14 草の味のポーション
「結界」
死を覚悟したシールの前に、薄い膜のようなものが広がる。同時に、耳障りな音を立て、魔物の放った魔術と膜がぶつかるのを見た。
「大地の癒し」
声とともに優しい魔力に包まれ、膜の内側に覆われた隊員全員の傷が、見る間に癒える。
「…はっ!」
傷ついていた内臓が癒やされ、モリスは大きく息を吸った。歴戦の魔術士らしく、素早く立ち上がり状況を確認する。
「やべぇやべぇやべぇやべぇ!ラドぉ!代れぇ!魔力が枯渇するぅ!」
「結界!」
ラドが素早く魔術を展開し、それまで懸命に結界を張っていたウィーグに代わる。
結界を解除したウィーグは、収納魔法に仕舞っていた魔力回復ポーションを飲んだ。あらゆる薬草が凝縮され、疲れた後の一杯がコレかよ!と毎回怒りが込み上げてくる味だ。回復力は抜群なのだが。
「ラド!あいつの攻撃ヤベェぞ!擬似魔物の比じゃない!攻撃受けた途端に魔力ゴソッと無くなるから、一回ずつ交代な!」
「分かった!結界の範囲縮めたいから皆んなを集めて!」
ラドの声に、ウィーグがすぐに応じる。
「すいません!俺たちを中心に集まってください!」
そう言いながら、気を失っている隊員は身体強化をかけた腕力を生かし、拾い上げてポイポイとラドの側に放って行き、自力で歩ける隊員はラドの側に追いやった。へたり込んだまま動けない第3部隊の隊員はまとめて担ぎ上げて運んでいく。
「落ちこぼれども…?」
シールはラドをウィーグを呆然と見つめた。
なんだ?こいつらは何をしているんだと全く理解は出来ぬまま、ただ魔術士の本能でこの2人がとんでもない魔術を練り上げているのは分かった。
先ほどラドが放った「大地の癒し」は初級魔術だ。魔術士でなくてもちょっと魔術の心得と土の魔術の適性があれば、その辺の平民でも使える代物だ。ただし、ちょっとした擦り傷が治ったり、軽い捻挫を治したりといった程度で、魔術士隊の隊士ならばもう少しましな程度だ。間違っても、先ほどのラドのように複数の人間の致命傷を一気に治癒する魔術ではないのだ。
また、ウィーグの放った結界という魔術。名前は聞いたことがある。伝説の大魔術士アーノルド・ガスターが生み出したと言われている時空魔術だ。アーノルド・ガスターは御伽噺に出てくる架空の魔術士のはずだ。何故アーノルド・ガスターの使ったという魔術を、うちの元下っ端が使えるんだ。
「ら、ラド。お前、それは何の魔術だ?」
呆然とした顔でモリスがラドに近付く。ラドは魔物から目を離さぬまま、モリスに言った。
「魔物の攻撃を防ぐ結界です。モリス隊長、ぼくとウィーグは交代で結界を張るので精一杯です。皆さんは結界の外に魔術を練り上げて魔物に攻撃をお願いします」
「結界?あの伝説の時空魔術のか?そんな馬鹿な。いや、しかし魔物の攻撃を防いだのは確かだが…。あの魔力の膜の向こう側に魔術を放つのか?一旦この…結界を解除して、土か風で壁を作った方がいいのでは?」
モリスは信じられないまでも、先ほど魔物の攻撃を防いだだけに否定することもできずに困惑した。得体の知れぬ魔術に頼るより、己の知っている防御法を提案するが、ラドに一蹴された。
「無理です。土壁も風壁も防ぎきれません。隊長もご覧になりましたよね。あの威力で射程範囲も広い。先ほどのように散開した陣形でもほぼ全員に致命傷に近いダメージを与えました。土壁や風壁では打ち破られて先程と同じことになります!」
「ラド!来るぞ!耐えろ!」
その瞬間、耳障りな音とともに結界に暴力的な魔力がぶつかる。膜が大きく歪み、ラドの身体が揺れた。
「わああああああぁ。何これえええぇ。ウィーグ!」
「よっしゃまかせろ!」
たまらず地面にへたり込み、ラドは肩で息をする。顔面は蒼白、魔力枯渇のために体温が急激に下がる。意識が朦朧とする中、魔力回復ポーションを口に流し込んだ。
「草のぉ味ぃ」
すぐに意識はシャッキリしたが、あまりの不味さに涙が出た。
「モリス隊長、お願いします。攻撃を」
魔力回復ポーションで魔力は回復するが、ポーションがなくなれば終わりだ。ラドは必死にモリスに訴える
結界によって阻まれた魔術を確認し、モリスはラドの言葉が正しいと確信した。何故ラドやウィーグがそれほど強くなっているのかは分からないが、あの未知の魔物を倒すにはラドの言った通りにするしかなさそうだった。
