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想いが届く日  作者: ももち
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空色の煌き

 『新作、拝見しました。そもそも原作にない設定をここまで改変するのは、如何なものでしょうか?二次創作といえど、最低限のマナーは守っていただきたいものですね。』


 『イラスト拝見致しました、いや凄いですね!…原作で沢山のファンがいる孤高のヒロインが、貴方のオリジナルキャラクターと結ばれるなんて…その根拠のない自信、もう尊敬に値します!』


 ふう、とスマホの画面から顔を上げる。マシュマロは言葉遣いに気を使うから、結構疲れる。

 小さなテーブルにある350mlの発泡酒をぐいっとあける。


 真也の指先が液晶画面を滑る。いつも見ているイラスト、小説の投稿サイトのチェックだ。検索するのは、真也の好きなゲームだけ。

 ───あ〜分かってねーな、天涯孤独のキャラクターに、何で妹とか出てくる訳?原作の世界観完全に無視じゃん。はい、毒マシュマロ決定〜

 作者のTwitterのページに飛ぶ、マシュマロはこちら↓のURLに触れる。

 何て書こうか…如何に丁寧な言葉で、AIに弾かれずにディスれるか…

 『初めまして、作品拝見しました。ちなみに原作をプレイしたことはございますか?天涯孤独の設定が彼の根幹を成しているのに、それを貴方のオリジナルキャラクターで台無しにされましたね。もう一度、最初からゲームをプレイしてクリアされては如何でしょう?』


 〈初めまして!お邪魔します〉


 ───は?


 突然誰かに話しかけられた。横を向くと、空色の大きな瞳と目が合う。


 隣に、知らない子供がいた。


 

 マシュマロというメッセージサービスをご存知だろうか。Twitterの匿名のメッセージを受け付けるサービス。ネガティブな内容のものはAIが削除するので、ポジティブなものだけが届くようになっている。


 SNSが普及し、誰でも気軽にメッセージを送れて、想いを伝えられる現代。しかし「匿名」という仮面を被ると、時に心ない言葉で誰かを傷つけるのもたやすくなる。


 そこで現れたのがこのマシュマロメッセージ。「死ね」「消えろ」「ウザい」なんて良くある言葉は全てAIが消してくれる。 

 多くのTwitterユーザーは、このマシュマロを使用している。このサイトから送られる優しいメッセージそのものを「マシュマロ」と呼ぶ。これでもう、嫌な思いをすることがない……めでたしめでたし。


 「──うおっ!?」

 思わず叫んで後退る。キョトン、と首を傾げてこちらを見る子供。

 「ど、どっから入ってきた!」

 〈あ、すみません…驚かせちゃいました?〉

 咄嗟にドアを確認すると、鍵はちゃんとかかっていた。

 もう一度、子供を見る……いや。


 ───人間では、ない?

 

 耳がない。髪の毛も一本もない。真っ白い顔、つるんとした光沢のある肌…

 その風貌は、まるで人形の様だ。

 大きな空色の瞳に、金色の片眼鏡。そして顔の左側に、音符の様な模様がある。

 ───ヤバい、疲れてんのかな…

 「…あ〜あのな、お前、どこのコだ?どっから入ってきたんだ?」

 空色の瞳が少し歪む。

 〈……僕、子供じゃないです。〉

 ぽつり、と落ちた小さな声。

 ──ええ…。

 キリッと真っ直ぐに真也を見ると、首に巻いた、瞳と同じ空色の大きなスカーフを整えた。

 〈自己紹介が遅れて申し訳ありません、僕、マシュマロの使(つかい)、No.6──ミュリアムと申します。〉



 誰も傷つけることのないメッセージを安心して受け取れるサービス、マシュマロ。

 しかし、マシュマロのAIもまた万能ではない。


 「毒マシュマロ」「焼きマシュマロ」と言われるものがある。AIの目をかいくぐり、巧妙な手口で相手を不快にさせるメッセージ。AIに弾かれないよう、マイナスな言葉を使わずに、相手を傷つけるメッセージがこれらだ。

 そもそもマシュマロの概念が「あたたかいもの、優しいもの」となっているため、【マシュマロが届きました】と通知がきて、楽しみにして読んだ側はひどく傷つく。

 真也は、「毒マシュマロ」「焼きマシュマロ」─黒焦げのマシュマロ─を()()側だ。

 毎日のように、主にいつも見ている投稿サイトで特定のゲームを題材にした作品を検索する。関連作品のあら探しをしては、投稿者のTwitterからAIに弾かれないよう丁寧な言葉で悪意をもったメッセージ─「毒マロ」「焼きマロ」を送りつけている。 

 「死ね」「消えろ」などの嫌な言葉を使っていない分、送る側の罪悪感も少ない。

 

 〈いつもマシュマロを沢山送って頂いて、ありがとうございます。僕、新米だから色々ご迷惑おかけするかもしれませんが、よろしくお願いします!〉

 ペコリ、と頭を下げる子供─ミュリアムを見て、軽く目眩がする。

 ──えーと…マシュマロの…何だって?

