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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

並木道、歩く

作者: たこす

こちらは鬱展開が続きます。

あらかじめご了承ください。

 僕には10才になる妹がいた。


「お兄ちゃーん!」といつも屈託のない笑顔で僕のあとを追っていた。


 けれども妹は生まれつき身体が弱く、よく学校を休んでいた。

 両親は妹の病院代を稼ぐために共働きで朝から晩まで働いていたため、妹の面倒は僕が見る役目だった。


 妹が学校を休むときには必然的に僕も学校を休まざるを得なくて、そのたびにいつも苦しい声で

「お兄ちゃんごめんねぇ……」

 と謝ってくる。

 僕はそんな妹がいじらしくてたまらなかった。


「気にするな。早くよくなれよ」


 そう言って頭をなでてやると、妹はとても喜んだ。




 僕らは毎週日曜日になると近くの神社にお参りに行った。


「早くユリの病気がよくなりますように」


 なんの神様かわからなかったが、それでも一生懸命祈った。

 僕らにはそれが毎週末の習慣だった。


 でも神社の境内に行くには長い並木道を歩かなければならない。


 僕は毎回妹を背負って長い並木道を歩いていた。

 年々重くなっていく妹を背負いながら、僕は苦しさよりもむしろ成長していってくれてる妹に嬉しさを感じていた。


 たとえどんなに妹が成長しようと、僕は妹を背負いながらこの並木道を歩きたい。そう思っていた。


 そんなある日、突然妹が言った。


「自分で神社まで歩いていきたい」


 そう言って、妹は自分の足で境内までの並木道を歩きだした。



 日常生活の範囲で歩く分には問題ないのだが、長い道のりを歩くとなると妹の身体には負担が大きすぎる。


 僕は正直困った。

 これが原因で命を落とすことになったら。なんの知識もない僕には、これがいいのか悪いのかわからなかった。


 でも、妹が額に汗を流しながらがんばって歩く姿を見ていたらそんなことはどうでもよくなった。


 ただ、ひたすら「がんばれ、がんばれ」と祈った。


 最初の頃こそ並木道の3分の1も進まないうちにバテてしまい、結局僕が背負うことになっていたのだが、それが数ヶ月も続くと、歩く距離が長くなり、ついには自分の足で神社の境内までたどり着けるようになった。


「やったな、ユリ」

「うん……、ひとりでこれたよ」


 妹はひどく疲れていたが、とても嬉しそうな顔をしていた。




 その日の夜にはそのことを両親に喜んで話すと、両親はひどく僕を叱った。やっぱり、妹には身体の負担が大きいのだという。


 それでも、妹は生まれて初めて自分の意志で並木道を歩いたのだ。誰の助けも借りず、ひとりで歩けたのだ。

 僕は両親に叱られながらも、その喜びのほうが大きかった。


 その後、妹は僕に泣きながら何度も何度も謝っていた。

 でも、僕は妹の頭をなでて「おめでとう」と言った。


 妹は涙を流しながらも、微笑んで

「もう一度、お兄ちゃんと歩きたい」

と言った。

「そうだな。もう一度、二人で歩こう」


 僕らはそう約束した。





 ところが、その約束は二度と果たされることはなかった。





 次の日、今までの負荷が原因なのか妹の症状が悪化したのだ。

 息切れを起こし倒れこんでしまった。


 すぐに病院に搬送されたが、妹は二度と起きてこなかった。


 享年10才。

 あまりにも、短い生涯だった……。




     ※




 それから数年の月日が流れた。

 僕は両親に疎まれながら、ずっと孤独な日々を過ごしていた。


 妹を死に追いやったのは僕だ。

 僕が妹を殺したのだ。


 そんな自責の念に苛まれながら、僕は必死に勉強してなんとか国立大学へと入学した。両親に認めてもらいたい、そして赦してもらいたいという自分のワガママな想いでもあった。


