「あなたと踊るは哀れな悪魔か?罪の旗印か?」
次の日の朝、静寂を切り裂く様に目覚まし時計が、がなり立てる。
重い身体を起こし僕を包む夢へと誘っていた暖かいものを剥ぐ。それと同時に室内の冷たい空気が纏わり付き少し寒気が襲う。
まだ春先であるから朝の気温が低く、僕はコーヒーを淹れて暖をとろうと思ってお湯を沸かしにリビングにむかう。夢と現実の最中を重力だけをしっかりと感じながら、フラフラと歩く。
リビングに近づくにつれ、焼けたパンの匂いと卵の匂いがバターの焦げる匂いに包まれて優しく嗅覚を刺激する。
それに伴い、空腹のお腹がぐう~っと鳴り胃が動く。
机には欧風な感じの朝食が置いてあり、パンとハムエッグ、更にはサラダまで二人分用意されていた。
有難いことに熱めのコーヒーも在ったので一口含み喉を潤しながら暖をとる。
そして、眠気覚ましに顔を洗おうと洗面台の前に立ち蛇口を捻る。その時、予期せぬ音がしたために振り向く。
ーーガラッ。
寝惚けているからなのか在り得ないものが目に入り、パチパチと目を瞬きさせる。それでもやっぱり視えるので今度はゴシゴシと目を擦ってみた。
ーー……夢、じゃない。
そう思うと同時に嫌な予感が頭の隅から隅を行ったり来たりする。
(これは非常にヤバイ。今日が命日になるかも。こんなことならコーヒーだけじゃなくてパンとハムエッグも少し食べておくべきだったな…)と、後悔する。
在り得ないものとは、熱を帯びて火照った小さく膨らんでいて先が薄い桃色をした柔らかそうな山が二つと、そこから綺麗な曲線を描きながら膨らみ、そのまま地面へと窄みながら落ちていくシルエット。
ーーそう、女性の裸である。
その体の持ち主と目が合う。
しっとりと濡れた髪から漂うシャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。
その藍色と反対に顔は紅潮し、わなわなと震えている。
「おっ、落ち着くんだ……僕は顔を洗いに来ただけで邪な気持ちなんて無いっ!! それに湯気で良く見えないからっ……とりあえず話し合おう、話せば解り合えるはずっ!」
良い眠気覚ましといえばそうなのだが、目を覚ますのにこんなハイリスク・ハイリターンなハプニングは誰も求めてない。
普通に顔を洗って目を覚ませればそれで良いのに…神様って、いじわるだな。
(ホントは全部丸見えだったけど。そして、思ったよりも大きい山だな…)
頭をこれでもかというほどに地面に着けて必死に弁明をする。
「……言い残すことはそれで全部かな?」
そう言い終えると、踵が飛んでくる。
ーードゴスッッ!!
ソレは頭に鈍い痛みが走り抜け、地面にめり込んだかと錯覚するほどの威力だった。
「いったぁぁあ~っ! のおぉ、脳が出るぅ~!」
四紅蓮はその場でもんどり、のたうち廻る僕を無慈悲に扉の外に投げ捨てた。
「このド変態っ! そのまま、くたばれっ! バカぁ!」
などと暴言を浴びせて、扉をバンッと勢い良く閉める。
「酷いよ……事故なのに。ただのラッキースケベじゃないか……話ぐらい聞けよ。四紅蓮の悪魔めぇ~……」
床を濡らして息も絶え絶えに力無く叫んだ。
なぜこの様な悲劇が起きたかというと、僕には両親がいない為、家が隣の四紅蓮が毎朝来て朝食を作ってくれている。
で、朝食を作り終えて眠気覚ましに朝風呂に入り出て来たら僕とエンカウントした。と、いうことらしい。
朝食を食べながら事情説明をして四紅蓮の事情も聴いた。
(まったく、風呂ぐらいは自分の家で入ってくれよ。いくら勝手を知っているからといって家主に断わりも無いというのはどうかと思う。眼福ではあったが…)
すっかり冷めきったコーヒーをすすり、舌で苦みを感じながら苦情を心の中までに留めて、そう呟く。
支度を済ませて、四紅蓮の髪型を整えるやらなんやらを待ち、やっと支度を終えた様で家の鍵をしっかり閉めた事を確認して自転車に乗り、学校への長い道のりを進みだす。
この道のりというのがとても大変で、これが3年間続くのかと思うと始まって二日目にして既に嫌気が差すほどである。
学校に着くと、駐輪場に一条先輩達がいたので挨拶をして教室に向かう。
教室は別だから1―Aの前で別れて僕は1―Cへ入る。と、いきなり腹パンされる。
ーーボスッ!!
