間話 ナディア・カールトン
ちょっと怖いかもしれません
「春の妖精のように美しいな、青玉の姫は」
「いつも勉学もマナーも真剣に取り組んでいらっしゃって。学園でも5位から落ちたことはないわ」
「外国語を3ヶ国語マスターされたそうだ。前の夜会に隣国の大使のお相手をされていたが、素晴らしい発音だった」
「とてもお優しくて、孤児院や教会への慰問にも熱心で。まだお若くていらっしゃるのに、素晴らしい方よ」
皆が口々に褒めてくれるが、そんな言葉は何の意味もない。
あの方に認めてもらって、あの方に愛してもらわなければ、わたくしなど何の価値もない。
そばにいたい、みつめてほしい、あいしてほしい、わたくしがほしいとおっしゃって、わたくしをうばって、どうか、どうか。
サーフ様。
そのためなら何でもできる。わたくし以外、サーフ様のお側にいる必要はない。だから、だから、あの邪魔な女をどこかへ。お腹に子がいようと関係ない。わたくしにもサーフ様にも必要ないもの。わたくしが王妃になって、サーフ様の子を産めばいい。だから、だから、あの腹の子は。
我が喰らってやろう。
どろりと意識が一瞬混濁した。瞬きの間に、すっきりとした思考が戻ってくる。
「ナディア。また婚約の申し出が来ていたぞ。デーン侯爵家からだ。お相手は次男だが、母方の裕福な伯爵家を継ぐ予定のお方だそうだ」
機嫌が良さそうに、お父様が釣書を眺めて頬を緩める。
「あら、ラクト侯爵家の方からの縁談も素敵よ。次男のエル様は騎士として目覚ましい活躍をなさっているらしくて…」
お母様が別の釣書を私に見せながら頬を染める。お父様は鼻を鳴らしてお母様の言葉を否定した。
「馬鹿な。たかが騎士に青玉の姫をやれるものか」
「あら、でもこちらも父方の遠縁の伯爵家をお継ぎになるそうよ。とても誠実で硬派な方だと評判なのに、見て!ナディアを以前の夜会で見染めてどうしても妻に迎えたいと書いてあるわ!なんて情熱的なの!」
「うーむ、デーン侯爵家か。あそこも豊かだな…」
「迷いますわねぇ」
お父様もお母様も、楽しそうに沢山の釣書を見ている。それから私に微笑みかけた。
「ナディア。お前はどの方がいいのだ?」
「ナディアのお好きな方はどの方かしら?」
私は困ってしまって、首を傾げる。
「私、どなたの元に嫁いだら良いのか分かりませんわ。お父様とお母様の意見に従います。結婚は、家と家との繋がりですもの。お父様とお母様がお選びになった方なら、間違いありませんもの」
私の言葉に、お父様とお母様は満足そうに頷く。
「ただ…」
私は頬が熱くなるのを感じながら、そっとお父様とお母様に視線を向けた。
「私がお慕いしている方は、あの日から変わっておりませんわ。私のような者が想うなど恐れ多い事ですが、あの方に嫁げたらどれ程幸せな事でしょう」
恥ずかしくて私は顔を覆った。お母様の「あらあら」と言う楽しそうな声が聞こえる。
「何を言うんだ、ナディア。お前は王家に嫁いだとしても何ら恥ずかしくない、素晴らしく出来た娘だ。陛下もあのような下賤な愛妾など、さっさと後宮から追い出せば良いものを。我が家柄から言っても側妃に相応しい。あんな女よりも、私のナディアの方が100倍も優秀で可愛らしいではないか!」
「全くねぇ。陛下も下賤な平民の何が良かったのか。素晴らしい方でいらっしゃるけど、あの女を後宮に迎えられたのだけは理解できませんわ。王宮内でも我儘三昧で評判が悪いのよ」
