「おやつにしましょう。ケーキに紅茶と罪を添えて……」
『ーーあなたは、神に愛された子なのよ』
昨日あんなことがあったからか、久しぶりに母の夢をみた。
母は優しかったが中学の時に事故で死んでしまった。今では母の記憶も薄れて花が朽ちていくように日毎、剥がれ落ちていく。
枕が少しだけ湿っていた気がした。
リビングに行くと四紅蓮が居た。
当たり前は消えると知っていたのに無くなった時しか判らないと改めて思い知る。
「おはよう、しい」
いつもと変わらない挨拶を交わす。
「おはよう。何で昨日は晩御飯を作ってくれなかったの?」
「昨日はダメなところ見られちゃったからね……でも、しいがいつも通りに声をかけてくれたから一晩で立ち直ることが出来たよ。代わりに今日は腕に縒りをかけて作るよ」
四紅蓮もいつも通りで少し安心する。
「楽しみにしてるよ」
「ほら、早く食べないと遅刻しちゃうよ」
いつもの風景に感慨を覚えていると四紅蓮に急かされてしまう。
「どっちかって言うと四紅蓮の支度が時間喰っている所為じゃない?」
「支度に時間が掛かるのはしょーがないよっ!
年頃の女の子はいろいろとやることがあるんだから」
さっき少しだけ…何かを言いたそうに僕を見ていた気もするが口にすると何かが崩れそうで怖くなって言葉が出て来なかった――…。
四紅蓮にせっつかれ、四紅蓮をせっついてでようよう身支度を終わらせて家を出る。
学校も三日目ともなると慣れてくるので滞り無く終わった。
四紅蓮は用があるからと言うので先に一人で部室に入る。
部屋に入ると不思議な女性が一人で佇んでいた。
「あの……どちら様ですか? もしかして、写真部の方ですか?」
「私は……六椋鳥 楓……部室には……用事があったから……寄っただけ……あなたは誰? 部の人?」
銀髪の女性は今にも消えてしまいそうな声で細くつぶやく。
「僕は伽神 志緒と言います。この部の一年です」
まじまじと見つめられ耳が少し熱くなる。
紫色の瞳にとける仄かな黒色の所為か、引き寄せられるような感覚に陥る。
「そう……“七つの大罪”って知ってる?」
突拍子も無い質問がくる。
「ええ、悪魔のことですよね?」
自分の認識している“七つの大罪”を答える。
「違う…」
すると六椋鳥さんが眉を吊り上げる。
「違うんですか?」
「そう……七つの大罪は悪魔じゃない……元は天使もしくは神に準ずる者達のこと。
キリスト教……ローマ教会の人間が薄れつつあった神への信仰を再び高めさせるために創り出したレッテルにすぎない……大天使達が……彼らを堕天させた……」
六椋鳥さんは淡々と説明する。
説明する彼女の眼がアメジストでも入ってるんじゃないか…というくらいキラキラと輝くもんだから、つい信じてしまいそうになる。
「それ、かなり私見が入ってないですか?」
「……、彼らに非が無かったことだけは……知っておいて……」
よく分からない問答によく分からない回答だが相槌を打つ。
「はい、わかりました」
「それじゃあ……また会いましょう……伽神さんーー……」
ホクホク顔の六椋鳥さんが静かに部室を出ていく。
(不思議な雰囲気の人だったなあ)
雰囲気に流されていた自分が我に返る。
「って、部の人なのか聞きそびれたぁ~」
しばらくの間、六椋鳥さんの話を思い返しながら自分なりに考えてみる。
「んー、まあそういう考え方もあるのか……人それぞれなんだなあ」
―ドン、バタガラっ…ピシャンッ!
そう結論を出したとき、勢いよく部室のドアが開く。
「くそっ! あのヤロー、難癖つけてきやがってぇ~。
黙って聞いてれば『我が校の産廃ですね』とかぬかしやがったぞ! むかつくぅー」
「どーどー。落ち着いて下さい、三梨さん」
そして、鷺之路先輩と二連雀先輩が入ってくる。
「何があったんですか?」
鷺之路先輩が大層ご立腹なのでイライラの原因を尋ねてみる。
「そこの階段で生徒会の副会長に出くわしたんだよっ!