〈それで、貴方のお名前を教えていただけますか?〉

 「…真也だけど。」

 〈真也さん!素敵なお名前ですね!〉

 ──いや、普通だろ。

 〈それでは真也さん、何故僕が貴方の所に来たか、説明させて頂きますね〉


 人を傷つける言葉を除外してくれるメッセージサイト、マシュマロ─このマスターAIから生み出されたれた使(つかい)。彼らの原動力は、マシュマロの様に優しい言葉。そして、やはり甘い物が大好き。

 マシュマロが普及し、マスターAIだけでは管理が難しくなり、その補佐として生まれた。

 彼らの仕事は主にデータの管理やバグの訂正…まあ雑用をしていたのだが。

 最近、「誰も傷つかない優しいメッセージツール」マシュマロの存在を知ってもらうために、マシュマロを沢山送っているユーザーのデータを収集する、という新たな任務ができた。

 そのデータをマスターAIに送る、それをマシュマロの効率的な普及に活かす…

 

〈…という訳で、マシュマロを沢山送っていらっしゃる貴方の所にきたんです。色々教えて下さい!〉

 

 ──待て待て待て。俺が送ってんのは。

 

 「…お前、俺が送ってるマシュマロは…」

 空色の瞳がキラキラっと輝き、頬がピンク色に染まる。

 〈はい!真也さんが送ったマシュマロのデータ全てに「焼き」と表示されてました!焼きマシュマロって、火に炙って、ちょっと焦がすんですよね?絶対美味しいに決まってます!きっと、普通のマシュマロよりも優しくて、丁寧なメッセージ、っていうことですよね!〉


 ───ちょ。


 〈チョコ入りマシュマロを送っている方と迷いましたが、僕は焼きマシュマロのほうが、絶対美味しいと思って!〉


 ───ええええ……




 「…その…俺が送った、メッセージの中身は見てないのか?」

 相変わらずくりくりした大きな目を輝かせて、ぶんぶんと大きく首を振る。

 〈もちろんです!メッセージの内容は、マスターAIしか見れません。私達使(つかい)が見れるのは、マシュマロを送った回数、それからマシュマロの種類だけです。

 データを見るとチョコマシュマロを送る方は、毎回送ってる訳じゃないんです…ほとんど、普通のマシュマロで。真也さんは、毎回焼きマシュマロを送っていて、しかもほぼ毎日…素晴らしいです!〉


 ───おい。何やってんだAI。


 チョコ入りマシュマロとは、有料のサービスである。いわゆるファンの投げ銭に近いもの、と言えば分かりやすいだろうか。

 ユーザーはお金を払ってチョコ入りマシュマロ─メッセージを相手に送る。

 そのメッセージに回答したユーザーには報酬が与えられる仕組みだ。


 チョコマシュマロ─有料のメッセージを毎回送るファンは、なかなかいないだろう。

 そしてもちろん、焼きマシュマロの意味するところは、決して炙って周りがとろけて、甘さが、優しさが増した─ではない。


 ──そこはちゃんと教えとけ!


 真也は軽く頭痛がしてきた。ガシガシと頭をかくと、スマホの画面をずい、とミュリアムの顔に近づける。

 いきなりのことに驚いてちょっと後退るミュリアム。真也はできるだけわざとらしく優しい声で、ゆっくりと言った。

 「…俺が送ってるマシュマロを、よ〜く読んでみな?」

 ぱちくり、と真也とスマホを交互に見る空色の瞳。目線がスマホに止まり、ゆっくりと真也の焼き──毒マシュマロを読む…

 何回も、何回も目線が同じところを行ったり来たりする。次第に戸惑いを見せるミュリアムに、ほくそ笑む真也…次の瞬間、


 「───お、おいっ!?」


 ミュリアムは、その場に倒れた。




 「お疲れした〜お先に失礼しまーす」

 バイト先のコンビニを出ると、自然と歩調が早まる。あの小さな子は、まだ自分の部屋にいるんだろうか。

 昨夜、真也の「毒マシュマロ」を見て突然倒れた、自称マシュマロの使(つかい)

 元々色白の顔は青ざめ、呼吸も浅くなったのを目の当たりにした真也は流石に焦った。

 首に巻いてある大きなスカーフを緩めてやる。とりあえず大きめのバスタオルを体にかけ、戸惑いながら背中を擦った。

 小さな背中が、真也の手のひらで次第にあたたかくなり、呼吸も深くなったような気がする…までに、どのくらいの時間が経ったのだろうか。気付けば一緒に寝てしまった。

 ──倒れるって、何だよ…

 まさか、真也の毒マシュマロのせいではないだろう。確かに嫌味たっぷりのメッセージだが、ショックで倒れるほどひどい内容とは思えない。

 考えながら歩いているうちに、真也のアパートが見えてきた。



 恐る恐る鍵を開け、ドアをそっと開く。意を決して電気を付ける。

 ───ガランとした部屋。

 誰もいないいつもの部屋を見て、真也はホッとする。少し残念な不思議な気持ちも否めなかったが。

 「…疲れてんのかな」

 ドアの鍵をかけたことを確認してから、そのまま窓の鍵も確認する。しっかり施錠されているのを見て、ドサッと畳に座り込んだ。

 ───何だったんだ、昨日のは…

 〈おかえりなさい!〉


 隣に座る、空色の瞳と目が合った。


 「…おっ!お前っ…!!」

 1日前と全く同じリアクションで後退る真也に、ミュリアムはきょとんとしている。

 〈あ…すみません、急に出てきて〉

 ゴクン、と唾を飲む真也。家の鍵は自分の目でさっき確認したばかり。

 ──こいつは、いったい何だ?

