令嬢・オブ・ザ・デッド 〜2人の巫女と王国の滅ぶ日〜
大予言者マルケーは王国に予言を遺した。
『──光の巫女が生まれる年、闇の巫女もまた生まれる。
片方は聖女となり、王国を救うだろう。
片方は魔女となり、王国に絶望をもたらす。
宿命の子。
その2人を示すものは他者が及ばぬ程の類稀な魔力量。
魔女を生贄に捧げる事で王国の絶望は閉ざされる──』
……マルケーの予言の年。
王国に生まれた女児達は、身分問わず貴族令嬢から孤児まで徹底的に魔力を調査された。
1人の宿命の子は、あっさりとすぐに見つかった。
公爵家に生まれた娘が、他を寄せ付けない程の圧倒的な魔力を持って生まれてきたからだ。
もう一人の宿命の子は長らく見つからなかった。
片方が公爵令嬢である事で、余程の娘でない限りは令嬢こそが『光の巫女』だろうと誰もが噂した。
そして、聖女候補であった公爵令嬢と縁を結ぶ事で民の求心を得ようと、王家は2人居る王子の内の兄、王太子シリウスと令嬢の婚約関係を王命で結ばせた。
そして……シリウス王子と公爵令嬢が学園に入った年、ようやくもう一人の宿命の子が見つかった。
男爵家の庶子。男爵令嬢。
平民のメイドに孕ませた子を男爵が隠していたが、妻と嫡子が流行病で亡くなった為に男爵家に引き入れた。
存在の発覚を恐れて隠されていたせいで魔力検査も行われていなかったその男爵令嬢は、改めて貴族に迎えられ、学園に入学する頃になって初めてその魔力量が、かの公爵令嬢に匹敵する程だと周知された。
公爵令嬢と男爵令嬢。
『どちらかが聖女となる光の巫女で、どちらかが魔女となる闇の巫女だ』と噂し、彼女達の様子を見ていた。
かたや良く言えば天真爛漫で、悪く言えば貴族らしさのない、平民どころか孤児院出身の男爵令嬢。
かたや幼い頃から王太子の婚約者として厳しい王妃教育を課せられ、また公爵家に相応しかれと家でも厳しく躾けられて育った、氷のように表情を凍り付かせた公爵令嬢。
……男爵令嬢が現れた事で、王太子の婚約者が変更される事も噂された。
元より王家は『光の巫女』となる宿命の子を妃に迎えようとしていたからだ。
「ディアナ。君との婚約を今日、破棄させて貰う」
日々、人々が王子と2人の令嬢に注目を浴びせる中。
王太子シリウスは、公爵邸に訪れ、自身の長年の婚約者であったディアナ・メルティス公爵令嬢にそう宣言していた。
「……婚約の解消ではなく、破棄。で、ございますか、殿下」
「そうだ」
「……理由は如何なる理由でございましょう」
「…………マリーナを闇の巫女として生贄に捧げるワケにはいかない。
僕は……彼女を愛してしまったのだ」
「……光と闇の巫女がどちらかと決める権利は、貴方にはありませんわ。シリウス殿下。如何に王太子と言えど、王族と言えど。
マルケーはそんな予言などしていません。
殿下がマリーナ様を愛していらっしゃったとしてもです。
貴方の婚約者が魔女になる事もあるし、逆も当然あります。
貴方様の気持ちなど私達の宿命に一切関係がないのです」
「…………随分と傲慢な物言いだな」
「傲慢? どちらがですか。先程、貴方がおっしゃった言葉より余程、大人しいかと。
貴方は別の女を愛した。だから生贄にしたくない。
そうおっしゃったわ。
私達の宿命を知った上で。
それは、私に『愛してないからお前が死ね』『お前が生贄になれ』と言っているに等しい。
……シリウス殿下。
もう一度言いますが、私達の宿命と貴方の愛は無関係でございます。
貴方が誰を愛そうと関係がございません。
私達の婚約を望み、勝手に決めたのは王家です。
私が望んだことなど一度もない。
貴方を愛した事さえも一度もありませんわ」
「な……」
「あら。驚くべきところですか? 当たり前でしょう。
王命で無理矢理に決められた婚約でした。
王家でも公爵家でも厳しい教育だけが課せられてきましたわ。
……にも関わらず、宿命が決まったワケでもなく、殿下の愛がどうのなどという理由で。
円満な婚約解消すらしようとせず、さらに私を貶める婚約破棄をすると宣言なさる。
私を無理矢理に魔女に仕立てあげ、さらには私に納得ずくで命を捧げて欲しいとおっしゃるのでしょうか?」
シリウス王子は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
……ディアナの指摘は図星だったのだろう。
公爵令嬢ディアナは自身を愛していると思っていて、また男爵令嬢マリーナを愛していると伝えれば潔く身を引く……生贄になってくれるとさえ思っていたのだ。
「……おぞましい。シリウス殿下。貴方は、王家は結局、私に一度も真剣に向き合いませんでしたわね。
