唯
巫子が施設に入所して半年が経つ。小学生になった巫子は赤いランドセルを背負い、施設の子どもと一緒に登校する。
田舎の学校にはクラスが二つしかない。中には施設の偏見や意地悪をする子はいるが、厳しい先生のおかげで意地悪は続かず、巫子は概ね楽しい学校生活を送っていた。
それでも先生の目を盗んで、執拗にからかいのネタにする子はいた。
「やーい!捨てられっ子ー!ゴミー!」
「違うよ!僕の両親は死んじゃったんだよ!捨てられてないんだよ!えーん!」
「またやってる…先生に言いに行こう。」
「うん…山本さんも大丈夫?」
「え?山本も捨てられっ子かよ!捨てられ菌がうつるぞ!」
(呪っておこう。あいつは悪党だ。それと、大丈夫って言ってきたこのガキも悪党だ。わざわざ離れた場所にいる巫子に振る必要ねーし、わざとだからな。)
「そういうのやめて!あ、先生ーー!また加藤くんが意地悪してます!!」
(この学級委員は良いガキだ。うんうん。)
学校での揉め事や、子どもが喧嘩で泣いてしまうことは日常茶飯事だ。入学式で親が来ない子。施設の先生と一緒に帰るその姿は目立つのだろう。
施設の子だと知ったことをひけらかしたい。注目されたい。意地悪に楽しさを覚えた子どもが、遊びのように人を傷付けて喜びを得る。
自我を主張し、自制心が少なく、協調性や思いやりをこれから育む子どもからの言葉に苛立ちを強く感じる幽霊くん。自分を傷付けようとする言葉には慣れてしまっている巫子は、学級委員が自分を思いやってくれた事実ばかりが胸を熱くし、嬉しそうに笑うばかりだ。
意地悪な生徒が教師に叱られ、心ではどう思っているかは分からないが、口から出た謝罪を受け入れるまでが日常茶飯事。謝罪をすること、それを許さなければならないことが強制されるのは、社会に必要なスキルであるといえる。
学校が終わると、クラスメイトの同施設の男子と、別クラスの女子を入れた三人で一緒に帰る。家までの道が同じ子は集団で集まって帰る決まりがあるのだ。
いつも最初に泣かされる男子生徒は、まだ泣き止まずに帰路を歩く。隣のクラスの眼鏡で大人しい女子が心配そうにオロオロしている。
「た…多田くん…大丈夫?」
「大丈夫じゃない!一緒じゃないのに!違うのに!捨てられたお前たちと一緒にされたくない!僕はお父さんにもお母さんにも大切にされてた!お前たちとは違うんだ!」
「あ……うん。」
「お前たちがゴミだよ!僕と一緒にしないでよ!えーん!」
「してないよ。」
「グスッ…私…ごめんなさい…ゴミ…そうだよね…私はゴミでごめんなさい…えぐ…。」
「学校で話しかけないで!捨てられ菌がうつるから!!お前達なんか大嫌いだ!!捨てられてない!!僕のお父さんとお母さんは、すっごい優しかった!悪い親と違う!!僕のお父さんとお母さんと、捨てる親と一緒にされるの嫌だーー!!えーーん!!」
「グスッ…グスッ…うぅ…。」
「そうだよね…多田くん…悲しかったろうね。大好きなんだね…一緒じゃないよ。私の両親は多田くんに叱られる両親だもん。多田くんの両親は優しかったんだ。園長先生みたい?」
「…うぅん。もっと優しい…えぐ…キャンプ行くの。虫取りしようって…お父さんが網と籠と一緒に持って行く。ほらあのお山…見える?」
「うん。」
「あそこにキャンプ場があるから、僕は夏に行った。お母さんは虫がちょっと苦手だけど、僕が捕まえたカブトムシにゼリー入れてくれる。ご飯も美味しい……えぐ…お父さんがお仕事に行く時のお弁当…僕も欲しいって言ってから、毎日お弁当作ってくれて、毎日一緒にお外で食べた…ウィンナーとね…卵…僕の大好きなおかず。」
「いいなー。多田くんの両親は凄いね。」
「山本さんは何で捨てられたの?」
「うーん…。」
(悪党共の頭が腐ってたからだ。)
「病気だったんだよ。子どもを育てられないほどに身体を壊しちゃったの。」
「…捨てられたんじゃないね。じゃあ話しかけてもいいよ。佐竹さんは?なんで捨てられたの?」
「……私が…嫌いだからだよ。」
