王太子殿下の横っ面を思い切り叩いたら、結婚することになりました〜《外れ》スキル『ビンタ』の気弱な聖女ですが、実は桁違いの浄化の力を持っていたらしい〜
「レティシア!ポーションの補充早くして」
「はっ、はい!今すぐ!」
「レティシア!ちょっとこっちも手伝って」
「はいい!」
「レティシア!小腹が空いたから何か買って来てちょうだい」
「わ、わかりました!」
数多の怪我人が治療を受けているのは王立の大神殿。ここでは神聖力という治癒能力を持った聖女たちが人々を癒すために日々奮闘している。
純白の法衣を纏う聖女によって、あちらこちらで神の御技による淡い光が瞬く中、一人忙しなく走り回る聖女の姿があった。
彼女の名前はレティシア。
神聖力を有する紛れもない聖女である。
聖女であるにも関わらず、彼女の仕事はというと使いっ走りもいいところ。他の聖女のために日々奔走している。
なぜならば、レティシアは《外れ》スキルを有する使い物にならない聖女であるからだ。
この国、アイルティム王国において、神聖力を持つ者は身分に関わらず神殿に従事することとなる。
十二歳で神聖力の有無を確認する選定の儀が執り行われ、成人となる十八歳の儀式でスキルの掲示を受ける。
レティシアも十二歳で神聖力を見出され、実家の伯爵家を出て神殿に身を移した。
十八歳で得られるスキルは様々であり、『抱擁』『握手』『接吻』『なでなで』など、対象に触れることで発動するスキルが好まれた。発動条件が安易かつ効果的であるからだ。
聖女はスキルを活用することで、自身が秘める神聖力の効果を十二分に発揮することが叶うのである。
そんな中、レティシアが得たスキルは『ビンタ』であった。
その三文字のお告げを受けた時、レティシアは目を回して倒れてしまった。気弱なレティシアにとって、患者にビンタなんてとてもではないができないからだ。
現に、スキルの効果を試すためと、指先をナイフで切った神官長がビンタをしろと凄んできた時、レティシアは目に涙を浮かべ、青ざめた顔でプルプル震えながら拒絶した。けれども、そんなことは許されず、早くしろと怒鳴られたレティシアは、小刻みに震える手で触れるだけの軽いビンタをした。
結果、止血はできたものの、指先の傷が綺麗に治ることはなかった。
その時、レティシアは《外れ》の烙印を押されてしまった。
神官長のガッカリした顔、急激にレティシアへの興味を失っていく様がありありと見受けられ、レティシアはヒュッヒュッと過呼吸を起こして再び倒れてしまった。
それからというもの、レティシアは日々仕事に明け暮れる一流の聖女たちの使いっ走りとして神殿を駆け回っている。掃除、洗濯、裁縫に買い出しなどなど、頼まれれば何だってする。
聖女たちは患者に抱擁したり握手したり、指先で軽く額に触れたりと、自身のスキルを発動させてみるみるうちに傷を治していく。
この国で聖女の存在は尊いものであり、王太子の未来の伴侶に神殿で最も能力の高い聖女が選ばれるほどである。現王妃も元々は神殿に仕える聖女であった。当時では頭ひとつ抜きん出た癒しの力を持っていたため、あれよあれよと王城に迎え入れられたと聞く。
時の王太子殿下も二十歳となり、そろそろ神殿から伴侶を選ばれるのではないかともっぱらの噂である。
「もう、レティシアったら。遅いじゃないの。この私が餓死したらどうするつもり?」
「ご、ごめんなさい。ライラさん……」
レティシアに何か食べれるものをと使い走っていた聖女のライラは、今の神殿で一番優秀な人材だと言われている。美しいブロンドの髪にエメラルドの瞳を有し、法衣の上からでも分かるほどご立派なナイスバディの持ち主である。
