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26 温泉の効能

 ルガルナ領。その名の由来はルガルナ領の東にそびえる、ルガナ山から来ていると言われる。

 遥か昔、神が世を統べていた頃、ルガナ山は神が宿る場所とされ、現在も領民から畏怖の対象として崇められている。


 そのルガナ山は活火山。山頂からは薄らと煙が漂っている。そしてその麓のルガルナ領内には、数多くの宝があった。


「くううぅぅぅ〜。沁みる〜」


 オッサンのようなうめき声をあげながら、メイルは湯に身体を沈めた。天然の岩場に出来た極上の温泉。空には満点の星。一仕事終えた身体から、疲れが湯に滲み出て行くようだ。


 弟子達が持って帰った美味しい魔物と山菜と野草とキノコの鍋は、冷たく固く不味い保存食で命を繋いでいた村人達に充分すぎるほど行き渡り、久々にお腹いっぱい食べて暖かな寝床にありつけた安堵からか、村人達は皆お祭り騒ぎだった。村長はタガが外れたように号泣し通してメイルに拝み続けるし、シリンはメイルを神格化して従順な信者となってずっと付き従ってて面倒だったが、喜んでもらったから良かった。


 赤竜討伐の報せをルガルナ家に伝え戻ってきたフォレスと、村人達の救済のために駆けつけたカナム、辺境伯夫妻は、林立する土の家に度肝を抜かれ、堅牢な木の家の防御力に目を剥き、弟子達が狩ってきた魔物の数に呆然としていた。いち早く辺境伯夫人が我に返り、メイル達に深々と礼をした後、未だにポカンとしている夫をはじめとする男性陣を叱り飛ばし、率先して炊き出しの準備を手伝ってくれた。

 

 お陰でメイルと弟子達は土の家づくりに専念できたし、辺境伯家の凄腕料理人とメイド達により出来上がった鍋を食べることができた。さすが辺境伯家の料理人とメイド達だ。働きに隙がないし、鍋は頬っぺたが落ちそうなほど美味しかった。


 お祭り騒ぎの村人達を涙目で眺める辺境伯は、何度も何度もメイル達に礼を述べた。言葉を尽くして足りないと言わんばかりに、繰り返し礼を尽くすその姿は、大きな重荷を下ろしたようだった。

 

 ルガルナ領を背負う者として、掌から溢れ行く命と、追い詰められる領民達の生活にどれほど歯痒いおもいをしたのだろうか。厳つい彼の顔に、今は穏やかな笑みが浮かんでいた。


「大魔術士様。我がルガルナ家はどうやってこの御恩を貴女様にお返ししたらいいのか…。どうかお望みを仰ってください。ルガルナの名にかけて、必ず叶えてみせましょう」


 跪いてそんな事を言われ、メイルはニコニコ笑ってお願いする。


「いや私、殆ど何もしてないんですけど。トドメを刺したのフォレスさんですし。でもせっかく来たので、復興のお手伝いぐらいはさせて下さい。しばらく滞在したいんで、村の近くの広場に、私の家を置く許可をください、村に木の家が全て出来るまで。あと、絶望の森で魔物を狩る許可とー、そこで獲れた魔物の素材は、家の材料にするので下さい!あ、村のみんなが落ち着くまで、炊き出しも続行してもらっていいですか?食材はうちの子達が獲ってきますので!今日の鍋美味しかったなー!必要なら、料理人さん達が調理しやすいように、調理場も作りますから!」


 続々とお願いを続けるメイルに、辺境伯は慌てる。


「え?いや、大魔術士様!それは村にとっては大変ありがたいのですが、そうではなく、大魔術士様へのお礼をしたいのです!宝石や魔石、いや、我が家の財産全てを差し出すことも厭いませんっ!」


