間話 シール・カルシス
黒い魔物を討伐し、王都へ帰還する途中のある夜。パチパチと爆ぜる焚き火を見ていたシールは、気づけば1人の女性の事を考えていた。悩まし気にため息を吐き、髪をぐしゃぐしゃとかき回し、またぼんやりと焚き火を見つめる。
そんな隊長の様子を見て、副隊長のノットは呆れた視線を向ける。いつも数多の女性相手に浮名を流してきた男だとは思えない姿だ。
「隊長?気持ち悪いですよ?男だけしかいない場所でそんな悩まし気な顔しないでくださいよ」
「っ!るせーっ!」
高位貴族らしからぬ言葉遣いに、ノットは呆れる。副隊長同士で情報交換した結果、土の魔術士隊長も似たような状態だとか。尤も向こうは年長者らしく、シールのようにあからさまではないが、ぼんやり物思いに耽ったり、何もないところで転んだりと、始終ふわふわした状態だという。
「遅い初恋は拗らせるって言うけど、面倒くさい…」
「聞こえてるぞっ、ノット!誰が初恋だ?」
「シール様ですよ。はー、自分の顔、鏡で見てくださいよ。恋煩いしてますって書いてありますよ?」
バッとシールは赤くなった顔を逸らした。逃げるようにその場を離れ、自然と足が向かったのは他の隊員達が囲む焚き火の元だった。
そこには風の魔術士隊も土の魔術師隊も第1も第2も第3も関係なく、隊員達が入り混じって食事をしていた。強敵に一致団結して立ち向かった事により、急速に仲が深まったようだ。
「シ、シール隊長!?」
気づいた隊員達が居住まいを正そうとするのを手を振って止め、シールはドッカリと隊員達の間に座り込んだ。
「シ、シール隊長。ウィーグが持ってきた干し肉は如何ですか?」
風の魔術士隊第1部隊の隊員が、恐る恐るシールに干し肉を差し出してきた。
「干し肉?」
今日の昼は残念ながら魔獣や獣が現れず、新鮮な食糧を得ることが出来なかったので携帯食糧で済ませる予定だった。隊に支給されている干し肉なら、先程何とか噛み砕いて飲み込んだところだ。あまりの硬さに、一つ食べただけでウンザリした。
隊員が手渡してきたのは、干し肉というには随分とジューシーな見た目だった。受け取った感触も柔らかい。
「…うっま」
一口噛み締めると、口の中に肉の旨味が広がる。香辛料が効いていて、酒が欲しくなる味だった。
「なんでも、大魔術士様が討伐前に非常食としてウィーグ達に持たせてくれたようで」
「大魔術士様がっ?」
シールはじっと干し肉を見つめる。顔が赤らみ、目元がトロンと潤むのを目の当たりにして、隊員は見てはいけないものを見てしまった気分になった。
「あ、ウィーグ!ちょっときてくれ!」
隊員は助けを求める様に辺りを見回し、ウィーグを見つけ大声で呼び出す。他の隊員達と食事をしていたウィーグは、不思議そうな顔をしてやってきた。
「ウス。お呼びですか?」
「あ、ああ。この干し肉、大魔術士様から頂いたんだよな?凄く旨いが、どこで買ったものなんだ?」
「あぁ、それっすか?メイル様の手作りですよ」
隊員の質問に、ウィーグはこともなげに答える。
「手作りっ!?」
思わず手にした干し肉を握りしめて、シールは大声を上げた。
「大魔術士様がこの干し肉を自ら手作りされたのか?」
「はぁ。あの人、食べる事が大好きなんですけど、作るのも得意なんですよ。ジャイロ王国に来る前は、自炊してたって言ってましたし。俺らも飯とか菓子とか作ってもらった事ありますけど、メチャクチャ旨いっすよ」
「手作りの料理、菓子…」
羨ましい。
そう瞬時に思ってしまって、シールは愕然とする。
何故羨ましいなどと思ったのか。料理など、今までシールが付き合ってきた令嬢には考えられない事だ。料理どころか、厨房にすら入ったことはないだろう。シールだって、自分の家の厨房に足を踏み入れたことは無い。貴族は普通そういうものだし、もし気まぐれに料理などしようと思ったら、家令をはじめとする使用人たちが、全力で止めるだろう。
大魔術士は平民だ。平民の女性は夫や子どものために、食事を作ると聞いたことがある。
「大魔術士様は、お前たちの事を心底、気遣ってくださるのだな…」
シールは感動している様だが、ウィーグは内心首を傾げた。
確かにメイルに干し肉やら果物やら色々持たされたが、あれは収納魔術に食糧が沢山あったからだ。渡す時も「お友だちにも分けてあげてね」などと、故郷の母親の様な事を言っていた。
「俺も一度ご馳走になってみたいものだな…」
ポツリと呟いて、シールはハッと自分の口を抑えた。顔がみるみる赤くなる。