 ミュリアムはきちんと座り直すと、真也に深々と頭を下げる。

 〈昨夜は、大変ご迷惑をおかけしました…お布団かけて頂いて、ありがとうございました〉

 いや、布団じゃねーし。ミュリアムがうやうやうやしく差し出す綺麗に畳まれたバスタオルを戸惑いながら受け取る。

 顔色…は少し良くなっているようだ。しかし頰の色は初めて見たあのピンク色ではなかった。

 「いや…てゆーか、何で倒れたの?」

 ミュリアムの顔が曇った…申し訳なさそうに下を向く。

 〈僕たち使(つかい)は、そもそもインターネットの世界で生活しています。こうして形を保ってこの世界にいるだけで、かなり体力を消耗するんです。特に僕は初めて来たので、ちょっと疲れてしまったんだと思います。もう元気になりました!ご心配おかけしました〉

 いや、別に心配してねーし。

はあ、とため息をついてから、真也はやれやれと腰を下ろした。

 「で。お前、『焼きマシュマロ』の意味分かった?」

 ミュリアムの全身が、ビクッと動く。

 「俺が毎日送ってんのは、焦げて美味しいマシュマロじゃないぞ?」

 〈そ、それに関しましては、本当に僕の勘違いでして…〉

 慌てて説明するミュリアム。一度サイトに戻って、あ、チョコ入りマシュマロのこともちゃんと確認して参りました、と恥ずかしそうに言うミュリアム。

 「…何でお前は焼きマシュマロのこと知らなかったんだよ」

 〈僕、生まれたばかりですから……誰も教えてくれなくて〉

 ちなみに、「毒マシュマロ」という言葉は、人間が作った用語で、公式サイトでは使わないらしい。

 ──最初から「毒」にしとけば、こんな勘違い野郎も出てこないんじゃねーか?

 真也はしゅん、となっているミュリアムを見て、ため息をつく。

 「でさあ、俺のとこに来たの間違いだって分かったでしょ、ちゃんとした奴んとこ行かなくていいの?」

 〈それが、マスターAIとアクセスできないんです…〉

 「…どーゆーこと?」

 〈恐らく、沢山の使(つかい)から情報が集まっていて、パンク状態ではないかと。〉

 ──他の奴らが仕事してんのに、お前はこんなとこにいて、いいのか?

 〈僕たちは、自分たちでマシュマロを沢山送っているユーザーを選びます。そしてその方にアクセスしてデータを収集、マスターAIに送ります。アクセスは、一定数のデータが集まると、自動的に解除されます。僕は…そもそも、まあ間違ってこちらに来たわけですが…〉

 データがゼロのままだと、いつまでたっても真也とのアクセスは解除されない。それをマスターAIに確認したいのだが、繋がらない、と。

 「…で。俺とアクセスして、お前、何すんの?」

 ミュリアムはむぅ、と口に手を当てる。

 〈おそらく、一定の時間をユーザーと一緒に過ごさなくてはならないので、ちょくちょくこちらにお邪魔することになると思います〉

 ──お邪魔って…

 真也ははぁ、とため息をつく。

 「…お前さあ、言っとくけど俺は焼き…毒マシュマロ送んのやめねーぞ?俺は色んな奴らがいい加減な作品作るのが、許せねーんだ。お前の解除のために、普通のマシュマロなんて送んねーからな?それでもいいのか?」

 一瞬、空色の瞳が曇る。

 〈…大丈夫です〉

 ───うーん。

 「俺に説教して、毒マロ送るのをやめさせる、とか思ってねーか?」

 ミュリアムは目をくるくるさせて、ぶんぶんと強く頭をふる。

 〈思ってません!というより、もう貴方のスマホ見ませんから…あの、お好きな様になさって下さいっ!〉

 ──普通、人のスマホ見ねーけどな。

 「…えっと、そのマスターAIとアクセスできたら、ちゃんとした奴んとこに行くんだな?」

 こくこく、と頷くミュリアム。

 ───仕方ねーな。

 「邪魔しないんなら、好きにしな。」

 ミュリアムがホッと安堵のため息をついた。

 〈ありがとうございます!〉


 


 350mlの発泡酒をプシュッと開ける。とりあえず乾いた喉を潤す。

 ───美味い。

 小さな丸テーブル越しに、興味津々で目をまん丸にして見ているミュリアム。にまっと笑うと、真也は缶を差し出した。

 「一口飲むか?」

 真っ向から否定する…と思いきや、いいんですか、と手を伸ばされ、こちらが慌ててしまう。

 「冗談だよ!ガキに飲ませられっか!」

 ムッとして頬を膨らませるミュリアム。

 〈…だから、僕子供じゃないです〉

 ───いやいや、子供です。

 真也は呆れてもう一口飲む…と、電子レンジのメロディーが鳴った。

 バイト先で買った、賞味期限ギリギリで2割引になった弁当をテーブルに置く。


 〈人間の食べ物は、必要ないんです〉

 せっかく2つ買ってきた弁当だが、ミュリアムはガンとして食べないといいはる。仕方ない、明日の朝メシにするか…

 ミュリアムは、お気になさらず、と部屋の隅に座った。サイトから持ってきたのか、体の半分ほどもある大きな本を読みはじめる。

 といってもそこは6畳一間の狭い部屋。

 ──いや、食べづれーよ。


 はあ、と立ち上がり冷蔵庫を覗く。

 あ、このプリンいつ買ったんだっけ…

 賞味期限は明日まで。よし。

 「おい、─ちびっ子」

 ミュリアムは目を丸くして本から顔を上げた。

 〈…それ、僕のことですか?〉

 「あー、何でもいいよ、こっち来な」

 ミュリアムはあからさまにムッとして、本に栞をはさむ。

 〈何度も言いますけど、僕、子供じゃないんで!ミュリアムって呼んで下さい〉

 あーはいはい、といいながら、テーブルに期限切れ寸前のプリンを置く。

 テーブルについたミュリアムは目をまん丸にして、プリンに穴が空くほど見ている。

 「それ、食っていいよ。甘いもん好きなんだろ?」

 えっ!と顔を上げた瞬間、ぐうぅぅ…とお腹の音が鳴った。

 ───ぶっ!

