3-1
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「……は。あさーは!」
「ん……」
耳元で高く澄んだ声が響き渡る。目を開けようとしても真っ暗で何も見えない。瞬時に今、昇っているのだと悟る。とすれば声の主は八十神さんか。
「朝葉、大丈夫ですかー?」
本気で心配してくれているのか分からないほど、普段の軽い口調で彼女は聞いた。
「大丈夫……というか、何がなんだか」
まだ混乱した頭を抱えるような心地で返事をする。さっき、クリスマスマーケットの会場で目にした出来事が鮮明に記憶にフラッシュバックする。赤、黄色、緑、色とりどりの花火と、ちらちらと降る雪。聞いたことのない爆発音がして、楓の持っていたキャンドルホルダーが砕けた。そこかしこから聞こえる悲鳴と、横たわる人たち。そこに見覚えのある顔があり、思わず目を背けた。
「クリスマスツリーのイルミネーション、綺麗だったね〜!」
私が思い出していたものとは百八十度違う言葉が飛んできて、「はい?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「だから、クリスマスツリーだって。わたし、きらきらしたもの大好き!」
「いや、そりゃ綺麗だったけど……それより」
あんなものを見た後で、クリスマスツリーの美しさを思い出している場合ではなかった。というか、八十神さんって、私が見たものをそのまま見ることができるの? ずっと監視されている感じか。
「あれは……事故だよね」
「はい、事故でした。もう少し現場に近ければ、若宮楓も巻き込まれてたから、危なかったよ」
「やっぱりそうなんだ……。本当に危なかった。もしかしたらここで楓が死んじゃうんじゃないかって……!」
身体をかき抱きたいほど恐怖でブルブルと震えているような心地がするのに、今の私には実態がない。感情の置き場がなくて精神が蝕まれる。
「死んでもおかしくなかった——とは思う。すんでのところで回避できたみたいだけどね」
「……これからもこんなことが起こるの? 楓が死ぬまで、何回も楓は死にそうになるってこと?」
心の中で不安に思っていたことを吐露する。八十神さんは「いやあ」と否定した。
「何度も死にそうになるかどうかは分からないよ。今回みたいに何かの事故に巻き込まれてしまうのかもしれないし、病気でぽっくり逝ってしまうのかもしれない。今回の事故は多分、たまたまじゃないかな?」
「たまたま……? あれが? あんな事故が偶然、“神様”になった私の目の前で起こることなの?」
もし目の前に八十神さんがいたら、彼女に詰め寄っていたかもしれない。死してなお、みっともない姿を晒すことにならなくて良かったと思う。
「あのね、朝葉。事故なんて日本中、どこにでも起こってることだよ。それを自分ごとと捉えるかどうかの違い。自分の身に降りかかることじゃなければ、スルーしてきたんじゃない? 今回の事故だってきっと、北海道から遠くに住む、たとえば九州の人たちからしたら、ものすごく遠い国の話だと思う。朝葉だってニュースで流れる事件や事故の一つ一つをいちいち覚えてないでしょ」
「それは、そうかもしれないけど……」
八十神さんの言うことは的を射ている。だから言い返せなくて悔しい。
私が“神様”になってすぐに出会った山川尊くんのことを思い出し、胸が痛んだ。あの時あの少年に出会っていなければ、彼が亡くなったというニュースを見ても、それほど心は痛まなかっただろう。薄情だと自覚はしている。だけど、自分に少しでも関係している人と、全くの赤の他人では、その人の身に何かが起こった時も感じ方も違うのだ。私たちはみんな、自分勝手に傷ついたり怒りを覚えたりする。八十神さんに言われて、改めてそう実感させられた。
「とにかく、今回の件は偶然の出来事だよ。朝葉と楓がたまたま事故の場に居合わせただけ。人生で一度くらいはそんなことも起こるって。あ、朝葉にとっての“人生”はもう終わってるけどね」
頓知でも思いついたかのようにケロリと言ってのける八十神さんだが、正直全然面白くない。
「ねえ、八十神さん。あなたはどうして私を“神様”に当選させたの?」
ふと気になっていたことが、口から漏れ出た。聞いていいのか分からなくて、ずっと胸に抱えていた最大の疑問だ。
八十神さんは「んーそれはねえ」と答えるのを渋っている。まあ、それもそうか。そもそも、“当選”というからには、運で選ばれた可能性が高い。私が断ったら、別の人を当選させるのだとも言っていたんだし。
「詳しくは言えないけど、でもわたしには、大事な約束があるからかな?」
「大事な約束……」
意味深な発言に、しばらくそっと考え込む。
これ以上は聞いてこないで、と暗に言われていることが分かって、口を噤んだ。
「次はいつ……楓に会えるんだろう」
事故のことを考えていると、自然と楓のことが頭に浮かぶ。
あの事故に巻き込まれていたら、もう楓には会えなかったかもしれない。
考えるだけでぶるりと身体が震える。あんなことがまた起こったりしたら。いつ、彼を失うことになるのかと怯えながら過ごさなくちゃいけない恐怖が、全身を覆っていた。
いや、違う。
そうならないように、私が楓を助けるんだ。
ひっそりと胸に立てた誓いが揺らがないように、何度も心の中で言い聞かせる。
「十二月の函館なんてほとんど雪だって。ほら、また降ってきたよ」
八十神さんの声が、それこそ雪のように突如として舞い落ちてくる。
また、楓に会えるのか。
いや、会えるのかは分からないな。金森赤レンガ倉庫の前で昇天させられてから、どれくらいの時間が経ったんだろう。
ぼんやりと思考しているうちに八十神さんの「いってらっしゃい」という声が聞こえた。
あと何回、彼女に送り出されることになるんだろう。
分からないけれど、とにかく今は楓に会いたかった。