「ぐほおぁっ!? いきなりなんだよっ!」
顔を上げると、クラスメイトの松原鷹五がすごい形相で睨んできた。
ここ、等ツ山高校は元が工業高校だったからか、そういうヤツが多いのである。
因みに僕のクラスは実習で建築について学ぶ。
他にも機械・電気・情報・土木があり、四紅蓮は情報である。入学前にアンケート調査でどの実習を学びたいかを選び、それによってクラス分けされるという仕組みである。
本題から逸れていたので、話を戻そう。
何故、クラスメイトの松原がいきなり襲いかかって来たかというと、以下の理由らしい。
「伽神ぃ~、オマエは死刑だ!極刑だっ! 何で、入学2日目にして“学年一の美女”と騒がれている祭鳩寺 四紅蓮と親しげに登校しとんじゃあっ! さてはお前、リア充かっ!?」
その声を聞いて他の男子生徒も押しかけ、教室前がごった返す。
「この非国民めぇ! リア充死ねっ! 俺の嫁を返せー!
異端狩りじゃあ~!であえい、であえいっ!」
といった罵詈雑言が、僕をめがけて飛び交う。
(知るかボケぇ!)とも思ったがいちいち相手するのも面倒くさいので誤解だと釈明する。
「四紅蓮はただの幼馴染だよ。別に付き合ってるとかないから」
すると、なぜかは解らないが松原が僕の肩に手を当てて憐みの眼差しを向けてくる。
「そうか…お前、生殺しにあっているのかぁ。いきなりド突いてすまなかった」
(訳が分からんっ!? 温度差が激し過ぎるぞ、コイツ…)
と混乱する僕に、
「わかっとる。何も言うな…」
と、首を振る。
(だからっ…意味が分かんないんだよっ!)
キレそうになった時、ホームルームを告げる鐘が鳴り響く。
教室の前にいた生徒達が蜘蛛の子を散らすかの様に自分たちの席に着く。
僕も慌てて席に着く。
隣の席には松原が座っていて話しかけてくる。
「昼休みにジュースとパンおごるからド突いたことは堪忍してくれ」
松原はこの通り性根は良いヤツそうなんだがアホが難点だな。と、勝手に分析する。
「ああ、わかったよ」
僕は相槌を打ち、前を向く。
「うーっす。お前ら、席に着いたかー? ホームルーム始めっぞ」
気怠そうに担任の斐十烏繭子が入ってくる。
サバサバした姉御肌で女生徒から「まゆちゃん先生」と呼ばれて親しまれている。
こざっぱりした短髪にジャージ姿で男のいる気配が無さそうな三十路だ。
昔はヤンチャだったようで男子生徒から「マユセン」と呼ばれて恐れられている。
「今日は特にナシっ!
以上!