話がある…とか言うから聞いてやったんだよ。そしたら、嫌味ばかり言ってきやがった!」
激しく怒り狂う鷺之路先輩を二連雀先輩がなだめる。
「怒ってばかりいては体に良くないですよ。
そんな時は皆さんでトランプでもして気分を変えませんか?」
スッとトランプを差し出す。
「よし、杞紗達が来たらやるか」
鷺之路先輩の表情が和らぐ。
「生徒会から嫌味を言われた原因ってソレじゃないんですか?」
憶測で言ってみる。
「結果を出しているんだから文句言われる筋合いは無いハズだっ!」
(やっぱりそうか。そりゃあ、遊んでばかりいるのに結果出していたら面白くないだろうな……生徒会としてはーー…)
生徒会の人が因縁つけてくるのがわかった気がした。
「でも、鷺之路先輩の場合はトランプしてもストレスが溜まるだけじゃないんですか?」
「うっ、うるさぁーいっ! 今日こそは杞紗にオゴらせるんだあーっ!」
(ああ……こうやって人ってギャンブルにハマるんだな。
一条先輩からしたらいいカモなんだろうな。やめとけばいいのに……)
そう思いながらも既に暖まっている人に言うのは無粋だろうと思い、言わずにおいた。
しばらくすると四紅蓮と一条先輩がやって来たのでトランプが始まる。
世の中って上手く出来ているから予想通りに鷺之路先輩は惨敗する。
ここまで解り易いと自然の摂理としか思えませんね。
「な……なぜ、勝てないんだ……杞紗なんて赤点上等のアホなのにぃ~。くそう!」
「うっ……やばっ!」
猛る鷺之路先輩とは対照的に一条先輩が赤点という単語に反応して沈み込む。
「そういえば、そろそろ休み明けテストじゃん。
どうしようぅ……うぅ~、あっ!」
何か思いついたみたいで鷺之路先輩に話を持ちかける。
「ねぇねぇ、さっちゃん? 休み明けテストって毎年同じ内容だったよね?」
「そうだけど……それがどうした?」
「さっちゃんはいつも、学年で1,2を争う秀才だよねぇー?」
なんとなく察しがついた。
「取り引きしない? ここはオゴるからさぁ……代わりに去年のテストを見せてよ! どう?」
(そんなことだろうと思いました。断られるに決まって…)
「いいだろう! お主も悪よのぉ~、はぁ~っはっはっはっ!」
(あ、いいんですか。ダメだ、この人達……)
「うけけ、三梨様ほどではありませんよ」
こうして薄暗い取引が行われた。
「テスト、頑張って下さいね。杞紗さん」
二連雀先輩はよく解ってないらしく間の抜けた発言をする。
(いろいろと問題がある部だな。生徒会の人達が目の敵にして然るべき……だな)
僕は顔を両手で覆い、途方に暮れる。
「今日は用事ができたから解散っ!
下の自販機で杞紗がオゴってくれるらしいから選びにいくぞ! 杞紗が、なっ!」
(一条先輩にオゴらせるのがどんだけ嬉しいんだよっ!)
まるで、積年の思いを果たしたかの如く喜ぶ鷺之路先輩を先頭に自販機へと向かう。
で、やっぱり皆さんが選ぶのは、あずきバナナオレ・抹茶風味だった。
最後に選ぶことになったが一条先輩が有無も言わさず例のアレのボタンを押す。
「ちょっ、僕の分を勝手に選ばないで下さいっ! コーヒーが良かったのにぃっ!」
「そうなの? だって、流れ的にコレ!って、感じだったじゃん?」
「流れよりも、個人の意見を尊重していただけませんっ!?」
「いいじゃん、いいじゃん。支緒りんも好きなんでしょ、コレ」
そう言って名前を呼んではいけない例のアレが手渡される。
(冗談じゃない! なんでこんなモノを日に一回、飲むハメに遭わなきゃいけないんだっ!)
生きていれば世の中には鷺之路先輩がトランプで勝てない。といった不条理ってものが存在していて、僕の場合はこのまだらな無機物がソレらしい…。
しかし、生き物というのは生存本能というものを備えている。
この時、僕の頭はスーパーコンピューター並みの演算処理を一瞬でこなして一つの素晴らしい答えを導き出した。
「ウチに帰ってから飲みます。今はコーヒーって気分なんで」
宿敵ともいえるアイツをカバンにしまい、コーヒーを別で買って小さくガッツポーズをする。
(この勝利は私達、一般市民〈人類〉の大きな一歩となった。今まで数多くの犠牲〈主にメーカーの試飲の人たち〉を払ったがこの反撃を始まりとして、奴等〈まだら模様のバケモノ〉をこの世から一つ残らず、駆逐するっ!)
僕の脳内では兵団長ばりの演説が流れて細胞という名の兵士たちが歓喜する。
奇跡の勝利から数時間――……。
家に帰り、例のアレと対峙しながら真剣に考える。
「なぜ、こんなものをあの人たちは好んで飲むんだろう? 不思議だ……」
とりあえず、近所の犬に与えると「ギャワンッ!」と一鳴きしてひっくり返り痙攣しだした。
しばらくして、起き上れたかと思うとフラフラしながらあちこちにぶつかる。
(何を入れたらこうなるんだ……危なくないか、この飲み物……もう飲むのはやめておこう)
自分の体の事を考え、切にそう感じる。
そして、皿に並々と注がれた赤と黄と緑を混ぜて出来上がる形容し難い色彩の液体をどうしたものかと悩む。
(こんなのを捨てたらチェルノブイリ級の大惨事になるだろうし。
犬ですら飲まないとなると下水に流すか? それはそれで食品に対して失礼だしな……つーか、作ったヤツが責任とってくれないかな?
