9 後宮入り
それからしばらく、メイルは王宮に留まっていた。
王妃アリィシャは、呪詛を解いた日からみるみる元気を取り戻し、食欲も戻り、よく眠れるようになった。
メイルは王宮魔術士のジグとともに毎日王妃の元を訪れ、ジグと一緒に王妃の容体を確認した。メイルもその年にしてはなかなか深い医学の知識があり、初めての子を宿し不安気なアリィシャの良き相談相手となっていた。
メイルに与えられた一室は豪華な部屋だが、メイルの自宅より便利ではないため、多くの侍女や侍従の手が必要だった。お湯を使うのも人に頼まなくてはならない。しかも頼むと皆一様に嫌な顔をする。メイルが平民である事をよく思わない侍従や侍女が多いのだ。煩わしさを感じたメイルは、サーフに掛け合って部屋の改造の許可を得た。魔石を使って自宅と同じように便利にしたのだ。手を翳せばお湯や水が簡単に出る。トイレもオマルから自動洗浄に。寒くなってきたので冷暖房も完備した。
お陰で、殆ど人に関わらずに過ごすことが出来た。食事も携帯食で済ませようかと思ったが、直接厨房に行けば貰えたのでそこは助かった。洗濯物も自分でリネン室に運び、下働きの下女達と仲良くなって洗濯をしてもらえた。
王宮内にある大図書庫には山ほど本があった。大図書庫の番人の爺さんと仲良くなり、メイルは大図書庫の本を読み漁った。さすが王宮の図書庫。メイルが読んだことのない本が沢山あり、幸せな気持ちになった。
そんな風にアリィシャ妃の診察以外は殆ど引き篭もって平和に過ごしていたある日、メイルはサーフに呼び出された。のこのこと王の執務室に向かう。
「よくきたな、メイル」
ニヤリと笑うサーフに、メイルは引きつった笑いを浮かべた。嫌な予感しかない。
執務室の中には騎士団長のベール、王宮魔術士のジグ、そして知らない男が2人。1人はまだ若い軍人の男で、面差しと髪色、瞳の色がベールに似ている。ベールの息子、アリィシャの兄のカートだろう。
もう1人は背の高い、黒髪と黒い瞳の男。柔和な笑みを浮かべた美丈夫で、真面目そうな男だった。メイルを見つめ、目元が優しく緩む。
対照的にカートはメイルに不審人物を見る様な厳しい目を向けている。
「騎士団の副隊長カートと宰相のミルドだ。ここには俺の最も信頼するものだけしかいない」
サーフが見回すと、他の者が一斉に頭を下げる。
「お前の処遇が決まった。メイル、後宮に入れ」
「え、ヤダ」
即答で断るメイル。
「何で断るんだ!国中の女の憧れの場所だぞ!喜べ」
「えー。どこに喜ぶ要素があるの。後宮ってあれでしょ?王様の奥さんとか愛人的な立場の人が入るとこでしょ?ヤダー。私にも選ぶ権利があるよー。国中の女の憧れって、あははは、ないわー。自惚れって怖ーい」
「コッチだってお前みたいなチンチクリン、相手にせんわぁ!俺はアリィシャ一筋だっ!」
「まぁまぁまぁまぁ、陛下、落ち着いて」
宰相のミルドがサーフをどうどうと落ち着かせる。眉間の皺が深くなっている。苦労人ぽいなーと、メイルはどうでもいいことを考えていた。
「メイル様も、相手は一国の王なんですから。表面的にも喜んで見せるのが淑女の嗜みですよ?」
「ミルド、表面的にって…」
腹心の臣下の一言に傷つきながら、サーフは話を進める。
「俺は別にお前を、妃にしたいとか愛妾にしたいとか神に誓って!金輪際!思ってない!ただ、邪竜が出た時に、万が一を考えると、アリィシャと生まれてくる子の側にお前を置くのが一番良い方法だと思っただけだ!」