彼女のスキルは『抱擁』で、患者を包み込むように抱きしめてはその傷を癒していく。その姿は正しく天使だともっぱらの評判なのだ。
しかしその実、スキルがスキルだけに、彼女は癒す患者を選別していた。見窄らしい身なりの浮浪者や老人は相手にせず、がたいが良く男気溢れる騎士や、身なりが整った貴族にのみその力を行使している。
本人曰く、「この私が抱きしめて治療してあげるのよ?こちらにも選ぶ権利はあるわ」とのことである。
レティシアは患者に優劣をつけるライラに不満を抱いているが、神殿では神聖力の強さこそが正義。序列でいうと底辺のレティシアが頂点に君臨するライラに楯突けるわけもなく、日々こうしていいように使われているのだ。
そんなある日のこと、バァン!と神殿の正面扉を力一杯開けて、血まみれの騎士が飛び込んできた。
「助けてくれ…!殿下が、殿下が死んでしまう!」
そう言ってその場に倒れ伏したのは、王太子殿下率いる第一騎士団の団員であった。シン、とその場が静まり返る中、担架に運ばれて神殿に入って来たその人を見て、誰かが声にならない悲鳴をあげた。
担架の上で苦しげに呻きながら横たわっているのは、間違いなくこの国の王太子、ミシェル・アイルティム殿下である。
ミシェル殿下の身体は闇を身に纏ったようにおどろおどろしい何かに覆われている。一目見て呪いの類だと分かるほどに禍々しい様相だ。
「こ、これは……!」
慌ててやって来た神官長がミシェルの様子を見て息を呑んだ。
「我らは北の森に巣食う悪竜の退治に向かっていたのだが、辛くもなんとか竜を打ち倒したものの、悪竜は死の間際に殿下を切り裂き呪いをかけたのだ!」
「な、なんと……!」
確かによく見るとミシェルは包帯を巻かれており、その包帯も真っ赤に血で染まっている。見るからに瀕死の重体であると分かる。
(ミシェル殿下……ッ!)
密かに美麗な王子に憧れの念を抱いていたレティシアは、憧れの人の見るも無惨な姿に両手で口を覆って浅く呼吸をしていた。
「だ、誰がこんな強力な呪いを解けるの……?」
「わ、私にはとても無理だわ……」
あちこちでヒソヒソと聖女たちの会話が聞こえる。
確かに並大抵の神聖力では浄化し切れないほど強力な呪いらしい。
「ら、ライラ…!ライラよ!今すぐに殿下の命をお助けするのだ!傷を癒やし、呪いを退けよ!」
「えっ……!わ、私?」
真っ青な顔で立ちすくんでいたライラは、神官長に指名されてびくりと身体を跳ねさせた。
「何を言っておる!今この神殿で一番力が強いのはお主だろう?それに、ここで殿下をお救いすれば、未来の王妃にはライラに決まりだろうて」
「っ!わ、分かりました。やってみますわ」
神官長の言葉にライラはごくりと喉を鳴らすと、覚悟を決めたようにミシェルへ歩み寄った。
震える手をミシェルへと伸ばし、恐る恐るその身を抱きしめようとした。けれども、ライラの手がミシェルに触れようとしたその間際、ざわっと黒い何かが波打ってライラに襲いかかった。
「きゃぁぁぁあっ!!?」
ライラの身体までも黒い何かに覆われて、ライラはカタカタ震えながら唇まで真っ白になってその場にへたり込んでしまった。自分が王子を救い出し、力を示すことで、次期王妃の座を射止める魂胆があっただけに、その表情には絶望の色が滲んでいる。
「あ……ああ、ああああっ!」
「ぐぅ……ライラでも無理となると、このままでは殿下のお命が危ない」
苦しげにのたうち回るライラに手を差し伸べるでもなく、神官長は歯を食いしばった。絞り出すような神官長の声に、レティシアは目を見開いた。
(そ、そんな……ミシェル殿下が、死ぬ?)
