45 不運な文官たち
そろそろ恋愛要素がちらほらでてきます。苦手な方はお気を付けください。
その日、文官エリック・ダルカンにとって、人生最悪の日だった。
エリックはダルカン男爵家の3男。男爵家といってもジャイロ王国の端っこに小さな領土を持つ、吹けば飛ぶような零細貴族だ。着飾るより農民と畑仕事をする方が多い、貴族とは名乗るのも恥ずかしい貧乏。一応、権威あるノート侯爵家の遠い、遠すぎてそれは血の繋がりがあるのか疑わしいぐらい遠い血縁であり、侯爵家のお情けでその一門と名乗る事を許されている。名乗る機会はないので、男爵である父もその後継である兄も名乗ったことはないだろうが。
そんなダルカン男爵家の3男のエリックは、兄が跡を継げばただの穀潰しだ。剣の腕があった2男は早々に騎士爵を持つ家に婿入り先を決め、とっくに実家を出ている。エリックも貧乏な実家の食い扶持を減らすべく、少しばかりお勉強ができたので18の歳には文官の職を得て実家を出た。
若き王は実力主義者で、王宮の文官も身分に囚われない採用枠があったため、男爵家の3男にも機会が巡ってきた。採用された時は天にも昇る気持ちだっだ。
平民で同時期に採用され親しくなったロンも、「ジャイロ王国を俺たちの手で変えてみせようぜ!」などと夢みたいな事を言っていたが、2人ともすぐに現実を思い知らされた。
ロンと共に配属された部署は、上司同僚が全てエリックより身分が上の貴族。エリックとロンに仕事は押し付け、手柄は横取り、雑用や嫌がらせは当たり前。
3年間、2人で必死に仕事をこなし耐えた。このクソみたいな上司や同僚にも、少しぐらいは良い所があるかもしれないと思って。仕事はしないくせに気まぐれに暴言、暴力ぐらいは耐えられたが、さすがに不正に手を染めているのに気付いた時はもうダメだった。ロンなど「エリックは寛容だな。あいつらがクズだって分かりきっていただろ」と呆れ切っていた。
そうしてすっかり愛想が尽きたエリックとロンは、彼らの怠惰と不正を調べ上げ、確たる証拠を掴み、宰相であるミルド・ノートに直接送りつけた。
握り潰されてクビになるもよしと腹を括った2人に怖いものなど何もなかった。どうせ身分の高い者が優遇されるのは分かりきっていた。ただ、唯々諾々とバカに従っているのが我慢ならなかったのだ。それぐらいなら、クビになって華々しく散ってやろうと思った。面白いぐらいに証拠が集まってハイになっていたし、自棄になっていたともいえる。
だからまさか、ミルド本人が会いに来るなんて思いもしなかった。
ノート家一門のトップ。身分も実力も財力も顔の良さもエリックとは比べるまでもない相手が、遠縁とはいえ、遠目にそのご尊顔を見たことしかなかった雲の上の存在が、目の前にいる事に全く現実感がなかった。上司や同僚から虐げられすぎて、幻覚でも見ているのかと思った。
「エリック・ダルカンとロンですね。報告書を読みました」
穏やかな笑みを浮かべているミルドから、剣の切先を喉元に突き付けられているような圧を感じて、エリックは現実逃避をしていた思考を切り替えた。ヤバイ、この人は何故か分からんがヤバイ人だ。ロンなど、目は開いているが多分意識は飛んでいるだろう。
「証拠固めにやや粗がありますが、なかなか良く纏められています。ふふふ、ここまでヤツらを追い詰めるモノを掴むとは、これは鍛え甲斐がある」
楽しそうに笑いを漏らすミルドに戦慄しながら、エリックはひたすら突っ立っている事しか出来なかった。
「貴方達のいた部署は汚職に関わった人間が複数出たため、解体する事になりました。まぁ、もともとアホな貴族の次男・三男を押し込むために作った部署だから無くなったところで何も問題はありません」
事も無げに言われ、エリックは唇を噛んだ。確かに重要な仕事は回ってこない部署だったが、それでもエリックは懸命に仕事に取り組んでいた。それを否定された様で。
