かえってくる
加藤の噂は瞬く間に広まった。高梨運送は根も葉もない嘘だと否定をし、被害者を痴呆だったなどと陥れる、事実無根で誠意のない弁明していたことで、取引先は減り、倒産を余儀なくされた。
加藤は同業種への転職はできなかったが、引越し先で宅配委託業者の運転手になった。噂も届かない場所で元の会社の悪口を言いながら、転職前よりも上がった給料に喜び、あの婆さんのおかげだと似た者同士の妻と乾杯まで交わしたのだ。
ただ、加藤の転職先は荷物を雨の当たる場所に置いたり、荷物に足跡がついていたりと評判は悪く、後に潰れることになる。
その後、コンビニのアルバイトになったが、酒の匂いも酷く態度が悪いと解雇される。自業自得としか言えないが、出勤前に酔うまで酒を飲む行為や、荷物を踏みつけるなどの自制ができるはずの行為さえ、加藤は徐々に抑えられなくなっていった。この悪因は自らが招いたものだ。
高梨運送の話や加藤の話の詳しいことは巫子にまでは届かなかったが、滝親子が運送業者にはドライブレコーダーを必須にするように活動をし、それが通ったことでトラック事故が減ったことは耳に入り、ようやく安堵の息を吐いたのだった。
そして迎えた冬休み。大滝兄弟と花梨の三人も連れて、北海道の別荘地へとやってきた。別荘の住み込みの管理人である元気な夫婦が出迎えをし、料理も作ってくれる。
歩いて二十分ほどの距離にスキー客が集う観光街もあり、寂しさより温もりを感じる場所だ。別荘の二階からはスキー場も見える。
北海道の雪は深いが、頻繁に除雪車が入り、観光地の整備も行き届いている。雪を楽しむ声がどこからともなく聞こえてくる。
三角屋根の北欧風の別荘には暖炉もあるが、壁からの暖房が部屋を温めて、外の雪景色を防寒着なしで眺められる。
「雪は止んだね。」
「明日はスキー行けるかな!?」
「明日はスキー行けるかもしれないけど、お前は落ち着きのない馬鹿だから兄ちゃんから離れたらダメだからな!」
「兄ちゃんは落ち着きのある馬鹿じゃないんだから、兄ちゃんこそ人から離れたらダメだからね!」
(ふっくく…この兄弟は馬鹿で面白い。)
(グルル!)
大滝少年の弟は、髪がツンツンと上に跳ねた元気な男の子。背が低いのがコンプレックスだ。弟は動物霊限定で見えていて、巫子が以前から気にしていた、空き家で飼い主を待つ霊の犬に首輪をつけて連れ帰ったことがある。今は成仏しているが、最後の日まで幸せそうに、友だちの犬たちと走り回っていたと、間堂と大滝家の旦那が井戸端会議で話しているのを聞いた巫子の心を温めた。
翌日はスキー場で大滝兄弟が器用に滑り、巫子と花梨は初心者コースで専用のコーチに教わっている。目覚は上級者コースを滑り、間堂はプロ用と思われるコースを軽やかに滑っている。
「巫子ちゃーん!花梨ちゃーん!」
「大滝くん上手だね。花梨ちゃん大丈夫?」
「何とかね。怖いよー…滑ることに意義を感じないよ…。」
「意義を考えるからだよ!スポーツだからね!」
「そうだね…今日は早めに帰ろう。昨日の夜ね、夕方から酔っ払ったお客さんが他の人に絡んで喧嘩になった夢を見たの。それで連夜くんが巻き込まれて、押されてぶつけた額から血が出てた。」
「弟が!?おーーい!!そろそろ帰ろう!!」
(ワン!)
花梨はときどき、予知めいた夢を見る。母方が女系神職をしていた家系で、花梨の母は祈祷の力が強かった。
元々の通りの住民は父で、呪いとは関係ない貴重な書物や古い書物を清らかに保管する役割のある家だ。
昼過ぎに別荘に戻ると、夕方には救急車のサイレンが聞こえてきた。大滝兄弟が外に走り出そうとしたのは目覚が首根っこを捕まえて簡単に止める。
(予知夢か。お告げってやつか?)
