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36 初めてのデート

 メイルにとってミルドの印象は、いつも穏やかに笑う男、だった。


 若くして宰相という地位に就き、サーフを支えるこの男は、柔らかな笑みでその鋭利な頭脳と獰猛さを綺麗に隠している。ジャイロの影の実力者と揶揄されるのも、その高貴な家柄や血筋だけのせいではなく、貴族を掌握するに相応しい実力と、王家に逆らう者への容赦ない無慈悲さを持ちあわせているからだった。


 そのミルドが、何故か初めからメイルに対して好意的だった。

 伝説の大魔術士アーノルド・ガスターの弟子だと自称する小娘の事を、よくもそんな簡単に信用できたものだとメイルは思う。自分ならそんな胡散臭い奴は信じない。初対面から何故そんなに信用してもらえたのか、メイルにはサッパリ分からなかった。


 ミルドは好意的なだけには止まらず、今では大魔術士隊の相談役の様になっている。弟子達もミルドに懐いているし、魔術士としての師匠はメイルだが、大魔術士の内務についての指導役はミルドが担っていた。内務の仕事など何一つ分からないメイルと、新人魔術士の弟子達にとっては大変助かるものだった。時々、メイルと弟子達が巻き起こす厄介事に困惑する事もある様だが、概ね大魔術士隊とミルドは上手くやってきたと思える。


 だが今日のミルドは、どこかおかしい。

 王都で評判と言う店で夕食をとりながら、メイルは目の前のミルドに首を傾げた。

 優雅にメイルをエスコートするのはいつもと同じだが、トレードマークの穏やかな笑みがなく、顔が強張っている。悩まし気に息を吐き、頬を染め顔を背けており、メイルと視線が絡まない。

 

 食事は美味しい。ワインで煮込んだ赤身肉。ホロリと口の中で解ける柔らかさだ。料理に合わせて選ばれたお酒も美味しく、あまり酒を嗜まないメイルにも飲みやすいものだった。メニューを選んでくれたのはミルドだったが、全てメイルの好みど真ん中だ。このまま、デザートだって期待できるだろう。


 しかしミルドの様子が気になって、メイルは目の前の料理に集中できなかった。

 体調でも悪いのだろうか、それとも…。


 ハッと気が付いて、メイルは立ち上がった。


「ね、ミルドさん。帰りましょう!」


 突然そんな宣言をしたメイルに、ミルドはポカンとしている。


「陛下に私のお守りなんか急に押し付けられたから、お仕事が沢山残っているんじゃないの?ルガルナから戻ったばかりだし、お仕事のことが気になってるんでしよ?大丈夫!私は一人でもちゃんと休暇は取るよっ!」


「いいえ!」


 メイルの言葉を、ミルドは反射的に否定した。


「いいえ、メイル様。仕事は大丈夫です。貴女がお休みになっている間に終わらせましたから」 


 サーフはメイルが寝ている間に、机に山積みの書類を全て捌き、ミルドが休暇の間、部下達だけでも仕事が滞らぬよう指示をし、同時並行でメイルの侍女の馘首とアリィシャから侍女を借り受ける手配まで終わらせていた。それはもう、部下達と4人の弟子達を死ぬほど扱き使い、ウッキウキで全てを終わらせ、執務室では部下達と弟子達が死屍累々で転がっている事を、メイルは知らなかった。


「本当ですか?無理してませんか?折角のお休みなんですから、ミルドさんも私に構わず自由にお休みを満喫してくださいね?ミルドさんに見張られていなくても、私ちゃんと休みますから」


 最近メイルは、弟子達、特にラドにちゃんとベッドで寝ろ、食事をしろと口うるさく言われていた。オカン性質のラドは、働かない侍女達に代わって魔術のこととなると寝食を忘れるメイルを心配し、何とか休ませようとしていた。


 ラドの言うことは尤もだと思うのだが、メイルは魔術に関してはついついのめり込んでしまう性質だし、何より疲れたら回復魔術で元気になってまた魔術という生活をもう100年以上続けている。急に改めろと言われても無理だし、むしろ今はまだ休んで、食べている方だ。酷い時はもっと魔術だけの生活をしていた。時間操作(タイムオペレイト)は素晴らしく有益な魔術だが、過ごす時間が長くなる分、人としての基本的な生活が希薄になってしまうのだ。


 そんなメイルを監視するためだけに、重責を担い多忙なミルドの貴重な時間を割くのは勿体ない。サーフの命令だとしても、ミルドには楽しい休暇を満喫して欲しかった。


「メイル様…。私はメイル様と過ごせる休暇だけを楽しみに仕事を終わらせたのですよ?頑張ったのに楽しみを取り上げることはなさらないですよね?」


「いや、でも、私のお守りじゃ折角の休暇も楽しめないでしょう?」


 一応メイルは、今はサーフに仕えている身なので休暇を取れと言われれば、それに従う気もある。

 それにメイルは1人でも休暇を楽しむ事はできる。すぐに王宮に戻れる手筈さえ整えていれば、遠出も許されるのだ。飛行魔術や転移魔術で海でも山でも温泉でも他国でもすぐに行けるし、友人がいないわけでも…、いないわけではない、と思う。少なくともメイルは友人だと思っている。

 