「いやっ、違うっ!今のはっ!大魔術士様の手ずからの食事などと、羨ましくっ!いやっ!違うっ!」
他の隊員達から、興味深そうな、揶揄う様な視線を向けられ、シールは弁明というより色々と心情を暴露していく。その慌てっぷりは、いつも人を喰ったような、強気の魔術士隊長とは程遠いものだった。
「いや、分かりますっ!あの凛々しくも華麗に魔術を操る姿!厳しくウィーグ達を指導する所とかっ!それなのにあの親しみやすさと笑顔!あれは良い娘ですよ」
風の魔術士隊の古参の隊員が、握り拳で力説する。確か最近、孫が産まれたとか言っていた。
「あー、確かに。それにさり気に魔力ポーションを補充してくれる所とか気遣いも出来るし。いい嫁さんになりそうだなぁ」
土の魔術士隊の古参の隊員も、うんうんと頷く。彼は2番目の娘を嫁に出したばかりだ。
「魔術はハンパないし、お綺麗だし…。あぁ、陛下の愛妾でさえなきゃ…」
「バカッ。そんな事、口に出すなっ!」
「でも、あんな実力の持ち主が、愛妾になんてなるのか?」
「でも陛下は後宮に入り浸りじゃないのか?」
「アリィシャ妃がいらっしゃるからじゃないか?陛下はアリィシャ妃が公務中でもよく妃殿下のお部屋に入り浸ってたじゃないか?」
「じゃあ、愛妾の噂って…」
「やめないか」
まだ独身の隊員達が期待の籠った囁きをヒソヒソと交わしていると、低い静止の声が聞こえた。
「モ、モリス隊長!」
そこには副隊長のダイスと、何故か疲れた顔をしたラドを連れたモリスがいた。
「憶測で確証のない事を口にするな。魔術士隊の一員である事を自覚しろ」
「も、申し訳ありませんっ!!」
隊員達が散り散りに去っていく。取り残されたシールとウィーグの傍に、モリスはどっかりと座り込んだ。ダイスとラドも自然と座った。
「……なんだよ…」
バツの悪そうな顔のシールは、干し肉を口に突っ込んで咀嚼する。
「シール。お前も隊員達をキチンと諌めろ。大恩ある大魔術士様の評判に関わる事だぞ」
「分かってるよ。今のはお前がたまたま早かっただけで、大魔術士様に関する噂は、俺も注意するつもりだったんだよ」
「む、そ、そうか。邪魔したようだな。すまん、大魔術士様の事だと思うとつい過敏に反応してしまった」
モリスも赤い顔でそっぽを向く。
隊長同士の複雑な心情が混ざり合ったやりとりに気を取られつつも、ウィーグは疲れ切った顔のラドにこっそり話しかけた。
「ラド。姿が見えないと思ったら、モリス隊長達といたのか」
「うん…。ダイス副隊長に剣の修行はどこでしたのかって根掘り葉掘り聞かれてた。明らかに前と身体つきが違うとか、どんな鍛錬したのかとか、王都に戻ったら剣の相手をしろとか…。僕、ダイス副隊長があんなに喋る所、初めて見たよ…」
「あぁ…。大変だったな…」
60年の修行には剣の鍛錬も含まれており、メイルに仕込まれた弟子達はそこそこ剣が遣えるようになってはいるが、ダイス程の遣い手ではない。しかしダイスは常々、魔術士も剣技を鍛えて実戦に取り入れるべきだと主張しており、ラド達がいればそれが実証できると喜んでいるのだ。
「メイル様に、大魔術士隊と4魔術士隊、騎士団も含めた合同訓練を申し入れるって言ってたよ」
「ぐはー。面倒臭そうだな」
ウィーグはげんなりした。たぶんメイルは「興味があるならやってみたらー?」とかしか言わないだろう。大規模な合同訓練ともなると、日程の調整だけでも大変なのだ。
「いずれ騎士団と魔術士隊との合同演習に参加する事になるって宰相様が仰ってたけど、早いなぁと思って」
「あー。魔力剣の課題、ある程度目処をつけてから取り掛かりたかったなぁ」
「結界石の課題もまだ途中だし」
やる事が多すぎる。課題が終わらぬうちから次が増えるのは何故か。
「大魔術士殿への此度のお礼だが…」
「俺はカルシス家の商家が取り扱うワインを考えている。王家にも納めている希少で極上のものだ」
「では我がローグ家からは領地の鉱山から出た宝石を」
「そ、それなら、大魔術士殿は乗馬にご興味がありそうだからカルシス領の特産である名馬を!」
「ならば我がローグ家からは特注の馬車を!乗馬ばかりではお疲れになるだろう!」
何故かメイルへの礼を巡って言い争いを始めた隊長達をよそに、ラドとウィーグは乾いた笑いを上げた。
ちなみに、大魔術士への礼と称した下心満載の隊長達の贈り物は、困ったメイルに相談された宰相から、流麗な礼状と共に穏便に返却された。




