7-2
「椿がいるってことは、俺、死んだんだな?」
兄は妙に冷静だった。
死んだはずの妹の声が聞こえて、もっと取り乱してもいいはずなのに。兄はやっぱり兄らしく、現状を素早く解釈し、受け入れようとしていた。
ならば、わたしがすべきことは。
考えた。もし兄が、自分自身で「死んだ」と思い込んでいるならばどうだろう?
私は死者としか契約を結べない。でもそこに明確な定義はなく、これまでの経験で分かったことだ。
試してみよう。もし成功すれば、昏睡状態にあって、もう助からない兄の願いを叶えることができるかもしれない。
「……うん、そうだよ。お兄ちゃんは死んだ。女の子を守って」
わたしと楓の間に、少しの沈黙の間が訪れる。
やがて、ごくりと唾をのみ込んだ楓が口を開いた。
「まじか……。俺が、死んだ……。信じられねえ。なんで、そんなことに……! 朝葉、ごめん、なっ……」
楓は目を大きく見開き、肩を抱いて震えていた。彼の混乱がありありと伝わってくる。
お兄ちゃん……やっぱりそうだよね。
怖いよね。私もそうだった。自分が死んだって知った時、恐怖と混乱で気が変になりそうだった。いっそのこと、何も知らずにそのまま星になりたいとさえ思った。こんなふうに、中途半端に魂が漂っている状態になって、辛かった。
だから……だからこそ、お兄ちゃんの心を、救ってあげたい。
「死んじゃったお兄ちゃんは、一つ、願いを叶えることができます」
さあ、どうだ。わたしは彼の願いを叶えられるのだろうか。
そして、願いを叶えた暁には、兄に、自分の気持ちを伝えることができるだろうか。
「人間、死ぬ時は死ぬ……ちょっとしんどいけど、受け入れるしかない、か。で、願いを叶える……? それってどういう」
楓は辛そうに眉を寄せたあと、きちんと自分の死を受け入れて、わたしの言葉を真に受けてくれた。
「そのままの意味、だよ。お兄ちゃんの願いはなに? 最期に叶えてあげる。わたしにはそういう力があるの。でもその代わり、代償もある。それでもいいならわたしと、契約しようよ」
「契約……願い……なるほど」
きっと兄の中で、何も納得なんてできていなくて、混乱しまくっていたことはわかっている。けれど、久しぶりに聞いた妹の声に必死に耳を傾けていることが分かって、胸に込み上げるものがあった。
「俺の願いは、朝葉がきちんと前を向いて生きていけるようにすることだ。あいつはネガティブだから、俺が死んだって知ったら、生きる気力をなくしちまうかも。……なんて、ちょっと自惚れすぎか。でも、やっぱり、あいつの中にある後悔とか未練を断ち切って、前に進んでほしい。こんな願いでも、叶えられるか?」
兄の口から紡がれる朝葉への想いの強さに、呆然として、それから苦しさと切なさで胸が締め付けられた。
お兄ちゃんの願いが、朝葉に関することなら、わたしは全力で応えたい。
大切な人を想う気持ちの尊さを、わたしが一番知っているから。
「うん、できる。たとえばそうだね……朝葉を並行世界に飛ばして、そこで極限状態をつくるのはどう? 朝葉に試練を与えるっていうこと。その世界では朝葉が死んで、楓が生きていることにする。朝葉はとある条件の元でしか現世に降りられなくて、会える人にも制限を加える。たとえば……雪の降る日にしか現世にいけない。朝葉は、生きている人間の生命力を奪う死神。だから朝葉と出会った人は一ヶ月以内に死んでしまう。その中で、朝葉がどう命と向き合って、後悔を拭い去るか。その試練の中で朝葉が成長すれば、辛い現実にも向き合えるかもしれない。……ちょっと意地悪すぎかな?」
兄が好きだという気持ちが邪魔をして、そんな兄が想う朝葉に、無意識のうちに辛い試練を与えすぎているかもしれない。
そう思ったけれど、楓は意外にも「それ、いいかもしれない」と頷いた。
「本当に、これでいいの?」
「ああ。椿はいい子だから、きっと朝葉と俺の願いのことをめちゃくちゃ考えてくれたんだろ。だったら椿が考えた案が最適案だ」
「お兄ちゃん……」
兄の言葉が身に染みる。「いい子」と言われて、胸がじわりと熱くなる。わたしはもう実態としていないのに、久しぶりに触れた兄のやさしさに、心ごと溶けていきそうだった。
「その条件で、俺の願い、叶えてほしい。お願いします」
「……うん、分かった」
楓がわたしに頭を下げたのを見届けて、わたしは朝葉の意識の元へと飛んだ。
無事に朝葉とやりとりをすることができて、確信する。
わたしが楓にもう死んでいると思い込ませることで契約を結ぶことができたのだ。わたしの嘘は、こうして実を結んだ。
そしてもう一つ、今度は朝葉に嘘をつく。
——現世で“神様”の姿が見えるのは、『一ヶ月以内に命を落とす人』だけです。
朝葉には死神ではなく、“神様”に当選したと伝えた。
その方がより、自分が死神だと知った時の衝撃が大きいと感じたから。朝葉に、極限の極限まで悩み、葛藤し、そして成長してほしかったから。
それが兄の願いだったから。
日本神話に基づいて“八十神”と名乗ったわたし。
こうしてわたしは嘘つきな神様になった。