「総員、膜の外へ魔術を展開しろ。魔物を打ち倒せ!」
「風の魔術士隊もだ!ぶちかませ!全力でいけ!」
両隊長の言葉に、隊員たちが一斉に膜の外で魔術を練り上げ始める。いち早く完成したモリスの魔術により生み出された土槍が、魔物に向かって撃ち出された。
ギィンッと鈍い音を立て、魔物の身体が土槍を弾いた。
「何?」
他の隊員達が放つ土魔術や風魔術も、悉く魔物にはじかれてしまう。
「魔物が魔術を弾くだと?」
シールが呆然と呟く。そんな魔物、聞いたことがない。
魔術属性的に相性が悪い場合はある。同じ属性同士だと魔力を打消しあったり、逆に取り込まれてしまったり。しかし2属性の魔術を打消すなどは初めてだ。
「くっ!炎槍!」
シールは試しに火属性の魔術を放ってみる。先程と同じ様に、魔物の身体にあっさり弾かれてしまった。
「水槍!」
モリスも水属性の魔術を放つが、同じ結果だった。
「4属性が全て効かない…」
騎士もいないこの状況で、どうやってあの魔物を倒すことが出来るのか。
魔物の目がギラリと結界内の隊員達を見つめている。どれから喰ってやろうかという、捕食者の目だった。
「ウィーグ、魔力ポーションあと何個ある?」
「3個」
「ぼくは4個。どうしよう」
魔力が尽きれば結界が張れない。そうすれば魔物の餌食になるしかない。
「おい、お前らその魔術はあと何回張れるんだ?」
シールとモリスがラドとウィーグに走り寄り、確認する。ウィーグは初めてシール隊長に話しかけられて、ドギマギした。
「8回です。魔力ポーションがあと7個しかありませんから」
少なくともあと3回はあれを味わうことになるのかと、2人はゲンナリした。命には変えられないのだが。
「魔力ポーションなら隊の補給物資にもある。それを使えば…」
モリスの言葉に、ウィーグはチラリと第3部隊の持つ補給物資に視線を走らせた。
「すいません。一般の魔力ポーションではここまで回復はしないので、全部飲み干しても一回張れるかどうか…」
「なんだと?隊の魔力ポーションは最高級品だぞ?そんなはずないだろう!」
叫ぶシールに、ラドが躊躇いがちに先程飲み干した魔力ポーションを差し出す。僅かに残る雫を手に取り舐めたシールは、余りの不味さに顔を顰めた。
「不っ味い。お前ら、よくこんなの飲み干せた…な…」
シールは信じられない思いで己の魔力量を確かめた。先程使用した魔力がほぼ全快に近いぐらい回復している。たった2、3滴しか舐めていないのに。
「不味いですけど、回復力は抜群なんです。今の僕らの魔力量に合わせて作ってますので、一回の防御でほぼ全魔力持っていかれますから、これじゃないと無理なんです」
ラドは申し訳なさそうに言う。ラド達の魔力ポーションは隊で使用しているものの半分量、手のひらに乗るぐらいの小さなものだ。
「くっ!」
シールの顔に焦りがみえた。防戦一方でしかもタイムリミット付き。結界が張れなくなれば、全員の死は免れない。
すでに伝令魔術で救援をもとめているが、場所は王都とサルナー領の中間ほど。どんなに急いでも2日はかかる距離だ。何か打開策はないかと考えるが、お手上げとしか言いようがない。
「隊長!隊長達だけでもお逃げください!」
「自分たちが時間稼ぎをします」
いつの間に集まっていた隊員達が、シールとモリスに口々に言う。
「馬鹿かお前ら!隊員置いて逃げる隊長がどこにいるんだ!」
「ですがこのままでは全員死ぬことになります!」
「カルシス家とローグ家の正統な血をここで途絶えさせることはできません!」
シールとモリスはまだ独身、婚約者もなくもちろん子どももいない。どちらも正統な直系である。
「お前らを捨てて逃げ帰り、何事もなかった顔で家を継ぐなど出来るか!それぐらいならここで死んだ方がマシだ!」
モリスが顔を真っ赤にして怒鳴る。シールも怖い顔で頷く。
「ねぇ、ウィーグ。伝令魔法は…」
「最初の一撃受けた時に出した。ファイとスーランが来てくれた、らどうにかなるかもしれないしな」
何やら揉めている隊長達を放っておいてラドとウィーグは相談する。たとえ隊長2人だけでも、あの魔物の攻撃から逃げおおせるとは思えない。
ファイとスーランが来てくれれば。
2人が交代で防御に徹し、残り2人で総攻撃をかければ、倒せるかもしれない。
しかし相手は魔術を弾く魔物。4人がかりで倒せるのかどうか、ラドとウィーグは見当もつかなかった。