7 悪夢の原因
アリィシャは今日も夢か現か分からぬ状態でぼーっとしていた。
毎晩見る夢のせいで、眠ることが怖く、食事も喉を通らない。我が子が黒い竜に噛み殺される夢を見るのだ。母親なら誰でも恐怖でおかしくなってしまうだろう。
王である夫も、騎士団長である父も、騎士団の副隊長である兄も、王宮魔術士でもどうすることも出来ない。アリィシャは毎晩、気も狂わんばかりの思いで、膨らみをみせる腹を抱えて泣くばかりだった。
「アリィシャ…」
夫の声に、アリィシャはハッと目を開く。また眠るところだった。
「大丈夫か?」
そっとアリィシャに寄り添う夫の体温を感じ、アリィシャは涙を流す。
「サーフ様。この子を、この子を御守りください」
傍にいる母が気遣わしげにアリィシャの背をなぜる。いつから母が側にいたのか、アリィシャはもう覚えていなかった。眠ると悪夢を見て冷や汗とともに飛び起きる。そんな日々を繰り返して、アリィシャは起きているのか寝ているのか分からなくなっていた。子を孕ってから、どれぐらいが過ぎたのか、アリィシャにはもうわからない。
「メイルよ。我が妃のアリィシャだ。そこに仕えるのは王宮魔術士のジグだ」
「はぁ、メイルです。よろしくお願いします」
聞き覚えのない声に、アリィシャは声の主に目を向ける。長い銀髪の、青い瞳の少女がこちらを見ている。騎士団長である父も、一緒だった。
「陛下、この方は?」
王宮魔術士のジグが、困惑したように声を掛ける。ジグは医師としての資格も持ち、侍医も務めている優しい気質の老人だ。アリィシャの夢の原因が呪詛であると突き止めたのも彼だ。
「…うむ、ジャイロ王国に縁のある方の弟子だ」
しばし考えたのち、サーフはそう告げた。彼にしては珍しく、はっきりしない物言いだった。
「アリィシャでございます。この様な不調法な姿で申し訳ありません」
寝台に臥せたまま客人に会うなど、王妃として厳しい教育を受けてきたアリィシャにとって、恥ずべきことだ。しかし身体に力も入らず、頭もハッキリしない。どうしようもなかった。
「いえ、お気になさらず。具合が悪いところを押しかけたのは私ですから」
にこりと少女は笑い、アリィシャに近づいてきた。護衛の騎士とジグが止めようとするが、サーフに目線で止められる。
「あーまあ、これは執念深そうな…。ちょっと王妃様に触れてもよろしいですか?」
普段ならば不敬のあまり護衛騎士に斬り捨てられても文句は言えないところだが、夫であり王のサーフが止めない。メイルはアリィシャに微笑み、大丈夫ですよーと気の抜ける口調で言って、アリィシャの腹部に右手を当てる。
「あー、王宮魔術士さん?ちょっとこちらへ」
メイルがジグに声を掛ける。ジグが慌ててメイルの側に寄った。
「あなたなら見えるでしょう?ちょっと分かり易いように可視化しますね」
メイルの言葉と同時に、淡い光が腹部に触れた手から漏れる。
「じゅ、呪詛が可視化した?!」
メイルの手から腕に、太く黒い蔓のようなものが巻きつく。それはアリィシャの腹の中にグルグルと巻き付いているようにも見えた。ジグが一人で見た時には、強く禍々しい気配がアリィシャの腹の中に漂っているだけしか感じられなかったのに。
「これが一般的に呪詛と呼ばれるものの正体です。よく見ると魔術式が精密に練り込まれているのが分かるでしょう」
メイルは腕に巻きついてきた呪詛の蔓を反対の手でつまみ、ジグによく見せるように引っ張った。言われた通り、黒い蔓には魔術式がみっちりと刻まれている…しかし。
「これは…意味をなさない魔術式のような…?」
魔術式は魔術を発動する時に描くものだ。式に練り込む言葉には意味と順序が整い、初めて強い魔術を作ることができる。今ジグの目の前にある魔術式は、強い力を放っているが、魔術式自体は意味も順序も出鱈目なものだった。
「そう。これが魔物が放つ呪詛の最大の特徴。意味も順序もてんでバラバラなのに強い力を持つ。理よりも力でゴリ押しするんだよね」
メイルはグッと黒い蔓を握ると、はっと息を吐いた。
「たかがでっかい黒トカゲのくせに、一丁前に呪詛なんぞ使って。生意気な」
メイルの言葉と共に、黒い蔓がギリギリとメイルの魔力に巻き取られ、回収されていく。ジグの目にはそのように見えた。
やがてアリィシャの腹から全ての蔓がなくなると、メイルは巻き取った蔓をキュッと手の平に閉じ込め、握りつぶした。
「はい、お終い」
アリィシャを見れば、ポカンとしている顔に血色が戻っている。
「お疲れ様でした、王妃様。悪夢はもう見ませんので、よくお休みください。眠れ」