「お告げだね…花梨ちゃんありがとう。」
「うぅん。本当は酔っ払いを止めることができれば良いんだろうけど…無理だよ。」
「花梨さんが教えてくれた客について、酒癖が悪いので気をつけるように店員に話しておきましたので、対処も早かったのでしょう。暴れ回る酒癖ならば、その場で止めても解決ではありませんから。一度しっかり訴えられた方がいいのです。これが大人の叱られ方です。」
「そうだ。巻き込まれないように、危険を回避させるために教えているから教え続けてくれるんだ。」
「そうですね。大丈夫かな…。」
「明日聞いてみますよ。」
「行くな大滝兄弟!」
「気になるよ!」
「ちょっと見るだけ!」
「見える所まで行くんだろうが!」
大滝兄弟がその場にいなくて良かったと一同は胸を撫で下ろすのだった。
翌日、間堂が聞いた話によると、人の鞄に足を乗せたことで他の客と揉め、酔っ払いが他人の物を投げつけ店の食器や置物を壊したが、喧嘩になった相手と、喧嘩を止めようとした店員の軽傷で済んだとのことだった。
ただし、店の物を壊したり営業妨害をしたとして被害届を提出し、多額の損害賠償請求をする訴えをすると言っていた。
スキー場自体も立ち入り禁止になった。犯人は五十代の男性で、妻と息子夫婦と一緒に来ていたようで、妻も息子夫婦も喧嘩が始まった時点で止めもせずに逃げていたことで、そちらにも出入り禁止を言い渡した。
巫子たちは三日ほどスキーを楽しんだが、花梨の激しい筋肉痛により別荘で寛いだり、周辺の観光をして、予定通り一週間で地元に帰ってきた。
大滝兄弟から送り届けると、家の前には厳格そうな和服の父と、童顔で可愛らしい背の低い母が庭に木を植えていた。父には大きな狼のような黒い犬が肩の近くで浮いている。
「父ちゃん!母ちゃん!ただいま!」
「ただいまー!お土産あるよ!」
「おかえり。鬼門さん、ありがとうございました。」
「いいえ。」
「おかえり、響夜、連夜。母ちゃんは手に土がついてるから、お土産を横で順番に見せて?」
「うん!」
「雪だるまのぬいぐるみもある!」
「鬼門さん、ありがとうございました。響夜と連夜もお礼言ったかい?」
「言ったけど、もう一回言うか!ありがとう!またね巫子ちゃん!花梨ちゃん!」
「俺ももう一回言ってみようか!ありがとう鬼門さん!」
「いいえ。」
「ほほほ。良い木ですな。」
「夏に良い日陰を作る木です。一本倒されましてね。ふふ。」
「引っ掻くんですよ。ふふふ。」
大勢の守護犬の中には若々しく遊び回っている犬もいる。大変な作業だろうが、夫婦はその手間も楽しそうに作業をしている。
車の中に入り大滝家を見ると、家の反対側から黒い影がゆらりと伸び、近くにいた犬がすかさず噛みついて影を消した。犬は何事もなかったかのように他の犬と遊び回っている。
「…影が。」
(あれはただの思念みてーなやつだ。あそこまで守護が見えてると、欲しがって呪詛をかけられたりもすんだろうな。使役契約してんじゃねーんだから、取ろうとしたって意味ねーのに。)
「呪詛なんて…生きてる人間はやっぱり怖い。」
「呪詛?嫌だ怖い…何かあったの?」
「うぅん。人の友達が強くて羨ましいからって、呪っても自分の友達になるのは別の話なのになって。」
「友達にそんなことする人は嫌いになるよね。」
「そうだよね。」
「馬鹿がすることだからな。」
「まさにですな。ほほほ。」
「うちは呪いを受けないようにする防御とか、呪い返しをする祈祷とか、そっち系の本がいっぱいあった。お母さんは呪いの土地の浄化をする女神主さんだったの。」
「女神主さん格好良い。綺麗だよね服も。」
「うん。ふふ。あの格好のお母さんの写真大好き。良かったら見ていく?」
「でも疲れてるんじゃない?」
「筋肉痛も治ったし疲れてないよ。体育のマラソンより全然疲れない。呪いの土地もだけど、逆の本も楽しいよ。巫子ちゃんが興味あるなら一緒に語りたいなって思ってたの。」
「お邪魔したいな。目覚さん、行ってもいい?」
「いいよ。うちも花園さん家に頼まれてた、本が勝手に開かないように留める道具を頼まれてたんだ。後で渡しに行くよ。」
