序章-プロローグ- + 1章
♯0「招待状は闇と銀に滲んで」
ーー少し昔の話をしましょう。
寂しがり屋な神様と彼が愛した七つの欠片のお話を――……。
ある日、神様は思いました。
「私は何でも出来て、何でも作れる。だけど、何も持ってない……」
神様は孤独でした。
天地や万物は作る事は出来ても自分と対等の存在――。
家族や友人を造る事を彼は出来なかったのです。
なぜなら彼は神様だから。
「誰かと笑い合いたい。誰かと心躍る事がしたい」
神様は日に日に募る思いに心を痛め、とうとう世界を造り直そうと決めました。
それはとても恐ろしい行為でありとても悲しい行為でもありました。
孤独と焦燥感に駆られた彼に理性は無くあるのは満たされない想いと一途の期待だけでした。
「次に造る世界には自分と同じ存在、自分と対等の何かが現れるかもしれない」
淡い期待を胸に神様は世界を洗いました。
嵐を吹かせ、大地を砕き、海原を凍らせ、陽を閉ざして全てを枯らしました。
既に世界に芽吹いていた生命は次々と息絶えていき、世界は何も残らないくらいに洗濯されてしまったのです。
洗濯された世界を見渡して神様は自分が行った事への責任の重さと愚かさに初めて気付いたのです。
「私は……私は何と愚かな行為をしたのだろうか。自分のエゴの為に自分が造った子供ともいえる幾億の命を奪ってしまった――…」
何も無い閉ざされた世界を神様は歩きました。
昼は吹き荒ぶ風に打たれ、夜は星の灯りを頼りに凍える寒さに身を晒して何日も何ヶ月も何年も歩き続けました。
自分の過ちを踏み締めて悔い改める様に歩を進めたのです。
そうして幾年を歩くうちに神様はある場所に辿りきました。
「奇跡だ、こんなことが起こるなんて……」
そこには枯れたはずの花が芽吹いていたのです。
一輪だけではなく大地を埋め尽くすように花は咲き乱れていました。
神様はそのうちの幾つかの蕾に祈りを込めました。
「一度、枯れた花でもまた咲けるのなら」
ひとつひとつの蕾に神様の持つ百一の感情を贈りそっと手を離すと蕾から天使が現れたのです。
自分と同じ姿を持つ天使に神様は震えました。
「私にも家族が…友が……出来た」
そして神様は天使たちを自分の住む天界へと導き、宴を始めたのです。
それは何年も続きました。
神様が喜びに流した涙は雨となり大地は再び緑を取り戻し生命に溢れ返りました。
「天使達よ。私は一度、大きな過ちを犯した。だから私にはこの世界を導く権利は無い。
お前たちにソレを託そうと思う。
其々、思い思いの地へと趣き私の代わりに世界を導いて欲しい……頼む」
神様がそう告げると天使達はそれぞれの場所へと散りました。
そして、それぞれの場所で天使達はある者は犬を…ある者は鳥を…神様の見よう見真似で創造していったのです。
全ては神様の望んだ通りに事が運びました。
しかし、そんな神様にもやがて寿命が訪れました。
神様は残りの力で七つの特別な感情を込めて最後の天使を作りました。
自分が自分である誇り・食べる事の喜び・愛するという事・己の過ちへの怒り・何かが欲しいという気持ち・かつて抱いた悲しみ・最後に休む事に対する安らぎを一人一人に贈り呟きました。
「私がまた生まれる事が出来た時は必ず傍に来て欲しい」
そう言い残して神様は息を引き取りました。
そして神様の体はいつしか大きな樹へと変わり天使達と世界を見守り続けたのです。
―お話はここで終わりです。
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#1「さあ、パーティを始めましょう。みんなでいつまでも、終わらぬように……」
僕は狂気に満ちた道化師だ。
始めに気付いたのは母親の葬式の日だった。
皆が涙を流して悲しみに包まれる中、僕だけがひとり――……。
「ああ、人が死ぬってことはこんなものか…」
からっぽの心で、そう感じていた。
そんな毛並みの違う自分を周りに気取られないよう、必死に悲しむフリをした。
形など無いくせにあるかのように取り繕い、ただただ…誤魔化してその場を乗り切ることだけが頭の中で栓を抜いた水が流れ落ちてくみたいに周りの音を掻き消すほど大きな音をたてて回っていた。
僕は自分が情けなかった。
「狂っている……」
感情なんて、心なんて無いのに「確かに自分は居る! 存在している!!」と、わざとらしく主張する自分に嫌気が刺した。
線香の匂いに咽かえりお坊さんの低く響く声に吐き気を憶えた。
次第に周りの眼が自分を責めている様に思えた。
(狼が獲物を喰らうかの如く、このからっぽの心を暴くのではないのだろうか…)
そう錯覚したことに今でも怯えている。
百年に一度とまで言われた大恐慌も過ぎ、冬に積もった雪が溶け、僕は高校生になり、新たな一歩を踏み出した。
僕には高校生になったら、入ろうと思っていた部活がある。
それは、写真部だ。
母も高校生の時に写真部であったし、あの子も写真部に入りたいと言っていた。
なにより、部活に入れば何かが変わると思えた。
運動部はまっぴらゴメンだし、写真部くらいならそんなに縛られる事も無い、そう考えたからだ。
僕はホームルームが終わると共に、教室を後にした。
オープンスクールの時に貰った地図を頼りに、急ぎ足で階段を駆け上がる。
陽の光と影を交互に受けながら、少し長い廊下を通り抜け、息を切らして写真部の部室の前に着くと、扉は閉まっていた。
鍵は掛かっておらず、扉を開けるともう一枚、扉があった。
(もしかして、入学式の写真でも現像しているのかな?)