レティシアは、ふるふる震える身体を抱き抱えるようにして立ちすくんでいた。だが、気が付けば足が勝手にミシェルの方へと向かっていた。
(殿下は、私を救ってくれたお方……それからずっと密かに想い続けて来た)
ふぅふぅと肩で息をしながら、ミシェルの傍に立つレティシア。周りの騎士たちもどうかしたのかと戸惑いの色が滲んでいる。だが、レティシアも聖女の法衣を身に纏っている。治療に挑戦するものと理解されたようで、ミシェルに近付くことを咎められなかった。
「ミシェル殿下……」
(毎日、雑用ばかりで辛かった。でも、私の心の支えであるあなたがいたから、今日まで頑張ってこれた)
「殿下、殿下……お気を確かに」
「む、無駄よ……私でも無理だったんだもの。うぅ、ぐ……《外れ》のあなたが、どう足掻こうとも殿下を救うことは――」
「っ!」
レティシアが目に涙を滲ませながら、ミシェルに呼びかけるも、傍らで苦しげに蹲るライラに無駄だと一蹴されてしまう。
(《外れ》スキルの私でも、殿下をお救いできる可能性が、少しでもあるのなら……あの日の殿下の言葉を信じて――)
レティシアはギュウっと拳を握って覚悟を決めた。
すーはーすーはーと何度も深呼吸を繰り返す。
スキルを得てから、レティシアは神官長に凄まれた時以外にスキルを使ったことがなかった。
聖女に相応しくもなく、レティシアの性格にも適合せず、《外れ》だと散々笑われたスキルであるが、その真価を発揮すれば、もしかするともしかするかもしれない。
その一縷の望みをかけて、レティシアは覚悟を決める。
「殿下、し、しし、失礼いたしまふっ!えいっ!!」
レティシアは握りしめていた拳を開くと、ぶん、と大きく振りかぶり、ミシェルの頬目掛けて持てる力の限り腕を振り抜いた。
バシィィィン!!!
バシィィン!!
バシィン……!
バシン……!
弾けるような平手打ちの音が神殿内にこだました。
目一杯のビンタに、手のひらがジンジンと痛んで目から溢れた涙がこぼれ落ちる。
呆気に取られていた騎士たちは慌ててレティシアに詰め寄った。
「な、なな、瀕死の重体である殿下になんという無礼を!」
「何をしたか分かっているのか!?」
「拘束させてもらうぞ!!」
ワッと騎士に取り囲まれそうになるが、レティシアはうまく掻い潜ってミシェルの様子を確認した。
「う…………ここは?」
「殿下……!」
全身を覆っていた黒く禍々しい呪いは、ビンタと共にどこかへ吹き飛んでいったようで、しゅうしゅうと淡く優しい光に包まれていたミシェルは、ぼんやりとではあるが固く閉じていた瞳を開いてレティシアをその美しい碧眼で捉えた。
「ああ……あなたが、私を救ってくれたのか」
「な……殿下が、殿下がお目覚めだぞ!!」
「まさか……傷口まで塞がっているぞ!あれだけの深手だったのに……奇跡だ」
ミシェルが目を覚ますと、騎士たちの態度は一変した。レティシアを「女神」「天女」「神様」と崇めるように手を組んで跪いた。
気の小さいレティシアは、そんなことをされてしまい「ひいっ」とすくみ上がって怯えている。
「はは……お前たち、レティシアが怯えているだろう。ああ……本当に、ありがとう。この礼は必ず。体調が回復したら、また会いに来よう」
「ミシェル殿下……どうか、お身体ご自愛くださいませ」
ミシェルはレティシアに手を伸ばし、そのピンクブロンドの髪をひとすくいすると、柔らかな笑みを浮かべた。どきりとレティシアの胸が大きく高鳴り、どくどくと忙しなく脈打つ。
ミシェルはフッと瞼を落とすと、再び眠りについてしまった。血を流しすぎたミシェルは輸血が必要な状態なため、騎士たちは慌てて王城の医務室へとえっさほいさと運んで行った。
レティシアや神官長、他の聖女たちが呆気に取られてミシェル御一行を見送った後、一人地に這いつくばっていたライラが声を絞り出した。
「う、ちょっと……私も、助け、なさいよ……」
未だに苦しげに胸を押さえて這いつくばっているライラの表情は歪んでいる。はぁはぁと肩で息をして、じんわりと脂汗が滲んでいる姿は、いつもの余裕綽々な美しい聖女の姿とは程遠い。
「ライラさん……わ、分かりました。その、歯を食いしばってください」
「ぐ……あんた、まさか私を、引っ叩く気?!」
「え?ええ……だって私のスキルは『ビンタ』ですから」
「ひっ」
レティシアが意を決して手を振り上げると、ライラは身体を萎縮させてギュウっと目を瞑った。
バッチィィィィン!!!
バッチィィィン!!
バッチィィン!
