18 論証と実証
「で、何の話だっけ?」
とりあえず席に着いてもらい、メイルは首を傾げる。
お茶と共に供されたお茶菓子から、甘い香りが漂う。メイルの興味はもうそちらに移っているが、弟子達の、特にラドのきつい視線に阻まれ、手をつけることができない。
ナフタとリアムは先程の衝撃から、まだ立ち直れずにいた。
まず、魔術士といえど、空中に浮くなどありえない。風魔術を使ったとしても、相当の魔力量と制御力が必要になる。その後に展開した魔術はもっと問題だ。突然本が仕分けされ、消えた。そして何処からともなくソファセットが現れた。そんな魔術は聞いたことがない。あれは魔術なのか、それとも夢でも見てたのか。
モリスとシールも衝撃は受けたが、それ以上に好奇心が優っていた。前回の討伐の際に見た新たな結界という魔術、メイルの放った規格外の魔術。そしてあの黒い魔物。一体何が起こっているのか。
「前回の討伐の件だ。黒い魔物と貴女のことを。そして、貴女の部下達が、突然強くなった訳を」
モリスは緊張を感じながらメイルを見つめる。青い瞳にキョトンと見つめ返されて、ドキンと胸が高鳴った。
宮廷会議の時は腹立ちもあり、まともに彼女の顔を見なかった。討伐の時も、動揺していたために落ち着いて彼女を見ていない。
こうして改めて彼女を見ると、長く流れるような銀髪は美しく艶やかで、青い瞳は深い知性を秘めて輝いている。その身から滲む魔力は力強いが穏やかな湖のようで、知らずに心地良さを感じた。
とても美しい女性だと、モリスは感嘆の溜息を漏らした。外見だけでなく、所作の一つ一つが美しく、高位の貴族のような気品がある。それでいて素直な挙動が可愛らしい。
そして、それを感じているのは自分だけではない事にも気づいていた。
並んで座るシールの顔も赤い。彼女を見る瞳には熱があり、いつもの飄々とした様子は鳴りを潜めている。この気まぐれで我儘でマイペースな男が、メイルに会うために美しく着飾り、甘い視線を向けているのだから相当彼女に入れ込んでいる事が分かる。
「あぁ、翼竜の討伐。あれ?陛下からお話はなかったんですか?」
こてりと首を傾げ、メイルは不思議そうな顔をする。
そんな仕草も可愛らしく見え、モリスの心臓が不規則に高鳴る。
「へ、陛下はお忙しくてな。豊穣祭が近いため、分刻みのスケジュールでお時間がとれないと」
モリスの言葉に、メイルは途端に剣呑な目つきになった。
「分刻みぃ?アリィシャ様の所に毎日顔出して、お腹に顔くっつけてパパですよーとか言ってますけど?ちっ。あれでサボって時間がないんでしょ」
「メイル様。陛下に舌打ちはダメです、不敬です」
苛立つメイルにスーランが小声で嗜める。メイルは不服そうだ。
「だってさー、それで私の仕事増やしてるんだよー。こっちは色々忙しいってのにさー。くっそ、アリィシャ様の周りに結界張ってあのオッサンだけ通れないようにしてやろうか」
「メイル様、陛下をオッサン呼ばわりはダメです、不敬です。それにアホな事に無駄な魔力使わないでください。ラド、お菓子解禁しろ。メイル様がやさぐれてる」
スーランが茶菓子を引き寄せ、メイルの前に置く。一転、メイルは上機嫌になった。
「ふぁー。美味しい」
ふやけた顔で菓子を頬張るメイル。その蕩け切った顔に弟子達は溜息をついた。こうなると、話は食べ終わってからでないと続かない。
「もー、ダメだよ先にあげちゃ。メイル様が食べ出したら絶対他の事しないよ?」
「これ以上王族に対する不敬を垂れ流すぐらいなら、モノを食わせておいた方がいい。それに、多分暫く無理だろ、隊長達のこの状態じゃぁ」
そう言って、スーランはチラリと視線を走らせた。