 辺境伯の言葉に、メイルはコテリと首を傾げ、弟子達に振り向く。


「欲しい?」


 聞かれた弟子達も、コテリと首を傾げる。


「「いや?全く」」


 声を揃えた弟子達に、メイルはそうだよねー、と呟く。


「すいません、私たち貰っても遣い道があんまり無くて…。ハハハ。王様にもお給料一杯貰ってるんですけど、使わないから貯まる一方で…」


 メイル達にとっては宝石は魔力が伴わないその辺の石コロと同じ扱いだし、魔術に必要な魔石や希少な薬草は自力調達できるし、豪華な食事より賄いの方が気軽で好きだし、着飾るよりローブの防御力上げる方が楽しいので、金をこれ以上貰っても困る。


「な、なんと無欲な…。これが、大魔術士というものか…」


 何故か辺境伯は感心していたが、別にメイルは無欲な訳ではない。一般常識が欠如しているだけだ。弟子達もメイルの教育のおかげで大分アレなだけだ。


「あ!そうだ!一個だけやりたい事がありました!」


 パァッとメイルは顔を輝かせて、キラッキラの目で辺境伯を見つめる。


「な、なんてございましょう?」


 期待を込めて辺境伯がメイルを見返す。漸く恩返しが出来るのかと。


「温泉!温泉に入りたいですっ!」


 あまりこの国では価値あるものとして見られていないが、ルガルナ領の温泉といえば、良質な泉質と豊富な湯量。一度浸かれば様々な身体の不調を治し肌はツルツルウルウルといいことだらけだ。

 

 そもそも遠いルガルナ領の赤竜討伐に珍しくやる気を出したのも、昔、メイルの師匠のアーノルド・ガスターが温泉を絶賛していたのを覚えていたからだ。こういう事は、思い出した時に決行しないと、結局行かず仕舞いになる事が多い。やる気になったらすぐ行動!はメイルの信条の一つなのだ。


「ではっ!大魔術士様に我が領の温泉を全て献上しますっ!」


「いや、貰っても困ります。管理とか出来ないし。温泉に入るだけでいいです」


 目を輝かせてそう叫ぶ辺境伯に、メイルはあっさりと断る。領民にとっての憩いの場である温泉を、取り上げる気などサラサラない。たまに温泉に浸かれたらそれでいい。


 こうしてメイルは、転移陣を辺境伯家の一室に設置し、何時でも温泉に入っていい権利をもらったのだった。転移陣を設置する事で、転移先の指標が安定し、少ない魔力で転移が出来る。これで魔力酔いに悩まされる事はないと、弟子達も大喜びだったが、これでは恩返しにならないと、辺境伯は涙目だった。


「あ〜。いいお湯だった」


 普段は下ろしっ放しの髪を結い上げ、湯上がりに肌を火照らせ、簡素で丈の短いワンピース姿のメイルが温泉から出てくると、弟子達はウッと顔を赤くした。中身は凶悪な師匠だと分かっていても、膝丈のスカートから覗く足の白さは、思わず見惚れてしまうほど色っぽかった。


「メイル様っ!いくらメイル様とはいえ、見た目は若い女性なんですっ!そんな無防備に肌を晒して、うっかり惑わされる男が出たらどうするんですかっ!」


「そうですよっ!前途ある若者の未来を閉ざすつもりですかっ!」


「温泉から出ただけで、なんでそんなに悪し様に言われなくちゃいけないのさ?」


 ぎゃいぎゃいと騒ぐメイル達の元に、カナムがやって来た。


「こちらにいらしたのか!大魔術士ど…の…」


 輝かんばかりの笑顔でやってきたカナムだったが、メイルの格好を見るなり、顔から首筋まで真っ赤に染まる。


「あれ、カナムさん。どうかしました?」


 メイルがカナムに近づき仰ぎ見る。カナムは騎士らしく背が高くガッチリした体型のため、小柄なメイルは必然的に上目遣いになる。


「う、あ、の、辺境伯の元に、伝令が!ルガルナに、宰相殿が明後日、転移陣で、その、大魔術士殿に、お願いしたいと!」


「宰相様?ミルドさん?え?明日何をお願いされてるんですか?」


 真っ赤な顔で吃るカナムに、メイルは困惑する。

 

 そんなカナムの様子を見て、弟子達は顔を抑えて嘆息した。

 さっそく、罪なき前途ある若者が一人、無自覚な師匠にたぶらかされてしまった。中身は悪魔なのに。





 


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