33 休暇命令
箱入りのエロ本。
ビロード貼りの箱の中に、美しい装丁の本が収められている。まるで歴史的価値の高い魔術書のようだ。
しかし、厚い表紙をめくると…。肌色の艶やかなアハンなお姉さんが、その美しさを存分に体現していた。
「ほう…」
思わず感嘆の声を上げたサーフは、冷ややかな笑みをメイルに向けられ、気まずげに口を押さえた。その場にいる男達は、あちらこちらに視線を外したり、わざとらしく咳払いをしたりと落ち着きがない。年長者のベールと、あまり動じることのないミルドだけは、繁々とエロ本を観察していた。
「こうして見ると、普通の本ですねぇ…」
パラパラとミルドがページを捲る。そんな姿も優雅に見えるのは高位貴族だからなのか。持っているのはエロ本なのに。
「ううん…でもなんだか、不自然な…」
ミルドの横から覗き込み、メイルはジッと本を見つめる。なかなかに大胆なポーズのページを覗き込む2人に、サーフは顔を赤らめた。
「お、お前ら…。少しは恥じらうとかしたらどうだっ!特にメイル!年頃の娘がそんな破廉恥なものを…」
そんなサーフの言葉は、メイルが本に触れ、その触れた箇所が光りだすと途切れた。
「うん?対象を屈折させて別の映像を見せているのか…。それを…魔術式で封じている、3重に掛けてるの?面倒臭っ!」
メイルのうんざりした声に、弟子達がエロ本に駆け寄る。
「えぇっ?そんなのありました?俺何回も読んだけど気づかなかった!」
「何回も読んだけど」
ウィーグの言葉をメイルは平坦な声で繰り返す。
「俺も!穴が開くほど読んだけど気づかなかった!」
「穴が開くほど」
スーランの言葉も、メイルは機械的に繰り返す。
「ここ!僕のお気に入りのページだけど、そんな魔術式あったんですか?!
「お気に入りのページ」
ラドの興奮した言葉も、メイルは単調に繰り返す。
「一晩中夢中で読んだけど、全然気づかないもんなんだなー!」
「一晩中夢中で」
最早感情の感じられない声で、メイルはファイの言葉を繰り返した。目は完全に死んでいる。
「…皆さん、少し落ち着きましょうか。メイル様、本が気になるのは分かりますが、帰ってきたばかりなのですからお疲れでしょう。少し休憩をいれましょう、ね?」
メイルの様子に、ミルドが珍しく慌てた様子で皆に声をかけた。興奮していた弟子達が、ハッとして自分の発言に赤面する。それを周りの大人達が生温かい目で見ているという、なんとも言えない雰囲気になった。
ミルドはメイルの肩を抱き、テーブルに促す。その様子に4隊長達は動揺した。彼らはお互いをライバル視して、牽制しあっていたが、宰相というまさかのダークホース登場だ。しかもメイルとの親密度で言えば、自分達より遥かにリードしている。
4隊長達の焦りと動揺にも気づかず、メイルはがっくりと項垂れている。
「…ミルドさん。可愛いと思っていた弟子達も、やっぱり男の子なんですねー」
たぶんこれは母親が息子に彼女が出来たときの気持ちに似ている。自分の知らない成長を遂げていたことに驚く、母親の心境なのだろう。メイルに子どもはいないが、体感で60年も見守ってきた弟子達なのだ。
「…正常な成長の一環ですから。温かく…、見守りましょう」
複雑なメイルの心境を思うと気の利いた事も言えず、ミルドにしては歯切れの悪い言葉になった。
◇◇◇
ミルドの手ずからの紅茶を飲んで弟子たちの成長に何とか心の折り合いをつけたメイルは、少し元気を取り戻した。いつの間にか準備されていたメイル好みのお茶菓子も、その一助を担っていたようだ。いつの間にやら準備されていたそれらは、勿論ミルドの手配したものだった。
「んー、美味しい」
「季節のベリーを使ったタルトと、新作のベリーのムースですね」
「爽やかな甘さだね〜」
「メイル様のお気に召したようで何よりです」
ミルドはニコニコと微笑み、甲斐甲斐しくメイルの世話を焼く。給仕のための侍女が控えているのだが、王族に次ぐ高位貴族のミルドが自ら動いてしまうため、どうしていいか分からずオロオロしている。サーフが目線で合図して下がらせると、ホッとした表情をしていた。
「それで、メイル。あの本に掛けられている魔術式は解けるのか?お前の師匠が施したものなのだろう?」