くたりと王妃が夫のサーフの腕にもたれ、寝息を立てる。久々に見る、安らかな寝顔だった。
「アリィシャ…」
すやすやと眠るアリィシャに、サーフの口角が上がる。恐怖に怯え、泣きながら眠りについていた昨夜までとは明らかに違う。
「ったく、妊婦の健康を害するなんてタチの悪い。弱い子を産ませて食べる時の障害を減らそうとか考えたんでしょうけど」
メイルは王妃の寝室を見回した。
「王妃様の安全のために結界を張りましょう。黒トカゲの魔術式なんざ、2度と通さないように」
にっこりと、メイルは微笑んだ。
◇◇◇
「メイル様?今の術は!それに結界とは?」
「メイル!もうアリィシャは大丈夫なのか?」
「おいメイル!いったい何があったんだ?俺には何も見えなかったぞ?」
「あぁ、アリィシャ。なんて安らかな顔で寝ているの。メイル様、なんとお礼を申し上げていいのか!」
メイルメイルメイルと皆に呼ばれ、メイルは耳を押さえた。不機嫌に見返すと、ぴたりと声が止まる。
「お一人ずつどうぞ」
王であるサーフが口火を切った。
「メイル、アリィシャはもう大丈夫なのか?黒トカゲとは、邪竜のことか?」
「そうです。黒トカゲの呪詛が王妃様のお腹にグルグル巻きついていたので、取りました。もう夢は見ないと思いますよ。念のため呪詛を通さない結界を張りましょう」
その言葉に、ジグが思わず叫ぶ。
「結界とは、結界魔術のことでしょうか?!あの大魔術士アーノルド・ガスターが生み出したという時空魔術の一つ!大英雄しか成しえない、伝説の魔術のことでございますか?」
ジグの目が少年のようにキラッキラだ。魔術バカのようだ。
「はいそうです。すぐ終わりますのでー。定期的に張り替えが必要ですが、大した手間ではありませんよー」
どこぞの工事業者のようなことを言って、メイルは視線を巡らせる。
「とりあえず、王妃様のお部屋を出ませんか?せっかくお休みになっているのですから」
メイルの言葉に、皆がハッとアリィシャを見た。騒ぐ声も気にせず、アリィシャはすやすやと眠っている。
部屋にいた面々は、取り敢えずアリィシャの母ティアナを残して別の部屋に移ることになった。アリィシャに寄り添うティアナの顔は、安堵で緩んでいた。
メイルは王妃の寝室を出ると、辺りをグルリと見回した。ここはいわゆる後宮。王様の奥さんが住む場所だ。現在の王の妃はアリィシャ1人。先代も先先代も妃は一人しか迎えなかったらしいが、その前の王には妃が複数いたらしい。そのために、後宮は広い造りになっている。
「全体に掛けるかなー。結界」
「おおっ!」
王宮魔術士ジグの目には、メイルの言葉とともに見たことのない魔術式が展開するのが見えた。魔術式は薄い膜のようにうっすらと後宮全体を覆っている。
「一応、悪いものは防ぐようにしたから。悪いこと考えてる人が入ろうとするとバチっとなりますよー」
どこまでも気の抜けたメイルの説明に、結界が見えていない他の面々は疑い顔だ。ジグだけが、感動してうんうんと頷いている。
「メイル。バチって、どれぐらいだ?」
ベールが落ち着かない様子で辺りを見回す。誤って触れたらと気になるのだろうか。
「うーん。表面がコンガリ黒焦げになるぐらい」
なかなか強力だった。
「悪いものって、どれぐらい悪いものだ?」
ドン引きのベールがさらに聞く。完全に腰が引けている。百戦錬磨の騎士団長とは思えない態度だ。
「王妃様を害そうとする悪いものは全部。些細な嫌がらせもカウントされまーす」
「そこはちょっと緩めろ。余の正妃に軽い嫉妬心を持ち嫌がらせをする令嬢なんていくらでもいる。全部が全部黒焦げになったら困る」
なんせ王の寵愛を一身に受ける王妃だ。嫉妬や嫉みなど日常茶飯事だ。サーフは思わず口を挟んだ。
「はーい」
メイルはパチリと指を鳴らし、術式の調整をした。そしてチラッとサーフを見る。
「どこが良いんだろー?」
ぼそっと呟いた言葉は、意外にぐさりとサーフに刺さった。コメカミがピクリと引きつる。
「どういう意味だ」
「すいませーん、つい。本音がぼろっと出ただけでーす」
「貴様、謝る気がないだろうがぁ!」
「ちょっと思ったこと言っただけじゃないですかー」
「ぐっぬぅう」
サーフは我慢した。まだ確実ではないが、アリィシャの様子を見るからに、妃を助けてくれた恩人だ。しかし、腹が立つ。
サーフは思い出していた。大英雄アーノルド・ガスター。人を怒らせるのが、天才的に上手かったという史実を。
メイルがあの大英雄の弟子だとは俄かに信じ難いが、人を怒らせる天才という点は、弟子だと思えなくもなかった。