……一人の人間とさえ思われていなかったのです。
本当に。でも良かったわ。
婚約は殿下の意思で破棄されました。
私はそれを喜んで受け入れます。
どうか死なせたくない、愛した女性を皆さんから守ってあげてくださいね?」
「……どういう意味だ?」
「殿下に言っても受け入れられませんわ。
ただ、ね? 流石に本人である私達には分かるのよ。
自らの宿命が、ね」
宿命が分かる。それは即ち。
「……き、君にだって宿命を決める権利はない。例え、君が自身を『光の巫女』だと吹聴したって誰もそれを認めは!」
「──私は闇の巫女ですわ、シリウス殿下」
「…………なに?」
「勘違いなさらないで。マルケーの予言は、闇の巫女が魔女などとは言っていないのよ。
私達のどちらも今、魔女ではないわ。
魔女は身勝手に決められるの。
例えば今、シリウス殿下がそうしたように。
『あちらの方が自分は気に入らないから魔女だ』と。
……本当に滑稽。
婚約なんてするものだから勘違いをしたのね。
シリウス殿下。
この先、貴方や王国がどうなろうとも。
私は手を出しませんわ」
「手を出さない、とは……」
「私は闇の巫女ですけれど、魔女ではありませんわ。
だから王国に絶望など直接もたらさない。
でも、貴方達は私を信じないでしょう。
王家も公爵家も私を道具か何かだと思っているし。
貴族達は公爵令嬢が生贄に捧げられるのを今か今かと楽しんでいる。
……そんな貴方を、貴方達を救う聖女にも私はなりませんわ。
なりたくないのよ。
たとえ王国を救う力が、この私に宿っていたとしても、ね?」
そしてディアナの身体を足元から闇が覆っていった。
「や、闇の……魔法」
「そんなに大それた魔法じゃないわ。ではごきげんよう、シリウス殿下。どうか愛に生きてくださいましね」
──ドプン、と。
黒い水に沈み、溶け込むかのようにディアナは闇に呑み込まれ、そしてその場から消え去った。
それで死んだとは、さしものシリウス王子も考えなかった。
闇に溶け、どこかに消えるか移動してしまう魔法……。
「ディアナ……」
この日以降、公爵家にも、王宮にも、ディアナ・メルティスが現れる事はなかった。
◇◆◇
王国ではディアナが闇の巫女であり、マリーナは光の巫女であったと告知された。
また王太子の婚約は破棄され、新たにマリーナが王太子の新たな婚約者に据えられた。
闇の巫女であると知られたディアナを神の生贄に捧げよという声が広がったが当のディアナは姿を消したままだった。
王太子の新たな婚約者としてマリーナが歓迎される中、消えたディアナの捜索も行われる。
「ディアナ様、どこへ行ったのかしら?」
「……さぁな。闇の魔法で消えてしまった。ひょっとしたらアレは自らの命を絶った瞬間だったのかも」
長く王家で厳しい教育をさせてきた。
ディアナが優秀な令嬢である事は皆が知っていた。
厳しく辛い教育のせいで、その表情が凍りついていった事も。
自由な時間など誰も彼女に与えなかった。
求められたのはその能力のみ。
口では愛してないなどと言ったが、アレは実は私を傷付けず、恨まない為に自ら命を捧げたのではないか。
シリウス王子は本気でそう考えた。
「あはは。それはないですよ。ディアナ様は生きています。だって魔女の私より聖女のあの方が先に死ぬなんてありえないでしょう?」
「……、……なに? マリーナ、君は今」
「まったく。平民のお母さんを平然と捨てておいて、のうのうと私を迎える父親も。
王子だからって女の子に好かれて当たり前だと思ってる貴方も。
虫唾が走って仕方ないわ」
「マ……リーナ?」
「マルケーは余計な予言を遺したわね。
黙っていれば、今の私達がこんなに歪む事は……いいえ。
どの道、私は同じか。
お母さんをゴミみたいに捨てておいて、私をのうのうと娘として迎えた男爵。
ディアナ様の人生を平然と踏み躙るような王家と公爵家。
貴族社会も王家もクソ喰らえだわ」
「ま、マリーナ! 君は!?」
怪しげな雰囲気だけではない。
得体の知れない威圧感にシリウス王子は震えた。
その気配はマリーナから発生していた。
「シリウス殿下。私ね? とっくの昔に死んでたの。
男爵に捨てられ、身籠っていたお母さんは働く事もまともに出来なくなってね。
そして弱った身体と体力では、私の出産に耐え切れなかった。
……お腹の中の私の魔力で多少はお母さんも生きながらえたけれど、それにも限界があったわ。
そして力尽きたお母さんと共に赤ん坊だった私も生き残れなかった。
王国が巫女を探したのに見つからなかった原因は何か知ってる?