 国立への入学が決まっても両親は褒めてはくれなかった。


 奨学金で大学へ通うと決めていた僕は、生活費は自分で稼ぐからといってアパート暮らしを始めた。正直、両親から離れたいという気持ちが強かったのもある。


 家から離れ、一人暮らしを始めたものの、いっこうに僕の気は晴れなかった。


 虚しい。

 虚しい。

 虚しい。

 虚しさだけが僕を押し包んだ。


 大学生活はそれほど充実したものではなかった。


 高校の頃まではただ単純に「国立へ行く」という目標で勉強してきたのに、いざ大学に入学するとその後の目標がなくなっていた。

 自分は何をしたいのか。何ができるのか。


 さっぱりわからなくなってしまっていた。


 手始めにやり始めたコンビニのバイト。

 家に帰って炊事、洗濯、就寝。

 そして大学の講義。


 そんなルーチン作業が毎日続くと、嫌気がさした。

 ある日を境に、僕は大学に行くのをやめた。




     ※




 何もやる気が起きないまま、向かった先は自分の家だった。


「何しにきたの、あんた」


 母から蔑みの目で見られながら、僕の足は自然と妹の部屋へと向かっていた。

 妹の部屋は、当時のまま残されていた。

 ユリが背負っていた赤いランドセル。それが机の上に乗っかっている。


 僕はたまらなく切なくなり、いつまでも茫然と立ち尽くしていた。


「ユリ……」


 僕は久しぶりに、何年かぶりに、妹の名前をつぶやいた。

 つぶやいたと同時に涙があふれ出た。


 ユリ。

 どうして……。

 どうして死んでしまったんだ……。


 どうして……。



 僕は泣いた。

 今まで我慢していたものがせきを切ったかのようにあふれ出し、嗚咽を漏らしながら泣いた。


 ユリ、ごめん。

 本当にごめん。


 代わりに僕が死ねばどんなに楽だろう。

 そう願わずにはいられなかった。



「お兄ちゃん」


 その時、妹の声が聞こえた。

 ハッと顔を上げたけれども、妹はどこにもいなかった。

 目の前には赤いランドセルがあるだけだ。


 幻聴か。


 しかし僕の耳にははっきりとユリの声が聞こえた気がした。


 気が付けば、ランドセルの口が少し開いている。

 僕はそっとランドセルに手を触れ、中を覗き込んだ。


 中はユリが最期に学校に通っていた状態のまま残されていた。

 教科書やノートや配られたプリントの間にはさまって、一冊の絵日記が出てきた。

 可愛らしい、うさぎの絵が描かれた絵日記だ。


 僕は何の気なしにパラパラとめくってみた。

 そこには、妹のかわいらしい字と、一生懸命描いた絵が映し出されていた。

 どうやら学校の宿題として出されていたものらしい。



「○月×日 はれ

 先生、あのね。

 今日は神社まで自分の足で歩いていったんだよ。

 神社まではんぶんくらいのところでお兄ちゃんにおんぶしてもらったけど、でも、たくさんたくさんすすんだよ。あとはんぶんで自分の足で神社までいけたのに」



「○月×日 はれ

 先生、あのね。

 このまえよりもちょっとすすんだよ。またさいごにお兄ちゃんにおんぶしてもらったけど、ほんとうにあとちょっとだった。おしかったなあ。お兄ちゃんのがんばれがんばれっていう声がちょっとうるさかった。でもありがとう、お兄ちゃん」