原料を生産してる人への冒涜だろ、コレ。
あと、この犬って昔から飼われてるけど意外と可愛いな)
ブツブツと考えながらフラフラ歩く犬に棒を近づけ反応したら引っ込めてドテッと転ぶ愛らしい姿を堪能する。
「コラッ! 人ん家の犬に悪戯したらダメだよっ! かわいそうでしょ、ばかぁっ!」
犬で遊んでいると四紅蓮が通りかかって注意してきた。(誤字がありました。正しくは、犬と遊んで~ でした。大変申し訳ございません。今後、このような事のないように留意します)
「悪戯というか、欲しそうにしてたから良かれと思ってあげたんだけど」
「そうなの? ごめんね。早とちりしちゃったよ」
「あの…さ、何でこんなものを飲めるの? 絶対に美味しくないぞ。
実際、この犬にあげたらこんな感じになってるしさ…」
缶を持って四紅蓮に問いかける。
「ん~。犬にとっては美味しくないだけじゃない? 先輩達だって美味しそうに飲んでるし」
四紅蓮がそう答えるから、
「異端なのは、僕。ってこと?」と聞くと、
「そういうことだね!」と言われた。
なのでその真偽を確かめるため、
(よしっ! 次は鷹五で実験してみよう)
そう心に決めたのだった。
家に戻ると四紅蓮が晩御飯を作ってくれたので晩御飯を食べた後、二人で談笑する。
「今日も楽しかったね、しい」
「あぁ。トランプが終わった後の罰ゲームさえ無ければね」
放置されたままのまだら模様の缶に憎しみの念を込めて目線を送る。
「今日は飲まずに済んだでしょ」
四紅蓮はアイツを持ち上げて残りを飲み干す。
(あんな事で悩まずとも最初からこっちの野犬に与えとけば良かったのか。
野犬と四紅蓮って凶暴でおっかないトコロがマッチするな。我ながら上手い例えを思いついたものだ……あっ、餌付けすると直ぐ大人しくなるトコロもだな)
ゴミ箱に落ちていくアイツを見ながらすごく失礼な例えが浮かび、ほくそ笑む。
四紅蓮が例のアレを飲み終え話の続きをする。
「しいはいつでも嘘を吐くのが上手いよね」
四紅蓮の言葉に胸がヒリヒリして僕は机におでこを置いて無気力状態になる。
「その事に関しては何も言えません。面目もございません」
開き直って、少しひねた言い方をしてしまう。
「嘘ばかり言ってると本質を見失うよ?」
声の質から本気で心配してくれているのが伝わってくる。
机に顔を置き直し横に向けて目をふせる。
「それでも良いよ。本心をさらして傷つくなら嘘を吐いて傷つく方がマシだからね―……」
キュッと唇を締めて膝に乗せた手でズボンの裾を握る。
「それより、写真部の先輩の事をどう思ってる?」
気遣っているのか、四紅蓮が話を逸らしてくれる。
「面白い人達だな。と思うよ」
体を起こし、大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。
四紅蓮は目が合う僕にニコリと笑いかける。
だから僕もニコリと笑い返す。
「男の子なんだから『綺麗な人ばかりで僕ちん、まいっちんぐぅー』とかくらいは言いなさいよ」
身振り付きで小バカにされる。
「……お前の中で僕はどんなキャラなんだよ」
「ひねくれ者の憂鬱王子……そのうえ、バカ」
コーヒーを飲んで一息入れ、唇を少し尖らせて四紅蓮が呟く。
「ひどい言われようだな、否定はしないけど」
机に肘を着いてその上に頭を乗せ、溜息を漏らす。
的を射られ過ぎて返す言葉が撃ち落とされてしまった。
白旗を上げて拗ねていると、
「ーーだけど、私は……そんなしいの事、好きだよ?」
四紅蓮が急に顔を背けて真面目なトーンになる。
「友達として、だろ?」
いつもの冗談だろうな。と素っ気ない返答をする。
「えっ? う…うん、そうだよ。そうに決まってるよ」
なぜか慌てた様子を見せる。
「いきなり真面目に言い出すからちょっと焦ったよ」
四紅蓮はコーヒーを飲み干しながらチラッと時計を見て時間を確認する。
「じゃあ、今日はもう遅いからもう帰るね」
そして、コップを片付けてリビングのドアを開ける。
「おやすみ~」
それを椅子に座ったまま見送る。
「おやすみ、しい」
時計を見ると二つの針が真上と真下を向いていた。
「しいのばか……鈍感にもホドってのがあるよ……」
四紅蓮が家を出る前に何かを言った気がした。
ドアの閉まる音だけが静かに部屋に響く。
(何か言ってた気がしたけど気のせいかな?)
