触れてはならぬ
巫子は大学生になり、神職に進むための学業に努めながら、家に帰ると、目覚と間堂から呪具や術の指南を受ける。ケンは巫子と一緒に大学に行き、同級生についている守護霊と情報交換もしながら、目覚と間堂からの指南も一緒に受けている。
祖父母は幽霊くんが、ケンと呼ばれるようになった翌月に海外の家に戻って行った。
巫子は成長しているが、身長は平均より少し低く、顔付きは中学生とよく間違えられる童顔で、自転車で娘と孫を待っていた老婆の場所で自治体の掃除に参加すると、まだ子ども扱いされて可愛がられている。
着物屋の滝に寄り添う妻は相変わらずだが、会うたびに満面の笑みを浮かべていた。それというのも、滝夫妻の息子が結婚をしたからだ。
息子が長年片思いをしていた初恋の相手が離婚して出戻ったことで、息子が頑張り、見事に初恋を成就させた。
妻の以前の結婚は、両親の顔を立てるための見合い結婚だったらしく、前夫は本命の女性と長年不倫していた。見てみぬふりをしていたが、その不倫相手が妊娠をしたから別れてほしいと言われ、離婚して子連れで実家に帰ってきたのだ。
連れ子は中学生の息子で、滝夫妻の息子の誠実さに惹かれ、母ちゃんをデートに誘えやら、母の予定のない日をメールで教えたりと、母の幸せと、純粋に自分の幸せを願い、全力で応援してくれたというのが何より大きかった。
しかも、着物を作り上げる姿が格好良いと目をキラキラさせて、新しい父が手作りして贈ってくれた羽織を毎日着て、店に手伝いで立っているため、近所でも良い評判になっていた。
本当に幸せそうな母の表情を見ては、新しい父に感謝をし、家にほとんど帰らず会話もしなかった実の父をすっかり忘れるほどに慕っているようだ。滝も孫として接していて、初めて感じた家族の団欒に、笑いながら涙を流して食事をしたほどに幸せな家庭になっている。
これは、ボランティア活動をしている人たちの間では持ちきりの話だが、一番詳しく教えてくれたのは滝の妻であった。控えめで、料亭の娘として育った娘さんの作法や所作や料理の腕や接客など、いくら褒めても足りないと、ケンが怒り出しても嫁と孫自慢をしていたのだ。再婚から一年も経っていないので、まだまだ自慢は続くことだろう。
忙しい日常の特別な日。ケンと巫子はとある場所に来ていた。
「はぁ…はぁ…。」
(力入れ過ぎだ。必要ない力は出しただけ無駄になるんだから、加減しねーと倒れるぞ。)
「うん…見てたら力入っちゃった。成仏してくださいって…柳の下で……来ない人を待って…。」
(田舎にも娼館は多かったんだな。元娼館の街か…あんなにいんのな。まだ、街があるみたいだよ。)
「立ち入り禁止だから知らないだけだったんだろうね。肝試しする人もいるって。長い時間をかけて浄化するって言ってたけど…私が生きてる間に終わるかな?」
(個人じゃなくて、土地だって言うからな…土地ごとやらないと、表面に浮いてる奴らが見えなくなるだけじゃ何の解決もしねーよなそりゃ。)
「そうだね。術者が増えてるって意外だったね。昔の方が多いのかと思ってた。」
(僧侶の数は今の方が少ないだろうけど、術者になるとな。今は情報が多いから。見よう見まねから力つける奴もいるだろうけど、強い力の奴はやっぱり熟練の霊媒師か神職だったよ。)
「それが見えるの羨ましい。」
(ジジイは見えるってよ。自分で分かれば加減もできるようになるのにな。)
「ケンくんが教えてくれなかったら、倒れるまでやってたかもしれないね。」
(かもじゃねーな。絶対だ。)
「んー…。」
巫子は大学に通い始めると、術者の組織に見習いとして名簿に載ることになった。学校を介したスカウトもあるようで、保護の意味も込めた措置として、すでに組織に所属していると記載があれば、学校が紹介もせず、スカウトが近寄ってこない。
見習いは単独で動くことはなく、大勢でやる祈祷や情報交換の会合などへの参加が中心だ。鬼門の家は組織の開祖であることから、鬼門の名前の者は変に狙われないようだし、家の通りの住民も多く参加しているので、自治会の集まりや親戚の集まりにも似た和やかな場になっている。