「よかったー。妃になりたいとか、愛妾になりたいとか、神に誓って、金輪際思ってなかったもーん。なんだー警護のためかぁ。それならそうと先に言ってよ。思わず断っちゃった」
あははーと軽くメイルは笑う。サーフは青筋を立て、ミルドが思わずプッと吹き出した。
つまり住むところが変わるだけ、王妃の元まで徒歩10分から徒歩1分に変わるだけである。それなら断る必要はない。
「ですが事情を知らないものからすると、メイル様は側妃又は愛妾とみなされます。後宮に入るわけですから。メイル様のお立場としては、愛妾です」
ミルドは心配そうに語る。
側妃はある程度身分が高いものがなるものだ。メイルは親の顔も知らぬ平民の孤児。愛妾としかみなされない。
「へー」
あまり興味のない話題だったのか、メイルは気のない相槌をうつ。
「そこでだ、お前が後宮に入る名目を作ることにした。王妃の特別警護のため、王宮魔術士隊及び4魔術士隊の上位、大魔術士に任命する。喜べ、お前の師匠がその昔、賜った地位だ」
メイルは目を見張る。何だか大事になってきた。
「何それ、嫌だよ。今のままでいいじゃない!」
そんな面倒そうな地位につけなくても、今のままでメイルに不満はない。こっそり後宮に寝泊まりして王妃の警護をしたらいいじゃないか。
「メイル様。お気持ちは尤もですが、どうか我々の協議の結果を説明させてください。まず、今のまま王宮に留まり、後宮の警備となると、短期間でしたら王妃様の客人として誤魔化せますが、それ以上はどうしても噂になってしまいます。それならいっそ役職についていただき、堂々と後宮に入っていただこうということになりました」
宰相のミルドが、ゆっくりと説明してくれる。
「第一に優先すべきは王妃様と生まれてくるお子様の命を守り、邪竜を討伐すること。しかし邪竜の復活の鍵がお子様であることが外部に漏れると、邪竜以外の敵対勢力や余計な輩が王妃様とお子様を狙うやもしれません。王妃様とお子様の警護は秘密裏に、しかし万全にする必要があります」
「ふんふん」
「しかし、ただメイル様に後宮に入っていただくだけでは、なんの権限もない愛妾が後宮に入っただけと変わりません。なので役職付きにして、王妃の警護という名目をつけました」
「ふーん」
「対外的には、王が身分のない平民の娘を愛妾にするため、役職をつけて後宮に仕えさせていると思われるでしょう。身分が低いのを案じて役職に就かせた、そう思わせるのが狙いです。王妃とお子様が邪竜に狙われているなどと気取らせないことができます。また、有事に役職に就いているのといないのとは雲泥の差です。ただの愛妾の命では兵が動かせませんし、メイル様の実力が知れ渡った後でも、命令系統が統一でないと混乱を招きます」
「大魔術士はお前の師匠以降も存在したが、名誉職扱いでな。過去には愛妾にその職に就かせるという、今回と同じような事例もあった」
「名誉職扱いといっても、ジャイロ王国法では立派な役職です。全ての魔術士隊を束ねる地位ですから」
うーん、とメイルは頭を捻る。
「えっと、つまり、本当は王妃様の警護のために大魔術士になって後宮に入るんだけど、他の人には平民の愛妾を優遇するために大魔術士になったって思わせるってこと?」
「端的に言えばそうですね。我々はきちんと王妃の警護のためにメイル様を大魔術士に任じたと公表しますが、愛妾を大魔術士に任じたと思う者もいるでしょうね」
「そう思ってたら、王妃様に警護が必要な理由まで詮索しないってことかぁ!頭いいね、ミルド様!」
「メイル様が愛妾などと噂されてしまうのが大変心苦しく、私も気の進まないところではありますが…。えぇ、腹が立ちますねぇ…」