私が既に死んでいたからよ。
それでも今、私がこうしているのはお母さんが残してくれた知識のお陰。
私の光の魔法は死んだお母さんの記憶を受け取った。
お母さんの残した身体とその魔力を無意識に媒介にする事で、私は私の命を無理矢理に繋ぎ止めたの。
私はマリーナだけど、同時に世の中の理不尽さに死んだお母さんの記憶もある。
……だけど私は既に死んだ身だからね?
この身体には常に【死の病】が蔓延していたわ」
「死の……病?」
「そう。ふふ。今の私と同じ。生ける屍になる病。
シリウス殿下は、婚約者だったディアナ様を差し置いて、私を王都の色んな場所に連れて行ってくれたわね?
その先々で私は死の病を感染させてたわ」
「ば、バカな。そんな事、今まで誰も……」
「ええ。ディアナ様が近くにいらっしゃったからね? 彼女の闇の魔法で死の病は取り込まれ、王国は彼女に救われてきたの。
でももう彼女は居なくなったわ。
止められる者はもう居ない」
「ま、マリーナ!」
「ふふ。殿下。学園を。生徒達を見てあげて?」
そう言ってマリーナが指を指す。
指の先には、ふらふらと体調が悪そうに歩く生徒達だ。
その中にはシリウス王子の側近のケニーなどもいた。
「け、ケニー?」
おそるおそる声を掛けるシリウス。
だが。
「ゔぁ……ゔぁああああ!」
「ひっ!?」
側近の男の顔は醜く変色していた。
血管が薄らと浮かび上がり、瞳の色素が失われている。
何より、そこには彼の知性が感じられなかった。
「け、ケニー!?」
そして、知性を失くした様子の者は側近だけではない。
周りの生徒達全員、普段は見目を気にする令嬢なども、口から涎を垂らし、目を剥いている。
「──死んだ身ながら生きてきた私から生まれた死の病。
それに感染した人達はみんな、私の逆になる。
生きながら死んで、そこに残るのは魂のないバケモノになるの。
病が進行すれば、生きた人間を襲うようになるわ」
「な、な、なぜだ!? マリーナ! 何故こんな事を!」
「私はもう死んでるんだもの。まともに生きれなかった。だから生きている人達は全員憎たらしいわ。
みんなみんな、私と同じ場所に堕ちればいい。
お母さんだってそう望んでる」
その言葉を聞いた瞬間、ようやくシリウス王子は理解した。
王国に絶望をもたらすのは、このマリーナだ。
魔女はマリーナだった。
ならば、この惨状から王国を救える人物は……闇の聖女、ディアナ……だけ。
「あぁ、ぁああああ……!」
「ふふふ。ばーか。大人しくディアナ様と婚約してれば良かったのに。あは、あはは、あはははははは!!」
「マリーナぁあ!」
「ゔぁあああ!!!!」
「ひっ!」
集団でアンデッドと化した生徒達が声を上げたシリウス王子に迫る。
速くはない。
歩くスピードで迫るそれらは、立って走れる者なら逃げる事が可能だった。
「あはは! 私を殺す? 殺すの? もう死の病は撒き散らされた後! 別に私は殺されても良いわよ? だって元から死んでるんだもの!
でも今更、私を殺したってすべて手遅れよ。
王国を救えるのは闇の巫女ディアナ様しかいないんだもの」
やがてマリーナの美しさを保っていた外観が崩れ始めた。
それは光の魔法で施された化粧のようなもの。
マリーナは今まで光の魔法で自らの容姿を美しく見せていた。
……それが崩れ去っていく。
「ひっ、なっ」
正体を表したマリーナの肌は青白く変色していた。
そして異臭を放っている。
それは、まさしく死体そのもの。
マリーナもまたアンデッドだった。
光魔法によって死んだその肉体を無理矢理に大人の大きさへと成長させ、見た目を整えていただけ。
「シリウス殿下が愛した、可愛らしい男爵令嬢なんて、肉体も精神も存在しなかったのよ?
あは、あはははは!」
「くっ……!」
側近を捨て、愛した者を捨てて逃げ去るシリウス王子。
蔓延した死の病はだんだんと王国を広く覆っていき始めた。
「ゔぁ、ゔぁ……」
たちまち王都は死者達の都と化す。
何とか逃げ延びてもアンデッド達に噛まれると死の病は強力に感染し、生きている者の魂を殺してその肉体をバケモノへと変えた。
「ああ、ディアナ、ディアナ……! 私が悪かった。私達が悪かった! どうか、どうか私達を、王国を救ってくれ!」
シリウス王子は震えながら消えた元婚約者に願い、祈った。
その人生を踏み躙り、人格を蔑ろにしながら厳しい教育だけを与え、愛も自由も与えなかった公爵令嬢に。
だが闇に消えた公爵令嬢がその祈りに応える事はついぞなかった。
こうして王国は滅び、死者の都と化したのだった。
この後、ディアナ様は逞しくサバイバル生活を始めて、ポストアポカリプス世界を謳歌します!




