祖父母
花梨の家を後にし、自宅へ戻った鬼門家のリビングでは、怒声が飛び交っていた。
「引き摺って無理に連れて行ってやろうか幽霊野郎!」
(蛇のタトゥーがあるやつなんて、どんだけいると思ってんだよ!何もない場所に行っても何もねーよ!悪霊いたらどうすんだ!行かない!)
「悪霊はテメーだ!」
(お前より悪霊の方がマシだチンピラ猿!)
「誰が猿だこの野郎ーー!!」
(えーーい!!)
「おらぁーー!!」
(来るな!!)
目覚は小さな壺から塩のようなものを幽霊くんに投げつけている。当たると痛いようで幽霊くんは逃げ回っている。
「後でハウスクリーニングを頼みましょう。ハウスクリーニングも古参坂通りにあるのですよ。清掃業者として経営していますが、特殊清掃も請負う現役のプロです。いくら拭いても、張り替えても浮かび上がる血の跡や手形も綺麗に掃除してくれます。部屋の見た目に関してだけですけどね。」
「呪いだとして、対象が人なら…。」
「そういうことです。部屋の問題なら、引っ越せば済む話になります。ハウスクリーニングだけなら、霊が部屋を移動してしまうこともあるので、祈祷師も一緒に頼む方がいいですな。」
「祈祷で何とかなるものですか?」
「開眼供養や閉眼供養のように移動させて、そこで丁重に弔います。どれだけ強い悪霊でも、神仏には敵いません。そんな場所に閉じ込めるのです。神社の外に出られないだけで、賽銭泥棒や肝試しで夜の神社に忍び込んで、呪いを持って帰るようなことはありますよ。本体は動いていないくても夢の中で追えたり、自分の声が聞こえるように繋がると、ずっと声や足音が聞こえていたり。優子さんの呪いに似ていますが、呪いは霊の数だけあります。」
「知らない人なんですよね…。」
「知らない人だからこそ、腹が立つのですよ。自分の姿が怖い、気持ち悪いと噂となり、知らない人が自分の家なり居場所に侵入してまで見に来て、指を差して笑ったり、叫んだりされたら、私でも呪いたくなりますよ。恨みの矛先を失った憤りの強い霊なら尚のこと。」
「いじめみたい…それは知らない人だから怒ることですね。通りすがりでも、自分を見ただけで叫んで逃げられたら…悲しい。」
「その怒りが強い憎しみに膨れ上がる存在なのです。自分の憎しみの矛先を見つけ、不幸になり、精神を崩す姿を見ることが生き甲斐のようになります。怖いもの見たさで侵入したのなら、願い通りとも言えますな。ほほほ。」
「んー…出られない苛々もありそう。」
「そうですね。肝試しをして守護霊がつくことは滅多にありませんよ。それどころか、守護霊を無駄に苦しめて消してしまうかもしれません。守護霊になると、存在と引き換えに霊障を身代わりのように引き受けてもくれることもあるのです。百害あって一利なしです。」
「うん…。」
(だーー!チンパンこの野郎!!)
「絶対許さねーテメー!!棺桶に入れて海外まで蹴り飛ばしてやる!!」
(いだだだだ!!)
リビングは粉まみれになっている。
巫子は中学三年になった。巫子と幽霊くんは口数が減っていて、喧嘩の後のような空気が漂っていた。学校は始業式の午前で終わり、帰りはバスに乗って優子のいる寺に立ち寄った。
幽霊くんは、桜の花びらが落ちる手水舎で、花びらを取り除く優子の近くに立っている。住職と話しながら中の掃除をする巫子を眺めてから、桜を見上げた。
(何かあったか?喧嘩?謝れよ名無し蛇。)
(俺のことは俺が決めるってことで揉めたんだよ。)
(成仏しろって?)
(さぁな…。)
(何もなしに言わないだろうから、心配になることがあったんだろうな。逆なら心配するんだろ?)
(さぁな…。)
(分かるけどな…自分のためなことも。友達が、自分と別れると分かってることで一生懸命になるのは嬉しいだけじゃないよ。ただ…本当に自分を思ってくれる気持ちは嬉しいんだよな。幽霊として扱われるのは嫌だけど…でも幽霊なんだ私たちは。)
(分かってんだよ…。)
(自分と離れて嬉しいのか、なんて聞けないよな。巫子の友達は一人じゃないけど…自分だけはずっと一人だ……未来ではないけど…幽霊にも明日はあるんだ。成仏したけりゃしてるよな。)
(まぁな…。)
(未練に苦しんでた気持ちが解放された方が良い。あるんだろうなお前にも。)
(ねーよ。)
(ねーなら成仏してんだろ。何で巫子と一緒にいるんだ?)
(そんなん言葉にできねーよ。何となくだ。)
(友達と楽しそうだったか?それとも、一人で寂しそうだったか?)
(…さぁな。)
(自分と重なったことがあったとしても、違うよな。自分と同じ人はいないから。だから友達になれるんだ。私は幸せだよ。死にたくはなかったけどさ…死んで良かったとも言わないけど。幸せだ。)
(成仏しろよ。)
(今したら悪いもんになるからって聞いてたろ。恨みも消えたわけじゃない。地獄で再会なんてしたくないから、これは私の贖罪だ。死に導いた。)
(土地神がいて良かったな。)
(本当にな。だからここで務めをするんだよ。私は運が良かった…このまま報われずに恨みに呑まれて、悪い者としか見られなくなって退治されたり、地獄に行ったりする奴も多いだろうから。そういうのを救うために頑張ってる神職は凄いよ。巫子も同じか…救われる。友達に感謝してる。)
(キモ。)
(怨呪!)
(嘘だろ!?やめろ!!)
(嘘だ。何焦ってんの?キモ。)
(だーー!!)
