21 ルガルナ領の災難
カナム・ルガルナは苛立っていた。
ジャイロ王国第一騎士団の第二部隊長を預かる彼は、本日より長期休暇を取り、ルガルナ領に急ぎ戻るところであった。ルガルナ領に今まで見た事のないような強大な赤竜が現れ、甚大な被害をもたらしたとの知らせが入り、ジャイロ王国にも救援を求め、王の裁可を待っているところだ。
そんな中、王の愛妾と名高い大魔術士から、至急の呼び出しがかかった。
賢帝と名高いサーフ王の唯一の汚点。気高き王妃アリィシャ様がありながら、平民を愛妾として迎える為に英雄アーノルド・ガスターがかつて就いた、誉ある大魔術士の位を与えた。
しかも件の大魔術士は、4魔術士隊から平民ではあるが見目の良い若い隊士を4人も召し上げ、侍らせていると聞く。苦労して魔術士隊に入った前途ある若者の未来を台無しにしたと、魔術士隊だけでなく騎士団からもすこぶる評判の悪い女だ。自分の我儘を通すために、分刻みのスケジュールで動く王を後宮に呼び出すこともままあり、王の執務が滞ると文官からの評判も悪い。
そんな女に呼び出され、カナムは怒りの余り血管が切れそうになった。しかし呼び出しを無視することは出来ない。ルガルナ領への救援を王に願い出ている最中なのだ。愛妾の機嫌を損ね、王の不興を買うのは悪手だ。
何故、カナムが呼び出されたのか。彼は薄らとその理由を察していた。カナムは豊かな黒髪、翠の瞳の美丈夫だ。おまけに王家の信頼が篤い辺境伯家の次男で、若くして第一騎士団の部隊長を任せられる程の剣の腕前。これらのせいで、女性からの望みもしない誘いを受けることは多い。本人は武を極めることと仕事に夢中で、女からの誘いは煩わしいだけだった。
大魔術士がいる宮殿の奥へ歩みを進めながら、カナムはどうやって愛妾の誘いを断るか悩んでいた。王への忠誠を誓っているので愛妾に手を出すことは出来ないと押し通すぐらいしか思いつかないが、それで強欲と噂される女が引いてくれるだろうか。
そんな事を考えているうちに、指定された部屋に着いた。
側に控えていた侍従が、素早くドアをノックする。
「はい!お待ちしていました、カナム部隊長ですね!」
黒髪のまだ幼いともいえそうな顔立ちの若い男が、カナムの顔を見て微笑んだ。4魔術士隊のどの色でもない真っ白なローブを羽織っている。
「どうぞ、こちらへ。皆様お待ちです」
キビキビとした動きで案内され、カナムは戸惑った。多分この男は、愛妾に侍る事を強要された魔術士の1人だろうが…。瞳はイキイキと輝き、覇気に満ちている。魔術士としての未来を絶たれた絶望など、欠片も感じられない。
男はドアの前に立つと、ノックした。中から応えがある。
「失礼します、カナム部隊長がいらっしゃいました」
案内されたその部屋には、驚くべき顔ぶれが揃っていた。
白いローブを着た3人の若い男。これは愛妾に侍る魔術士達だろう。その上、宮廷魔術士のジグ、宰相のミルド、騎士団長ベール、その息子で副団長のカート、そして。
「よく来たな、カナム」
眼前に王の姿を認め、反射的にカナムは膝をついた。
「よい、楽にせよ」
「は、はっ!」
動揺を押し隠して立ち上がり、王と視線を合わせる。王の目には労りの色があった。
「ルガルナ領の事は聞いた。心配であろうな」
王の言葉に、カナムは胸が痛くなった。こうしている間にも、故郷がどのようになっているのか。胃の腑がジリジリと焼かれるような思いがした。
「ルガルナ領に騎士団から救援を向かわせる。カート、指揮を取れ」
「はっ!」
騎士団の副団長が救援に向かう。王都の守りを残しながらも最大の戦力を向けてくれるということだ。カナムは目頭が熱くなった。
「それから、だな…」
そこで王は、言いづらそうに言葉を切った。
その後続けられた言葉に、カナムは先程の感動が吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。
