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「きみの忠告は真摯に受け止めます。俺も、後追いなんかしたって絃葉が喜ぶわけやないって分かってる。……でもな、理性とは裏腹に、感情が叫び倒すこともあるんだ。朝葉さんは高校生かな? 俺も高校生の頃に絃葉と出会ったんだ。彼女は病気を抱えてて、それでもなんとか強く生きた。そんな彼女を側で支えるって決めたのに——。……だから俺はたぶん、きみの願いを聞けないと思う。きみも……きみたちも、大切に思ってる誰かを失ったらきっと、同じように感じると思う。一生懸命止めてくれてるのに、ごめんな」
冷静な声色なのに、紡さんの語る言葉はどこにも温度がなかった。私の目の前で、彼の口から吐き出された言葉が、バラバラと地面に落ちていくような感覚に陥る。
彼はそのまま踵を返して海沿いを歩き出す。どこに行こうとしているのかなんて、もちろん分からない。一歩、彼が足を踏み出すごとに海に近づいているような気がして、頭がすっと冷えた。
「ま、待ってください!」
「……」
必死に呼び止めてみたけれど、彼は歩みを止めない。
「待って、お願い……死なないで……私は、あなたに、生きてほしいんです……」
か細く消えてしまいそうな声が漏れた瞬間、後ろから楓に抱き止められた。
「朝葉、もう、やめとけ」
私の知っているどの楓よりも落ち着いていて低い声が耳にこだまする。
「どうして……? 私が止めないと、あの人どうするか分かんないよ……?」
「ああ、そうだな。心配だ。でも今俺たちが何を言っても、あの人の心には響かないと思う」
「なんで、そんなこと」
楓に問いかけながら気づいた。
私を抱きすくめる彼の身体が小刻みに震えていることに。
「分かるんだ、あの人の気持ち。俺も……一度お前を失ったから」
「あ——……」
どうして気づかなかったんだろう。
楓だってずっと、紡さんと同じだったじゃないか。この一ヶ月と少しの間、同じ痛みを抱えていたんじゃないか。 私がいなくなることで、楓に消えない傷をなすりつけた。それなのに私は今、楓の気持ちを踏み躙るようなことを……!
「……ごめんなさい」
すっと心が冷えていく。大切な人の気持ちを思いやることができなかった自分に嫌気がさした。と同時に、彼に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「いや、朝葉が謝ることじゃないよ。あの人のことを心配してるのは俺も同じだ。朝葉は何日一つ、間違ったことなんかしてない」
「楓……」
自分が一番辛いはずなのに、私を思いやる彼の言葉が痛い。
私はどうして、こう何度も楓に心配をかけてしまうんだろう。
私は楓のことを、幸せにしたかったのに。今も昔もその気持ちは変わらない。それなのに、現実は私の想いとは裏腹に、どんどんその願いから遠ざかっていく。
八十神さんは一体、私に“神様”の力を与えて、どうしろって言うんだろう。
大切な人を何度も傷つけるなら、こんな力ない方が良いんじゃないだろうか。
「楓、私、戻ってこないほうがよかった……?」
つい心に浮かんだ言葉をそのまま声に出してしまう。
楓は私の漏らした言葉に、弾かれたようにはっと目を見開く。その顔が次第に憂いを帯びていき、やがてふっと緩んだ。
「そんなわけ、ねえだろ。俺は、もう一度朝葉に会えて嬉しい。だからそんな悲しいこと、言うな」
はらはらと灰雪が落ちてくるみたいに、彼の本心が降ってきた。
楓の優しい言葉にほっと安堵のため息が漏れる。と同時に、楓に気を遣わせているのではないかという新たな悩みも生まれてくる。じくじく、じわじわ。どうして私はこうも、悲観的に考えてしまうんだろう。こんなだから、きっと楓は今まで私を恋愛的な意味で好きだって思ってくれなかったんだ——……。
「ああもう。お前、辛気臭い顔しすぎ!」
「え、え?」
突然、彼が大きな声を張り上げる。むしゃくしゃしているのかと思いきや、唇の端っこはなぜかニヤリと持ち上がっている。楓がこういう顔をする時、決まって何か“面白いこと”思いついた時だ。小学生の頃から、「秘密基地をつくるぞ!」とか、「川で河童を釣りに行くぞ!」とか、突飛な提案をよく思いついていた楓。そんな楓の無鉄砲なノリに乗せられて、私は彼に半ば強引に付き合わされた。呆れるようなこと遊びばかりだったけれど、不思議と楽しかった。
だから今も、彼のしたり顔を見るとどこかほっとしてしまう。楓についていけばきっと大丈夫だって。
「ほら、そういう間抜けな顔の方が似合ってるって」
「ま、間抜けな顔って何よ! 私はいつだってこんな顔ですー!」
「ああ、そうか。だったら俺はそういう普段通りのお前が好きなんだっ」
「え、す、好き……?」
突如として彼の口から出てきたその二文字に、思わずきょとんと身体が固まる。
楓の頬が紅潮していく。己の発言の失態に気づいたのか、慌てて「今のは違う!」と否定した。
「そういう意味じゃなくて、幼馴染としての好き、だ!」
「う、うん」
そんなに勢いよく否定しなくても……。
自意識過剰な自分が恥ずかしい。
「とにかくほら、今日はもう雪が止みそうだし、また次会う時は如月家だぞ。分かったな?」
早くこの話題から話を逸らしたいのか、真っ赤な顔の楓が念押しするように言った。実際、彼の言うとおり雪はもうまばらになっていて、今にも止みそうな雰囲気だ。
「わ、分かった。次は、私の家の前で会おう」
正直まだ心の中はぐちゃぐちゃで、さっきの紡さんの様子が気になって仕方がないけれど。でも、私のことを心配してくれる楓の気持ちは無碍にしたくなかった。
「あーなんか今日は疲れた!」
ぐるぐると肩を回しながら彼が言う。頬や耳が赤くて、疲れのせいか、他に原因があるのか分からなかった。
「ほら、雪が止んだ。また会おうな」
また会おう。
当たり前のように手を振る楓の身体が、白くなる視界に溶けていく。
あと何回、私は楓と会うことができるんだろうか。
あと何回、こうして次に会う約束を取り付けることができるんだろうか。
あと何回、彼に手を振ることができるんだろうか。
「うん、またね」
さよならと手を振るきみに、重ねてみる。
また会えたねって笑っている、きみの笑顔を。