(バーカ!)
巫子も、住職に幽霊くんの深い傷を抉ることをしてしまったのではと、密かに涙を流して相談していたことはお互いに秘密だ。住職は今でなくてもいいが、いつか幽霊くんの痕跡が見えた場所に一緒に行くことを勧め、巫子も頷いていた。
夕暮れが近づくころにバスに乗り、古参坂通り前の停留所で降りて少し歩くと、巫子は涙を流して足を止めた。
(…何だよ。言いたいことあるなら言えよ。)
「幽霊くんだって…。」
(俺のことは俺が決める…。)
「私のことも私が決める…でいいの?」
(…それとこれとは別。危険があるんだから。)
「幽霊くんがこのままで危険がないとは言えない。朽ちるなんて嫌だ…成仏は寂しいけど……私は平気だよ。幽霊くんも唯ちゃんも…優子ちゃんも…私はもう平気だよ。」
(……。)
「心配だったら…心配いらないって言いたい。ほら、幽霊くんの番。」
(俺が…いない方がいいか?成仏だろうが、悪霊として祓われる存在だったとして…そんなに急いで俺を消したいかよ。)
「消したくないから言ってんの!分からず屋!」
(巫子にだけは言われたくねーよ分からず屋!)
「幽霊くんの名前知らない!私だって幽霊くんの心配するよ!友達だもん!」
(俺の心配は空振りだけどな!)
「行くなって言われてる場所に行ってない!探してもないよ!もう見えてる人!」
(当たり前だ!俺が見てないと山やらあちこち行くんだから!悪霊の気配とかは全く分からないだろ!)
「でも…平気だもん!」
(平気じゃない!運が良かっただけで呪われてんだよ!)
「呪われてない!お友達のことを教えてもらえる大事なマーク!」
(馬鹿!)
「んーーー!アホ!」
(あーー!アホって言ったー!)
「ごめんなさい…。」
(あーー!あーー!)
「んー…。」
互いを大切に思うからこその喧嘩ではあるが、二人は初めての喧嘩をしながら家に戻る。
リビングの扉を開けると、青く染めた髪のベリーショートの六十代くらいの女性と、頑固な職人のような面立ちの角刈りの六十代くらいの男性が座っていた。目覚が笑顔で巫子を手招きをして、巫子は座る前に自己紹介とお辞儀をしてからソファーに腰を下ろした。
「良い子ね。」
「良い子だ。爺ちゃんと婆ちゃんだよ巫子。」
「あ!はじめまして!お爺ちゃんとお婆ちゃん。目覚さんのお爺ちゃんお婆ちゃん?」
「私は二人の養子になってるから、巫子の爺ちゃん婆ちゃんで合ってるよ。」
和やかな空気のまま、祖父母は幽霊くんに視線を向ける。
「それで、お前さんが幽霊くんかい。」
「フェリックスから報告は聞いてるよ。花園さんに聞いても分からないんじゃ、直接本人が行くしかないな。あの辺は水害で半壊したときに、歴史書物もダメになったんだ。」
(放っておいてくれ。)
「鬼門の家は守りの家なんだ。悪霊を遠ざけるだけじゃなく、悪霊から身を守るための結界も張れる。ただし、これは修行が必要だ。元々は呪具ではなく、霊に手伝ってもらっていた家系なんだよ。」
「今はしてないけどな。霊を鍛えるための山を今でも所有してる。簡単な呪いくらいは跳ね返せるようになるぞ。」
(山に…俺に勧めてんだよな?)
「選択を与えてる。ただし、自分の本質を知らないと力も迷うようになる。そうなれば、結局は時間が経てば朽ちてしまう。」
「そうまでして霊として留まる理由があるんだ。それを見つけて、自分と折り合いをつけないとな。あの辺は特に変な事件もなかったし、清浄な場所なんだよ。海神寺というからには、水害や災難事故はあったけどな。何か思い残しがあるんだろ。急に思い出してパニックになったら巫子に影響すっかもしれねーぞ。」
(…山に行く期間は?)
「巫子が学校行ってる間に飛べばいい。幽霊だってエネルギー使えば疲れるからな。縁が道標になって帰れる。そのやり方も俺らが教える。」
「私は残るけど、爺ちゃんは別荘に泊まるから、小僧も疲れたまま帰るよりは別荘で休んだらいいわい。」
(帰り方はマスターしたいから帰るよ。)
「じゃあフェリックスと縁を繋げ。」
(何でだよ!)
「小僧は巫子の守護霊じゃないんだから、縁として離れた場所の道標があっても直ぐに戻れない。フェリックスは幽霊に触れられる特異体質があるから、そっちの系の呪具とも相性がいいんだ。」
(フェリックスの呪具って言えよ!)
「フェリックスと繋がるように呪具で操作するんだから。」
「巫子はそっち系は苦手そうだ。巫子には婆ちゃんが祈祷の仕方を教える。巫子も目覚みたいに、ロープに札を巻きつけて悪霊をバイクで引き摺り回すようになったら困るからな。」
(クソだなお前は!チンピラ!)
「うっせ!悪霊が悪いんだろうが!お前も北海道まで引き摺ってやろうか!」
(あそこかよ!)
幽霊くんはスキー場が見える別荘に通うことになる。巫子は幽霊くんと出会ってから、幽霊くんが近くにいないことがなかったため寂しさを感じるが、顔に出さないようにお茶を飲んでいる。
間堂が運んできた夕飯を食べている空気は和やかだが、喧嘩をしている巫子と幽霊くんの会話は少ない。
就寝時は気まずいながらも、当然のように一緒の部屋に戻る二人に、大人たちはため息を吐いたり、微笑んでいたりと、温かい気持ちで見送っていた。




