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わたしが死神になった日  作者: 葉方萌生
第一章 ヒーローになった日
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1-6

***


 目を覚ました場所は、楓の家の前だった。

 どうやら一度現世から引き離されたあと、再びやってくると前回いた場所からスタートするらしい。とはいえ、まだ一度目のことなので本当にそうなるか定かではないが。

 日が落ちかけていて、時刻は夕方だと分かった。

 雪はそれほど強くない。この様子だとまたすぐに止んでしまう可能性が高いだろう。

 今日も何月何日なのか、分からない。

 前回目覚めた時とあまり気温が変わらないところを見るに、それほど日にちが経っているように思えなかった。


「そうだ、楓は」


 そっと楓の家の裏へと回り込むと、庭に面した窓のカーテンが少しだけ開いているのが見えた。楓はリビングにはいない。いるのはおばさん——楓のお母さんだけだ。

 馴染みのある人物の顔を見て、なぜだかほっとする。

 私はもうこの世にはいないのに、異国の地で知り合いに会えたときのような気分に陥った。

 リビングの方を観察すると、ちょうど大きなテレビ画面が視界に入ってきた。おばさんはマグカップを片手にソファに座り、夕方のニュースを見ている。じっと目を凝らすと、テレビ画面の上に「17:15」と時刻が表示されているのが分かった。

 それから、テレビに映し出される映像に目が釘付けになる。


『三日前、十一月二十二日に、函館駅構内で起きた男児殺害事件についてです。被害者は近所に住む山川尊(やまかわたける)くん、五歳。両親と函館から札幌へと向かう電車に乗ろうと改札を潜り、ホームで待っていたところを襲われました。男はその場からすぐに逃げ去ろうとしましたが駅員に取り押さえられました。近くにいた人からは、“男が急に男の子に近づいて刃物で胸を刺すのを見た。一瞬の出来事だった”と証言を得ています——』


「山川、尊くん……」


 咄嗟に口から()の名前が漏れる。


——あ、そういえばさ。僕、お名前なんていうの?


——やまかわたける


 あどけない口調できちんと名前を教えてくれた。私のことを、“ヒーロー”だと言ってくれて。自分もヒーローになりたいんだと笑っていた。改札の中へ去り行く背中は小さかったけれど、どこか頼もしくて。そんな小さな戦士が、殺された……?


「うえっ……」


 咄嗟に吐き気が込み上げて、その場でえずく。

 世界から急速に色が失われていくかのような感覚に襲われて、思わず胸を押さえた。

 そんな、馬鹿な。

 何の罪もない尊くんが、どうしてこんなことに?

 ニュースから察するに、通り魔事件だろう。容疑者の男には尊くんに恨みがあるわけでもない。それなのに、ただそこにいたという理由だけで、どうしてあんな小さな子供が殺されなくちゃいけないの?

 そこまで考えて、はっと息が止まる。

 楓も、同じなんだろうか。

 ずっと家が隣同士で幼馴染だった私がいなくなって、楓は今の私以上に、ひどい衝撃を抱えて生きているんだろうか。


「はは……」


 私は、なんて浅はかだったんだろう。

 一歩、二歩、とその場から後ずさる。ニュース映像から目を逸らし、楓の家の壁からも遠ざかる。

 楓に会えない。

 こんな気持ちを抱えたまま、落ち込む楓の姿を見てしまったらきっと、私は立ち直れなくなるだろう。

 さっきのニュースから、今日が十一月二十五日だということが分かった。私が死んだのは十一月九日だから、まだ二週間ちょっとしか経っていない。となれば、楓はまだ私の死について、悲しみに暮れているかもしれないのだ。

 そうであってほしいとも思うけれど、そんな彼の姿を見るのは辛かった。


「ごめんね、楓」


 今ここにはいない彼に、精一杯謝った。

 自分がどれだけ楓にとって大切な存在だったのか、それは分からないけれど。

 少なくとも、幼馴染が死んで平気でいられるほど楓は薄情なやつではない。

 雪がちょっとだけひどくなる中、私は当てもなく住宅街の中を彷徨い続けていた。



 ***


 それからの私は惰性のように雪が降るたびに現世に舞い降りた。

 なんとなく、楓の姿を見るのが躊躇われて、自宅と楓の家は避けてただ移動するだけの日々。通っていた函館西南高校、近所の公園、路地裏のカフェ、観光客がごった返す赤レンガ倉庫、八幡坂、港。どこへ行ってももちろん私の姿が見える人はほとんどいなかったが、たまに目を合わせられる人がいた。