今回の仕事は、潰れた温泉街の地を浄化するための祈祷を、術者大勢でやること。温泉街だった区域は商店街が四つ並んだ程度の広さだ。問題は温泉街そのものではなく、そのさらに奥に広がる古い娼館跡地だった。
娼館跡地は広く、かつて川だった埋立地に霊が多く集まっている。温泉街が潰れてからの依頼だったため、まだ浄化を始めて二十年。場を急に変えると、反発や反動が入り、歪んだ力の土地になるため、年に二度までの決まりとして時間がかかる。巫子は二度目の参加だが、あまりの悲しみや無念の情が深い土地に、毎回力を入れた祈りをしては、ケンに制御されている。
毎日が学びと経験で充実した生活を送る巫子。どれだけ忙しくても、年に一度は唯の墓参りに目覚とケンと行っている。今年は目覚と間堂が祖父母の仕事の手伝いで海外に行っていて、巫子は電車とバスを乗り継ぎ、ケンと二人で墓参りに来ていた。
「しょっちゅうじゃないから…たまに。唯ちゃんの命日だからね。」
(迎えに行くって言った日にしようとか言ってたんだぞ。もう約束は終わったってのにな。)
「そうだよね。唯ちゃんはどんなところにいるんだろうね。」
(そうだよな。いつか行く場所だから、そのうち分かるよ。)
「うん。唯ちゃん…へへ。そうだ!ケンくんになったんだよお名前!言ったっけ?」
(言ってたよ。ふふ。)
唯の墓参りを終えた後は、同じ墓地の少し離れた区画に行き、手を合わせる。
「園長先生…こんにちは。園長先生は家族に看取られて病院で亡くなったって聞きました。病院にも行ってみたけど、園長先生はいませんでしたね。」
(園長先生は、な。)
「うん…ね。小鳥のトリミちゃんと一緒に天国かな?看護師さんから健やかなお顔をしてたって聞きました。」
(まだ入院してると勘違いしてる子どもと思われたよな。)
「子どもじゃないもん。春になったら二十歳だもん。」
(成人したら飲ませるんだって、鬼山霊山火神祭っていう、いかにも強そうな酒を目覚が買ってたぞ。飲むなよ?)
「飲みたい…ちょっと飲んで、お酒に弱そうだなって思ったら控える。」
(うーん…一応神棚にも置いてみて。)
「勿論。へへ。」
園長はトイレに行くだけの歩行すら困難になるほどに腰痛が酷くなり、息子夫婦に連れられて大きな病院で検査を受けると、末期のがんが見つかった。
そこから入院をして、三ヶ月経たずに亡くなってしまった。唯のことがあってから、鬼門家と園長とは個人的に年賀状でやり取りをするようになっていたため、訃報の知らせは息子夫婦から届き、葬式にも参列した。他にも大勢の大人や子どもが集まり、園長を偲んで涙を流す温かい式となった。
「園長先生また来ますね。トリミちゃんもまたね。」
(園長の墓にはいつも花があるな。)
「うん。ここは持って帰らないでも、管理の人が下げてくれるって…いいのかな?」
(いいんだよ。帰ろう。)
「うん。あのお地蔵さんのところにお饅頭供えてから帰ろう。たまに唯ちゃんと一緒に手を合わせてたから。」
(天気も悪いから早めにな。施設には寄らないぞ。)
「うん。」
空はどんよりと重い曇天で、まだ二時前とは思えない暗い秋の暮れに、カサカサと舞う落ち葉が乾いた地面を転がっている。
巫子とケンが、唯と一緒に歩いた道を辿りながら、車通りの少ない路肩に森のある道を歩く。ここを通り抜けると公園がある。公園の一部のような古い道路にはひび割れもあり、車線もひかれていない。昼間には歩いている人は見かけたが、天気の悪い日は公園で遊ぶ子どもや散歩をする人影もなく、暗い天気だと不気味さを感じる。
(天気悪いとこんな感じになんのか…嫌な空気だな。雨が降る前にさっさと帰ろう。)
「うん。天気予報は晴れだったのにね。」
(秋だと余計あてになんねーな。)
「そうだよね。傘持ってきてないや。」
(雨になったらタクシーで駅まで行けよ?電話持ってるよな?)
「あるよ。あれ…何か落ちてる。」
(ボールか?)