自分の策なはずなのに、なんだか物凄く嫌そうなミルドに、メイルは首を傾げる。
「まぁ、愛妾なんて気分的には納得いかないというか、不名誉ですけど。誰にどう思われようと、あまり気にしませんので、ええっと、宰相様もお気になさらないで下さい」
メイルの言葉に、ミルドは困った様に微笑んだ。サーフは青筋を立てて「不名誉とはどういう意味だ」と呟いていたが。
「メイル様。私のことはどうぞ、ミルドとお呼びください。大魔術士様の方がお立場は上ですので」
「いや流石に、目上の方を呼び捨てはちょっと。じゃあ、ミルドさんでいいですか?すいません、野育ちなので口調はこんな感じですけど。人前では気をつけますね」
「メイル様は王妃様とお子様のお命を救っていただいた我が国の大恩人。お好きにお呼びください。口調もそのままの方が、私は好ましいです」
恭しく頭を下げられ、メイルはなんだか居心地が悪かった。
「お待ち下さい!私は納得していません!」
そんな中、一人、納得出来ない顔で抗議する者がいた。
「カート、やめんか」
父親で上司でもあるベールが諌めるが、カートは口を閉じなかった。
「陛下、父上、目を覚まして下さい!こいつはアリィシャを貶め、その地位に取って代わろうとする、毒婦に違いありません!」
ギラギラとした目をメイルに向けて、カートは無作法にもメイルを指差した。
「大体、父上とこいつの出会いからして怪しい!冒険者ギルドに父上が行く日は前もって決まっていました!それに合わせてわざわざ青大蜘蛛を討伐するなんて!ギルドにも間者がいたに違いない!」
あの呑気そうな冒険者ギルドに間者がいるとは思えないが。もしやあの受付のじーさんが?と想像して、メイルは笑いそうになった。
「それに、こいつは宿屋の悪事も暴いたとか!それだってきっと、父上の興味を惹くために嘘をでっちあげたんです!夜中に音もなく数人の男を捕まえるとは!魔術士にどうしてそんな芸当が出来るのです?奴らは炎や氷で派手に魔物を倒すじゃないですか!」
チラッとメイルがベールを見ると、深く頷いていた。サーフを見ると、仕方ないとこちらも頷く。
「拘束」
「ふぁっ!」
がしっと見えない力に突然両側から押さえつけられ、カートが変な声を上げる。
「静寂」
言葉を奪われ、カートは口をパクパクさせながら、拘束から逃れようともがく。
「逆さま」
ぐるりとカートが見えない力によって上下逆さまになる。
メイルはカートの目線に合わせてしゃがみ込み、ニコリと笑った。
「捕らえた獲物の血抜きに便利な魔術だよ」
すっとカートの首筋に人差し指で線を引く。
「体験してみる?」
カートの目が驚愕に見開く。騎士団の精鋭として父以外には負け知らずだった彼が、なす術もなく拘束された。得体の知れぬ恐怖が背筋を走った。ブンブンと首を振るカートに微笑み、メイルは魔術を解除した。
「し、失礼しました」
青褪めた顔でへたり込み平伏するカートに、メイルは優しく微笑む。
「いえいえ。己で体験してみないと分からないことって有りますからね。わたしも師匠にそう言われて、よく食事に毒を盛られました。鑑定魔術と解毒魔術を鍛えるためとはいえ、3歳の子どもに毒を盛るんだから鬼畜ですよねぇ」
カートは大きな身体を恐怖に震わせた。自分よりも年下の魔術士が淡々と語る実践的な鍛錬方法に背筋が寒くなった。
「カートを子どもみたいに扱うとは、えげつないな」
「ええ、素晴らしい方ですねぇ」
息子の不甲斐なさに憤慨するベールと、未知の魔術に目を輝かせるジグの後ろで、王と宰相はコソコソと噛み合わない会話を交わすのだった。