いつの間にか冷めていたコーヒーを飲んで電気を落とす。
二階の寝室に入り布団の中で四紅蓮の言葉を思い出す。
(冗談で言っただけだろ。四紅蓮が僕のことを? まさかねぇ~、在り得ないね)
そんなことを考えていた気がした。
気が付くと寝ていて目覚まし時計の音で目が醒める。
今日は学校が休みだからもう一眠りしようと布団をかぶる。
布団を被る一瞬、目に入ったものを確認するためにもう一度、体を起こす。
「何してるんデスカ? 一条先輩?」
体を起こすとウルトラ○ンの仮面を付けた一条先輩が立っていた。(仮面の端から緑色の髪がはみ出していたのでなんとか判別することが出来た)
「しわっち。おはよう、支緒りん。
休日を寂しく過ごしている後輩のために光の国からやって来ましたぁっ!
あ。これ、お土産の桜餅デス。良かったら後で一緒に食べませんか?」
「警察って、110番でしたよね」
枕元に転がっていた携帯電話を素早く手に取る。
「酷くないデスカッッ!? 後輩のためを思って来た先輩を通報するって、どゆコトッ!?」
一条先輩が髪をブンブン振り回す。
「酷くないデスヨ。人の家に無断で入るウルトラ○ンもどきの不審者な先輩を持った覚えはないデス」
そして、1つの疑問が浮かんだ。
「というか、どうやって人ん家に侵入したんですか?」
「朝、窓を抉じ開けて侵入しようとしたらしーちゃんが入れてくれましたぁっ! 通報されかけたけどねっ!」
一条先輩の答えで事態を把握した僕は扉の方を見る。
(なるほど、そういうことね……)
案の定、扉の隙間から藍色したしっぽが覗き見している。
「四紅蓮っ! なに覗き見して楽しんでるんだ? どういうことか説明しようか」
「うしししっ、はひっ!? バレちゃったかあー」
せせら笑いをしていた四紅蓮がそそくさと出てくる。
「私も最初は不審者かと思って通報しようとしたんだよね。
そしたら、杞紗先輩で面白そうだったから…つい」
「つい。じゃねーよっ! 即、通報しろよ。どう見ても不審者だろ! 家にあげるなよ!」
「先輩を国の犬共に売るほど、私の心は歪んでいませんっ!」
「さすが、しーちゃん! 泣かせてくれるよっ!
先輩冥利に尽きます。それに比べて、支緒りんは鬼畜だねぇ……ちらっ!」
「鬼畜とか言うならホントに通報しましょうか、先輩? 四紅蓮、お前も出禁にするぞ!」
「ホント……スンマセン、シタッ!」
朝から、しかも起き抜けでこんなことに付き合わされるなんて思いもしなかったので二度寝するタイミングを完全に失った。
「おはようございます……」
しょうがないからリビングに行くと鷺之路先輩と二連雀先輩も居た。
「おはよう、伽神くん。といっても、もう9時だな。寝過ぎは良くないぞ」
「おはようございます、支緒くん。朝食は先にいただきました。美味しかったですよ」
何故か、二人もあの仮面を付けていた。
「……はやりなんですか? ソレ付けて人の家にあがり込むの」
脳が思考停止してしまい、僅かの間だけ硬直する。
(……そうだった。この人達も案外アホなんだ――…)
「杞紗の案がなかなかに面白いのでね。のってみたという訳だ」
「杞紗さんがコレを付けて遊びに行ったら支緒くんが喜ぶよ。とおっしゃるので」
実に二人ともらしい答えが返ってくる。
「面白くないデスヨ? それとウルトラ○ンの仮面を見て喜ぶほど子供でもないデス」
カタコトになるくらい呆れ返る。
「そうか……妙案だと思ったのだがすまなかったね。
次は仮面○イダーにでもするよ。
それともセーラー○―ンとかの美少女系の方が喜ぶのかな? 萌え~ってヤツだろ。
男の子は皆、そういうのが好きだからね!」
「偏見も甚だしいよっ!」
「お気に召しませんでしたか? すみません」
「いえ。解って頂けたならいいんですよ」
二人とも謝っているが片方は謝る気がさらさら無いように思えた。
「朝食をご馳走になったからな、お礼に昼食を作ろうか」
朝食を食べてゆっくりしていると鷺之路先輩が提案をする。
「いいですねっ! 私も手伝います」
二連雀先輩がそれに賛同する。
「では、杏と二人で食材を買って来るとしよう。待っててくれ」
そう言って家を出ていく。
「杏君はいいけど、さっちゃんが作るのはなあ……」
一条先輩はボソッと呟く。
「三梨先輩って料理出来ないんですか?」
四紅蓮が意外といった顔をする。
かくいう僕も驚きを禁じ得ない。
「普通に作れば美味しいんだろうけどね。
いつもインスピレーションとか隠し味とか言って変なものを投入するんだよねぇ…」
一条先輩は大きな溜息を吐いて虚ろな目で窓を見つめる。
「この前はカレーに苺を入れてたよ。
まあ、食べれないことはなかったけど……なんか苺の食感があって違和感を覚えたから『何を入れたの?』って聞いたら得意気にそう答えたよ。他にも――……」
先輩の口から、かつてのおぞましい経験の数々が嘆息と共に零れ落ちる。
その話を聴いているうちに鷺之路先輩達が意気揚々と帰ってくる。
「今回はシンプルに生姜焼きと味噌汁にしようと思う。予算の事もあるしね」
まともなメニューなので一安心した。一抹の不安があるとすればなぜか和風料理にトマトが混じっていたのをスーパーの袋越しに見た事だけだった……。
「……生姜焼きと味噌汁になぜ、トマトっ!?」
「サラダに使うだけじゃない?」
「いいや味噌汁にぶち込む気だね……長年の経験からわかるよぉ」
高らかに料理をする先輩達とは裏腹に僕達の心は深く沈んでいった。
料理が出来て恐る恐る目を開けると一条先輩の勘の通り、味噌汁に荒く潰れたトマトがぶち込まれていた。
(…なんてこったい。トマトがグチャグチャになって悲惨な見た目をしてるんですけど……)
哀れな姿に成り果てたトマトと味噌汁に合掌する。
最初に四紅蓮が問題の味噌汁に手を付ける。
(どうしてあいつはいつでも自らすすんで地雷を踏みにいくのだろう、芸人かよ……)
「ズズッ……ふぁっ!? これ、美味しいよ! しいも飲んでみなよ!