 思わず吹き出す真也を見て、ミュリアムの頬が真っ赤になる。

 「腹へってんじゃねーか。」

 〈ちっ…違います!これは…あの…〉

 はわわわわっと慌ててお腹を抑えるのを見て、笑いながら発泡酒を飲む。

 「いいから食べな」

 コンビニ弁当のラップをビリビリっとはがす。さて、やっとメシ…?

 ミュリアムがプリンじゃなく、こっちを見ている。

 〈─あの、真也さんの分はあるんですか?〉

 ───は?

 「いや、俺はコレ食うから。大丈夫」

 割り箸をパキッと割って、いただきま…

 ───?

 ミュリアムが、プリンに手をつけない。

 「どしたの?食いな?」

 ひょっとして、マシュマロしか食えない…とか?すると、小さな声がテーブルに落ちた。

 〈…これは貴方のプリンです、僕が食べる訳にはいきません〉

 ──うわ………めんどくせー。

 はあ、とため息をついた真也は、箸をテーブルに置いて、天井を見上げる。

 分かった、分かった。

 「えーと、賞味期限て分かるよな?それ見てみな」

 きょとん、と真也を見る目がプリンに落ちる。蓋に表示された日付けは、明日だ。

 「明日で食えなくなんだよ、それ。もらったけど好きじゃないから残ってたの。だから遠慮しなくていいから、食いな」

 ──俺、完璧。これでやっとメシだ!

 いただきまーす、と魚のフライにかぶりつく。油がギトギトのフライ、まあよくある弁当のおかずだ。

 ふと、まだプリンに手をつけない様子に気付き、顔を上げる。 

 ───は?


 ミュリアムの大きな空色の瞳から、ぽろっと涙が溢れた。


 「…えっ……ちょ…!」

 何で泣くんだよ!?え、賞味期限切れてないよな?

 「おい…どうした?」

 オロオロする真也の耳に届いた、小さな小さな声。

 〈─何でも…ないです。ありがとうござ

います…じゃあ、いただきますね〉

 ──泣きながら食うと、喉につまるぞ?いや、てゆーか何で泣いた? 

 もう…意味が分かんね…

 ミュリアムがプラスチックのスプーンでプリンを一匙、すくう。小さな口にそっと入れる。

 〈…美味しい……とても〉

 一瞬、ミュリアムの瞳が光った気がして、真也の箸が止まる。

 スプーンをプリンに戻すと、ミュリアムは両手を胸にあててゆっくりと口を開いた。


 《──美味しい》


 次の瞬間、ミュリアムが静かに広げた両手から発せられる淡いオレンジ色の光が、小さなテーブルをあたたかく包んだ。

 ──!?

 真也が固まっている間に、いつの間にか光は消え、目の前のミュリアムはニコニコとプリンを食べている。

〈とっても美味しいです!〉

 ……はあ。今のは、気のせいか?

 首を傾げて真也も食べ始めた。かじりかけの魚のフライを口に入れる。


 ───!?


 真也の目が見開かれる。ミュリアムはそんな真也を嬉しそうに見ていた。

 待て待て、え、何で?


 めちゃくちゃ美味くなってんだけど。

改真也さんも、美味しいですか?〉 

 プリンを美味しそうに食べながら言うミュリアムと、コンビニの弁当を交互に見る。

 「…え、お前、何か…やった?」

 ミュリアムの空色の瞳がキラッと光り、にっこりと笑う。


 〈僕、言葉の力を魔法にできるんです〉


 

 言魂、という言葉をご存知だろうか。発した言葉にはその魂が宿る。つまり、良い言葉には良い魂が宿り、悪い言葉がには悪い魂が宿るということ。

 ミュリアムの魔法は、それに近いらしい。自分が心から思った時、誰かの強い想いに共感した時、その想いを「言葉」に、その言葉の力を魔法に変えられるという。

 〈想いが強いほど、魔法の力は強くなります。ただ、魔力の消耗も激しくなりますけど〉

 

 ───えええ…魔法…?


 「…まじか。」

 思わず呟いた。信じられないが、今食べた魚のフライは、最初の一口とは別物だ。

 サクッサクの揚げたてで、中身はプリップリ。めちゃくちゃ美味い!

 「お前すごいよ…マジ美味い!」

 ベチャっとしているはずの白米は、新米を炊いたようにつやつや、厚焼き玉子は、上品な出汁で味付けされ…

 気付けば瞬殺で食べ終わっていた。


 ふと、プリンの空容器を前にニコニコとしているミュリアムを見る。

 コンビニの、一番安いプリン。

 ───そんなに、美味いか?

 小さな疑問を口にする。

 「お前さあ…それ、本気で思ってなくても、魔法使えんじゃねーの?」

 何を言われたのか理解できない、という様にきょとん、とするミュリアム。真也はプリンの空容器を指差した。

 「…それ、安いし、フツーのプリンだぜ?感動するほど美味くなかったろ」

 黙って真也を見ていたミュリアムの表情が、ふわっと崩れる。

 ───え。

 柔かな笑顔で、ミュリアムはゆっくりと口を開く。

 〈…美味しかったんですよ、本当に。それは、真也さんの想いを感じたから〉

 俺の…?賞味期限ギリのプリンで?

 〈さっき、真也さん「嘘」つきましたよね〉

 ──あ。やっぱりバレてた?

