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「もしかして私、死んだの……?」
自分の脳内で響いた心の声がわずかに震えていた。
「はい、残念ながら」
明るい女の子の声が余計に残酷な色を帯びている。
「嘘……嘘だ。死んだなんて、そんな……っ」
身体の感覚はないのに、背筋がすーっと凍りつくような悪寒を覚えて絶句する。暗闇の深い穴に突き落とされたかのような絶望感に、息が止まりかけた。実際にはもう息なんてしていないのかもしれないけれど、それぐらい、強烈な恐怖が私を容赦なく襲った。
「……嘘じゃ、ありません」
そう言う彼女の声が一瞬途切れ、含み笑いに変わる。なんだろう。今、最初にちょっと間があったような。「嘘じゃない」と言うときに、本心とは別の発言をしているような揺らぎを感じた。
けれど、そんな些細なことに構っている場合ではなかった。
「本当に……死んだんだ。……でもそれなら雪の中で目を覚ますってどういうこと?」
本当は今すぐにでも泣き叫びたかった。受け入れたくない。受け入れてはいないけれど、不可解な声と話をしていると、自然と自分が本当に死んだのではないかと信じ込まされた。
「それを今から説明しようと思って! あのね、さっきも言ったけどあなたは今日から“神様”になります。神様として、現世に現れることのできる能力が与えられました。でもその能力を使うのには条件があって。それが、『雪の降る日だけ、現世に姿を現すことができる』という条件です! あともう一つ、現世で“神様”の姿が見えるのは、『一ヶ月以内に命を落とす人』だけです」
「えっと……ちょっと待って」
いろいろと話が飛躍しすぎて、やっぱり理解が追いつかない。
脳内の“声”が次の言葉を発する前に、なんとか今言われたことを頭の中で整理してみた。
一、私は昨日の交通事故で死んでいて、“神様”に選ばれた
二、“神様”は雪の降る日にだけ、現世に姿を現すことができる
三、私の姿が見えるのは、一ヶ月以内に命を落とす人だけ
……うん。なんとなく話は分かった。けれど、“神様”に選ばれて現世にいくことに何の意味があるのかは分からない。それに、一ヶ月以内に命を落とす人と会うって、つまり……。
「“神様”というより“死神”だね」
禍々しい響きをもったその単語を心の中で呟くと、女の子の声はうふふ、となんだか怪しげに笑った。
「まあ、そう思うよね~、普通に考えたら」
「……ねえ、どうして私が“神様”に選ばれたの? それと、あなたは誰?」
「わたし? わたしはねえ、“八十神さん”って呼ばれてるよ」
声は、私の最初の質問には答えずに二つ目の疑問にだけ答えをくれた。
「八十神? 神話とかに出てくる神様?」
「うん、だぶんそう。わたしもよく分かってないのー。みんながそう呼ぶだけだから。あんまり深く考えないで。とにかくわたしもあなたと同じ神様」
「はあ」
彼女が言う“みんな”というのは一体誰のことだろうか。神様たち? 彼女以外にもいろんな神様がいて、その他の神様たちが彼女のことを八十神と呼んでいる……という解釈でいいんだろうか。
「あ、もし嫌だったら今のうちに言ってね? 現世に留まりたくない、今すぐ成仏したいって思ってるなら、別の人を当選させるから」
「当選……。“神様”になる人をまた選び直すってこと?」
「そう。だって死んだ人間が現世に戻りたいって願うのは普通じゃない? 好きで死んだ人以外、生きたいと願う人
はいくらでもいる。だからもしあなたが“神様”として現世と繋がれることを望まないなら、もっと他に、切実に現世
に戻りたいと思ってる人を選ぶから」
「……そっか」
そこまで話を聞いた時、私の中である種の強い気持ちが芽生えるのを感じた。
死にたくない。
誰もが当たり前に持ち合わせている感情が、ようやくひゅうっと湧き上がってきたのだ。
私はまだ十七歳の高校二年生で、やり残したことはいくらでもある。
立派な将来の夢なんてないけれど、ぼんやりと学校の先生になりたいと思っていた。
美味しいご飯だってたくさん食べたかったし、綺麗な景色だって見てみたい。
それに——……。
「楓……」
一番気になるのは、一緒に事故に遭った楓のことだ。
保育園時代からの幼馴染で、ずっと私の——大切な人だ。
あの時……私たちが事故に遭う前に、一緒に雪の中で笑い合った時間が記憶に新しい。
映画館からカフェにいく間、函館の街に今年初の雪が降って、私は久しぶりの雪を両手で受け止めた。手にはちゃんと手袋をはめていたから、冷たくはなかった。
『朝葉何してんだ?』
『何って、初雪観察だよ』
『雪なんて毎年嫌というほど降ってるじゃねえか』
『えーでもさ、やっぱり初雪ってちょっとわくわくするよ。それに、見慣れてるからこそ、じっと見ないと気づかないこともあるし』
『ふうん、そんなもんかあ? で、見慣れた雪を見て、何か気づいた?』
楓が揶揄うように私の顔を覗き込む。ぐっと縮んだ距離に、思わず心臓がぴくんと跳ねた。
『……黒い手袋してるから、雪の結晶が、綺麗に見えるよ』
ほら、と楓に手のひらを差し出した。黒い手袋に張り付いた雪は、目を凝らしてみるとイラストで描くような六角形の結晶をしていた。
『うわー本当だ! すげえ! 俺、雪の結晶をちゃんと見たの、初めてかも』
『やっぱり? 身近にありすぎると見えなくなるものだよ』
楓が驚いてくれて調子に乗った私は得意げに胸を反らす。
『そっかあ。雪ってよく見たらこんなに綺麗なんだなー。気づかなかった。教えてくれてありがとう!』
無邪気に笑う楓の顔が、眩しくて思わずそっと目を逸らした。けれど、本当はいつまでだって、その笑顔を見つめていたかったんだ。
それなのに……私が、死んでしまったなんて……。
「ねえ、楓は、若宮楓は無事なの?」
八十神さんに聞いて分かることなのかはしれないが、どうしても気になって聞いた。
すると頭の中で、八十神さんがフッと軽く息を吐いたのが分かった。
「……ああ、若宮楓くんね。苦いコーヒーが苦手でブラックコーヒーに砂糖とミルクを大量に入れちゃう彼ね。楓くんなら大丈夫。なんとか軽傷で済んだみたいだよ」
ブラックコーヒーに砂糖とミルクを入れるなんて、そんなこと、どうして八十神さんが知ってるんだろうかと疑問に思ったけれど、神様ならば下界にいる私たちのことはすべてお見通しなのかもしれない。
「良かった……」
とりあえず、楓が無事だと聞いて安心する。
「で、どうするの? “神様”になってみる? ちなみに、雪の日に現世に現れることができるだけだからね。会いたい人に会えるとか、いつでも現世に行けるとか、そういう魔法みたいな力はないよ。現世に行くのって、そんなに簡単じゃないから」
「うん、さっき教えてもらった条件の通りだよね? 遠くからでもいい。楓のこと、遠くからでも眺められるならそれで」
「了解で~す! それなら、他の人を当選させるのも無しにするね。じゃあ、如月朝葉、早速あなたに“神様”の力を与えまーす!」
八十神さんがそう唱えると、私は全身がまばゆい光に包まれていくような気がした。自分の身体という実態を感じられないから、視界が真っ白になるのが分かっただけだけれど。
それから「頑張ってね」という八十神さんの無邪気なエールとともに、私の意識はふっと途切れた。