ホームルーム終わり!!」
頬杖をしていた僕は見事に支えからずり落ちる。
(…、なんとテキトーな担任だろう)
そう思う、今日この頃である。
午後の授業に備えて松原と購買へと進む。
午前の授業は関数がどうたらとか、文学がどうのと堅苦しくて眠くなり、(眠気覚ましに四紅蓮の淹れたコーヒーを飲みたいな)と思いながら、これまた松原の眠くなるようなくだらない話をてきとうに受け流して相槌を打っていると、向こう側から四紅蓮が近付いてくる。
「しい、これお弁当。あと、これコーヒーね」
「ありがとう」
「じゃ。残したら死刑だから」
人がいるからか、不愛想に突きつけてどこかに行く。
「この裏切り者ぉーっ!」
横で松原が絶叫を上げる。
五月蝿いので興奮する松原を落ち着ける方法を考える。
(猿って、確か餌付けすると大人しくなるよな……)
彼を見て、(よしっ、いける!)と確信する。
「少し食べる? 分けてあげるよ」
「アリガトウゴザイマスッ!」
それはなんとも綺麗な90度だった。
パンは四紅蓮の弁当があるからジュースだけおごってもらい中庭で食事をする。
「なんで、祭鳩寺さんにお弁当を作ってもらってんの?」
唐突に松原から質問される。
「僕は両親いないから代わりに作ってくれているんだよ。まあ、幼馴染だからだと思うよ」
弁当をつつく箸を止めて僕は答える。
「そっか、そういうことね」
それ以上、深くは聞いてこなかった。
そういうところは気が利くヤツで安心する。
ーーばちこんっ!!
「って、痛っ! いいじゃん、ケチ!」
弁当のおかずをそろっとつまもうとするので、箸の柄で思いっきり引っ叩いてやる。
「朝のお返しだ。それと餌付けもやり過ぎると意味が無いからね」
「どういう意味デスカっ! 伽神さん?」
昼休みが終わり長い午後の授業の合間にコーヒーを飲んで眠気と戦い、放課後を迎える。
自販機前に居たハチ公と一緒に部室に入る。
ーーパチッ。
電気が消えていたので点けるとクラッカーが爆ぜる。
ーーぱんっ!ぱんっ!ぱらぱら〜!!
「支緒りん、ようこそ写真部へ! ……てっ、ありゃっ? しーちゃんも一緒に入部?
ケーキの数が足りないな……まあ、いいや。どうせ、あいつ来ないだろうから。
ん? あぁ、ごめんごめん。至近距離でぶっ放しちった」
入るなり、一条先輩が矢継ぎ早に喋べり倒してくる。
(相変わらず元気そうで何よりです――……)
紙テープの雨を思いっきり浴び、キーンと耳鳴りがする。
「なんですか、これは?」
頭に乗っかってる紙テープとおでこに貼り付いた蓋を引き剥がす。
「もち、支緒りんの歓迎会だよ。あ、しーちゃんもだね」
「イヤガラセかと思いマシタ」
二連雀先輩と鷺ノ路先輩もケーキの箱と包丁を携えて立っていた。
(包丁まであったのか、この部……)
「そういうことだね。改めて、よろしく!」
「これからもよろしくお願いしますね」
と、二人から丁寧に挨拶され、
「こちらこそよろしくお願いします」
と、僕もオートマティックに挨拶を返す。
改めて自己紹介し合いケーキを食べながら和気あいあいとする。
「この歓迎会を発案したのは私だよ、見直した?」
一条先輩が偉そうにふんぞり返る。
「お前はケーキ食べたかっただけだろ、部費だし」
鷺ノ路先輩は指でつんっと一条先輩のおでこを突く。
「バレちったか!」
嘘がばれた子供みたいにおどけて誤魔化そうとする。
「しかも言うだけで、人に全部押し付けて帰っただろ」
「だって、部費を管理してるの、さっちゃんじゃん」
申し訳なさそうに二連雀先輩が頭を下げる。
「三梨さん、すみません。杞紗さんが三梨さんに任せれば大丈夫。とおっしゃったので、私も帰ってしまいました!」
「杏は良いんだよ、杞紗は許さない。
ケーキ、食べるな」
一条先輩がケーキを取り上げられる。
「ひどいっ! なんで、私だけ!?」
そして、口惜しそうにフォークに付いた生クリームを舐める。
「私だって、杏くんと二人で支緒りんのアルバムを買ってきたんだから! はいっ!」
カバンから紙袋を引っ張り出して僕に差し出す。
「開けてみてっ! センスばつぐんなんだから!!」
「ありがとうございます」
紙袋からアルバムを取り出してお礼を言う。
「しーちゃんの分はまた今度ってことで」
一条先輩が申し訳なさそうにする。
「今すぐ買って来い。ついでにお菓子の買い足しも頼む」
「え…? 行かないよ?」
「杞紗さん。私、ゴ○ィバのチョコレートが良いです。
あと、駅前の限定ティラミスもお願いします」
「いや、行かないって!? しかも、杏くん……オーダーがちゃっかり鬼なんですけど?」
「先輩。僕は贅沢言わないんでメリ○チョコで良いですよ」
「支緒りんも、のらないっ! てか、メ○―も大概な値段しますけどぉ!?」
「じゃあ、私もーー…… 」
「あれ? もしかしてしーちゃんもそっち側の人間なの?