「んー」
至福の顔で口をもぐもぐさせているメイルは、サーフの言葉に答えない。目線はお茶菓子のみに固定されている。
「おい、食べるのをやめんか!一国の王の質問を無視するな!」
相変わらずの無礼な態度に、サーフは額に青筋を立てる。こいつがいない間、何だか張り合いがないなどと殊勝な気分になったのが、無性に腹立たしい。
「サーフ様。メイル様はお茶菓子を食されている間はどなたの言葉も耳に入りませんよ?」
さも当たり前のようにミルドに言われ、サーフはポカンとする。周りの人間もうんうんと頷いている。いや、一国の王の言葉がなぜ茶菓子に負ける。そして何故それを王の側近ともあろうものたちが、当然のように受け入れる。普通は無礼だと嗜めるべきだろう。何なんだ。こいつらは。
「しかし、巨大な火竜を倒すとはスーランとファイは凄いな」
「あの模擬戦で強いと分かっていたが、魔術士隊の誰よりも強いのではないか?」
火の魔術士隊長ナフタと、水の魔術士長リアムが、報告書を読みながら弟子たちを讃えた。僅かな時間で驚くほどの成長を遂げたかつての部下達に、眩しいものを見るような目を向ける。もはや彼らの強さは、劣等感だとか隊長としてのプライドだとかで妬むことも出来ぬほど、自分達とはかけ離れている。どうにかしてその高みに近づきたいと思うのだが、何をどうしていいのか分からない。だから4隊長たちは、何とかメイルとの関係を深め、その強さの秘密を知りたいと思っていた。
「我らもメイル様に鍛えていただくことは出来ないだろうか」
モリスがポツリと呟き、シールが熱心に頷く。隊長達がメイルに熱の籠った視線を向けるが、メイルは未だに茶菓子の虜だ。
「今はメイル様にその余裕はないかと思います。僕らの訓練に邪竜の研究、アリィシャ様の診察や結界石の増産、寝食の時間を削っておいでです。全然休まないんですよ、このままだと身体を壊します」
スーランの言葉に弟子達以外は皆、驚いた。大魔術士として就任して以来、アリィシャの診察以外は特に報告は受けていなかったが、実はメイルは休む間も無く働いていた。対邪竜戦を想定した弟子達の実戦さながらの訓練。ジグを助手にして結界石の強化、そして、邪竜の情報収集。
邪竜1匹ならメイル一人で事足りる。しかし邪竜に関して調べれば調べるほど、一筋縄ではいかない相手だと分かり、メイルはその対策に万全を期するつもりだ。大図書庫の本を全て目を通し、邪竜に関して少しでも記述があればその情報を精査する。本によっても情報に齟齬があり、それを細かく検証したりと、いくら時間があっても足りない。
「時間操作だったか?それで隊長達を鍛えてはどうだ?時間は幾らでも捻出することが出来るだろう?」
サーフの言葉に、隊長達が期待のこもった目を向ける。しかし今度は、ラドがキッパリと首を横に振った。
「隊長達の魔力量だと、時間操作を使うとメイル様の負担が大きすぎます。僕たちの時だって、メイル様は相当無理をなさったんです。僕たちの魔力量は初めは微々たるものでしたから、4人同時に時間操作を使えましたが、あの魔術は内部に取り込む魔力量に比例してメイル様の魔力を使用します。60年の修行の最後頃にようやく、僕らも魔術陣に魔力供給出来る様になって、メイル様の負担を減らすことができたけど、それまで何度メイル様が魔力枯渇で死にかけたか!あの回復力が半端ない魔力ポーションを水代わりにガブ飲みして、ようやく命を繋いでいたんです」
淡々と説明するラドの顔色は青い。ミルドはメイルが修行を終えた弟子達をサーフに謁見させた時のことを思い出していた。10日ぶりに会ったメイルはいつもと変わらず、飄々とサーフの相手をしていたが、あの時のメイルは少し窶れていた。細身の体が、さらに細くなったと感じた。しかしいつもと変わらぬ彼女の様子に、違和感は直ぐに霧散してしまった。久しぶりに彼女に会えた嬉しさに、浮かれて見過ごしてしまった。
グッと拳を握り、ミルドは隣に座るメイルを見つめた。メイルはちょうど茶菓子を全て平らげたところで、ミルドと目が合うと気の抜けた笑みを浮かべた。
「あー、美味しかった。ミルドさん、お茶もう一杯飲みたいです」