「あー、救援に大魔術士も派遣する」
「はっ?」
カナムは不敬とは分かっていても、思わず聞き返してしまった。王はカナムの不敬を咎めず、ジト目で大魔術士を睨む。
「おいメイル。本当に王都を離れて大丈夫なんだろうな?」
王の言葉に、カナムはワザと視界に入れないようにしていた大魔術士を見た。
思った以上に若い女だった。王の愛妾に選ばれるだけあって、顔立ちは幼いが整っていた。長い銀髪と宝石のような青い眼が神秘的にも見え、印象的だ。
「しつこいなぁ。大丈夫だって言ってるじゃん。王都をぐるっと結界石で囲って、うちの子2人は残していくんだよ?護りは頑丈よー?ねぇ、ジグさん?」
口を開けば、神秘的もクソもなかった。王に対する余りに不敬な言葉遣いに、カナムは青ざめた。
そしてやはり、その口調は王に咎められた。
「おっ前なぁ、忘れてるかもしれんが、俺はこのジャイロ王国の王だぞ!?なんだ、その口の利き方は!?」
「忘れるわけないじゃん、そんなこと。いやー、ごめんね。尊敬できる相手には自然と敬う態度になるんだけどなー、おかしいなぁ」
のほほんとしたメイルの言葉に、ギリギリとサーフが拳を握る。まあまあとミルドがサーフを宥め、メイルに困った笑顔を向ける。弟子達にとっても既に見慣れたやり取りで、初めはメイルが罰を与えられると青くなっていたが、今ではすっかり慣れた。
「俺のどこが尊敬できんのだっ!!巷では賢王と名高いんだぞ!?」
サーフの言葉に、今度はメイルがサーフをジト目で睨む。
「アリィシャ様のところに通うのに、私に呼ばれたって文官さん達に嘘ついたでしょ。お陰で文官さん達からわーたーしーが、睨まれてるんですけど?ったく、きっちり仕事しなさいよねー」
「ぐむっ!」
サーフが痛い所を突かれたように押し黙る。そこにキラッキラの目のジグがサーフに向かって結界石を捧げながら興奮したように言った。
「陛下っ!メイル様の言う通りです。この結界石で王都にぐるりと結界が張られています。このように高度で美しい術式は私、生まれて初めて見ました!ここの術式の洗練された形や魔力の循環の滑らかさ、それでいて消費魔力を抑える為に組まれたこの部分の魔術式は精度が高く」
「ジグ、ジグ、落ち着け!目が血走ってるぞ?また徹夜したんだな?歳を考えろ」
「このような素晴らしい魔道具を目の前にして、眠れなどとなんて罰当たりなっ!これを目にして解明に乗り出さぬなどと魔術士としての名折れです!」
「いや、人間寝ないと死ぬぞ?いい加減寝ろよ?」
サーフの目が何故ジグに結界石を与えたのかと訴えていたが、仕方なかった。ジグに研究用に貸し出して欲しいと土下座され、メイルは断れなかったのだ。
「ね、ねー。ほら、ジグさんのお墨付きだよ。それに、弟子達は2人お留守番してもらうし、何かあったらすぐに帰って来られるよう手筈を整えたしねっ!!」
王宮内に軟禁状態なのは、元々引きこもり体質のメイルにとって全然苦ではないが、今回は大事な目的がある。その為なら努力は惜しまないメイルだった。
「今回はラドとウィーグがお留守番ですね?」
宰相ミルドの言葉に、ラドとウィーグはションボリと項垂れた。反対にファイとスーランはニッコニコで至極楽しそうだった。危険な赤竜討伐に向かうのに、何故そんなに楽しそうなのか、ミルドは不思議だった。
4人の弟子達は、突然ルガルナ領に行く事に前向きになったメイルに不信感を持ち、あの手この手を使ってその理由を吐かせた。理由を知った4人は全員同行を希望したが、メイルからの「2人はお留守番ねー」という命令により、その参加枠を厳正なコイントスで決めたのだ。勝者はファイとスーランだった。
「しかしメイル様。すぐに戻れる手筈とは…?ここからルガルナ領まで、早くても10日はかかります」
ミルドの言葉に、飛べば5日程で着くという言葉は飲み込んで、メイルはニッコリ微笑んだ。
「大丈夫!これがありますからね!」