アウェーだわー、完全にアウェーだわー。ホームなのにサポーターが居ないわー。
ヴァンフォーレがホームだったのにレッズサポーターで埋め尽くされた小瀬国立球技場の気分だよ。あの時のホームサポーターの肩身の狭さを味わうとは思いませんでした」
先輩の長ったらしいツッコミを一同で無視しながら黙々とケーキを咀嚼する。
「あぁ……無視ですか。散々、いじっておいて無視ですか……世知辛いっすね、世の中……」
静かな部室にラジオが流れているかのように一人の声だけが反照する。
ケーキを食べ終えて鷺之路先輩がホワイトボードに部活動の内容を書き出す。
「ケーキも食べて杞紗もいじめたことだし、部活動の説明をするよ」
「あれー? 二つ目いらなくない?」
そんなツッコミを華麗にスルーしながら、上手く色を使い分けて解り易くまとめる。
「これはウチの写真部のマスコットキャラ、“とら吉”だよ~」
「変なモノを書くな! アホっ!!」
横で一条先輩が隅に落書きをして怒られる。
「まずはメインだが私達、写真部は “審査会”と呼ばれる出品数1000を超える大会に作品を出品して賞を獲り全国大会に出ることが目標だ。
まあ、審査会で賞を獲った後も全国行くにはもう一つ大会が在るのだが大体は審査会で賞を獲った作品が全国に行くから。それは追々説明しよう。因みに団体の部門はあるが全国大会には存在しない。
次に学校行事の風景を撮ることが仕事だ。学校のカレンダーに使われたりホームページに載るからしっかりと撮るように。
他にも合宿や撮影旅行等もあるが一応はこんなとこかな」
鷺之路先輩がざっくりと説明する。
「うわっ。さっちゃん、部長っぽいねぇー」
「部長だ! アホッ!」
そしてお馴染みの漫才が入る。
「本格的な部ですね。てっきり、遊んでいるだけの部かと思いました」
電子レンジと布団のある方向に目を遣る。
「まあ、そう思われて仕方ないかな。これでも毎年、県で総合3位には入ってるよ。
ここ三回位は1位だしね。全国も2年連続出場を果たしてるし。
こんなアホでも前回、銀賞受賞してるから」
鷺之路先輩が一条先輩の方を、信じ難いだろ。といった目つきで見る。
「そうだよ~。あ、銀賞ってのは、個人で2位のことね。因みにさっちゃんは金賞、杏くんは私と一緒の銀賞だね。つまり、ウチの部で賞を総ナメした! って、ことですよ! 凄くない?」
かなり軽いノリで言うものだから全県の真面目に活動している皆さんが怒りそうだ。
「銅賞だった三年の先輩方なんか泣いてたぞ。そりゃもう、号泣で。
嬉し泣きじゃなくて、こんな奴に負けて俺の三年間はなんだったんだあぁーっ! ってね」
その時の光景が、ありありと目に浮かぶ。
が、同時にセンスがあるってこういう事を言うんだな、とも思う。
「すごいですね、皆さん」ら
実績は予想外に凄い部で素直に感嘆する、実績は――…。
「わたしは運が良かっただけですよ。
杞紗さんや三梨さんは写真を撮るのが上手ですが、私は上手くないですから」
二連雀先輩が謙遜する。
「更に凄いヤツがいて、滅多に顔を出さないがでっかい大会の社会人の部で高校生初の最高賞を獲った奴がいるよ。テレビの取材も来てたかな?」
「ちょっ…それは凄すぎてどれくらい凄いのか解んないです」
あまりの凄さに言葉が詰まる。
「私、知ってますよ。テレビで『天才少女現るっ!』とかいってやってましたから。
この学校の人とは知りませんでしたけど。サイン貰っとこうかなー」
四紅蓮は目を輝かせて興奮する。
(どうして、こいつは……)
僕はその横で声にならない声をため息と共に吐き出す。
「あの子は変わり種で、審査会では全然ダメなのにそういった大きい大会では大きい賞をとるんだよねぇー」
一条先輩が不思議そうに首を傾げる。
「大体、こんなとこかな? じゃあ、今日の部活は顧問も来ないから終了!」
鷺之路先輩が部活動の終了を告げると一条先輩は棚から何かを取り出す。
ーーごそごそ……しゅばっ!!