「ふんっ!下賤な女の手練手管が物珍しかっただけであろう。若い頃に適度に遊んでおけば、今更あんな女に引っ掛かることめなかったであろうに。真面目な男ほどのめり込むものだ」
「旦那様…」
お母様が呆れたようにお父様を見つめる。お父様は咳払いを一つしてお母様の視線から逃れた。若い時は品行方正とは程遠い生活をしていたお父様の言葉には、なぜか説得力がある。
「分かっているよ、ナディア。私に任せておきなさい。必ずやお前を陛下の側妃にしてみせよう。カールトンの名にかけて、お前をこの国の頂点にしてみせる!」
この国における女性の頂点は勿論、アリィシヤ妃だ。名門ガイドレック侯爵家の出であり、父は騎士団長の戦鬼ベール・ガイドレック。兄は副騎士団長の氷鬼カーク・ガイドレック。あの父子率いるガイドレック家でジャイロ王国の戦力の半分を握っていると言っても過言ではない。ベール率いるジャイロ王国騎士団は大陸一と言われる覇の軍だ。そしてガイドレック家の才媛にして社交会の華、ジャイロ王国の叡智と言われるアリィシャ妃はその家柄もさることながら、妃としての素質を充分すぎるほど備えており、立場も盤石だ。
そんなアリィシャ妃を差し置いてナディアがこの国の頂点になるなど無理だろう。そう、正攻法では。
ナディアは無邪気を装って、父の言葉に喜んだ。父の目に浮かぶ権力へのあからさまな執着と、その狂気じみた笑みに気付かぬふりをして。まだ13の子どもなのだ。自然と装えただろう。
カールトン伯爵家は裕福だ。跡取りも優秀で、上の娘も嫁ぎ先に恵まれ、ますますカールトン家を栄えさせた。だが、まだ足りない。足りる事などない。貴族たるもの、目指せるなら上を目指すのが当然だ。下の娘が王の側妃となれば、これまで以上のものが手に入る。侯爵への陞爵も夢ではない。
ああ、甘露だ。
人の欲は心地よい。
権力欲に取り憑かれた父親から漂う魔力はどす黒く濁り、人成らざるもの達を喜ばせる。
もっと見せろ。もっと吐き出せ。その欲を喰わせろ。
それを差し出せ。我の前に、その澱んだ欲望を垂れ流せ。
パチリ。
瞬きの間に、ハッキリとした思考を取り戻す。
あぁ。少しぼんやりしてしまったわ。
お父様がせっかく、私とサーフ様のためにご尽力して下さると言うのに。
「頼もしいですわ、お父様。私、お父様の子に生まれて、幸せです」
上気した顔でお父様を見上げれば、お父様は頬を緩ませる。
あぁ、本当に幸せ。
こんなに美味しい欲を垂れ流して、私を満足させてくれる。そうして私の意のままに動いて、最高の贄を与えてくださるのね。
早く早く早く早く。
あの贄を私に与えて何百年も待ったのよ暗い土の下であの忌々しい血を持つ男の光の鎖で縛られて動けもせずに人の血肉も絶望も嘆きも憎悪も何百年も喰らえなかったあの男の血筋の血肉をよこせよこせよこせ我によこせ早く完全に力を取り戻すのだ
「ナディア?」
ぱちり。
瞬きをしてお父様に呼ばれたことに気づいた。
ああ、またぼんやりとしていた。サーフ様の事を考えると、いつもこうなってしまう。
「ごめんなさい、お父様。あの方の事を考えていたら、胸がいっぱいになってしまったの」
「ははは。ナディアも大きくなったものだ。すっかり恋する乙女だな。よしよし、お父様に任せておきなさい」
「ナディア。お父様に全てお任せしておけばいいわ。きっと貴女の願いを叶えてくださるわ」
お父様が高らかに笑い、お母様が微笑む。
期待していますわ、お父様。
私、どうしても。
どうしてもあの方が欲しいのよ。
そのためにはあの腹の子がいなくなるのが、一番いい事なのよ。
私達にとってはね。




