間話 宰相ミルド・ノート
「9 後宮入り」の前後のお話となります。
「アーノルド・ガスターの弟子が現れた」
己の主君が突然そんな事を言い出したので、ミルドは眉を顰めた。
ミルドの主君である、サーフ・アジス・ジャイロはジャイロ王国の王だ。ミルドより若くはあるが、施政者としての情も非情も持ち合わせ、国を担うに相応しい風格を備え、日々国の為に邁進する主君を、彼は心から敬愛し誠心誠意仕えている。
そんな敬愛する主君の最近の最大の悩みが、王妃アリィシャの不調だった。先代が急死し、急ぎ王位に就いた若き王を支える賢姫アリィシャは、王国騎士団長ベール・ガイドレックの娘だ。豪放磊落な父に似ず、細やかな気遣いと高貴な美しさと、王妃としての強さを秘めた彼女に、サーフは幼少期より惚れ抜いており、長い婚約期間を経て漸く娶った。アリィシャはすぐに子を身篭り、ジャイロ王国は光に満ち溢れたような日々を送っていた。
だがそんな日々も、王妃が床につくと、大きく翳りを見せ始めた。長引く王妃の不調はよくある妊娠期の不調だけではなかった。王妃は毎夜、生まれた我が子が黒い竜に食い殺される夢に魘され、叫び声と共に飛び起きる。近頃のアリィシャは、政務どころか日常生活もままならぬほど憔悴している。この国一の治癒魔術士で侍医のジグを以ってしても、王妃の腹に禍々しい魔力を感じるぐらいしかできない。
サーフは手を尽くして最愛の妻と腹の子を助けようと必死だが、どんなに高位の魔術士も高名な医師も、なす術もなく弱っていくのを見ていることしかできない。サーフもアリィシャ妃に負けず劣らず、どんどん憔悴していった。
そんな時にサーフが500年前の英雄の名を出したものだから、ミルドは彼の正気を疑ったのだ。アリィシャと我が子を思う余り、幻想にでも取り憑かれたのか。
ミルドのそんな表情を見て、サーフは一通の書状を取り出した。
先先代の頃まで使われていたジャイロ王国の紋章が捺されたその書状は、ジャイロ王族特有の魔力、聖魔力を帯びていた。書状の内容は、なんと何代も前の、それこそ英雄アーノルド・ガスターが生きた時代のものだった。ジャイロ王からアーノルド・ガスターへ、邪竜の討伐と爵位の授与を約したものだ。
「その書状を持って来た者がアリィシャを癒した」
サーフの言葉に、書状に気を取られていたミルドが、弾かれたように顔を上げた。
「よく眠り、食事もとった。久々に、血色の良い、穏やかな顔を…」
サーフは込み上げてくるものがあったのか、言葉を切って手のひらで顔を覆う。妃と腹の子を失うかもしれない恐怖から解放され、穏やかな笑みを浮かべる。
すっかり警戒心を緩めるサーフに、逆にミルドは警戒心を強めた。王を騙し陥れようとする輩は掃いて捨てるほどいる。大魔術士の弟子などあからさまに怪しい輩が、本当にアリィシャ妃を救ったのだろうか。
「それで…その者は、アリィシャ妃を助けた見返りに何を望んだのです?金ですか、爵位ですか?領地ですか?」
剣呑な声を出すミルドに、サーフは苦笑した。
「王都の安くて旨い店の情報だそうだ」
「は?」
「あと、王都への入場料を取られるのが地味に痛いから、免除しろと」
「は?」
「王宮に留まる許可を与えたら、宿代はいくらかと聞かれた。タダだと言ったら、飛び上がって喜んでいたぞ」
「はぁっ??」
ミルドはサーフの言葉の意味が分からなかった。一国の王妃を救った見返りの話をしていたはずなのに、なんだそのチマチマした願いは。
「とりあえず、騎士達に王都の安くて旨い店の情報を集めるよう、ベールに命じておいた。メイルの入場許可と、王宮への滞在準備は、ジグが張り切って手配している」
「騎士団長と王宮魔術士に何をさせているんですかっ!!」
ミルドに怒られ、サーフは不満気だ。
「だって、あいつら楽しそうだったぞ?」
サーフの言葉に、ミルドは額を抑えた。そういう問題では無い。
「まぁ、落ち着いたらお前にも会わせる」
ニヤリと笑うサーフに、不安しか感じられないミルドだった。
◇◇◇
やがて、ミルドはサーフにより大魔術士アーノルド・ガスターの弟子、メイルに引き合わされた。
大魔術士の弟子は予想外の人物だった。銀の髪と深い青の瞳。顔立ちは整っているが17歳という年齢の割に幼い。美しい紋様が刻まれた真っ白なローブを羽織り、女性には珍しく騎士のようにズボンを着用している。