「よしっ! トランプしよっ!」
「今日は負けないからな!」
「いいですね。精一杯、頑張りますっ!」
先輩達がゴミ箱の上に折り畳まれたコンテナを置く。
「ちょっと待って下さい! なぜ、トランプを始めるんです?」
「えっ!? ウノが良かった?」
「そういう問題じゃあ……もういいです」
言うだけ無駄だろうから、言いかけて諦める。
「まあまあ、伽神くん達も一緒にやろう。親睦も含めて」
鷺之路先輩に言われるがまま、席に着く。
「いつも通り三回負けたらジュース、オゴリってことで」
「よしっ、始めるぞ。覚悟しろ、杞紗っ!」
一時間ぐらい経って鷺之路先輩が冷や汗をかきながら唸る。
「う~っ、だめだぁ~。勝てないーっ!」
どうやら、こういった勝負事に弱いらしく絶叫する。
「にしししっ……さっちゃんはホントこういうの弱いねぇー。ゴチになりますっ! 大貧民どの!」
一条先輩は笑いながら大貧民殿に手を差し出す。
「くそう。ほら、これで全員の分だ! 早く買ってこいっ!」
鷺之路先輩がとても悔しそうにお金を叩き付ける。
「あの、自分の分は出しますよ?」
「私も」
僕と四紅蓮が財布を取り出そうとする。
「いいよ。負けた私がいけないからね……」
鷺之路先輩は力無く呟き、がくりと肩を落とす。
「ではっ、いってまいりまぁーす!」
落ち込む鷺之路先輩と反対に一条先輩はご機嫌に部室を出ていく。
このとき、僕は何を飲むのか言うべきだった。
後に後悔する。
一条先輩が全員分のジュースを抱え戻ってくる。
そして、並べたジュースを見て目を丸くした。
――あずきバナナオレ・抹茶風味……。
あの悪夢みたいな味の飲み物が人数分きっちり机に置かれる。
「これ……美味しいんですか? すさまじい名前してますけど?」
飲んだことはある訳だが先輩方は飲んだことがあるのか確認する為にふせる。
「うんっ! めちゃめちゃ美味しいよ~」
「私も好きだな。特にこの後味が好きだね」
「美味しいですよね、あずきバナナオレ・抹茶風味」
なんてこった、三人とも好きらしい。
これで不味いからいらない。とは、言えなくなった。
横で四紅蓮のヤツがニヤニヤと嗤う。
「しいも大好物だもんね!」
(バカヤローっ! 逃げ道が無くなるだろうがあああぁぁ~っ!!!! )
トドメに余計な爆弾を投下して退路を断つ。
「そうなの? 支緒りんも好きで良かったぁ。コーヒーにしようか悩んだんだよね」
一条先輩は嬉しそうにまだら模様のアレを僕の前に置く。
(そっちで良かったのにぃ〜……今日は厄日だな………。
この調子でいけば、家に帰ったら全焼してそう)
がっくりと肩を落として冷たい円形物を持ち上げる。
「あっ、ありがとうございます。美味しくいただきます」
唇の先をピクピクと引き攣りながら金属製の円柱の蓋を開け、イッキに飲み干す。
口の中に苦痛が拡がる。
(げぇー、まずっ!)