 〈嘘の言葉は、他人を欺き、自分も欺く良くない言葉なんです。嘘の言葉に魂は宿りません。でも…〉

 ミュリアムが両手を胸の前で合わせる。一瞬、柔らかく光が灯る。

 〈真也さんが言った「嘘」には、優しい魂がありました〉


 ───いやいやいやいや。


 「あ〜、あのな、いいか。確かに嘘ついたが、それはお前の為じゃねんだよ。俺が、1人だと食べづらかっただけなの。」

 戸惑いつつ否定する真也を、ニコニコしながら見ているミュリアム。

 〈僕のことなんて気にしないで、1人で平気で食べることもできたのに。やっぱり、真也さんは優しいです〉

 「ああ、もういい、分かった!」

 ───付き合ってらんねー。

 真也は発泡酒をぐいっとあおると、スマホに手を伸ばした。

 「いいか、これからスマホいじるから、もう話しかけんじゃねーぞ!」

 はい、と笑顔で返事をするミュリアム。

大人しく部屋の隅っこに戻り、本を読み始めた。

 ──やっと静かになった。

 ふと、真也はスマホから顔を上げた。

 「お前さ、マシュマロの使(つかい)6番て言ってたよな?」

 そうですけど、と本から顔をあげるミュリアム。

 「お前の名前、ミリアムだっけ。マシュマロのAIがつけたの?」

 ()()()()()です、と言い直してから、本に栞を挟んだ。ちょっと恥ずかしそうに、うつむくミュリアム。

 〈名前は…自分でつけました〉

 「お前が?」

 〈はい。今使(つかい)は10人いて、それぞれナンバーで呼ばれていて、名前はないんです。でも、なんとなくそれじゃ寂しいなって〉

 へえー、自分で。

 「何でミリ…ミュリアムにした?」

 〈僕の好きなモノ…音楽、musicと、ハーバリウムから決めました〉

 ──ハーバ…?何だ…それ。

 ミュリアムは、細い首にかかっている金色のチェーンをそっと引っ張った。ペンダントの先に付いているのは、ガラスの玉。

 〈これです、ドライフラワーをオイルと一緒に入れて作る飾りです〉

 良く見ると、小さな空色の花が入っている。ミュリアムの瞳と同じ色の花。真也に見せると、ミュリアムは大事に胸にしまう。

 〈音楽は…下手ですけど、僕、ギターが少し弾けるんです〉

 ミュリアムは少し恥ずかしそうに言った。

 「マジ?聞かせろよ。聞きたい。」

 ムリムリムリ、とぶんぶんと首を大きく振るミュリアム。しつこく頼んでも、人様に聞かせられるレベルじゃない、と、断固拒否。

 「まあ、名前は大事だよな。モノに命を吹き込むのが、名前だ。」

 ミュリアムが少し驚いて真也を見る。

 〈それ…誰の言葉ですか?〉

 ──え?いや、誰のとか…ないぞ?

 「…俺が思っただけなんだけど。」

 目を丸くして、真也を見つめるミュリアム。

 〈真也さんは、いい言葉を持ってますね〉

 「ああ、もういい、もう言うな!」

 いちいち大袈裟な反応のミュリアムに、居心地が悪い。

 スマホに視線を戻す真也。ラインやニュースを一通りチェックすると、いつも見ている投稿サイトを開く。

 さあ、今日も()()()()()するかな。

 

 真也は黙々とサイトを漁り、自分と価値観の合わない作品を見つけては、投稿者のTwitterに「毒マシュマロ」を送りつけていく。

 真也の悪意が、敵意が、指先から液晶画面に流れ込んでゆく。


 ──大きな本に隠れた小さな体が強張っていることには、気付かなかった。




 「おいちびっ子、いつもいつも、何読んでんだ?」

 片手に発泡酒、片手にスマホを持つ真也を睨み、ハアッと大げさにため息をつく。

 〈…だから。その呼び方やめて下さいとあれほど…それから僕の名前は、〉

 ミュリアムですから、といつもの会話がスタートする。はいはい、と返事をしながら発泡酒を飲む真也。


 ミュリアムが現れるのは、たいてい夜だ。真也がスマホをいじっていると、何処からともなく姿を現す。

 マシュマロの使(つかい)がこの世界に実体化できるのは、アクセスしたユーザーとその端末があるところだけ。

 ちなみに、そのユーザー以外に彼らの姿は見えないらしい。


 〈何でも、読みます。今読んでいるのは、冒険物…かな〉

 ふーん、とスマホに視線を戻す真也。

 〈真也さんは、どんな本が好きなんですか?〉

 スマホに集中するフリをして、無関心を装う真也。

 「…俺、本読まねーから。」

 ふうん?と首を傾げるミュリアム。

 〈それにしては、真也さん、文章書くの上手ですよね〉

 「…グッ!?」

 発泡酒を吹き出しそうになり、無理矢理飲み込んだ。咽る真也を見て慌てて駆け寄るミュリアム。

 〈だ、大丈夫ですか!?〉

 ゲホゲホ言う真也の背中を擦る、小さな手。

 「…お前が変なこと言うからだ。」

 ミュリアムの手が止まる。

 〈変なこと、言いました?〉

 「何で、俺が文章上手いんだよ、どこで見たんだよ、そんなもん」

 目をぱちくりさせるミュリアム。

 〈え、だって真也さんのマシュマロ見ましたから〉

 ───はあ?

 〈内容は「焼き」マシュマロですけどね、メッセージそのものは言葉の組み立てが上手だし、考えて書いてる文章だと思いますよ〉

 ───えええ…誉められた?