三梨先輩、さすがですね。作り方を教えて貰えますか?」
「満足して貰えて良かった、後でレシピを書いておこう」
四紅蓮の反応をみて鷺之路先輩は満足気にする。
一条先輩も手に取る。
「ええい、ままよっ! ……、ほんのこつだぁ………。さっちゃん、これは美味しいよ!! さっちゃんのアレンジ料理で初めて真面なのを食べたよ! 私、感動して涙が出ちゃう」
「たまたま上手くいったみたいな言い方をするな! いつものだっておいしいだろ!」
「でも、いつものお料理よりも美味しいですよ! 三梨さんはお料理の天才ですね!」
「……」
少しバカにしている気がする。二連雀先輩のことだからそんな事考えちゃいないだろうけど……。
しかし、皆で美味しいと言っているけど、ほんとかあ? この人達の場合、あの飲み物を美味しいとか言うぐらいだからなあ、信用できない。
味噌汁の椀を持つ手がカタカタと震え、全身から脂汗がダラダラと滲み出る。
生姜焼きは美味しかった。しかし、これは本当に美味しいのだろうか。
残すはコイツだけである。
意を決して飲む。
ーーゴクッ…。
トマトの味噌汁を一気に胃へと流し込む。
「伽神くん。どうだい、味の方は? お気に召したかい?」
思いもよらない味に少しのあいだ言葉を失う。
「美味しいでしょ? 支緒りん」
「見た目は褒められない感じでアレでしたけど味は美味しかったです、思ったより味噌汁にトマトって合うんですね! こーいうので初めて美味しいと思いました、びっくりです」
本当に美味しかった。まさしく晴天の霹靂というヤツである。
「そこまで褒めてくれると作った甲斐があったね。
しかし、見た目はアレって言うのは少し非道くはないかい?」
「すみません。思ったことを素直に言い過ぎました」
「確かに見た目はアレな感じだったよねえ。料理は見た目も大事だからねえ」
「うるさい! いいじゃないか、美味しかったならそれで」
「いやいや、さっちゃん。見た目が違うと味も変わるからね。次は私がお菓子でも作って見た目の大事さというのを教えてあげるよ!」
一条先輩が大きなカバンを取り出す。
「本格的ですね…」
中には調理器具やら、材料やら、デコレーションのなにやらと色々入っていた。
「おやつにケーキでも作ろうかな?と思って持ってきたんだ! オーブンが無くてもいいようにレアチーズケーキにしたんだけど……オーブンあったね!」
色の褪せたオーブンが少しだけ鮮やかになる。
ケーキやパンの焼けるあの匂いを僕は辿るように思い出す。
母さんと四紅蓮が居て、奏もそこに居て、いつでも三人でお菓子を作っていた。
その姿を眺める事が僕にとって何よりの幸せでそれが……それだけが全てだった――…。
奏が消えて使われる事が少なくなり母さんも居なくなって使われなくなったあのオーブン。
いつか、そのオーブンが再び使われるかもしれない事が僕は嬉しくて……けれども怖くもあった。
ずっと望んでいた、忘れる事が出来るならどんなに楽な事か。僕は奏と母さんが居なくなった時から二人の事を忘れたくて仕方が無かった。
その為なら手段はなんだって良かった。布団にうずくまり来る日も来る日も奏の顔にバツをつけ続けて何度も何度も感情を殺し続けた――。
(人を愛する事がこんなに苦しいならそんなの要らない、必要ない…)
自分に幾度となく言い聞かせ自分の心を剥ぎ取って仮面を作り始めた。
何回も星と太陽が僕の上を通り過ぎて何回も奏が僕の中から出てきてその度に僕は感情を踏み潰して叩き壊した。
ソレを繰り返す内に心はいつの間にか何も感じなくなっていた。
お陰で母さんが死んでも僕の心は一つも揺れなかった――…。
だけど、今度は感情が無いバケモノだって気付いてもう僕にはどうする事も出来なかった。
(今度はなにを殺せばいい……? 殺すものなんてもう無いのに……だから、僕は人のフリしながらこの苦痛に耐えることでしか奏と母さんには赦してもらえない――…。
なら、それでいい。死ぬまで人でなしとして生き続けよう)
そうやって諦めていた反面、地獄みたく深い底のどこかに残っていた一欠片の感情は救いの手を求め続けていた。
この人達なら僕をすくい上げてくれるかもしれない。
なぜだか、そう思えた。
「多分、使えないと思いますけど」