「○月×日 はれ

 先生、あのね。

 神社まであともうちょっとだったよ。あとほんのちょっとでいける。自分の足で神社まで行けたら、いいことあるかなあ」




 妹の絵日記には、いびつな曲線で描かれた僕の似顔絵と、自分の似顔絵が描かれていた。


 僕はその絵を見て今まで忘れていた感情を思い出していた。


 その絵の中の二人は笑っていた。

 ニコニコと笑っていた。


 妹は……、ユリは楽しんでいたのか。

 僕と並木道を歩くことを、すごく楽しんでいたのか。


 思い返せば、確かに妹は嬉しそうだった。

 額に汗を浮かべながら、僕と並木道を歩くことがとても楽しそうだった。

 僕も、そんな妹を見ながら笑っていた……気がする。


 最期の、ユリが神社まで歩いて行けた日の記録は残されていない。




 僕は絵日記を手にとると、家から飛び出した。


 ユリ、会いたい。

 もう一度、おまえに会いたい。


 それは決して叶わぬ願いではあったけれど、どうしてもその感情が抑えきれず、僕は走り出していた。


 会いたい、会いたい、会いたい。


 がむしゃらに走る僕の足は、自然とあの並木道に向いていた。


「はあ、はあ、はあ……」


 肩で大きく息をする僕の目に、長い杉並木の道が飛び込む。

 その場所は今でも変わらなかった。

 石畳の両側に大きな杉の木が立ち並び、奥へと続いていた。


「ユリ」


 僕は一歩踏み出した。

 石畳の硬い感触が靴底を通して足の裏に伝わる。


 ドクン、と胸が高鳴った。


 忘れかけていた感情が甦る。

 妹と共に歩いたこの並木道。

 すべてが充実していたあの頃。

 僕の生きがいは、妹だけだった。

 ユリがいたからこそ、僕は毎日が楽しかった。毎日、笑えた。


 でも、妹はもういない。



 僕は一歩一歩、石畳の上を歩いた。

 あの頃の想いを胸に、ゆっくりと歩き続けた。


 この先に、いつもお参りをしていた神社がある。


 思ったよりも並木道は長かった。

 当時もそれなりに長く感じたが、今はそれ以上に長く思えた。

 こんなに長い道を、妹は一人で歩いたのだ。

 あの病弱な身体で歩き切ったのだ。

 すごい、としか言いようがない。


「ユリ」


 僕は妹の面影を思い浮かべながら、並木道を歩き続けた。



「お兄ちゃん!」


 突然、背後から声がした。

 僕は思わず振り返った。

 そこには二人の見知らぬ男の子と女の子が、この長い並木道を駆けている姿が見えた。


「はやく来ないと置いてくぞ」


 男の子が立ち止まりながら、後ろにいる女の子に言っている。


「待ってよ、お兄ちゃん!」


 男の子は、すごい速さで僕を追い越して行くと、奥の神社へ向かって一直線に進んで行った。

 そのあとを追いかけるように、「待って」と言いながらタタタタと必死に走る女の子。

 僕はその女の子とユリが重なって見えた。


 その子は僕の近くまで来ると

「こんにちは」

 と言って頭を下げた。


 7、8才くらいだろうか。

 とても可愛らしい女の子だった。


「こんにちは」


 僕がそう答えると、その子は僕の顔を見て急に立ち止まった。


「……?」


 不思議そうに僕の顔を見つめる女の子。

 首を傾げるその子の姿に、僕も不思議な感覚にとらわれていた。

 なぜか、その子とは初めて会ったという気がしない。

 そう感じた。


「お兄ちゃん……?」


 女の子がぽつりとつぶやいた。

 その言葉に僕の呼吸が止まった。

 同時に激しく胸が高鳴る。

 妹のユリと雰囲気がそっくりな女の子。

 彼女から発せられた言葉に、心が激しくかき乱された。



「おーい、ユキ! はやく来いよー!」


 その時、男の子の声が前方から響き渡った。

 女の子はすぐに僕から目をそらし、

「あ、待ってよ、お兄ちゃーん!」

 と言って離れていった。



 元気よく駆けていくその子の後ろ姿に、一生懸命神社まで歩いていく妹の後ろ姿が重なった。


「もしかして……」


 絵日記につづられていた最後の言葉が脳裏をよぎる。



『自分の足で歩けたら、いいことあるかなあ』



 いいこと。

 それは僕にとって非現実的で非科学的なものだけど、信じずにはいられなかった。



 生まれ変わり──。



 そうだ、妹は生まれ変わったのだ。

 新しい命として、生を受けたのだ。

 元気で健康的な身体を持って。

 そして、一人で並木道を駆けている。



 走りながら去っていく女の子の後ろ姿を見つめながら、僕はそう思った。

 と同時に、笑みを浮かべていた。

 今まで忘れていた表情。

 笑うなんて何年振りだろう。

 少し頬が硬くて違和感があったけど、久しぶりの感情にすさんでいた心が溶けていくのを感じた。



「ユリ、よかったな」



 僕は手に持つ絵日記にそうつぶやくと、奥の神社へ向かって一歩踏み出した。





お読みいただきありがとうございました。


「絶望から希望、そして新しい一歩を踏み出す」をテーマにした作品でした。

みなさんにも希望があらんことを。

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