「貴女と一緒に過ごしたいのです…。お邪魔はしませんので、許して頂けませんか?」


 ミルドの声が不安気に掠れていた。いつもの泰然とした様子は欠片もない。うん、やはりちょっとおかしい。


 メイルは首を傾げる。万能宰相のミルドとて人間だ。調子の悪い時はあるだろう。自分のことなど構わずに出来れば休暇の間はゆっくりして欲しいものだが、ミルドの立場上、サーフの命令に背く事ができないのだろうか。


「ううーん。それじゃあ…。本当に無理はしないでくださいね?」


 メイルが心配しながら了承すると、ミルドは破顔した。目を輝かせて嬉しそうなその様子に、メイルはいつものミルドに戻った様だとホッとする。


 そこからはミルドも調子を取り戻したのか、穏やかに会話を重ねながら食事を続けた。休暇の予定を楽しく話す内についついワインを飲みすぎてフワフワしていたメイルは、いつも以上に熱の籠ったミルドの視線にも、隣のテーブルのご婦人が思わず顔を赤らめ悩まし気な溜息を吐くほどの甘い言葉にも、全く気づく事はなかった。



◇◇◇



「ちょっと飲み過ぎちゃったな〜」

 

 食事を終え帰る前にレストルームを利用したメイルは、鏡に映る自分のほんのりと赤らむ頬を抑えた。


 潤んだ目に赤らむ頬、酔いのためにほんの少し舌足らずな口調、いつもとは違う色香を感じさせる首元の露なドレス姿が、一国の宰相の理性をグラグラと揺さぶっていた事に全く気づいていないメイルは、フワフワする思考を元に戻すべく、意識を集中させた。


放出(リリース)


 身体の中に溜まる酒精だけを体外に放出させると、霞んでいた思考が明瞭になる。


「ふぅっ。スッキリした」


 サーニャに持たされた化粧品で手早く化粧を直し、メイルは鏡の中の自分の姿を確認する。ドレス姿にはやはり違和感があるが、ミルドが何度も褒めていたので、そう悪くはないのだろう。なんだか話の流れで、ミルドが他にもドレスを贈ると言う事になったが、ドレスの良し悪しなど分からないメイルは全てミルドとサーニャにお願いする事にした。


 メイルが慣れないながらも化粧を整えていると、レストルームに女性が1人入ってきた。背が丸まり、俯いていて顔はよく見えないが、白髪混じりの茶色い髪から年配の女性の様だった。

 女性は小さく会釈をして、メイルの後ろを通り過ぎる。メイルも会釈を返そうと身体の向きを変えた時、女性の手からハンカチが落ちた。


「あぁっ」


 小さな声を上げ、女性がハンカチを拾おうと手を伸ばすが、年配のせいか屈むのが辛そうだった。メイルが代わりに女性の足元に屈み込み、ハンカチを手に取ったその時。


「…っ!」


 メイルの口元にハンカチがあてがわれる。後ろから羽交い締めにされ、身体を拘束された。ツンと鼻をつく臭いがしたかと思うと、メイルの身体からガクリと力が抜ける。


「っは。大魔術士って肩書きだから、一応魔術を警戒したが、やっぱりただの愛妾か。まぁ、魔術士でも、口を塞がれちゃ唯の女だし、薬を嗅がせりゃイチコロだな」


 メイルを羽交い締めにしていたのは、年配の女性に化けた男だった。丸まった背を伸ばすと、メイルよりも頭一つ分大きい。男性としては小柄な方だが、メイルを抱えるには十分な力があった。


「おい、早くこいつに入れろ」


 メイルを抱える男とは別の男が現れた。その手にはロープと麻袋を持っており、小柄なメイルなら難なくすっぽり入ってしまうような大きさだっだ。


 麻袋を持った男は、店の従業員と同じ服を着ていた。メイルより先にレストルームに入り、待ち伏せをしていたようだ。


「はっ。王の愛妾だけあって、いい女だな。肌も柔らかくて白くて堪んねぇよ。なぁ、喉を潰して売る前に、楽しんでも良いんだろ?」


 メイルを抱えていた男が、舌なめずりせんばかりにメイルの身体を撫で回す。サラサラの銀髪も、整った顔立ちも柔らかで蠱惑的な身体付きも、彼が普段娼館で相手にする女とは段違いだ。


「今はそんな事より手伝え!いつ誰が来るか分からねぇをんだぞ!」


「あ、あぁ、悪りぃ」


 男達がメイルの口に猿轡を付け、ロープで手を縛り上げる。そして足にもロープを巻きつけようとした、その時。


 メイルが右足を地面にダンッと打ちつけた。

 途端にその足元がカッと光を放ち、魔術陣が展開する。


「うわっ!なんだ!起きて、っ、ぎゃあああっ!


「ぎゃあああっ!!」


 男たちの身体が無数の風の刃に切り付けられた。加減はしているのか、浅い傷ばかりだが、男達を恐慌状態にするのは充分だった。


 発声もないのに、次々にメイルの周りに魔術陣が展開し、傷だらけの男達を拘束し、逆さまにし、おまけに下から絶妙な火加減で炙り始めた。


「うわぁあぁあ!熱ぃ、熱っ!」


「ぎゃーっ!髪が焼けるっ!!」


 泣き叫び、パニック状態の男たちに冷たい目を向け、メイルは魔術で小さな風を起こし手の拘束を解いた。猿轡もぽいっと捨てる。


「手慣れてるから常習犯でしょー。絶対許さん!」


 男達が逆さまのままギャーギャーと泣き出しても、メイルは炎を近づけたり遠ざけたりして、丹念に男達の髪をチリチリにしてやった。


 

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