 杖をついたおじいちゃん、観光地を訪れる外国人、まだ二十代ぐらいの女性。

 目が合っただけで私のことが見えているとは限らないけれど、無意識のうちにそっと視線を逸らした。

 ある時は、「ハンカチ落としましたよ」と実際に話しかけてくる人もいた。四十代ぐらいの男性だった。


「ありがとうございますっ」


 お礼を言って頭を下げて顔を上げると、男性が急に咳き込んだ。


「大丈夫ですか?」


 と声をかけることができなかった。逃げるように、その場から立ち去る。

 彼は私のことを無礼な人間だと思っただろう。

 でも、できないのだ。

 この人たちが、もうすぐ死んでしまうのだとしたら……。

 そう考えると、私の姿が見える人と積極的に関わりたいとは思えなくなってしまう。


「どうして私は現世に戻ってきたんだろう」


 不慮の事故で自分が死んだという事実を受け入れたくない自分がいた。

 大切だと思う人の今後を、見守りたかった自分がいた。

 だけど今の私は、楓の姿を見ることもできず、ただ雪の中を彷徨う地縛霊のようだった。



 十二月になったことは知っていた。

 雪の降る頻度が増えて、現世に降りられる時間が増えた。

 私の意思とは関係なしに、私は函館の街を彷徨い続ける。

 十二月半ば、私がこの世を去ってから一ヶ月が過ぎた。


「そろそろお母さん、立ち直ったかな」


 一ヶ月やそこらで、と疑う気持ちと、どうか前を向いて生きていてほしいという願いがごちゃごちゃになっている。久しぶりに自宅へと行こうと決意して、住宅街を歩く。

 家族の様子を見ることができたら、もういいのかもしれない。

 八十神さんに頼んで、“神様”の力をなくしてもらおう。

 そんなことができるのか分からないけれど、頼んでみる価値はある。

 これ以上、誰かの悲しんでいる姿を見るのも、自分が悲しい気持ちになるのも嫌だから。


 

 久しぶりに自宅にたどり着くと、当たり前だけど変わらずに家族団欒の場があることにほっとする。平日の夕方なので、お母さんと妹の柚葉は家にいる時間帯だ。お父さんはまだ仕事から帰ってきていないだろうけれど、二人の姿を見られればそれだけで安心できる。

 鍵を持っているのでそっと玄関の鍵穴に差し込む。カチャリ、という小気味良い音がして鍵が開いた。

 そのまま扉を押して、中へ——。

 そう思いながら取手に手をかけた時、雪が舞う中、不意に楓の声が響いた。


「……朝葉?」


 心臓が跳ね上がった。

 聞き覚えのある男の子の声。

 目の前の存在を疑って不可解な色を帯び、けれどまっすぐに私の背中へとぶつけられた声。

 毎日のように聞いてきた、大切な人の懐かしい声。

 いつでも味方でいてくれて、喧嘩した後も真っ先に謝ってくれた人の。

 彼は私のヒーローだった。

 もうとっくに止まっているはずの心臓が飛び跳ねて、開きかけた玄関扉をぴたりと閉じた。


「楓……」


「朝葉、本当に、朝葉なのか……?」


 楓の声が震え、信じられないように私の名前を繰り返した。

 ゆっくりと振り返った先にいる若宮楓の姿を認めて、いろんな感情が込み上げた。

 赤と青と黄色と緑と。絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜてやがて黒くなるインクのように、心がどんどん塗りつぶされていく。楓に会えて嬉しい、という感情はもちろんあった。でもそれ以上に、苦しい。


「楓」


 どうしてあなたがそこにいるの。

 今日は部活ではないの。

 どうして私のことが、見えるの——。


「これ、夢じゃないよな? いや、夢か。だって朝葉がこんなところにいるはずない」


 口では否定しつつも、驚愕と喜びに滲んでいく万華鏡のような彼の顔が脳裏に焼き付けられる。


「ははっ、夢か、幽霊か。それでもいいや。朝葉に会えたなら」


 昔から子犬のように愛くるしいと思っていた笑顔をにっと浮かべて、私を捉えて離さないきみは。

 もうすぐ死んでしまう存在なのだと分かって。

 込み上げてくる涙が、凍りついて雪になってしまいそうだった。



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