ゲームには勝ったはずなのに完全に負けた。
そう、社会構造という闇に――…。
「ご、ごちそうさまデシタ」
口から魂が抜けてくのをただ見つめる事しか出来なかった。
「次は勝つからね!」
鷺之路先輩が金属物質を突き出して爽やかに笑う。
(これって勝っても負けても地獄だな)
解散した後、自販に寄って口直しにコーヒーを買って飲む。
小銭を探す時にポケットに手を入れたらきのう買ったプレゼントが入っていた。
「はい、プレゼント。昨日、買って忘れてた」
恥ずかしいのでぶっきらぼうに渡す。
「いいの?」
四紅蓮が俯き気味に受け取る。
「うん、欲しそうにしてたろ?」
目が合いそうになったので逸らす。
「アリガト…」
嬉しそうにケータイに付けてしばらく見つめると、
「私に似合うかな?」
そう言って色々とポーズを決める。
「……」
コーヒーを飲む手が止まる。
「似合ってるよ」
四紅蓮の普段とは違った女の子らしい表情や仕草に心臓が少しだけ大きく鳴る。
気付けば辺りはすっかり暗く学校内に生徒の姿が見当たらない。
「帰るかな……」
思った通り駐輪場もガラガラで自転車が殆ど停まってなかった。
自転車は二階に停めてあるので階段を上ろうとしたその時、四紅蓮が足を踏み外す。
咄嗟に受け止めて階段から落ちる。
ぐるり、視界が回り背中にドンッと衝撃が走る。
幸い、最初の2,3段から落ちたので大したこと無かった。
「うぅ……いったぁ〜……」
ぐったりとした四紅蓮をだき抱えて体を揺らす。
「四紅蓮っ! 大丈夫か!?」
少しの間を置いて四紅蓮が目を開ける。
「ん、大丈夫。問題ない」
「そうか、よかった」
「こうやって面と向かって話すのは久しぶりだな、支緒」
慌てる僕をよそに四紅蓮が泰然自若のさまで口角を少し持ち上げる。
「その口振りだともしかして今は紫蓮?」
「ご名答だ」
「珍しいじゃないか」
「四紅蓮のやつぁ、今のでノビちまったからな」
「にしても、普段出てこないのにどうして?」
「アイツがノビてないと口止めされてて出来ない話もあるのさ、入れ替わりの決定権も握られてるしな」
「……というと?」
紫蓮は立ち上がると少しだけ辺りを気にした様子で見回す。
「おい、支緒」
「ん?」
「お前はコイツと一緒に居てなにも思ったことはないのか?」
「……特には。むしろ、色々とありがたいと思ってるよ」
「なにも知らねぇってのはある意味じゃ幸せでいいな」
「どういうこと?」
「奏が死んじまった理由とか考えたことないだろ、お前」
「そんなの四紅蓮は関係ないだろ」
「おめでたいやつだな、お前」
紫蓮が呆れた顔つきで嘆息する。
「ーー……もしも、だ。もしも奏が死んだ原因は私らにあったとしたらお前は許せるのか?」
「許せるかは分からない、理由によると思う」
「……そうか。私は口止めされてるからアイツが話してくれるようになったら教えてもらうんだな」
「意味ありげな言い方するね」
「これだけは言える、アイツが死んじまったのはお前のせいじゃないからな……もうあんま気にすんなよ」
「それは違う、苦しんでる時に気が付いてやれなかった僕の責任だ」
「そろそろお目覚めの時間だ、時間がない……よく聞け」
紫蓮がいつもの眠たげな目付きをひそめて僕を見た。
「奏は自殺する前に私のとこにきて、こう言ったんだ」
固唾の飲んで彼女の言葉に耳を傾ける。
「支緒が私から離れていくかもしれないことが怖い……と。だから私は言ったんだーー……おっと、これ以上は四紅蓮に止められてるんだった」
もどかしそうに口ごもると彼女は頭をかいた。
「じゃあな。また機会があったら話でもしよーぜ」
一瞬だけ彼女が立ちくらみのようによろめくと、入れ替わりで四紅蓮に戻ったことに気が付く。
「……で、どういう事なんだ?」
僕はいても立ってもいられず、四紅蓮に問いかけた。
「ごめん、なにを……なにから話していいのか分からない」
「奏のことについて、知ってることを話してほしい」
「紫蓮からなにを聞いたかは分からないけど、ごめん……今はまだ話せることはなにもない」