バッチィン……
再びレティシアの平手打ちの音が神殿内に響いた。
「い、ったぁぁぁぁい!この……思い切りやったわね!《外れ》のくせに生意気なんだから……ちょっと鏡持って来なさいよ!私は、私は未来の王妃になるべき優秀な聖女なのよ!その私の美貌が、台無しになったら許さないんだからっ!!」
「え、いや……その……でも、黒い呪いは解けたみたいです、よ?」
鬼のような形相で胸ぐらを掴んで激しく揺さぶるライラに対し、されるがままに目を回しているレティシアがそう言うと、ライラはパッと胸ぐらから手を離した。
「……本当ね。ふんっ、悔しいけどあんたのおかげで助かったわ。ま、まあ、あれほど強力な呪いを浄化するだなんて、きっと奇跡が起きたに違いないわ。でなければあなたなんかが浄化できるはずがないものね!ミシェル殿下をお救いしたからって調子に乗らないことよ!」
「そっ、そんな、調子に乗るだなんて……私はただ、殿下を助けたい一心で……」
「ふんっ、王妃に選ばれるのはこれまでの功績が優秀な聖女。たった一回奇跡を起こしたあんたが選ばれるなんてあり得ないんだから!」
自分に言い聞かせるように、ギリッと歯を食いしばって、ライラは自分の部屋へと帰って行ってしまった。
ライラの言葉に、ミシェルを救うことができて浮き足立っていた心がみるみるうちに萎んでいく。
(そう、よね……私は正式な治療の機会さえ与えられていないのだもの)
はぁ、とため息をついたレティシアは、再び聖女たちの手となり足となり、神殿を駆け回る日々を過ごしたのだった。
◇◇◇
一ヶ月後、その時は不意に訪れた。
「た、大変だっ!ミシェル殿下がお見えだぞ!」
正装をしたミシェルと護衛の一行が、神殿にやって来たのだ。その姿を一目見た神官長は、ついに妃が選ばれる日が来たのだと直感で悟った。
急いで聖女全員を呼び寄せ、一番大きな礼拝堂に横一列に並べた。
「はっ!あんたは一番隅に居なさい」
「きゃっ!」
ど真ん中を陣取ったライラに対し、レティシアは列の一番端、礼拝堂の隅に追いやられてしまった。
(はぁ、ライラさんがミシェル殿下に選ばれるところなんて見たくないわ……いっそのこと裏に戻ってしまってもバレないのでは?)
そんなことを考えているうちに、ミシェルが礼拝堂に足を踏み入れた。
「急な訪問となり申し訳ない。今日は私の妃となるに相応しい者を迎えに来た」
ミシェルの言葉に、聖女たちはキャアっと黄色い声を上げた。一方できっと選ばれるわけがないと、レティシアの気分は落ち込むばかりである。
ミシェルは、レティシアと対極の端からゆっくりと歩いてくる。お目当ての聖女の前で立ち止まるつもりなのだろう。素通りされた聖女は分かりやすく落胆の色を滲ませている。
自信満々で豊満な胸をアピールするように背筋を伸ばすライラであるが、ミシェルは彼女を一瞥もすることなくその前を颯爽と通り過ぎてしまった。
「は……?」
自分じゃなければ、他に誰が選ばれるというのか。と呆然とするライラを他所に、ミシェルはツカツカと歩調を早めた。
そして、俯くレティシアの前で、カツンと靴音を鳴らして足を止めた。
「え……」
「レティシア、あなたを迎えに来た」
ミシェルに選ばれたのは、レティシアであった。
誰もが信じがたい光景に、ざわざわと礼拝堂内が騒がしくなっていく。
「な、な……私が、私こそがこの神殿で一番の聖女!聖女に相応しい《抱擁》のスキルを持ち、これまで数々の患者を治療してまいりましたわ!それなのに、どうしてそんな小娘なんか……っ!」
ライラが追い縋るようにミシェルに駆け寄るも、護衛の騎士に取り押さえられてしまう。
「黙れ、発言を許可した覚えはない」
「で、殿下……っ!」
腕を抑えられ、身動きを封じられたライラを見据えるミシェルの視線は氷のように冷たい。
「まさか自分が王妃になれるとでも思っていたのか?なんと烏滸がましい女だ。患者を選ぶお前など、聖女でもなんでもない」
「なっ!?」
尚も抵抗するライラを一蹴し、ミシェルは真っ直ぐにレティシアの側へと歩み寄った。そしてレティシアの前に跪くと、恭しくその手を取って微笑みを浮かべた。
「ああ、レティシア。君を選ぶことができて私は幸せだよ」