「じゃあ学校で話しかけないでね。」
「うん…ごめんなさい。」
「違うよ多田くん。両親で自分が決まるんじゃないよ。佐竹さんは優しいよ。運動苦手で、お喋りも苦手で、大きな人も怖いのに、タオル落としたお姉ちゃんを追いかけて、届けられるまで一生懸命走れる人だよ。多田くんの両親は施設で育った人を嫌いになる人だった?」
「知らない…そんな人いないもん。」
「そっか…加藤くんみたいに人を悪く言う人ではなさそうだよね。」
「言わないもん!人の悪口は言ったらダメだよって…言うよ。」
「そっか…良い両親だね。多田くんも、良い両親みたいになれるよね。」
「当たり前だもん!」
「悪口を言う人を気にして生きるのは難しいよ。優しい友達と一緒にいるほうが楽しい。悪口を言う人と、言わないで怒る人いたね。」
「加藤くん……言わないのは金森さん…。」
「金森さんも良い人だよね。」
「うん…。」
「金森さん…学級委員の…三つ編みの子?」
「うん。佐竹さんのクラスの学級委員は声が大きいよね。静かにしてくださーーいって聞こえる。」
「うん…元気で足が速いの。」
(話しかけんなって言われたんだから、もう話さなくていいのに…酷いこと言われて泣いたなら、酷いこと言ったらダメだって分かるだろ。仲良くすることねーよ。)
一生許せないような言葉でも、子どもには忘れられる日常になることが多い。これも自我が発達途中の子どもの特徴であり、強みでもある。
幽霊くんの苛々は募るが、子ども社会の中にも好きな生徒と嫌いな生徒は確実にできる。クラスメイトの加藤を慕う男子も今は多いが、子どもが嫌いと印象に残った人物は、潜在的に苦手になる。
子どもだから先生の言うことを聞いているだけ。幽霊くんが思うよりずっと、子どもの中にも人間社会は構築されているのだ。
それは施設の中でも同じ。グループはできているし、癇癪のある子どもや、我儘や甘えん坊の子ども。中学生や高校生、大人になっても変わらない。自我を奪う人、尊厳を傷つける人からは、人が離れてしまう。
巫子は集団生活においては優秀と言えるだろう。発達した言葉と理解力。年上に甘えて面倒をかけたりしない。先生を困らせることもしない。
たまに園長先生と、どんな幽霊を見たかの話をすることで、巫子から秘密を溜め込むストレスからも解放される。
「ただいま唯ちゃん。」
「うん。」
「今日は学校楽しかった?」
「全然。」
「そっか…唯ちゃんは学校で…お友達いる?」
「いない。」
「そっか…私とはお友達。」
「そんな年下と友達にはなれないよ。」
「年齢は関係ない。人間同士じゃなくても、鳥も犬もお友達になれる。」
「ふーん。宿題やるから。」
「うん。」
(感じ悪。)
同室の唯は施設内でも誰かと親しく話す様子はない。口数は少なく、意思表示が苦手だ。巫子は毎日、唯に話しかけているが、素っ気ない返事をされるだけ。
小学生の風呂の時間が終わると、中学生の風呂の時間。この時間は、幽霊くんと巫子がお喋りを楽しめる時間だ。
(無理に話しかけなくていいんだって。唯は友達になれねーよ。)
「唯ちゃん良い子だもん。迷惑って言われたことない。お返事してくれる。お布団もやってくれる。嫌な顔しない。」
(たまにスッゲー睨んでくるじゃねーか。)
「違うもん。何か言いたいのかもしれない…力入ってるんだと思う。唯ちゃんがいると、お家に帰ってきたって安心するの。」
(えーーー…ないない。)
「あるもん。」
扉の向こうから覗く影。風呂に行ったはずの唯が毎日観察しているのだが、少し会話を聞くと険しい顔で離れていく。
この日常が二ヶ月続いた冬。強い寒さに雪が追い打ちをかける静かな深夜。巫子は寒さに身を震わせ、生理現象に目を覚ます。背中を向けて眠る唯を起こさぬよう、静かに部屋を出て、二階にもある女子トイレから部屋に戻る。布団に入って凍える寒さを暖めていると、寝返りを打った唯が巫子を見据えて目を合わせた。
「唯ちゃん…起こしちゃった?ごめんね。」
「…起きてた。あんたさ……。」