少し間をあけて彼女が口を開いた。
「だけど……」
嗚咽を漏らしながら彼女はとつとつと語り始めた。
「答えにはならないけど言いたいことはある。たぶん、ほんと答えになってなくて……でもずっと思ってたことはある……」
掠れた声を絞り出しながら四紅蓮は言った。
「私の中には複数の私がいてどれが本当の私なのかーー……自分でも分からないんだ。
今の私が嘘の私で紫蓮が元々の私なのかもしれない。私という存在はひどく不安定で誰かの認識によって、“四紅蓮”というのは簡単にいなくなってしまうんだよ。
アレが自分の内に存在ると知った時から私はいつーー……私が消えるのだろうといつも怯えながら生きてきたんだよ。アナタがどんな私でも変わらず接してくれることが本当に私にとっては救いで、本心で言ったら私は奏が羨ましかった。私はアナタの隣に居るためにあらゆる口実を探して取り繕っているのに、あの子はそんなことしないでもアナタの傍にいられるのだから……私はそんな自分がとても惨めで嫌だったの。
それなのに、しいの心に深い疵を残しておいてそれでもまだ私は自分よがりだから、のうのうとしいの傍に居て笑ってる。たまに自分自身に吐き気して気が狂いそうになるよ、だけど全部手放せるほど勇気もありはしない。
悪魔は私自身なんだ――……私は大罪人なんだよ。
結局は私が、私達がしいを苦しめた元凶なんだよ……」
月明かりの下で涙を零して苦しむ彼女に言葉をかけることが出来ず話を聴くことしか僕には術がなかった。
(四紅蓮はずっと苦しんでいたのに近くにいて気付いてあげれなかったなんて!
こうやって苦しみを打ち明けてくれても助けてあげることが出来無いなんて!
知ってる事なのに繰り返すのなら知らないのと同じじゃないか。最低だ…そんなの)
そして何故か、僕の目からは泪が溢れていた。
「なんで、しいまで泣くのよ? 意味わかんないよ…」
帰り道はお互い喋ることはなかった。
長い道のりが更に遠くに感じる。
四紅蓮の家の前に来て四紅蓮が家に入ろうとする。
ここで何か言わないと四紅蓮がこのままいなくなるんじゃないのか……そんな気がして渇いて貼りついた口をむりやり開く。
「今日の晩御飯は鰈の煮付けがいいな。昨日、買ってただろ? 四紅蓮の作る煮付け、実は大好きなんだ…僕」
長い道のりを……長い時間かけて考えたのにそんな言葉しか思い浮かばなかった。
「うん……そうだね、考えておくよ」
そう一言だけ残して四紅蓮は闇に融けた。
その日、四紅蓮が家に来ることはなかった。
味のしない味噌汁とご飯を食べ、冷えた布団に入って眠りについた。
・・・・・・・――――――――――――――――――――――――・・・・・・・
その夜、祭鳩寺 四紅蓮は眠れずにいた。
「そう、私は悪魔。ソレは逃れることの出来ない業…解ってるよ、紫蓮」
新月を近くに迎え、紙の様に薄くなった黒い月を見つめて四紅蓮は静かに呟く。
「あなたは私、私はあなた。切り離せない存在――……」
四紅蓮は灯りを落とし部屋の鏡に自分の姿を映す。
薄い月から漏れる僅かな光が四紅蓮と壁に貼ってある親友と撮った写真を照らす。
「自分の罪から目を逸らす為に、あなたは居るの」
写真が少しめくれ、月が黒々した赤に染まる。
「だけど、私じゃないーー……彼女を殺したのは、あなた。だから、私は悪くない!」
四紅蓮が鏡に向かって何かを懺悔するように語り出す。
月が雲に隠れて全てが闇に包まれる。
鏡に映る四紅蓮の姿は少しの間だけ消え、再び現れる。
「いい加減、認めろよ。奏を殺したのはお前だ、四紅蓮。
私とお前は同じ存在なんだ。人に全部、押し付けんなよ」
すると、鏡の中の四紅蓮が喋り出す。
「違う! 確かにあなたと私は同じ存在だよ。だから、半分は私の所為……でも、勝手に手を下したのはあなたでしょ!」
四紅蓮は鏡に映る自分に対して声を荒げて睨みつける。
「お前が望んだから私はやったんだーー……何回、同じ事を言わす気なんだ?