 「…お前、それ規律違反…とかじゃねーの?」

 ミュリアムは目を丸くして、ぶんぶんと首を振る。

 〈いえいえ、もちろんメッセージの中身は褒められたもんじゃないですからね!ただ、本を沢山読んでる方かなと思っただけです〉

 真也の心がチクリと痛む。思い出したくない記憶、思い出したくない言葉。

 ミュリアムの大きな空色の瞳で見つめられると、全て見透かされたような気持ちになる。

 「…それだけかよ。」

 〈何がですか?〉

 「──いや、いい。」

 てっきりどうして毒マシュマロを送ってるのか、聞かれるかと思ったが。

 ミュリアムは何も言わない。

 「…俺も、昔は良く読んでたよ」

 ミュリアムは黙って真也の言葉を待っている。はあ、とため息をついて発泡酒を呑み干した。

 「まあ、今はスマホいじるほうか楽しいからな」


 ──嘘の言葉に、魂は宿らない。

 

 ミュリアムの言葉を思い出して、ドキッとする。平静を装いスマホの液晶をなぞる真也。

 〈…そうですか〉

 ミュリアムはそれきり黙って本に顔を埋めた。

 真也は、いつものように好きなゲームの作品を投稿サイトであさってゆく。気に入らない作品があれば、作者のTwitterから毒マシュマロを贈る。丁寧に、AIに弾かれない様に言葉を選びながら… 

 悪意が送信される度に、小さく歪むミュリアムの表情。隠れる様に小さな体を本に埋める。

 


 

 真也は大きなあくびをしながら、気怠けに駅までの道を歩いていた。ふと、向こうから歩いてくる女性が、手にした紙の束をバサッと落とした。慌てて拾い集める女性に、仕方なく駆け寄る真也。

 「す…すみません!」

 いいですよ、と紙を集める真也。手にしたそれは…


 【インコを探しています】

 

 翠色の小鳥の写真が貼ってある、手書きのチラシ。

 「ありがとうございます…」

 真也がチラシを渡そうとした時、横から小さい手がサッと一枚くすねた。

 ───!?

 突然現れたミュリアムに真也が飛び上がる。ミュリアムは真也のことなど我感せずと、チラシを食い入る様に見ている。

 「あの…?」

 あ、こいつ俺にしか見えないんだっけ。

 慌ててチラシを渡す。受け取ったのは、初老の女性だった。見れば、チラシは全て手書きで写真も一枚一枚貼ってあるようだ。

 〈…真也さん、ちょっとお話しを続けて下さい〉

 ───は!?

 ミュリアムは食い入る様にチラシを見たまま、動かない。

 おいおい…ウソだろ。

 「助かりました、あの…もし良ければ一枚お持ちになって下さい…」

 飼っているセキセイインコを、昨日逃してしまって…と悲しげに言う女性。

 そうですか、大変ですね、と話を聞きながら、チラチラとミュリアムを見る……と。

 

 ミュリアムの細い指が、チラシに書かれた手書きの文字をゆっくりなぞっている。その文字が、淡い光を帯びている。

 ───!

 真也はゴクン、と息を飲む。まさか…

 〈…心配……会いたい…寂しい…〉

 ミュリアムの呟きが落ちると同時に、チラシに書かれた文字が光る。名前はチロル、尻尾の先が欠けています。特徴を詳しく書いた文章に込められた、沢山の想い。細い指先が止まる。 

 〈会いたい……〉

 空色の瞳が柔らかく輝く。ミュリアムは胸に手をあててゆっくりと口を開く。


 《──あなたに、会いたい》


 ミュリアムの両手から、淡い紫の光が漏れる。光はどんどん広がりたちまちその場にいる三人を包み、さらに広がってゆく。

 ──おいおい、マジかよ…

 女性が涙ながらに話すのに相槌をうちながら、真也が呆然と光の行方を追った。しだいに街へと広がってゆく。しかし、その色が薄まることはない。

 目を閉じているミュリアムの口が、小さく開いた。

 〈チロル…おいで、チロル〉

 囁くようなミュリアムの声。その慈愛のこもった優しい響きに、真也は思わず息を飲む。その声が、真也の前の女性と重なる。女性の口から溢れる言葉も、淡い紫の光に変わってゆく。

 〈お家に帰ろう…キミのことを〉

 光がますます広がってゆく。


 ──待ってる人が、いるから。


 その時、真也の目が、空の彼方の小さな翠色を捉えた。

 「…来たぞ!ミリアム!」

 思わず叫ぶ真也に、女性は驚いて視線の先を見る。ミュリアムはそのまま微動だにしない。

 そして、翠色の小鳥は真っ直ぐ女性のところに飛んできた。

 「──チロル!!」

 女性の瞳から涙が溢れる。震える指先に帰ってきた小鳥が止まると、そっと両手で包んだ。

 「…チロル…良かった…!」

 真也ははあ…と息を吐く。隣にいるミュリアムを見ると、にっこり笑う空色の瞳。

 

 ──すげえな、おい。

 


 「お前の魔法ってさ、文字でも使えるわけ?どんな仕掛けになってんの?」

 〈仕掛けって…手品じゃないんですけどね〉

 眉を潜めて真也を見るミュリアム。

 朝からインコ探しで時間を取られて、結局1限目の授業は間に合わなかった。

 まあ、飼い主は泣いて喜んでたし、良しとしよう。

 ミュリアムが言うには、言葉でも、文字でも、想いが強ければ魔法を使えるのだと言う。真也が触れた、1枚1枚手書きで写真が貼られたチラシ。その言葉に込められた強い想いが、ミュリアムを呼んだ。

 〈…でも、強い魔法はそれだけ魔力を消耗するんです〉

 飼い主の女性の強い想いを間近で感じ、魔力が倍増したからこそ、広範囲に魔法をかけて、小鳥を呼び寄せることができたのだ。

 感心して話を聞いていた真也は、ふと思い出した。

 「お前の魔法さ、この前と色が違ったんだけど、何で?」

 え、と少し驚いてよく気付きましたね、と真也を見るミュリアム。

 〈言葉の意味で、色が変わるんです。でも、同じ言葉の色は1つじゃありません〉

 チラシに書かれていた言葉の中で、一番強く感じたのは、

 ──あなたに、会いたい。

 〈同じ会いたいでも、恋人同士が明日も会う約束をしていて、早く「会いたい」だと、色も違うんです〉

 心配する不安な想いがあったからなのか、光の色は淡い紫だった。

 真也は、初めてミュリアムの魔法を見た時のことを、思い出していた。

 《美味しい》

 あたたかいオレンジ色は、夕餉を囲む家族を灯す明かりのようだった。

 初めて食べる「美味しい」や、酒の「美味い」ではまた違った色なのだろうか。

 