「そっか。じゃあ次に来た時のために使えるかどうか一応確認しておくね。
使えたらケーキの作り方を教えたげるから一緒に作ろうね。約束だよっ!」
そういって強引に約束される。
「後は冷やして固まるのを待ってからデコレーションするだけだから」
一条先輩は手際良く、そう時間もかからずに戻ってきた。
「楽しみだね、しい。早くできないかなあ……」
四紅蓮は結構スイーツ好きだから早くも待ちきれないみたいだ。
「そうだね、たのしみだね。てか、一条先輩がお菓子作り得意ってのが意外だった」
「杞紗先輩、実は家庭的なんですね」
「お菓子を食べてるうちに自分で作りたくなったんだよね。ほら、自分で作った方が自分好みの味にできるから美味しいし」
一条先輩が照れくさそうに笑う。
「お菓子作りに関しては杞紗の腕は一級品だからね。私が保証しよう」
「杞紗さんの作るお菓子はどれも美味しいんですよ」
鷺之路先輩と二連雀先輩が揃って太鼓判を押す。
「それ以外はてんで駄目だけどね」
この鷺之路先輩の一言で一条先輩の何かにスイッチが入ったらしい。
「さっちゃんのデスクッキングよりはマトモな料理が作れると思うんだけど?」
「デスクッキングぅ? どういう意味だ!」
「そのまんまの意味だよぉー?」
「喧嘩、売ってんのか? アホ女!」
「別にぃ~、売ってないけど?」
険悪な空気が流れる。
「上等だっ! 表に出なっ! 今日こそ、その減らず口を叩けなくしてやる!」
「ハッ! 喧嘩で勝てると思ってんの? そのオカタイ脳みそに敗北って言葉を刻み付けてやんよ!」
一条先輩と鷺之路先輩の間に火花がバチバチと飛び散る。
止めに入ろうとすると二連雀先輩がスッと立ち上がる。
「杞紗さん、三梨さん。ケンカしなきでください……支緒くんも四紅蓮さんも困っているじゃないですか……これ以上、喧嘩するなら、私……怒りますよ?」
いつも穏やかで絶対に怒ることのなさそうな二連雀先輩が物凄いプレッシャーを放ちながら静かに怒っている。
どこからか地鳴りも聞こえてくるような気がする。
「ススッ、スミマセンデシタ」
二人とも、まるでこの世の終わりが来たかというくらい怯える。
「ごめんね、さっちゃん。言い過ぎたよぉ」
「私こそ熱くなり過ぎた、ごめん」
「仲直りしてなによりです。にこっ」
二連雀先輩の纏っていた黒いオーラがフッと鎮まる。
そして、トイレに行くと告げて部屋を出て行った。
「相変わらず杏くんの怒りは怖いね。まるで大地の怒りみたいだよ」
「ああ。ある意味、世界が終末を告げるよりも恐ろしいな」
顔の青ざめきった二人が目を合わせてガタガタと震える。
「二連雀先輩って怒るとかなり怖い人なんですね」
「杏くんはああ見えて、昔はかなり荒れててね。私達の地元では『甲斐の朱い暴れ馬』って呼ばれて畏怖の対象だったんだから。一人で族を潰す様な危ないヤツだったんだよ。
この前も部室で喧嘩したでしょ? あの時も杏くんブチ切れちゃって私なんか思いっきりブン殴られたんだから…トホホっ」
あの時に顔が青ざめてたのは鷺之路先輩に対してじゃなくて後ろに居た二連雀先輩に対してだったらしい。
「その通り名、僕達の中学でも有名でしたよ。二連雀先輩のことだったんですか」
自分の地元はおろか、甲斐だけに留まらず東海や関東にまでその名を轟かす生ける伝説だったと思う。
かの武田騎馬軍団の再来。とまで言われた暴走族のトップの通り名がそれだ。まさかそんな人が知り合いだとは思いもしなかった。
「あの頃は三人でバカばっかりしてたな。いつ頃からか、杏が急にああなってね。今ではすっかりこの通りって訳だね」
鷺之路先輩が四紅蓮の淹れたコーヒーをすすりながらウインクをする。
「いや~、あの頃を思い返すと恥ずかしいね。さっちゃんなんて『金色のジャックナイフ』とか言われていたんだよ。どういうネーミングセンスしてんだよ。って思うよね」
「それをいうなら杞紗は『碧髪の猪』とか呼ばれて『切り込み隊長って感じでカッコイイ!』とか言ってただろ?」
鷺之路先輩の一言に一条先輩は赤面してコーヒーを吹き出す。
「なあっ!? あの頃はちょっと中二病をこじらせてたの! ホントに今思い返すとものっそい恥ずかしい! ああ~、あの頃の私ってばバカ過ぎぃ~!」
