23 辺境伯の要請
視界が真っ白に染まったと思った瞬間。
瞬くと、目の前にはポカンとした顔の父親、ドルトス・ルガルナと兄のフォレス・ルガルナがいた。
「はっ?」
カナムはパチパチと瞬きを繰り返す。父と兄の姿は消えない。幻ではない。
「到着〜。はい、良かったね、成功〜」
「うぇぇ、やっぱり酔った。ローブの魔力抵抗値が足りねぇ。気持ち悪ぅ」
「同じく…」
元気一杯のメイルに対し、ファイとスーランはその場に蹲った。濃密度の魔力に負けて、魔力酔いを起こしたのだ。転移陣を使うと、メイルの高濃度に練り上げた魔力に晒されるので、いつもこうなるのだ。ローブの魔力抵抗値を上げているのだが、それを上回る魔力には勝てない。
ちなみにカナムには影響がなかった。さすが、アーノルド・ガスターのローブである。
「か、カナムか?」
ポカンとしていた男が、ようやく声を上げる。
「ち、父上?何故王都に?兄上も…」
カナムは混乱しながらそう言うと、父と兄は揃って眉を顰めた。
「何を言っている。ここはワシの執務室だ」
「カナム?お前さっきの伝令魔法は王都からだったよな?」
お互い、混乱の極みにいる。重臣たちは突然現れた4人に理解がついていけず、まだ放心している。
「お館様っ!高濃度の魔力値を観測しましたっ!何事ですかっ?敵襲ですか?」
そこにたくさんの兵士を連れた男が、部屋の中にノックも無しになだれ込んで来た。
長い黒髪を一括りにし杖を持っている。怜悧に整った美貌が、冷たそうな印象を与える。
「カナム様っ?!どうしてコチラに?…その3人は?!賊かっ?」
男が杖を構え、それに応じるように兵士がコチラを取り囲む。その動きを見て、メイルは目を見張った。
「おやぁ。王都の軍より連携がいいね。さすが辺境伯軍」
「や、やめろシリン!こちらは大魔術士様だっ」
カナムの言葉に、シリンと呼ばれた男は構えを解いた。剣呑とした雰囲気は和らいだが、メイルを見る目は、侮蔑に満ちている。
「だ、大魔術士様?本当に来たのか?」
父の言葉に、カナムは頷く。どうなっているかは分からないが、ここはルガルナ領の父の執務室のようだ。
「はいー。お忙しいところお邪魔してすいません。これ、王様からの手紙です。あと、王都の冒険者ギルドに依頼出してますよねー。その指名依頼を受けたので、ギルドからの依頼受諾書もありますー」
メイルが辺境伯に近づくと、護衛が辺境伯の前に立つ。メイルは首をすくめ、護衛に手紙を押し付け、へたり込む弟子達に向き直った。
「しっかし君たちも懲りないねぇ。だからもうちょっとローブの魔力抵抗値を上げなさいって言ったのにー」
「ううう。面目ございません」
「竜のブレスも弾くのにー。おぇぇ。メイル様の魔力えげつねぇ」
「ファイ?今何か失礼な事を言ったよねぇ」
「ぎぃぃぃ、すいません、すいません、失言でしたぁぁ」
ギリギリとファイの頬を魔力でつねり上げるメイルに、ファイは涙目で謝罪する。
騒がしいメイル達をよそに、フォレスは怪訝な顔でカナムを問いただす。
「いつの間にルガルナに来ていたんだ。救援を送ったのは昨日の朝なのに…。こちらに向かっていたのか?」
「いや、つい先程まで、王宮にいて陛下と対面していた。陛下が副団長指揮下の騎士団の派遣の確約を頂いたのですが、何故私はここに…?」
兄の顔には疑問が沢山浮いているが、カナムも負けないぐらい意味がわからない。
しかし、カナムの脳裏に先程までのメイル達の会話が浮かぶ。
転移陣。
ルガルナ領への転移。
血の繋がりのある親兄弟の魔力を指標に。
まさか。王都からルガルナ領に転移したのか?
馬で最短10日かかる距離を?途中で険しい山も越えねばならず、女性連れならばその倍以上かかるのに、一瞬で?
