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わたしが死神になった日  作者: 葉方萌生
第七章 嘘と愛のはざまで

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7-4

***



 ピピ、ピピ、ピ。


 聞き覚えのある機械音が耳元を掠める。

 あれ、わたし、まだ現世に干渉しているんだろうか。ここは元の世界? それとも、朝葉が飛んだ並行世界? どちらか分からない。目の前がまだ暗かった。


 ピピ、ピピ、ピピピ。


「若宮くん!」


 女の人の大きな声が聞こえて、わたしの視界がばーっと広がった。

 ぐるりと視線を動かす。そこは、楓が眠る病室だった。一瞬、並行世界で楓が寝ていた病室かと思ったけれど、どうも様子が違う。ベッドの配置も違うし、何より楓が繋がれている機械から伸びる管の数が多いことに気づいた。


 わたしはその時、楓の生命力が微かに輝き始めたのを感じた。

 夥しい数の管に繋がれてベッドに寝そべっていた楓がうっすらと目を開けている。

 やがてわたしと目が合って、彼の口から「椿……」と吐息のような掠れた声が漏れた。


「せ、先生を呼んできます!」


 動揺して慌てた様子の看護師が、バタバタと病室から出ていく。残されたわたしと、ベッドの上の楓の間に漂う静寂が、室内を包み込む。

 そんな……まさか。

 楓が、目を覚ました……?

 昏睡状態で、医者からはもう目覚めることはないだろうと言われていて。わたしも、楓はこのまま、いずれ死んでいくのだと思っていた。

 だけど、奇跡は起こったのだ。

 神様として初めて、自分の無力さを思い知った。


「お兄ちゃん……おかえり」


 まだ状況が読み込めずにいる兄に、ひとまず声をかける。どういうわけか、目覚めた兄には幽体のわたしの姿が見えているらしい。

 楓はようやく完全に開いた両目で、じっと食い入るようにしてわたしを見つめた。混乱と驚きが混ざり合うその表情はやがて、ふっと和らいで「ただいま」と口にした。


「椿、俺、死んだはずだよな……? ってことはここ、天国か……?」


 どうやら兄は、天国で目覚めたと解釈をしたらしい。

 兄の立場からすればそうだろう。

 わたしはゆっくりと首を横に振った。


「違うよ。現実だよ。事故に遭って昏睡状態になってたお兄ちゃんは、現実で目覚めたんだよ」

 

 わたしの言葉の意味をじっくりと咀嚼するように考えて、やがて驚愕に満ちた表情を浮かべた。


「どういう、ことだ。俺は確かにあの事故の後、椿から『死んだ』って聞かされたよな? それなのに、昏睡状態……? ごめん、ちょっと混乱してて……」


 兄が混乱するのも無理はない。“死後の世界”で自分が死んだのだと聞かされたのに、昏睡状態だったなんて言われても、ピンと来ないだろう。わたしが兄の立場だったら、夢でも見ていたのだと思ってしまうと思う。どこからどこまでが夢だったかも分からなくて、頭の中はぐちゃぐちゃになりそうだ。

 だからわたしは、少しでも楓の混乱を鎮めるように、大きくゆっくりと息を吐いて、告げた。


「お兄ちゃんは生きてる、よ」


 生きてる、とわたしが口にした時、楓の顔はやっぱり驚きで見開かれる。わたしの言葉をどう受け止めたらいいか分からない様子だ。


「生きてる……?」


「うん。ごめんお兄ちゃん。わたし、嘘ついてたんだ。本当はお兄ちゃんは死んでいなかったの。でも、お兄ちゃんに“死んだ”って思わせることで、お兄ちゃんの願いを叶える契約を結ぶことができたんだ。お兄ちゃんの心を、救いたかったから」


 わたしの言葉を咀嚼して、眉を上下させ、唇を震わせ、両目を瞬かせる楓。わたしを見つめるその表情が、いろんな感情でくるくると移り変わり、やがて安堵の表情がいっぱいに広がっていった。


「生きてる……ほ、本当に?」


「はい、本当です。お兄ちゃんは確かに生きています。夢じゃない、これが、唯一の現実だよ」


「そ、そっか……。うん、分かった。いや、まだ混乱はしてるけど、椿が言うなら間違いないな。そうか、俺、生きてるんだ……生きてる」


 じわじわと「生きている」という言葉が現実味を帯びてきたように、楓の顔に現れていた猜疑心が徐々に消えていく。春になり、雪が溶けていく函館の風景を思い起こさせた。


「生きてるのか……はは、やった……やったぜ……!」


 ようやく現実として事態をのみ込めたのか、喜びを噛み締めながら白い歯を見せる楓。そんな兄の姿を見て、わたしもほっと一息つくことができた。


「てっきり死んだかと思ったから、こんな奇跡が起こるなんて信じられねえな」


「うん、わたしも同じ気持ちだよ。信じられなくて、でも嬉しくてたまらない」


 目覚めた喜びに浸りつつ、目元を細めて笑う楓。そんな兄を見ていると、自然とわたしの頬も綻んでいった。


「なんで目覚めたんだろうな、俺」


「それは……きっと、並行世界の朝葉の強い想いのおかげだと、思うよ。あとは、お兄ちゃん自身の生命力が運命を変えたんだよ」


「朝葉の想い……。そうだ、朝葉は。朝葉も生きてる、よな?」


「はい、もちろんです。今度は嘘じゃないよ。今頃お兄ちゃんが起きるのを待ちくたびれて干からびてるかも」


「はは、そうか。朝葉が……並行世界で、上手くやってくれたんだな」


「はい」


 力強く頷くわたし。そんなわたしを見て、兄は心底安堵した様子で胸に手を当てた。


「椿、本当にありがとうな。全部お前のおかげだ。朝葉が試練に立ち向かえたのも、俺がこうして奇跡的に目覚めたのも。椿の強い気持ちが、奇跡を起こしたんだと思う。椿はやっぱり、俺の、最高の妹だ」


 昔よくしてくれたように、兄に優しく頭を撫でられた気がして、胸がきゅっと締め付けられるように鳴った。

 ああ、本当に良かった。

 これでやっとわたし、本当にお別れができるね。


「椿……? お前」


 楓の声が、心配そうなものに変わる。

 どうやら時間みたい。わたしは、自分の身体が今度こそ消えかかっていることに気づいた。


「今度こそ本当のお別れみたい」


 気がつけば枯れたはずの涙が、ぽろぽろと溢れていることに気づいた。もう泣けないと思っていたのに。この日のためにとっておいたみたいに、溢れてくるものが止まらない。


「お兄ちゃん。わたし、お兄ちゃんのこと、一つも恨んでなんてなかったよ。本当だよ。お兄ちゃんは罪を背負わなくていい。お兄ちゃんは、お兄ちゃんの人生を生きて。朝葉とこれからも幸せでいてね」


 泣いているのか、笑っているのか、自分でも分からなかった。

 ずっと抱えていた兄への想いを伝えて、いよいよわたしの心残りはなくなったみたい。


「椿……! 本当に、ありがとうな。大好きだ」


 最後に聞こえたのは、ありったけの力を込めて叫ぶ、兄の愛情だった。

 嬉しさと切なさが混じる、暖かな陽光の差し込む病室の中で、わたしは兄と、最後のひとときを終えた。

 さようならお兄ちゃん。

 どうかこの先も、幸せに生きてね。

 何十年後かに、また会おうね。



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