私はお前の闇だ! 目をそむけんじゃねえ! 自分の罪を受け入れろ、四紅蓮!」
もう一人の四紅蓮も、いい加減うんざりだ。と、いわんばかりに叫ぶ。
辺りが真っ暗になり、四紅蓮と四紅蓮の二人だけが浮かび上がる。
「やめてっ! 紫蓮!! 私は望んでない……奏に消えて欲しいなんて望んでない!」
四紅蓮が肩を震わせ塞ぎこむ。
「嘘をつくんじゃねえ! 確かにお前は望んだ! 臆病で穢いお前の為、代わりに私が手を下したんだ!」
紫蓮の言葉は四紅蓮に反撃の隙を与えない。
「お前は支緒の傍に居る奏が疎ましかったんだ! 支緒が自分じゃなくてアイツを見ていることが妬ましかったんだ! そうだろっ!」
その呪いの様な言葉が四紅蓮を執拗に責立てる。
「罪の十字架をしっかり背負え! お前は人殺しなんだ! 嫉妬に狂った悪魔なんだよ!
ホントは認めてるくせに、何で背負わねえんだ!
どうして……私だけに背負わすんだよっ!」
それまで聞き続けていた四紅蓮が手を激しく振り払いながら反論する。
「勘違いしないでっ! あなたに背負わせてるんじゃない!
あなたが背負うべきモノだから私は背負わないだけ!
私のフリをして私を語らないでよっ!!」
「お前はいつもそうだ! お前が認めない今もアイツはーー……支緒は深く傷ついているんだぞ! 自分の所為で奏が死んだ。って、なあ!
だから、自分のエゴは捨ててアイツを解放してやれよ――……」
四紅蓮と紫蓮が、激しく口論し合う。
「イヤっ! しいが本当の事を知ったらきっと幻滅する。私から離れてしまうよ…」
「そうかい! そうやって、自分をおキレイに保つことだけは、何時でも必死だなあ!
例えそれで他人が傷ついていても知りません……てか?
穢いお前らしいなあ、四紅蓮さんよぉ!」
「そうじゃない! しいが私の傍から居なくなるのが怖いから言えないだけだよ! 私の決めたことに口出ししないでよ!」
二人がグルグルとせめぎ合い、お互いの主張を繰り返す。
「よく解ったよ。お前はサイテーでゲスな奴だってことがなあ!
自分の罪を全て人に押し付けてこともあろうに支緒にも背負わせてる――…。
あれだけのことをしておいて白々しく傍に居るなんて……吐き捨てるほど穢いヤツだなっ!」
紫蓮は呆れ顔で侮蔑の言葉を投げつける。
「もう嫌っ! 消えて!」
その言葉に耐え切れず四紅蓮が紫蓮を拒絶する。
「はいはい、消えますよ」
鏡に映る紫蓮の姿が四紅蓮に戻る。
「私は……私は悪くないーー……。悪いのは、紫蓮と弱かった奏の二人……。
けど、紫蓮は私……。だからあの子の罪は半分、私のモノ……。
私はどうしたらいいの? どうしたら、救われるの? 教えてよ…誰か教えてよ!」
霞む月明かりの中、一つの罪が悲痛な叫びを上げる。
なびく写真に深紅の文字(envy)が、落とした滴で刻まれていた――。