5.世界観戦争(絶滅戦争)
5.世界観戦争(絶滅戦争)
ようやくホロ酔いになったVv (ウラジオストク)が、そもそも論を話した。
「専制主義に合理性などあるものか」
それはそうだ。前時代の君主の思考を、現代の市民が理解しようとしても無理がある。王権神授説を信じている人間はいない。ただし「シーザーを理解するために、シーザーである必要はない」のだ。
「感覚で生きているんだ。あいつらは」
そういうVvは京都大学で博士課程を修了している。
「感覚って……」
奈良の思考が追いついていなかった。
「民族は人種じゃあない」
「それは分かります。ナチスはユダヤ人を抹殺しようとしましたが、ユダヤ人なんていません」
「民族だからな」
奈良の考慮に和泉が追補した。現代ではユダヤの風習そのままで生きている人は少ないが、文化としては残っている。
「おれも四分の一はアイヌ――服わぬ民だ……」
Vvの母方はロシア系ポーランド人とアイヌ民族だった。
その昔アイヌ民族は北海道だけでなく、樺太・千島列島・カムチャツカ半島、本州の北端部に住んでいた。
本州には朝廷に従わない蝦夷という民族がいたので、坂上田村麻呂が征夷大将軍としてこれを討った。蝦夷を征伐した訳だ。
中央政権にとって「服わぬ民」/「順わぬ民」は排除すべき案件でしかない。
「けれど、同じスラヴ民族でしょう? ロシア人とウクライナ人は。……ベラルーシ人も」
「ロシア人はウクライナ人を一つ下に観ているからな」
和泉の説明をより詳しく述べるのであれば、同じスラヴ語派ではあるが同じ民族かというと違う。
インド・ヨーロッパ語族(英語やフランス語も含まれる)
バルト・スラヴ語派(リトアニア語やラトビア語も含まれる)
スラヴ語派
東スラヴ語群
・ウクライナ語
・ベラルーシ語
・ロシア語
ウクライナ語はどちらかというと、ポーランド語に近い。
「ルーシがどうするかな?」
「決まっているだろう。戦う」
和泉の質問にVvが即答した。
「二〇一四年、ロシア連邦にクリミアが併合されたときに、ウクライナは抵抗しなかった。『兄弟に銃を向けるなんて』だ。二〇一四年四月七日、ドネツク人民共和国。二〇一四年四月二十七日、ルガンスク人民共和国。次に、ロシア連邦が侵略するとしたら戦うだろう。――八年も戦争をして、ウクライナ人も理解したはずだ。ロシア人とは戦い続けなければならないのだと」
静かに杯を傾けた。まだ飲むつもりらしい。
「そこに降伏という選択肢はないのですか?」
「ないな。ルーシが逃げたら、ウクライナという国がなくなる。世界観戦争なんだよ」
「世界観戦争?」
「絶滅戦争と言っていい。一九四一年にアドルフ・ヒトラーがそう言っている」
一九四一年三月三〇日、招集されたドイツ国防軍の高級将校たちを前に、ヒトラーは、このように演説している。
対立する二つの世界観のあいだの闘争。反社会的犯罪者に等しいボリシェヴィズムを撲滅するという判決である。共産主義は未来へのとほうもない脅威なのだ。われわれは軍人の戦友意識を捨てねばならない。共産主義者はこれまで戦友ではなかったし、これからも戦友ではない。みな殺しの闘争こそが問題となる。もし、われわれがそのように認識しないのであれば、なるほど敵をくじくことはできようが、三〇年以内に再び共産主義という敵と対峙することになろう。われわれは、敵を生かしておくことになる戦争などしない。
――大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波書店、二〇一九年)
「神話だ。ドラゴンを倒した英雄がドラゴンになってしまうように、ナチスを倒したロシアはナチスになってしまった。第二次世界大戦のバルバロッサ作戦の再演のようだ。――勝利する作戦にはそれぞれの勝利の形があるが、敗北する作戦はどれもみな同じようにみえる」
和泉が飲み干した。
幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。
――レフ・トルストイ、望月哲男訳『アンナ・カレーニナ』(光文社、二〇〇八年)