メイルの蕩け切った顔に見惚れているモリスとシール、まだ現実を受け止められないナフタとリアム。
この国最強と言われる魔術士隊長たちが、メイルの行動に振り回されているのは面白い。
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待て!!今のは何だったんだ!!」
突然、大声と共に、ナフタが席を立つ。
「何なんだ!何故浮いていた!何故本が消えてテーブルとソファが出たんだ!何でお前ら、平然と茶を飲んでるんだ!!」
バァンッとテーブルを拳で叩き、ナフタが全員を見回す。
「はい」
勢いよく手を挙げるスーランに、ファイが目を見開く。
「お、スーラン、もう分かったのか?」
「風魔術と重力操作の同時展開までは分かるんだけど、いくら魔力量の多いメイル様でも、この2つの魔術を本を読みながら無意識に維持できるほど容易くはないと思うんだ」
「確かに。風魔術は制御に気を使うからな」
風魔術の適性が高いウィーグが、深く頷く。昔は制御を間違えて、何度も空に吹っ飛んだので良く分かるのだ。
「多分浮き上がった動作は風魔術と重力操作、重力操作だけで状態維持かな?」
ラドが自信なさそうに続ける。何だかしっくりこない。
「でも重力操作で身体の重さを無くすだけであの状態になるかぁ?」
ファイがガシガシと頭を掻く。彼はどちらかと言うと直感的なタイプなので、論理的な魔術展開を考えるのが苦手なのだ。
しかしこの時は、その苦手な論理的思考がファイの頭に舞い降りた。ピコンと閃いて、ファイは勢い良く顔を上げる。
「あ!状態維持にはその後にあの状態で重力固定をしたんじゃねぇの?ほら、前に竜を狩った時、血抜きで同じ様な事したよな?」
「ファイ!それだ!」
「やってみようぜ!」
弟子達は一斉に立ち上がり、机と椅子から離れた場所に集まる。
ウィーグがフワリと風魔術で浮き上がる。重力操作で逆さまになり…。
「うおおぉ。重力操作で浮くと全然体勢が安定しないっ!」
くるくると空中で回るウィーグの身体を、スーランが慌てて支えた。
「ここで、重力固定!」
逆さまのウィーグが重力固定の魔術式を展開する。ピタリと動きが止まった。
「あ、正解っぽい」
「ウィーグ、頭に血が昇らない?」
ラドが心配そうに聞く。見た目は非常にキツそうな体勢だ。ウィーグは首を振る。
「いや、大丈夫。うん、重力操作の魔術式と固定の魔術式って相性いいんだなー。スゲェ安定してる」
「マジか!俺も練習しようっ!」
「レポートに纏めとくか」
「でもこれ、何に使えるの…?」
盛り上がる3人に、ラドが素朴な疑問をぶつける。
はっと我に返り、3人は顔を引き攣らせた。
「…それ聞かれるとな。逆さまで浮く魔術式って需要ないな」
「読書用…?」
「いや、椅子に座った方が普通に読みやすいだろ、これ」
途端に盛り下がり、レポートに纏める意味もないという結論になった。
「解答が出ました、ナフタ隊長。浮いていたのは風魔術と重力操作と重力固定の魔術式の展開で可能というのが俺たちの見解です!」
スーランが自信たっぷりに答える。
「あ、本が消えたのとソファセットが出たのは収集と収納魔法です。こんな感じでっ!」
ファイが丁寧に解説を付け加えながら、菓子皿からお菓子を一部収集し、収納魔術で片付ける。収集と収納魔術は既に弟子達も習得済なので、特に検証の必要はない。再び展開したありえない魔術式の説明に、ナフタがまた愕然としている。
やり切った顔で評価を待つかつての部下達に、隊長達は何も言うことができない。
「…素晴らしい論証と実証だったな…」
辛うじてシールの口から出た称賛は、隊長としての矜持をかけた、精一杯のものだった。