「今もバカだろ?」
「そんなことないからっ!」
先輩達が昔話に華を咲かせる。
僕とは完全に別世界の話だ。
四紅蓮なんてあまりのショックに放心している。
一条先輩が「そろそろケーキが固まる頃合いかな」と言い、キッチンに向かう。
四紅蓮も「私、作るトコロが見たーい」と追従していく。
トイレから戻った二連雀先輩と鷺之路先輩に勧められて花札をしながら完成を待つ。
ケーキを作る手際に比べてデコレーションするのが遅いのが少し気になった。
(少し遅いなぁ……どうしたんだろう? まあ、四紅蓮も一緒につくってんだろ)
暫くして一条先輩と四紅蓮がケーキを持ってくる。
「こっちが私のデコレーションしたやつでこっちがしーちゃんにデコレーションしてもらったやつね」
一条先輩がケーキを二つ、机に並べる。
先輩のケーキはさすがと言うか、かなりの完成度を誇っていた。
四紅蓮のケーキもなかなかどうして実に良い出来栄えだった。
「一条先輩、鷺之路先輩と二連雀先輩が太鼓判を押すだけありますね。そこらへんの洋菓子店顔負けですね」
「杞紗の腕は一級品と言っただろ? これだけはどう足掻いても私も勝てないからね」
鷺之路先輩は自分が褒められたように喜ぶ。
「四紅蓮もいい出来だね」
「杞紗先輩に監督してもらったからね」
自信無さそうにしていた四紅蓮に僕は素直に褒め言葉をおくる。
「しーちゃん、いいセンスしてたから私はほとんど口出ししてないよ。基本的な盛り付け方を教えただけだし」
「センスが良いとかそんなことないですよ。教え方が良かったから上手くいっただけです」
「次は作り方も教えてあげるね」
似た者同士だからか、一条先輩と四紅蓮は良く気が合うらしい。
「杞紗さんと四紅蓮さん、楽しそうですね」
二連雀先輩が微笑む。
「ああ、まるで姉妹のようだね」
鷺之路先輩もなんだか嬉しそうだった。
「しーちゃんと私は “ルイとも”なのさっ! あ、“ルイとも”とは『類は友を呼ぶ』のことね」
一条先輩はまたアホっぽい発言をする。
「これからもいろいろと教えて下さいね、杞紗先輩」
「あー、せっかく仲良くなったし……タメ口でいいよ、しーちゃん」
一条先輩は恥ずかしそうに顔を逸らして唇をつんのめさせる。
「うん、わかったよ。私のことを“しーちゃん”って呼ぶから、私は杞紗先輩を“きーちゃん”って呼ぶね」
四紅蓮がぎこちなさそうに一条先輩に話しかける。
「じゃあ、私たちもタメ口でいいよ、祭鳩寺さん。いや、“グレさん”でどうだろうか?」
「そうですね、それがいいですね」
鷺之路先輩と二連雀先輩が妙なあだ名を四紅蓮につける。
「私も“りっちゃん”と“きょーちゃん”って、呼ぶよ」
四紅蓮も意外と図太い性格をしているからなんの躊躇いも無く年上にあだ名をつける。
「それと支緒りんもその他人行儀な話し方、禁止だからね」
一条先輩がいきなりこちらに話をふってくる。
「ムリです。名前はともかくタメ口はできないです。ツッコミ入れる時だけにして下さい」
「しょーがないなぁ。それでヨシとするよ」
一条先輩は大きな溜息を吐いて肩を落とす。
「では、さっそくだが名前を呼んでくれるかな? 伽神くん」
鷺之路先輩がそう言うので呼び捨てで呼んでみる。
「三梨…?」
やっぱり、気恥ずかしい。
「おおっ! 次は杞紗を呼んでくれ」
三梨の目が輝く。
「杞紗…?」
言い馴れてないので背中がムズムズする。
「うぅ~、いいねえ。じゃ、次は杏くんね」
「杏さん?」
「なぜ杏くんだけ、さん付けなのっ!?」
杞紗からツッコミがはいる。
「いや。さっきのトラウマが、さんを付けろと言っている気がして…」
チラリと杏さんを見る。
「何の話ですか? 支緒くん?」
「しかし、年下の男の子に呼び捨てにされると新鮮味があって良いな」
三梨がウキウキとした顔でケーキを頬張る。
「じゃあ、あの副会長にも呼び捨てしてもらえば?」
杞紗がそう言うと三梨はケーキを食べる手を止め、眼をギラギラ燃やしてフォークが折れんばかりの力を拳に込める。
「んなことしやがったら、あの憎まれ口を二度と叩けないようにボコボコにして中庭にある大時計の柱に括り付けて遺伝子レベルのトラウマを植え付けてやる!」