「勝手に開いちゃう本…あれかな。開いたページの文字がすぐ薄くなっちゃうの。昔の墨を使ってる貴重な本だって言ってた。ページに癖がついてたみたいで、同じところで開いちゃうんだって。自然の流れの教本みたいなやつ。」
「自然の力を多く入れすぎて、朝顔のように咲いてしまうのかもしれませんな。」
「そうかもしれないです。綺麗な花の絵のところが開くんです。良い香りもするんだよ。」
「花で作った墨なのかな?」
「あ!そうかもしれない!すぐ薄くなっちゃうよね。」
花梨の家にはすぐに到着した。優しげな父が玄関前で出迎えていて、父の隣には亡くなった母が優しそうに微笑んで立っている。
花梨の家の壁には、家族の思い出写真をがたくさん飾られている。まるでアルバムの中にいるような家族愛の深い家の中を写真について話しながら歩き進み、並んだ本棚と図書館のような長テーブルと椅子が置かれた部屋で、花梨から勧められた本を読みながら盛り上がっている。
(これ全部読んでんのか?本の虫だな。)
「読書っていうより、旅行してるみたいで楽しい。」
「そうなの!えへへ。そうだ、さっき話してた良い土地の本はこっち。発売はされてない、神社に置かれる本なんだよ。」
「貴重だね…。」
緊張しながら本を開けて読み進めていると、あるページで巫子の手が止まった。
「これ…。」
「これは海神寺だね。水害で半壊したんだけど、建て直さないで廃寺になったの。」
「…この石のこの絵。」
「絵は薄くてよく見えないけど…多分、蛇。海神様の象徴だって書いてあるね。」
「……。」
(…ん?どうした?)
災害前に撮られた寺を紹介している写真には、寺の庭の隅に楕円の墓石のようなものがポツンと置かれている。その石には写真からは読めない文字と、幽霊くんの肩のタトゥーと同じ蛇の絵があるのだ。
巫子が本を読み込んでいると、ケーキと紅茶を持ってきた花梨の父と、間堂と目覚がやってきた。花梨は父に聞かれるまま北海道旅行の話をしている。
「幽霊くんの肩の蛇…。」
「似てるけど…薄くて見えないな。」
「どうですか幽霊さん。身に覚えはありますか?」
(…いや…特には。)
「行ってみよう。」
(いいよ別に。俺は行かない。)
「何でよ…嫌な場所?」
(知る理由もねーし。海神が自分の姿をマークにして自分の肩に彫んねーだろ普通。自分の顔タトゥーにするか?しねーよ。)
「それは確かに。ほほ。」
「神でないのは分かってる。花園さん、ちょっといいですか?」
「はい。どうしました?」
目覚が尋ねると、本は母のものだったらしく、父は詳細を知らないとのことだった。幽霊の母も見ているが、今は亡き高名の住職の功績ばかりで、蛇についてはよく知らないようだ。
(このお寺を守っていた住職さんは、悪霊の霊魂を鎮めることに長けたお方だったのですよ。海沿いや、山などにはよく出向いていましたね。私も話したことはありましたが、後光が差しているように明るく、立派なお方でした。)
「住職も手厚く埋葬されているのでしょうな。」
(それはもう。本にあるお寺からは遠い、大きなお寺です。広く教えを授けていた和尚様でしたから。)
「こちらの方は…確か…京都とか…大きなお寺ですよ。」
「来年の修学旅行先だね巫子ちゃん。楽しみ。」
「そうだね…うん。」
「気になる?もう何もないと思うよ。海神寺って言っても、神様を祀ってたお寺じゃないの。悪霊を抑えてた場所。」
(俺とは関係ねーって。)
(だったら行けばいいじゃないですか。)
(絶対行かない。巫子も行ったら喧嘩するからな。)
(喧嘩してもお互いが困るだけでしょうに。解決の話し合いになさい。喧嘩してるならと、離れている隙に一人で行くかもしれませんよ?まだ悪霊がいたらどうするんです?)
(行かなきゃいいんだよ!)
(何もないと言うなら行って帰ればいいでしょう。自分のことを知らない霊は、いつか朽ちてしまいますよ。誰とも誓いや契約もないんだから、あなたは巫子ちゃんが死んでも、朽ちるまで一人で彷徨うの?何の解決にもなりませんよ。)
(ほっとけ!)
「んーーー…。」
(聞くな巫子!)
泣きそうな気持ちを誤魔化すようにケーキを頬張る巫子。目覚と間堂はページをじっくり眺め、関連する書物を探している。