「もう少し表情を取り繕う事を覚えなさい。己のしてきた事に誇りがあるのならば、誰のどんな言葉にも揺らぐ必要はないでしょう」
ミルドの言葉に、エリックは驚いて顔を上げた。途端にミルドから「表情を出し過ぎる。それでは何を考えているか丸わかりだ」と叱責され、慌てて平静を装った。
「貴方達の配属先はもう決まっています。後ほど呼びますので荷物を纏めて準備しておきなさい」
それでミルドとの対面は終わった。ロンは結局ずっと意識を飛ばしたままで、話した内容は何も覚えていなかった。
数日後、ミルドの遣いの者がエリックとロンの配属先を告げにきた。
大魔術士隊の専属文官。
エリックとロンは揃って顔を引き攣らせた。
王の愛妾が大魔術士として率いる大魔術士隊。その評判は王宮内で頗る悪い。
王は大魔術士に溺れきっており、執務を滞らせ度々、後宮に入り浸る。王付きの侍従や文官たちが後宮へ王に遣いをやり、呼び出しをしても中々応じてくれないとか。
将来有望な若く見目の良い魔術士達を、無理矢理、側仕えとして召し上げたとか。
赤竜が被害を齎したルガルナ領へ、側仕えの魔術士を伴って視察と称して遊びに訪れ、宰相に連れ戻されたとか。
大魔術士の癇癪のせいで、大魔術士隊付きの侍女達が大量に解雇され、行儀見習いで王宮に上がっていた罪のない侍女達の経歴に傷をつけたとか。
兎角、悪い噂しか聞かない大魔術士。そんな毒婦の元に仕えることになるとは。
「やっぱり、お咎めなしとはいかないよな。エリックはともかく、平民の俺が貴族様に楯突いたら、こうなるよなー」
「なんだよ、俺はともかくって。お前と同じ処遇だろうが。吹けば飛ぶような下級貴族なんて、下手すりゃ平民より貧しいんだぞ?何の意味があるんだよ」
ミルドに対面した時、少しは将来に希望があるかと思ったが…。やはり権力者に逆らった咎は重かったようだ。
荷物を持ち、エリックは項垂れるロンと共に、大魔術士隊の執務室とやらへ向かう。やたらと王宮の奥まった場所へ。
大魔術士は後宮で遊んで暮らしているのではないかと疑問に思いながら、エリック達は大魔術士隊の執務室のドアを叩いた。
「大魔術士隊専属文官に任命されました。エリック・ダルカンです」
「同じく、ロンです」
応対に出た筋骨隆々の目つきの鋭い男に、エリックとロンはビシリと背を伸ばして挨拶した。
「メイル様の護衛を務めている、ダインだ。俺相手にそんなに畏まる必要はない」
カチカチの2人にダインは苦笑する。
「まぁ、仕事はキツイだろうが頑張れ」
ダインは同情を込めて2人に言い、大魔術士がいる部屋のドアをノック無しに開ける。
途端。
大きく開け放たれた中庭への窓から、炎の塊がエリック達に向かってくるのが見えた。
意味がわからず、反射的に両腕で顔を庇ったが、熱も衝撃も何も感じない。
「…?」
恐る恐る目を開けると、誰かの身体が吹っ飛んでくるのが見えた。
中庭と部屋の境目の見えない壁のような物に、その吹っ飛んできた誰かは叩きつけられ、「ぐぅっ!」と呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。
「ラド!」
「だーっ!気ぃ抜きやがって!ウィーグ、回復頼むぞっ!」
そんな声がどこからか聞こえてきて、柔らかな光が倒れていた男を包む。
「…っ!死ぬかと思った。いや、一瞬死んでた!」
どう見ても焼け焦げて瀕死だった男はみるみる回復し、ガバッと起き上がると、ダッと中庭へ走って行く。
中庭には、4人の若い魔術士が杖を構えて1人の魔術士に対峙していた。
4人から恐ろしく威力の強い炎や風、水や土の攻撃魔術が放たれるが、対峙する魔術士は構えた杖を軽く奮って魔術を打ち返す。いや、魔術って打ち返す事が出来るのか?