言葉は飄々としているが、深い青の瞳は静謐な湖のように穏やかで、所作の一つ一つが美しい。子どものような無邪気さと洗練された魅力を持つ、不思議な女性だった。
そんな女性が、怒れる騎士団副隊長のカートを造作もなく無力化した。騎士団長ベールには及ばずとも、騎士としてかなりの実力者のカートが、なす術もなく子どものようにあしらわれたのを見て、ミルドは警戒心が霧散するのを感じた。この恐ろしいほどの力を秘めた女性が大魔術士アーノルド・ガスターの弟子というのなら、それは真実なのだろう。
それ以上に、彼はメイルのもつ不思議な魅力に一瞬で心を奪われていた。
ミルドは王家に繋がる侯爵家の出だ。その家柄と抜きん出た実力で最年少でジャイロ王国の宰相に就いた。宰相となってからもサーフの右腕として存分に働き、筆頭高位貴族として、王家を支えている。
そんなミルドを結婚相手にと狙う令嬢は多かったが、彼はどんな華にも靡くことはなかった。仕事が忙しかったし、下手な家と繋がることにより、余計な枷を付けられることが嫌だった。幸いにしてミルドは兄弟が多く、いざとなれば侯爵家の跡継ぎは養子を貰えば事足りる。楽しく遊ぶのならそういう専門の女性はいるし、わざわざ妻などという面倒なものを抱え込む必要はない。そう思っていた。
だが。
視線が絡めば心が高鳴り、言葉を交わせば胸が締め付けられ、その髪に肌に触れたいと焦がれるこの気持ちは、一体どうしたことか。
表面的には穏やかに挨拶を交わしていたが、ミルドの心中は穏やかとは真逆の状態だった。メイルから目を離すのが惜しく、一心に見つめ続けていた。
メイルとの初めての会談が終わり、彼女とベール達がアリィシャ妃の元へ行ってしまった後も、ミルドは彼女の去ったドアをボーッと見つめていた。
「ミルド…お前…、趣味が悪いぞ…」
複雑な顔をしたサーフの言葉に、ミルドは緩々と振り返る。
「どんな美女にも靡かないと評判の宰相が…何故あの山猿に…」
メイルと仲良く子どもの様な喧嘩を繰り広げていた主君に、ミルドは怪訝な顔をする。
「山猿とは…、メイル様のどこを見てそう仰ったのでしょう。少しお話をしただけで、思慮深く、心遣いの出来る方だと思いました。一つ一つの所作も美しく、平民の出とは思えぬ程洗練されていらっしゃいました…。どこかで学ばれたのでしょうか」
夢見るような心地のミルドの言葉に、サーフは不服そうに鼻を鳴らした。
「まぁ…。確かに。教養はあるようだな。王族に対する敬意は微塵も感じられんが」
「ふふふ、サーフ様と友人の様に喧嘩が出来るとは。大物ですね、あの方は」
「あんな無礼な奴、友人ではないわっ!」
サーフの怒鳴り声に、ミルドは頷く。
「サーフ様がそのように、感情的になられるのも珍しい」
ジャイロ王国の王として、サーフは感情を抑制することに長けている。こんな風に怒鳴ったりする姿は珍しい。
「そ、それはっ!あやつが俺を怒らせるからだっ!!」
これまた珍しくムキになる主君に、ふとミルドは疑念が湧いた。
「サーフ様、まさか、サーフ様もメイル様を…」
ミルドからドス黒いオーラが漏れる。笑顔のままなのが余計に恐怖を煽られ、サーフは慌てて叫んだ。
「そんな訳あるかっ!あんな腹立つ山猿に懸想するはずなかろうがっ!俺はアリィシャ一筋だっ!お前みたいな物好きじゃぁないわっ!」
「それは良かった。サーフ様を敵に回すのは気が進みません」
「お、おまっ、お前の忠義心はどこにいったんだ?」
ミルドはほうっとため息を吐く。
「恋が人を変えるとは…、こういうことなんですね。忠義や身分など、どうでもよくなります」
「主君を目の前にして、良くそんなあからさまな事が言えるな…。ああいや、お前はそういう奴だったよな」
ミルドは夢中になれば一心に物事に取り組む男だ。今まではその対象が全て宰相という仕事に向いており、この若さで他の追随を許さずジャイロ王国の貴族のトップを牛耳るまでになった。今度はその対象がメイルになるのだろう。
「メイルの奴も、厄介な男に目をつけられたもんだ…」
サーフはこっそりため息をついた。
ジャイロ王国最年少の宰相にして、近隣諸国からはジャイロ王国の裏支配者と恐れられるミルド。
そんな男に、これまで国政に傾けていた力の全てを向けられるであろうメイルのことが、少しだけ気の毒になった。
ようやく、ミルドさんの話が書けました。
今後ガンガン猛攻をかけてきます。