 ──言葉に込められた、想い。


 真也の脳裏を掠める、昔の自分の姿。液晶を滑る拙い指先で生み出した、数々の物語。1つ1つの言葉に思いを込めて…

 過去を振り払う様に首を振って、スマホを開く真也。ミュリアムは、急にスマホをいじりだした真也を、黙って見ていた。




 いつになくイライラしながら、荒い足取りでアパートまでの道を歩いていた。バイト先のコンビニで、酔っ払いに絡まれたのだ。

 言われるがままの番号のタバコを出したのに、これじゃないとわめき、挙げ句の果てに態度が悪いだの、言葉使いが悪いだの散々言われた。

 ──くそっ…あのじじい…

 一番頭にきたのは、酔っ払いに『何言ってるか、分からない。もう一度日本語を勉強してこい』と言われたことだった。


 【日本語を、勉強し直したほうが、いいですよ】


 ───くそっ!

 思い出したくない、一生忘れらない言葉。

 腹立たし気に家のドアを開ける。カバンを置いたその手で冷蔵庫を開け、発泡酒を取る。プシュッと開けて一気にあおった。

 「…ふう……」

 今日は、久しぶりにがっつりパトロールすっか…

 いつもの投稿サイトを開く。好きなゲームの小説、イラストをチェックする。

 何だよこいつの文章…めちゃくちゃじゃねえか。あ〜よくこんな下手な絵投稿できんな…

 黙々と毒マシュマロを送りつけていく真也。丁寧な言葉で悪意を穿つ…

 ふと、真也の指先が、止まる。


 俺の言葉は、何色だろう。


 顔を上げた真也の目に入ったのは、テーブルにポツリと置いてある本。

 ミュリアムが忘れていったのだろうか、誰かの詩集らしい。

 栞が挟まっている。何となくなく気になって、ページを開いた。

 タイトルは、「はり」。

 

 “ことばは ときどき はりのよう”


 ──ここまで読んだ真也の顔が歪む。


 “ちくんと ひとつ むねをさす

 

 こえにならない さけびが あがり

 みえない ちが ながれだす


 ことばは たった ひとさしで

 こんなにも こころを くるしめる” 


 ──ああ、分かってるよ!


 そこまで呼んで、真也は力任せに本を閉じた。続きを読む気にもなれない。

 どうせ、言葉は本当は針じゃなくて、花とか甘い菓子とか…()()()()()になれる、て言いたいんだろ!

 〈あ、やっぱり忘れてましたね〉

 いつものように突然現れるミュリアム。真也が本を持っているのを見て、大きな空色の瞳がにっこり笑う。

 〈その方の詩、僕大好きなんですよ!読みました?〉

 「──ふざけんな!」

 突然叫んだ真也に、ミュリアムが驚いて目を丸くする。

 「どうせ俺の言葉は毒針だよ!他のものにはなんねーよ!説教すんじゃねぇって最初に言ったよな!?」

 〈…真也さん?〉

 「ワザとらしく栞はさみやがって…俺の毒マロが気にいらないなら、そう言え!」

 ───やめてくれ、もう。

 ミュリアムの空色の瞳が、悲しそうに歪んでいくのが見える。

 〈僕…僕、そんなつもりじゃ…〉

 ───分かってるよ、分かってる。

 「俺んとこなんかにいねーで、早くちゃんとした奴んとこ行けよ!!」

 

 ──やめろ!

 

 ミュリアムは瞳に涙を溜めたまま、それでも真也から目を逸らそうとしない。

 「…クソッ!」

 真也は立ち上がると、荒々しく扉を開けて、外に飛び出した。




 [38、2℃]

 体温計の表示を見て、軽く目眩がした。

 ───何やってんだ、俺。

 昨夜、寒い中上着も着ないで外でウロウロした真也は、しっかり風邪をひいた。

 ため息をつくと、目を閉じた。着込んだ上に、冬用の布団をかけているのに、悪寒がひどい。眠りたいのに、眠れない。

 〈…さん?し…やさん!?〉

 ───あれ。

 一瞬、ミュリアムの声が聞こえた気がした。幻聴か…?ゆっくり目を開くと…

 〈真也さん!大丈夫ですか!?〉

 空色の瞳が覗き込んでいた。

 ───ミリアム。

 明らかに様子がおかしい真也を見て、はわわわっと慌てふためくミュリアム。

 熱に浮かされながら、弱々しく笑う。

 「…ただの風邪だよ、心配すんな」

 掠れた声に、息を飲むミュリアム。熱のせいで気がきいた言葉もでない。

 ───ああ、そういえば。

 「…昨日、どなって悪かったな」

 え、と目を丸くするミュリアム。

 「バイト先でヤなことがあってな…ついあたっちまった、ゴメン」

 〈真也さん…〉

 そんな、いいんです、とぶんぶんと首を振るミュリアム。

 〈あの…僕たちは、ユーザー自身に関わる魔法は使えないんです。病気や怪我を治すとか…〉

 何もできなくて、すみませんと情けない声で言うミュリアム。

 ───まあ、そうだよな。

 真也は布団から腕を出して、小さな頭を撫でた。きょとんと真也を見るミュリアム。

 「何にもしなくていいよ…ありがとな」

 空色の瞳が不思議そうに真也を見る。

 

 ───いてくれるだけで、いいよ。

 

 呟いた真也の声に、ミュリアムが少し驚いた様に目を丸くする。薄く笑って、目を閉じた。


 ───?