「え、えと……?その、私は《外れ》スキル持ちの底辺聖女ですよ?どうして……」
「あなたが底辺?そんなことはない!私はいつも変装魔法で神殿の内情を調査していたんだ。妃最有力だと言われるライラ殿は、見窄らしい格好をした私の治療を拒絶した。だが、君は違った。どんな者にでも手を差し伸べ、スキルを使わずとも十分な治癒を施していた。もちろん私にもね」
「え……」
確かにレティシアは、神殿が門前払いした浮浪者や貧民たち、更には怪我をした野犬や小鳥までこっそりと治療していた。
使いっ走りであちこち駆け回っていたため、神殿の外に出ることも容易であったレティシアは、物陰に隠れて懸命にそういった者たちに治癒の力を使って来た。スキルを使わずの治療は神聖力を必要以上に消費するため、どっと疲れてしまうのだが、応急処置程度であればレティシアにでも対処は可能であった。
泥臭く駆け回っていた姿を見られていたことが照れ臭く、レティシアの頬にカァッと熱が集まる。
「私はね、国母に相応しい者はただ単に強い力を持つ者ではないと考えているんだよ。身分や身なりで差別せず、誰にでも分け隔てなく救いの手を差し伸べる、そんな女性を求めていた」
「ミシェル殿下……」
「私はずっとレティシアを見てきた。どうにかあなたを妻に迎えられないかと考えていたのだが、今回の一件は僥倖だった。竜に裂かれた傷は傷跡一つ残らずに完治しているし、重い呪いさえもあなたはビンタ一つで退けてしまった。その強力な神聖力はもはや疑いようもない。だから私は堂々とレティシアを迎えに来ることができた」
(ミシェル殿下が、私を……?)
俄かに信じがたい現実に、レティシアの思考は停止する。はくはくと口を開けては閉じてを繰り返しているうちに、ミシェルは立ち上がってレティシアを抱きしめた。あまりの出来事にレティシアの思考は停止し、息まで止まる。
「レティシア、あなたの神聖力は歴代の中でも類い稀なるものだ。その力を十二分に発揮する術が術だけに、心優しいあなたは苦労して来たのだろう。ああ、レティシア……どうか私の妻になってくれないか?叶うならば今日この後すぐにでも王城へ居を移そう。……そうだ、愚かにも我が国の未来の王妃に辛く当たっていた者には、相応の処分を下すからそのつもりでいるように」
「ひいっ!」
冷たいミシェルの言葉に、心当たりのある数名の聖女が小さな悲鳴をあげて震え上がった。レティシアを散々使いっ走りにしてきた者たちだ。もちろんその中にはライラの姿もある。悔しそうに血が滲むほど唇を噛み締めている。
果たして彼女たちにどのような処罰が下されるのか。
聖女らしからぬ振る舞いに目を瞑っていた神官長も同罪である。そのことをよく理解している当人の顔色も真っ青だ。
ミシェルはシン、と静まり返る礼拝堂を、レティシアの手を引いて上機嫌で横切って行った。
◇◇◇
「み、ミシェル殿下……どうして私を?」
「うん?さっき話しただろう?それに、私は五年前のあの日からずっと、レティシアに恋焦がれて来たんだ」
「ええっ!?」
五年前というと、レティシアがミシェルに淡い恋心を寄せるきっかけとなったあの日のことだろうか。
ドキドキ高鳴る胸を押さえながら、ミシェルの様子を窺っていると、その視線に気付いた殿下がにこりと微笑んだ。
(あ……あの時と変わっていない。優しい笑顔……)
「覚えてる?私がこっそり城を抜け出して怪我をした日、神殿で治療を受ければ抜け出したことも怪我をしたことも父上と母上にバレてしまうと頭を悩ませていた時――あなたが現れた」
「あ……覚えて、おります」
忘れしない五年前のあの日――
十五歳だったレティシアは、まだ神託によるスキルの啓示を受けておらず、下働きとして奔走していた。今思えば神殿に身を寄せてからのレティシアはいつもあちこち駆け回っていた。
あの日、少し休息をしようと神殿の裏庭に逃げ隠れていた時のこと――
いつもレティシアが隠れ場所にしていた生垣の影に先客がいた。ボロボロの外套を羽織り、フードを目深に被った一人の青年が足に怪我をしていたのだ。
レティシアは慌てて駆け寄ると、有無を言わさず彼を治療した。両手を翳して懸命に神聖力を注ぎ込み、始めから傷などなかったかのように綺麗に治癒をした。