そんなとんでもない魔術など、聞いたことない。
自分は先程まで、確かに王都にいた。陛下の御前で、救援の確約を頂き、急く気持ちを抑えて、大魔術士達と話していたのだ。
魔術陣の上で杖を構えたメイルの姿を思い出し、ゾワリと肌が粟立った。
「だ、大魔術士どの…」
震える声で呼びかけると、青い宝石のような瞳が、カナムに向けられる。
「ほ、本当に転移したのですか?お、王都から、ルガルナに…」
カナムの言葉に、メイルは首を傾げる。
「えー?今ルガルナ領に居るのにそれ聞くの?体験しておいて信じられないって、頭固いねぇ、カナムさん」
大魔術士メイルは、ニッコリと笑った。
「それじゃあ赤竜退治に行きますかねぇ」
◇◇◇
「赤竜退治っ!?王の愛妾の貴女が?何を考えているんだ!今はルガルナの危機なんだぞっ!」
フォレスが額に青筋を立てて、怒鳴った。
「お前の悪評はこのルガルナにまで届いているぞ!誇り高き我がルガルナは王の愛妾とて遜ったりしない!即刻王都へ帰れっ!!」
子悪党なら迫力だけで失神しそうな迫力あるフォレスの怒声に、メイルは煩げに耳を押さえた。
「うっるさいなー。怒鳴らなくても聞こえるよー?まだ若いんだから」
フォレスはメイルの態度とその言葉遣いに、柳眉を釣り上げる。
「な、何なんだ、お前はっ!辺境伯の前だぞっ?少しは態度を改めたらどうだ?」
「兄上…。大魔術士殿は陛下の前でもこのような態度でした。無理でしょう」
カナムは真面目な顔で首を振ると、フォレスは目を剥いた。そして、嫌悪を込めた目でメイルを見た。
「巫山戯た態度をとるな!お前など」
「静寂」
メイルの言葉に音を奪われ、フォレスはパクパクと口を動かす。その顔が驚愕に歪む。
「フォレス様っ?どうなさったんですか?」
「あ、兄上?」
喉を押さえ、懸命に声を出そうとするフォレスに、シリンとカナムが駆け寄る。しかし、顔を真っ赤にして狼狽えるフォレスを前に、何もすることができない。
「あー、煩かった。耳がキーンとなってる」
「おぇぇ、酔ってるところにあの大声、キツイ…」
「全くだな……」
フラフラしながら立ち上がり、弟子達はメイルに向き直る。
「早く討伐に行きましょう。魔力過剰で吐きそうです」
「サッサとぶっ放さないとヤバいっす。吐きそうです」
メイルの魔力を取り込んでしまい魔力飽和状態の弟子達にため息をついて、メイルは辺境伯に向き直った。
「と言うわけで、赤竜退治に行きたいんですが宜しいですか?」
ちょうど王からの手紙を読み終えた辺境伯は、慌てて執務机から立ち上がった。
「大魔術士様。我がルガルナ家の無礼をお許し下さい」
「お気になさらずー。私は微塵も気にしてませんので」
ニコニコ笑うメイルに、辺境伯は冷や汗が止まらなかった。
王からの手紙にはとんでもないことが書かれていた。
邪竜の復活、王家の血筋の秘密。そして、伝説の英雄の弟子。
『王国の防衛の要である辺境伯だからこそ、余は偽りを言わぬ』と締められた手紙の重みに、王の信頼と王国の危機がまざまざと感じられ、全身が総毛立った。
辺境伯は護衛と兵士達に合図し、退席させる。その場にはルガルナ家の者とシリン、そしてメイル達のみになる。
「大魔術士メイル様。この危急の時に、我がルガルナに大魔術士様をお迎えすることができ、感謝しております。何卒、我がルガルナ領にお力をお貸し願いませんでしょうか?」
「ち、父上?」
「お館様っ?」
「…!」
辺境伯が臣下の礼を取ると共に、深々と頭を下げる。
ジャイロ王国の国防の要、誇り高き勇猛のルガルナ当主が、王以外に臣下の礼を取るなど前代未聞の事だ。例え相手が高位貴族であろうとも、媚びる事なく矜持を保つことがルガルナの誇りなのだ。
辺境伯の2人の息子とシリンは呆然とした。目の前の光景が信じられなかった。
メイルは動じた様子もなく、ニコリと微笑み辺境伯の礼を受け取った。
「もとよりそのつもりでここにいます。ルガルナ領に仇なす竜の討伐にお力添え出来るよう、微力ながら尽くしましょう」
深く青い瞳に笑まれ、辺境伯はホッと息を吐いた。
ルガルナ軍をもってしても、どうにも出来ぬ敵に、さすがの辺境伯といえど、心身をすり減らすような毎日だった。
屈強な兵士達が民を守るために赤竜と戦い、倒れた。領民達の中にも犠牲者が出ていて、生き残った者達も、いつどこに来るか分からぬ赤竜の襲撃に備え、家の地下に掘った壕の中に隠れ住み、いつ襲われるかもしれぬ恐怖と戦っている。
あの赤竜が現れてから、ルガルナ領全体に緊張感が漂い、死者を悼む暇もなく、兵も領民もみな疲れ果てていた。
そんな日々が終わるかもしれない。活気に溢れた、誇り高きルガルナ領を取り戻せるかもしれない。
この、まだ幼さの残る少女が、王の手紙にある通り、あの伝説の大魔術士、アーノルド・ガスターを凌ぐほどの大魔術士であるならば。
自然と頭を垂れ、辺境伯は心の底から願った。
「大魔術士殿。赤竜を、どうか討伐してください」