 何か、聞こえる。

 …歌?…ミリアム…?


 ミュリアムが、ハミングしている。


 聞こえるか聞こえないかの小さな声。

 優しく包んでゆくその旋律を、夢の中で聞いている気がした。

 いつしか真也は、深い眠りに落ちた。





 大学からの帰り道は、病み上がりの真也にはキツかった。熱は下がったものの、まだ少しフラフラする。

 駅の途中に通り抜ける、大きな公園。夕方で人気もなく、家路を急ぐ者だけが歩いている。

 真也はベンチにドサッと腰かけて、目を閉じる。ちょっと休憩しよう…

 〈大丈夫ですか?〉

 「うおっ!」

 突然現れたミュリアムに驚いて飛び起きた。見れば、心配そうに覗き込む空色の瞳。

 「…お前、急に出てくんな。」

 ミュリアムはすいません、と小さく呟いてから、おずおずと続ける。

 〈こんなトコで寝たら、また風邪ひいちゃいますよ。頑張って家まで帰りましょう?〉

 ───あー、はいはい。

 しばらく黙ってからミリアム、と声をかける。はい?と返事をするミュリアムに

 「……おんぶ。」

 〈はあっ!?〉

 素っ頓狂な声に真也はブッと吹き出す。

 クスクスと笑い続ける真也を見て、むぅと頬を膨らませるミュリアム。

 〈無理です。僕、()()ですからね!〉

 いつもと違うじゃねーか、と笑う真也。ミュリアムはホッとした様に真也の隣に座ろう…として、そのまま固まった。

 「どした?」

 何も言わないミュリアムの視線を追うと、そこには、茜色に染まる夕焼け。

 立ち尽くすミュリアムを不思議な気持ちで見る。

 ───そんなに、感動するか?

 仕方なく一緒に夕焼けを鑑賞する真也。

 西の空に沈む太陽に染まり、薄雲が美しいグラデーションに彩られて、淡い水色の空に広がっている。

 真也の心がほんの少し、動いた。ふと、こんな風に夕焼けを見たのはいつのことだったか、と思う。

 〈…何故、皆さん下を向いて歩くんでしょう〉

 こんなに美しい夕焼けなのに、とミュリアムがポツリと言う。顔を上げることなく、目の前を通り過ぎる人々。

 真也は黙って茜色の空を見ていた。ベンチから腰を上げ、ミュリアムの隣に立つ。

 「──俺も、ミリアムがいなかったら、下向いて歩いてたよ。」

 ミュリアムの頭をポンポンと叩く。見上げるミュリアムに目で笑ってみせる。

 「ちょっと待ってろ。」

 ポケットからICカードを取り出し、そばにある自販機にかざす。真也はブラックのホットコーヒー。

 ミリアムは…お、これかな。

 ベンチに戻り、缶のプルタブを開けて、ミュリアムに渡す。

 「熱いぞ、気ぃつけろ。」

 ミュリアムが目をパチクリさせて缶を見る。そっと両手で受け取った。

 〈…何ですか、これ〉

 「多分、お前が好きなやつだ。」

 真也がコーヒーを飲むのを見て、ミュリアムもいただきます、と恐る恐る缶に口をつけてすする。

 〈────!〉

 ミュリアムの顔がふわっと緩み、頬がピンク色になる。思わずドヤ顔になる真也。

 それは、「缶入り汁粉」。

 〈…甘い……!凄く美味しいです…!〉

 良かったな、と笑う真也。甘いモノを食べてる時のミュリアムは、本当に子供の様だ。

 「“うまい”、て言葉は、“甘い”が語源だって説もあるんだぜ。」

 ミュリアムがちょっと驚いて真也を見上げる。そのままじっと見つめられ、何だ?と聞いた。ミュリアムはお汁粉を手に黙っていたが、しばらくして口を開いた。

 〈…真也さんの言葉、いいですよね〉

 真也は聞き間違えたか、とミュリアムを見た。顔を歪めて自虐的に笑う。

 「そんな事言っていいのか?俺は毒マシュマロを毎日送ってんだぞ?」

 ミュリアムは何も言わずに黙ってお汁粉を飲んだ。また、子供の様に幸せそう顔をする。

 しばらく黙っていた真也の口から、ボソッと言葉が落ちる。

 「…好きなゲームがあるんだよ」



 昔から好きなゲームがあること。そのゲームを題材にした小説やイラストを見るのが好きなこと。

 しかし、原作のゲームの価値観─真也の価値観に合わない作品は許せない。そういう作者に、毒マシュマロを送っている。 

 懺悔する様にポツリポツリと話す真也。

 ミュリアムは何も言わない。


 「…俺は、譲れない大切なモノを守ってるだけだ。間違ってない。」


 まるで「間違っている」と言って欲しい様に聞こえる真也の言葉。

 ミュリアムは静かに口を開いた。

 〈…真也さんは、本当にそのゲームが好きなんですね〉

 非難めいて言う訳でもない口調に、戸惑いながらも頷く真也。

 ミュリアムはニコッと笑うと、真也を見た。

 〈沢山の方から愛されているゲームなんでしょうね、きっと〉

 

 沢山の人が、愛する作品。


 缶コーヒーを持つ真也の手が止まる。

 沢山の想い。沢山の好き。

 そこに、正義も正解もない。


 言葉の色は、1つじゃない。

 

 ───分かってるよ。


 マシュマロの使(つかい)、ミュリアムはそれ以上何も言わず、ただ黙って真也の隣にいた。

 

〜to be continued〜


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