道の脇に丸いものが落ちているのを見つけた巫子が早足で近寄ると、落ちているものを見て驚き、慌てて拾い上げた。
「お地蔵さんの頭だ!」
(うわ…ここの地蔵だな。サッカーボール落ちてるぞ。わざとじゃねーなら証拠残したまま帰らねーよな…。)
巫子は急いで落ちた地蔵の首を戻そうとするが、割れた石を戻すことができず、持っていたハンカチでなんとか結ぼうと試みる。ハンカチの長さが足りず、困り果ててポケットを探り、可愛い蛇のキャラクターが描かれたカバーをつけた携帯電話を取り出した。
「この辺の役場の電話番号は入れたはず…その前に応急処置。」
(役場に電話したら置いて帰ろう。何日もかかるかもしれねーし、ここを管理してる寺に連絡するだろ。変にやるより、そのままの方がいいよ。)
「うん……頭も少し割れてる。」
(取り替えかもな。置きな。)
「ハンカチの上に置こうかな。上の方がいいかな?」
(頭も転がるだろうし、ハンカチは飛ぶからいいよ。)
「そうだね。じゃあ…横に。」
(この辺の木もこんなに成長したのか…こんなに多かったっけ?暗くて気がつかなかったけど、ここまで木があると昼でも暗いだろ。見るからに管理してねーもんな。)
「栗が落ちてないね。この辺は栗の木だったのに。」
(……ここ…本当にあの場所か?出よう巫子。電話は後だ。)
「分かった……ん?」
(早く置け。行こう。)
「……ケンくん…このお地蔵さん……目が開いてたっけ?」
(はっ!!離せ巫子!!)
ケンが強い光を浴びせながら地蔵を殴りつけるが、地蔵には触れられず、すり抜けた。いつもは目を閉じていた地蔵は、目を開き、その目と口の形は邪悪に笑っている。
巫子は前方に倒れ、地蔵の首が転がる。首は地蔵の体に当たっているが、その場で回転したまま止まらない。
(巫子!巫子!!)
「こ…の……肉…食う……力…食う。今一度……命を…。辛かろう…哀れだな…我が消してやろう……魂ごと食らえば…感情に命が食われずに済むぞ……人間よ…食ってやろう……神を封じし…愚かな者め…神の裁きを受けるがいい…。」
(だぁーーー!!起きろ巫子!!)
「死したる者よ…そなたの魂はそこにあるか……食ってやろう。霊体とて関係ない。全ての人間を食ってやる…まずはお前からだ。我を止めたければ…この娘の首を落とすがいい…次の獲物に行くだけだ。首を食ってやろう…頭を飲み込んでやろう……。」
巫子の口からは、巫子の声ではない老人のような男の声が重く響いた。巫子に取り憑いた何かは巫子の体で立ち上がると、前に倒れたときに傷つけた額から血が流れた。服に染みをつける血を気に留めず、ケンに腕を伸ばす。
腕がケンに届く前に、巫子が腕に噛みつくと、全身にこの世には存在しない文字が黒く体に浮かび上がった。
(巫子!!)
「食べられるくらいなら…私が食べる…はぁはぁ……気をしっかり持つ…呑まれないように精神を強く…乗っ取られない…祝詞……はぁ…う……うぅ……。」
(電話しろ!!早く!!組織に何かあった時の緊急連絡先あったろ!!)
「電話……画面が真っ暗で反応しないよ。壊れてるかもしれない。」
(ここが圏外なのは納得だ……行くぞ巫子!走れ!)
「う…ん…。」
後ろに聳えていた木々が成長したのか、本当は木ではなかったのか。太く高くなっていく木々は枝を下げて巫子を飲み込もうとしている。ケンは巫子に手を伸ばしても掴めないが、巫子はケンの手を取ったように手を合わせて走り出した。
見覚えのある公園を横切るが、そこには怨念の強い大量の霊が公園を歩いていたり這っていたりと、地獄絵図のように蠢いている。巫子は目を向けるが、悪霊たちは巫子とケンを真っ直ぐに見たまま動きを止めている。巫子は汗と一緒に流れる血を腕で拭い、目を前に向けて、巫子に手を伸ばして走るケンの背中を必死に追いかけて走り抜けた。
どこに向かえばいいのかも分からず、近くの寺まで来たが、そこにあったはずの寺はなく、不自然に消えたように抉れた土だけがあった。
「はぁ…はぁ……う……足が…。」
(どうした…痛むのか?)
「感覚が……石になったみたい。」
(クッソ!!)
「何か……聞こえない?」
(ゴロゴロって音だろ?頭が転がって追いかけてきてんだ。体を取られる前に、とにかく離れよう…どこに行けば…電話は通じないか?)
「ほら…真っ暗。」
(本当の緊急事態に電話してる余裕はねーとは聞くけどな…行くぞ。)
「ごめんねケンくん…。」
(悪いことしてねーよ。悪いのはあの石頭だ。)
「まさにだね…神って言ってた…首が落ちて怒ったのかな?」
(巫子が落としたんじゃねーのによ…神を封じし愚かな者か…邪神だろあれは。)
「あちゃ…。」
(あちゃー…じゃねーよ。もっと早く走れねーのか?)
「…左足の膝が曲がらなくて……走る。」
ケンはありったけの光を巫子に浴びせたり、ゴロゴロと音のする方向に光を飛ばしている。音は一瞬も止まることなく近づいてきていた。




