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ミアが外出した先、街中の噴水広場にて。
頬を切るような冷たい空気を遮ろうと、彼女は深くローブのフードを被った。
指先を温もり石で温めながら、寒々しい空を仰げば、白い息が口から零れる。
「良かったじゃない。ミエリウル教の総本山とか言ってるけど、か弱い女の子を滅茶苦茶働かせる腐りきった組織から、おさらば出来るのでしょう?」
大聖堂から移動する件を報告してみたら、侯爵令嬢のレティーシア=リルクロフトは清々したとでも言いたげな様子で言い捨てた。
「レティーシア様、色々と隠せてないです」
教会のことを腐りきった組織とか、貴族令嬢のレティーシアが言ってはいけないのではないかと思うが、彼女は知ったこっちゃないらしい。
噴水広場の露店で買ったらしい果実入りドリンクに口を付けながら、レティーシアは憤慨していた。
ミエリウル教というのは、この辺りの大陸に広まる宗教で、十字架をシンボルとした宗教である。
──貴族令嬢ならば教会へと通うこともあるだろうに……。思ったことを何でも言うところは、彼女らしいけれど。
レティーシアは公爵令嬢だが、ちょっとした縁でミアと知り合い、貴族と平民という身分差がありながらも、彼女曰くこうして外出先でたまたま会う関係性である。
可愛らしいお忍び服は彼女の高貴さを隠しきれてはおらず、赤と白のワンピースが可愛い。
白金色をした色素の薄い髪と紫色の瞳が美しくて、ミアも時々見惚れてしまうことがあった。
「クロノメース隊長がそう仰るなら、確実な情報だけど。というより、あの方。何故人事異動にまで口利きが出来るのかしら」
「そう言えばそうですよね」
「そう言えばこき使われてるって噂を聞いたことがあるわ。騎士団で働いているけど、元聖職者だし、教会との緩衝役にもなってるけど。まあ、私はどうでも良いんだけど。それより、さっさとカフェに行きましょう。貴女は寒いでしょ?」
レティーシアは防寒対策をしっかりした上で出かけているが、ミアは準備する暇もなかったのだ。
ミアはレティーシアに引っ張られていった。
それは数時間前のこと。
教会の裏口から外に出た瞬間、馬車でレティーシアが待ち構えていた。
それはもう唐突に。
約束なんてしていなかった。
「カフェに行くわよ」
「レティーシア様。さすがに何度もご馳走していただくのは悪いです。……お金を使わずに……うーん……」
レティーシアは貴族なのでミアのように節約をしながら休日を過ごすことはない。
お金を使わない交流方法が思いつかない。
──レティーシア様との交流は文通くらいにした方が良いのではないかしら? 毎回、申し訳ないもの。
ミアの心を読んだ訳ではないが、レティーシアはこう言い放った。
「言っとくけど、遠慮なんてするんじゃないわよ。私が誘ってるんだから一緒に来なさいよ。一緒によ、一緒に! 誘うからにはご馳走するから」
「そこまでして私と行かなくても……」
そもそも身分違いなのだ。
「べ、別に!? たまたま暇だから貴女を誘っているだけなんだからね!?」
レティーシアは顔をぷいっと背けたが、耳が赤くなっているのをミアは見逃さなかった。
そんな経緯があって、先程の噴水広場から移動し、現在貴族御用達のカフェにて、ミアは借りた猫のようになりながら座っていた。
全体的にキラキラ輝いている中で、分不相応なのではないかと思うのだけど、レティーシアはミアを服飾店へと連れて行くと思う存分飾り付け、今のミアは貴族のご令嬢のお忍びモードになっていた。
ゴシックなワンピースが可愛らしい。黒いリボンが胸元に飾られているのがポイントで、目に入る度にウキウキする。
「もう少し貯まったら、アミーとマーヤと美味しいものを食べに行くんです。あと、私が前にいた孤児院にもまとめて寄付したいですし」
「ミア。相変わらず地道ねえ」
「あまり趣味がないので、お金は溜まるんですよね。暇な時間は勉強するのが楽しいですし」