「…喜んで」
かろうじていつもと同じ様な表情を取り繕うことができた。香りの良いお茶に、メイルが頬を緩ませているのを、ミルドは何とも言えない気持ちで見つめていた。
「んで、何の話をしてましたっけ?」
2杯目のお茶を手に、メイルが能天気に聞くと、サーフは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「本に掛けられている魔術式の解除はできるのかと言う話だ」
「あー、多分。三重に掛けてますけど、絡み合った糸みたいなものなので、時間を掛ければ何とかいけると思います。厄介なトラップもありますけどー」
「トラップ?」
メイルは頷き、嫌な顔をした。
「うちの師匠、アホなんで。『手順を間違えたり、無理に解除しようとしたら爆発するトラップって男の浪漫だよなぁ!凄ぇスリルだろ?!』って口癖の様に言ってましたから。表面的な探査しか掛けてないからトラップも読み取れませんでしたが、あの師匠なら十中八九仕掛けてますよ」
心底嫌そうなメイルに、再びその場にいたもの達は言葉を失った。
「あ、あの。メイル様っ!深く探査をかけてみたら、トラップがあるかないか分かるんじゃないですか?」
ファイの言葉に、メイルは首を振った。
「ファイ、言ったでしょ?手順を間違えたら爆発するって。あの師匠なら、一番最初に深部まで探査をかけたらドカンッて、喜んでやるよ?再生できるからって、手を吹っ飛ばすのは嫌だわぁ。痛いんだよ、あれ」
淡々としたメイルの言葉に、弟子達は背中に冷や汗が流れた。メイルの言葉は、考えたくもないが経験者のソレだ。
「手を、吹っ飛ばす…」
ミルドがメイルの手を取り、そっと力を込める。柔らかく小さなその手に、傷は一つもない。
「ふふ。ちゃんと綺麗に再生出来ているでしょう?」
ニコニコするメイルに、ミルドは何も言わなかった。
「あい分かった。メイルは解除できるのだな。しかしルガルナの仕事から帰ったばかりで疲れているであろう。しばし休め。そうだな、7日の間は仕事をするのを禁じる」
「はぁっ?!」
突然のサーフの強制休暇宣言に、メイルは素っ頓狂な声を上げた。
「いやいやいやいや。何勝手に決めてるんですか?私、別に疲れてませんから!」
「ファイ、スーラン、ラド、ウィーグ。メイルに一切仕事をさせるな。娯楽以外の本も禁止だ。金はいくらかかっても構わん、休むか遊ぶ以外のことはさせるな」
『はいっ!』
王直々の命令に、弟子達は揃って頭を下げた。
「ミルド。弟子達では抑えきれんかもしれん。お前にも7日の休暇を与える。メイルが働かぬ様に見張れ。徹底的に甘やかせ」
サーフの言葉に、ミルドはにこりと微笑み、深く頭を下げた。
「さぁメイル様、湯浴みをして休みましょう。お部屋までお連れしますよ」
「えぇっ?ちょっと、ミルドさん!私、疲れてないですよ?あの本の解析に取り掛かりたいんですっ!」
「7日の休暇の後に、お好きなだけ解析できますよ。良かったですね?」
ミルドはメイルに優しくそう言うと、立ち上がって抗議するメイルの膝裏に腕を回し、ヒョイと横抱きにした。そのまま騒ぐメイルを嗜めながら、弟子達を引き連れて部屋を退室して行った。
「…今のお前たちにはメイルは扱えん。力不足よ。あれが欲しくばミルドぐらい熟せねばな」
あっという間にメイルを攫われて、呆気に取られている隊長達に、サーフの静かな声が掛かる。冷ややかなその声に、4隊長達の頭がスッと冷えた。
「偉そうに言っても、余にも扱えん。メイルが見えぬ所でどれほど邪竜の対抗策を講じていたのか、今この場で耳にするまで全く気づかなかったからな。しかし、やはりあのアーノルド・ガスターの弟子と言うべきか…」
自嘲を込めて、サーフは呟く。
伝説の大魔術士アーノルド・ガスター。
稀代の天才でありながら、地位も名誉も望まなかった変わり者。人を怒らせる天才で、誰をも魅了する人誑し。気まぐれで飽きっぽく、女に弱いうつけ者。
だが魔術に対しては、どこまでも真摯で弛まぬ努力を続けた男。時には寝食を忘れ、魔術に取り組むこともあったという。
かくも師弟は似るものかと、サーフは苦い笑いを浮かべた。