レティシアは気は弱いものの、怪我人を放っておける気質ではなく、気が付けば身体が動いてしまうため、見ず知らずの青年であれ慈悲の手を差し伸べることは当然であった。
青年は驚いたようにすっかり完治した足をマジマジと見つめると、レティシアの手を握って感謝の言葉を贈ってくれた。
『ありがとう。本当にどうしたものかと困っていたのだ。あなたの治癒能力は素晴らしいんだな。思わず見惚れるほどに美しかったし、温かかった』
『えっ、あ、その、そのような褒められたものでは……』
褒められ慣れていないレティシアが肩を縮ませて恐縮していると、青年は僅かにフードをあげて顔を覗かせた。
さすがのレティシアもミシェルの顔はよく知っていたため、思わず息を呑んだ。なぜここに、と目を回しかけたが、ミシェルはシーっと人差し指を立てるといたずらっ子のような笑みを浮かべた。
『ふふ、私がここに居たことも、怪我をしたことも、誰にも言わないでおくれ。二人だけの秘密だよ』
『はっ、はい……!』
『せっかくだし、少しだけ話さないか?ほんの五分だけでいいから』
『え、と……ご、五分だけなら、大丈夫です』
レティシアはドキドキ高鳴る胸に戸惑いながらも、ミシェルとほんのひと時の交流を重ねた。人と話すのが苦手なレティシアであるが、ミシェルは急かすことなく優しい笑顔でレティシアの言葉を待ってくれた。
神殿では下っ端扱いで立場も低いレティシアは、こうして誰かとゆっくり話すことも随分と久しぶりであった。
この日のささやかな出会いと、ミシェルの言葉が、今日までずっとレティシアの心を支えてきたのだ。いつか再会できた時には、お礼を言いたいと思い続けてきた。
「あ、の……殿下」
「うん?諸々の手続きはまだだが、あなたはもう私の婚約者も同然。ミシェルと呼んではくれないか?」
「えっ!み、ミシェル…様?」
「ああ、なんだいレティシア」
恐る恐る名前を呼ぶと、花が綻ぶような可憐な笑みを浮かべるミシェル。その笑顔が眩しくて、思わず目を眇めるが、レティシアは深呼吸をして一息に感謝の気持ちをぶつけた。
「あのっ!私、五年前のあの日、ミシェル殿下にお褒めいただいたことが、ずっと心の支えでした。どんなに酷い扱いを受けても、《外れ》だと蔑まれても…殿下を癒すことができた経験が私の全てでした。お慕いしております。五年前のあの日から、ずっと――きゃっ!?」
「ああ、レティシアは変わらないな。素直で清純で、それでいて可愛い」
「?!?!?」
再びミシェルの腕に閉じ込められたレティシアは、目を白黒させながら状況の理解に苦しんだ。
「これからは私がレティシアをたくさん愛そう。愛ある家庭を築き、共にこの国を導いていこう」
「は、はい……ミシェル様」
――数年後、晴れて即位したミシェルによって神殿の体制は一新された。
神聖力を持つものは本人の希望に関わらず神殿入りが定められていたが、神殿に入るか、生家でこれまで通り生きていくかの選択が許された。
そして神殿内において、聖女に優劣をつけることを禁じ、聖女は等しく大切に扱われるようになった。
聖女たちが好き勝手に動くことを助長していた神官長はその職を追われ、辺境の地の小さな神殿に左遷された。
ライラを始めとしたレティシアを冷遇してきた聖女たちもその称号を剥奪され、地方へ飛ばされた。表向きはそれだけの処分であったが実際は――ミシェルとその当人だけが知るところである。
レティシアはというと、ミシェルに日々愛を囁かれ、みるみるうちにその美しさに磨きがかかっていった。自信がない故に気弱だった性格も次第に明るくなり、今では国民に愛される国母となっている。
酷い怪我をした兵隊が、王城に運び込まれたあと、気持ちがいいほどの張り手の音が響き渡ることも、今ではすっかりこの国の名物となっていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます(*´꒳`*)
「ビンタで治癒する聖女」から思いついて書き上げた設定緩めの短編でした。
もっとコメディタッチになるはずだったのですが…おや?
よろしければブクマやいいね、お星様で応援いただけると次作の励みになります٩( 'ω' )و
よろしくお願いします!