「うん。」
「いつも…誰と話してんの?」
「友達は佐竹さんと…。」
「違う。部屋で一人で話してるよね?」
巫子の心臓がドクンと脈を打つ。嫌われてしまう、怖がらせてしまう。そんな恐怖が巫子を襲い、唯と目を合わせることができずに目線を下げる。
「誰にも言わないよ。怒ったりもしない……誰と話してんのかなって。妖怪とかさ…独り言とか……死んだ人間とか…知りたいんだよ。」
巫子は窓際で外を眺める幽霊くんに目を向ける。幽霊くんは胡座をかいて腕を組み、首をひねって考え込んでいる。
(嘘は…言わない方向で…流せるかな。)
「じゃあ…質問し合いっこなら…いいよ。」
「…いいけど。巫子からだよ。」
「うん。多分でいいかな…死んだ人か動物。」
「…何で多分?」
「次は私。」
「あぁ…うん。」
「唯ちゃんはいつからここにいるの?」
「巫子より一つ上の年から。次は私だよ。多分って?」
「生きてたときのこと覚えてないんだって。だから多分にした。私から見たら人間。次は唯ちゃんね。私に何か言いたいことある?」
「…聞きたいことかな。偶然だった…幽霊くんって呼んで一人で話してるように見えた。でも…一人で話してるようには見えなかった。誰かと話してる人と、独り言の違いは間も違うし、分かる。次は私だ。幽霊くんの見た目…いや、その幽霊くんは私を知ってる?おっさんだったりしない?」
「幽霊くんは私がここに来る前の、もっと小さいときから一緒にいるの。高校生のお兄ちゃんくらいかな…左腕に蛇のタトゥーある。」
「はぁ…そう。」
「次は唯ちゃんね。誰だと思ったの?そのおじさんは唯ちゃんの会いたい人?」
「…会いたいっつーか…化けて出そうな親父だよ。嘘つかれて…約束…破られた。」
「…今からは会話ね。質問し合いっこは終わり。」
「……うん。」
「続きが聞きたい…。」
「…すぐ迎えに来るって。外国に出張で、一人しか行けないからってさ。ジジイ…本当は病気だった。もう助からないって分かって…私に面倒させたくないからって…嘘ばっかり言うんだ。疲れてても…痛くても…嘘ついて笑う。私は嘘ついて笑いたくない…嘘は嫌いだ。」
「……うん。でも…お父さんは大好きだね。」
「…普通。」
「普通か。」
「聞かれる前に言えば、母親は男と逃げた。んで、母親は嫌い。手紙来たことあるんだよ。施設で貰ってる小遣いとか、親父の遺産寄越せってさ。死ねババア。」
「あぁー…好きにならなくて良かったね。」
「なんないよ。無理無理。その前に養育費寄越せババアってな。」
(場所知られてんのか…十八歳までだよな施設って。大丈夫かよ…。)
「幽霊くんが…十八歳になった後を心配してるよ。」
(心配はしてねーよ。気になっただけ。)
「大丈夫だよ。こういう場所からだと余計に住む場所を隠す手続きできる。親父と住んでた家も…もう新しい人が住んでるからさ。」
(行ったのかよ。)
「幽霊くんが、行ったのかって。」
「行ったっつーか、遺品整理があるからさ。そん時に大家が言ってた。大家の親戚が住むから残った荷物は処分しちゃうぞって。病院で死んだから曰く付きでもないしね。」
「ちょっと…寂しいね。」
「別に。巫子は幽霊見えて困ってる?」
「あのねー…お父さんだった人に取り憑いてた人。お父さんに弄ばれて自殺した女の人とか…子ども殺されたとか…。」
「腐ってやがる。」
(うんうん。)
唯と巫子と幽霊くんを交えた深夜のお喋りは長く続き、真っ暗な窓の外に薄暗くなるまで、人には言えない秘密の共有をした。人生の同志になったような関係は、この日から友人という名前となり、二人の仲を一気に深めていった。
唯が着替える前に幽霊くんに「出て行け変態」と言っては、幽霊くんと喧嘩をしているように見える光景。
幽霊くんの言葉を伝えては、返答を交わす唯。この友人関係は二人だけのものではなく、三人の絆になり、帰る部屋が、巫子にとって一層心地良い家となり、初めての家の温もりに隠せない笑顔がこぼれるようになった。