「それ、楽しいの? というかあそこの労働環境って、相当悪いのねぇ。なかなか貯まらないじゃない。いっそのこと聖水作りなんて仕事、辞めたら? 異動先でもこき使われる気なの? 貴女ばかり損してるわ」
「いいえ。仕事にはやりがいを感じているんですよ。聖水を作れば祓魔師の方たちのお役に立てますし」
「相変わらずミアは祓魔師のことが好きよねぇ」
やれやれと言わんばかりにレティーシアはかぶりを振った。
「ふふ。祓魔師の方々は憧れですから。……それに新しい環境では今までよりも改善されると思いますよ。まあ、私としては今までの労働環境も、そこまで悪くなかったと思うんです。人間関係を除いて、ではありますが」
以前は大聖堂の給料がもっと安かった。
それがいつ頃からか、極端な程の安月給は改善されていて、それからは以前より困ることはなくなった。
問題があるとするならば、大聖堂の聖女たちとの人間関係くらいである。
「確かに、あそこの糞みたいな聖女たちの方が目障りよね」
「レティーシア様口調が……」
「あら、ごめんあそばせ?」
カフェの給仕係が恭しく運んで来てくれた薔薇の紅茶を口にしながら、この一口でミアの給料何日分だろうかと考えてみる。
「ねぇ、ミア」
値段を聞こうとするとレティーシアは、そっぽを向くことが多いけれど、さすがに何度もお金を出してもらう訳には……。
「ミアってば!」
「はい!!」
「ボーッとしてるんじゃないわよ」
「ごめんなさい、このお茶のことを考えていて」
「どうせいくらするのだろうとか、そういうことでしょ」
丸分かりだったらしい。
「それより、ちょっと来なさいよ。声を潜めてね」
「え?」
ミアの口を塞ぐと、彼女はミアを無理やりある方向へと引っ張って行き、何故か観葉植物の後ろに隠れるように促された。
ミアたちの背丈以上の観葉植物は、葉が大きく、ミアとレティーシアの体くらいなら、覆い隠せる程に大きい。
「そこ。今をときめく騎士二人が何か話してるわよ」
レティーシアに耳元で囁かれる。
目の前の観葉植物に隠れて死角になっているからか、向こうの人たちは、こちらに気付いていない。
店内に流れるクラシック音楽のおかげで、こちらの囁き声もかき消されている。
──騎士二人って……。
そこに居たのは、シュリアス=ローゼン=クロノメースと。
「もう一人は、レイシリル様よ」
「なるほど」
ミアも聞いたことがある名前だ。
レイシリル=テレス=クレディアシック公爵子息。
公爵家の次男でこちらも騎士団所属で、中隊長を務めるエリートとして有名だ。
シュリアスと並べば、世の貴族令嬢たちは黄色い声を上げるだろう。
レイシリルもまた整った顔立ちをしている上に、銀髪に蒼の瞳。
物語に出てくる王子のようにも見えるも見える高貴な雰囲気を醸し出している。
──それより、こんなところに居たら見つかっちゃうのでは?
レイシリルはグイグイと酒を浴びるように飲んでいるけれど、シュリアスは素面だ。
怪しまれたら誤魔化し切れる訳がない。
そうこうしているうちに会話内容が聞こえてくる。
「君がそんなにご機嫌なのは、例の姫関連だろう?社交界で女たちの視線を釘付けの君が惚れた女っていうのも見てみたい」
「惚れたとか惚れてないとか、そのような話題に興じるつもりはありませんよ。僕の感情を勝手に分類するのはいただけない」
「なるほど。そんな軽い感情ではないということか」
「ノーコメントです」
そんな会話が聞こえてきた。
──え!? クロノメース隊長って好きな人が居たの!?
レティーシアが「何それ楽しそう」と目を輝かし始めたので、ミアは彼女を引き摺りながら元の席へと戻る。
「何で続きを聞かないのよ! あんな楽しそうなネタ聞かないなんてどうかしてるわ!」
「レティーシア様。盗み聞きという言葉はご存知ですか?」
「公共の場で話す二人が悪いのよ」
「いや、あの……忍んでいる時点で、怪しさと開き直りっぷりが凄いと思います」
──アミー、マーヤ。女嫌いどころか、誰かに片想いをしているらしいわよ。
とりあえず一つ土産話が出来た。