魔術士同士の戦いなど見たことがないエリックとロンにも、それが異様な光景だと言うことが分かった。
4人に対峙する魔術士は一番小柄な、よく見ると女性だった。銀のキラキラと輝く長い髪、白く長いローブがヒラリと翻る。
「おー!ファイの火炎、大分威力が上がったねぇ!押し返すのが、た、い、へ、ん、だ、ぞーっと!」
女性が特大の火球を杖で受け止め、大きく振りかぶって押し返す。ファイと呼ばれた魔術士は、それを必死に杖で受け止め、受け止め切れずに炎ともろとも、後ろに吹っ飛んだ。
「ファイーっ!」
「スーラン、回復っ!」
「分かった!」
次々と女性に魔術を撃ち込みながら、合間合間に誰かが吹っ飛ばされ、回復し、また戦線に戻る。それを延々と繰り返して、ようやく魔術士達の魔術の応酬が終わった。
「あー、いい運動だった。やっぱり座学より身体を動かす方が楽しいねっ!」
傷一つなく、疲れた様子も全く無い女性が、軽く伸びをしながら部屋の中に入ってきた。その後ろを、精も根も尽き果てた4人が、お互いを支え合いながらついてきた。
「くそぅ、メイル様の化け物め。杖の熟練度をいくら上げても勝てる気がしねぇ」
「同感!何あの魔力の塊。岩で殴られたかと思ったよ」
「水が、水が渦になって襲ってきた。引き込まれて死ぬかと思った」
「風の刃の竜巻に引き込まれたらミンチになりかけたぞ!」
口々に悪態を吐きながら、身体を引きずって部屋に入ってきた4人に、女性はクルリと振り返って、キラキラした目を向ける。
「お昼ご飯食べたら、魔力剣の試し切りしようね?」
ピキッと引き攣る4人。
「メ、メイル様!午後は新しい文官さん達に引き継ぎがありますっ!」
「そうなの?」
「はいっ!それに、午後はミルド様がいらっしゃいます!新しい文官さん達の紹介も兼ねて、お茶をしようと!きっとお土産に新作の菓子もありますよっ!」
「そうなんだー」
女性は残念そうにしていたが、ダインの横で呆然と突っ立ってるエリックとロンに気づき、首を傾げた。
「あれ?もしかして新しい文官さん?」
輝く銀髪と湖の様な青い瞳の、幼くはあるがとんでもない美少女にジッと見つめられて、エリックとロンはビシリッと固まった。
「大魔術士隊専属文官となった、エリック・ダンカンとロンです」
固まったまま動かない2人の文官の代わりに、ダインが仕方なく紹介した。
「専属文官。へぇ、凄いね。よろしくね、私はメイルです」
メイルは固まったままの2人の顔を覗き込み、笑みを浮かべた。その距離の近さに、エリックとロンの顔がますます赤くなる。
「若いなぁ。私、文官さんはもっと年配の人しか見たことない」
「メイル様は肩書きはこの国の重鎮ですから、接する文官もそれなりの地位の人なんですよ。メイル様がお会いする文官さんって、陛下とか宰相様へも直接面会できる様な人でしょう?」
スーランの言葉に、メイルはふむふむと納得した。
「あー、だからか。私に対する嫌味も直接的なものじゃなくて妙に回りくどいのも、文官特有の嫌な言い回しなんだよー。悪口に色んなパターンがあるから勉強になるよね」
ニコニコ笑うメイルに、弟子達は揃って眉を顰めた。メイルがそんな嫌味ぐらいで傷つくとは思えないが、それでも文官達のメイルに対する無礼は、弟子として看過できるものではない。
「メイル様は腹が立たないんですか?僕はメイル様の名誉を傷つける輩は許せませんっ!」
ラドが瞳に涙を溜めて憤る。他の弟子達も、ブンブンと同意する様に激しく首を縦に振った。
「別にー、気にならないよ?あの人達、私が陛下の愛妾だってこっちが意図的に勘違いさせようとした事にまんまと騙されて、逆に気の毒なんだよね。あんなに偉そうなのに、陛下に1ミリも信用されてないって事じゃん。しかも有事に役に立たない無能だって、上層部に思われているって事だよね」
邪竜の復活について、サーフは信頼のおける重臣に事情を打ち明け、来たる有事への対策を秘密裏に指示していた。そう言った重臣達は、元々、愛妾としてのメイルにも丁寧な者が多く、本来の実力を知ってからは、更に敬意を表してくれる。
「ははは。ミルドさんの直属の部下や文官さん達は皆知ってるのに、あの地位だけは高い偉そうな文官達は知らないんだもん。私、嫌味を言われる度に吹き出すのを我慢してるんだよー」
頻繁にミルドが大魔術士隊に出入りするため、その部下達とメイルはすっかり顔馴染みだし仲良くなった。彼らはその実力でミルドの部下として活躍しており、中には平民出身の者もいる。勿論、大魔術士隊の訓練を何度も見ているので、メイルの実力は知っている。
どこまでも飄々としたメイルに、弟子達は揃ってため息を吐き、エリックとロンは驚きで目を見開いた。
「これが大魔術士隊の日常だ。今までの常識を捨てろ。早く慣れろよ?」
ダインが苦笑混じりにそう言葉を掛けた。
ほんの数週間前の自分を見ているようで、気の毒だと思ったのだった。
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