ブツブツと毒を吐き散らしながらガツガツとケーキを口に放り込んで満足気な顔でコーヒーを飲み干す。
そしてケーキを食べ終えて今度はウノを始める。
僕は疑問に思っていたことをふと尋ねる。
「ところで、杞紗達はどうやってここまで来たんですか?」
ーーピンポーンッ。
タイミング良くインターホンが鳴る。
「はーい」
ドアを開けるとスーツ姿(ズバリ!ヤクザッ!)のイケメンが立っていた。
「噂をすればなんとか。ってやつだね」
杞紗がひょこっと顔を出す。
するとスーツの男性はいきなり頭を下げる。
「お疲れ様ですっ! 杞紗さん、お嬢はそこに居ますか?」
「うん、いるよ~」
どうやら知り合いらしい。
杞紗の顔見知りは蓮花さんといいこのイケメンといい、片寄り過ぎな気がする。
「このっ、バカ! 人前でそういう言い方はやめろっていつも言ってるのにい!」
三梨が顔を真っ赤にしてリビングから出てくる。
「そうでしたっけ?」
「まったく。杞紗はアホ猿だし、あんたは駄犬だし、これで雉でも居たら桃太郎だ」
「まあ、日本一という点に関してでしたら鷺之路グループは確かにその通りだと思いますけどね」
イケメンがにこやかに言う。
「ええーっ、鷺之路グループ!? それは聞いたことある名字な訳だ。全国一の大グループじゃないか!」
我を忘れて叫んでしまう。
「おっと。あなたはここの家の方ですか? 申し遅れました。わたくし、お嬢のお世話をしております丸茂 信廉と申します。以後、お見知りおきを」
見た目とは裏腹にとても丁寧な挨拶をされる。
「どうも、ご丁寧にありがとうございます。僕は伽神 支緒と言います。三梨の写真部の後輩です」
正面から冷たい空気が流れる。
ーーぴくっ…。
信廉さんのスマイルがいきなりメンチに変わった。
「……おい。てめえ、今なんつった? お嬢を呼び捨てにしやがったな?
なんだ、呼び捨てにしてお嬢の男にでもなったつもりか、ああっ?
ちょっと表出てナシ……つけようか? なんなら今すぐにでも花魁淵の底にキスさせてやろうか? それとも穏池がいいか? 地元だもんなあ!」
凄みがありすぎて言葉が出ない。
(本当にキスさせられそうだ…おっかな!)
「信廉っ! そういうのをやめろって言ってるだろ! 鷺之路はアッチ系の家柄じゃないんだからっ! それと私の友人に手を出すのか、お前は?」
「申し訳ございません、お嬢!」
すると信廉さんは地面に埋まる勢いで頭を着ける。
「支緒さんもすみませんでしたっ! 自分はお嬢の御友人になんてことを言ってしまったんだ!
小指、詰めるんでどうかそれで。チャラって訳にはいかないかもしれませんが許して戴けませんか?
自分、お嬢が成人するまで死ぬ訳にはいかないんです! お嬢が成人したら煮るなり焼くなり好きにしていいですからっ!」
どこからともなくドスを出して小指に当てる。
「やめて下さい! そんなことされたら一生モンのトラウマになります!」
僕は慌ててドスを取り上げる。
「なんて、慈悲深いお人だぁ…」
信廉さんが何度も頭を下げ、「ありがとうございます、ありがとうございます…」と涙を流す。
「相変わらずシンちゃんは過保護だねえ。
そんな調子じゃあ、さっちゃんに彼氏ができた日には勢い余って殺っちゃいそうだね~」
杞紗が面白そうに茶化す。
冗談じゃない、危うくウチがスプラッター映画になるトコロだったんだぞ!
「っス。自分、お嬢が小4のときからお世話させて戴いて、そりゃあもう、目に入れても痛くないです。こんな自分でもお嬢は拾って下さった。このご恩はお嬢が独り立ちできるその日まで返し続ける所存ですっ! 大好きです、お嬢! 」
信廉さんが臆面も無く三梨を抱きしめる。
「うっ、煩い! このバカ犬が!」
三梨の顔が赤く染まる。
「んじゃ、迎えも来たから帰りますかっ」
「では、また学校で会いましょう。四紅蓮さん、支緒くん」
先輩方が帰り支度を済ませて家を出る。
なので外に出て見送る。
「伽神くん、グレさん。騒がせてすまなかったね、また月曜に」
ふと、空を見上げると赤と黒に分かれていた。
胸の奥から何故か嫌な予感が込みあげる。
(そういえばあの日も……新月の後だったな。あの時も何気なく見た空に恐怖を感じた。世界が脆く崩れ去る気がしたんだ……)