる。
友達にも別れを告げ、最後の夜は唯と巫子と幽霊くんで、眠気を迎えることもなく穏やかに過ごし、唯も大人びた笑顔を見せていた。
そして翌朝、ド派手としか言えない黄色の毛皮のコートを身に纏った金髪の女性が巫子を迎えにきた。鬼門目覚は巫子の手を取り、唯の頭を撫でる。
「姉ちゃんと思ってくれ。制度なんて面倒くさいよな。やんなるよ。」
「…両親揃ってなきゃダメは時代遅れだとは思う。片親に失礼だ。」
「その通り。見る場所はそこじゃねーよな。金と環境と愛だ。」
「だよね…待ってるよ姉ちゃん。」
「おぅ!待ってろよ!またな唯!」
「またな。巫子…迎えにくるまでは手紙もなしだからな?会うの楽しみにしてんだから。」
「分かった。またね唯ちゃん。」
「またな。巫子…ゆう。」
(おぅ。達者でやれよ。このチンピラ…大丈夫なのかよ…園長がずっと微妙な顔してんだよ。最初に咳払いだからな巫子?忘れんなよ?)
「ふふ。」
窓から手を振る子どもたちや、優しく見送る先生方。
巫子は唯と園長に大きく手を振り、鬼門目覚の手を強く握り一年間を過ごした家を後にした。
高台の丘を降りると、白塗りの長い車が停まっていた。鬼門目覚は助手席の扉を開け、巫子を抱きかかえて中に座らせると、シートベルトを装着させ、運転席に乗り込んだ。幽霊くんはまじまじと目覚を睨んでから後部座席にすり抜けて座った。
「行くぞー!」
「行ってらっしゃい。」
「ふっふ!おー!って言えばいいんだ。」
「おー!」
「よーし!行くぞー!」
「おー!」
(お?おん?おぉん?)
チンピラはどっちだと言いたくなる態度の幽霊くんは、映っていないはずのバックミラー越しに目覚を睨む。目覚の鋭い瞳はバックミラーに目を向け、幽霊くんと目を合わせたかのように薄く笑った。
車は田舎の街を走り、国道に入る。しばらく走ると高速道路を走り進む。
「結構遠い?」
「いや、次の出口で高速を出たら二時間しないで到着するよ。寝ていいぞ。昨日は唯とお喋りしたんだろ?」
「うん。じゃあちょっとだけ…おやすみなさい目覚さん。」
「おやすみ巫子。」
眠気を堪えていた巫子も車の中の暖房に限界に達し、微睡みから眠りへと落ちていった。
心地良い静かな空間が左右に揺れる動きに巫子が目を覚ますと、閑静な住宅街。庭が広く、建物の中が見えないように外壁を高く作られた四角の住居が均等に並んでいる。
街灯だけではなく、住宅にも全ての家の枠を囲うように埋め込み式のライトが光を灯している。道は乳白色の石畳。夜に温もりを感じる、同じ景色が続く道に息を吐いた。
「おはよう。もう少しだよ。」
「おはよう…夜だね。」
「ちょっと電話が入って遅くなっちまった。冬だから暗いけど、まだ夕方だよ。帰ったら飯にしよう。」
「うん…ここ好き。」
「それは良かった。」
学校の手続きが終わっていることや、新しい学校の話、近所にある店の話をしていると、住宅街の突き当たりの丁字路を右折する。登り坂になっていて、歩道には柵が作られ、丸く整えられた木々が道の仕切りになっている。
一層明るい街灯が石畳に反射する道を進み、緩やかなカーブを曲がると、落ち着いた茶色のレンガの塀に囲まれた洋館が姿を現した。
黒い門の前で車が停車すると、目覚が車に備え付けられたボタンを押し、門が自動で開いた。完全に開かれた門の中へと進み、落ち着いた茶色のレンガの洋館の玄関横に車を停めた。家の枠にはいくつかの埋め込み照明が洋館を照らしている。
緊張する巫子と、口を大きく開けたまま洋館を見上げていた幽霊くんは、玄関から出てきた白髪に燕尾服姿の紳士が丁寧な礼をしたことで、思わず背筋を伸ばした。