僕はコンコンッと、二つ問いかけた。
中からの返答は無いので、「失礼しまぁす…」と、小さな声で扉を開ける。
「うわぁっ……」
あまりの暗さに、思わず驚いてしまう。
室内は、現像液や定着液の酸っぱい匂いが混じり合って充満しており、現像する際に光が入ってはいけない為に窓が無い…という理由からか、おそろしくジメジメとしていた。
電気のスイッチを恐る恐ると探す。
「これかな? …違うな。こっちかな? 違った。
じゃあ、これ? …あれ、また同じのを点けちゃった」
現像中のランプやら、三色灯やら間違えて、点けたり消したりを繰り返して、やっとの思いで明かりを点ける。
室内は狭く、人が7,8人入るか入らないか程度の広さしかなかった。
ざっと見渡すと、カメラが置いてある棚に、現像するためであろうシンク付きの机と、少し長めの黒い机、それから、“定着液 ”などと書かれたロッカーが、幾つか積み重なっていた。
パイプ椅子もちらほらと散乱している。
(なるほど、これだけを見れば写真部、だ…)
部室の一角で、生活臭の漂うモノが特異な存在感を放っていた。
僕は咄嗟にツッコミを入れてしまう。
「いやいや、オカシイだろ! 冷蔵庫はフィルム保存の為にあるということはわかる。だけど、布団や電子レンジ、ケトルはなんの為だよっ!! 誰か棲み付いてるのかよ!?」
誰も居ない部屋で、声だけが響く。
「……。」
もしやと思い、冷蔵庫を開ける。
中には、ジュースやポッチー、「杞紗のプリンっ!」と書かれたが保管されている…。
そして、隅に追いやられたフィルム達がふて寝をしていた。
「やっぱりあったよ! 部の備品、私物化されてたよ! “杞紗のプリンっ! ”じゃねーよ!!
大丈夫かっ!? ここの部活動。 ……頭、痛くなってきたぁあっ!」
溜息をつき、勢い良く冷蔵庫を閉める。
「ひとりでなにを言ってんだろう、僕」
虚しくなり、目線をふと机に落とす。
すると、少しホコリをかぶり白ぼけた黒色の机に濃いピンクのアルバムが置いてあった。
ピンク色のソレは机の黒でいっそう濃く見え、際立っていた。
そのせいか、中の写真を見たい……という衝動に、拍車をかける。
「見られてマズイものだったら、こんなところに置かないよな?」
渇いたツバを飲み込み、硬い表紙をめくる。
あまりの衝撃に痺れて、手が止まる。
そして、初めて見た写真のはずなのに、何処か懐かしい匂いを運ぶ。
「この写真、見た事ある……気のせいかな?」
まるで、写っている人物が動いているかの様な躍動感…。
爽やかな風が吹き抜け、周りの音が聞こえてきそうな臨場感ーー……。
一枚の写真から確かに伝わるストーリー。
その中に感じる寂しさを、眼に焼き付けるように見つめた。
「何故だろう……何かが引っかかる……」
しばらくしてゴンッという鈍い音と共に聞こえた、「痛っ!!」という声で、我に返る。
「なにしてんの?」
後ろから聞こえた声に反応して、慌ててアルバムを机に置く。
「えっ…と…」
振り向くと女性がエメラルドみたいな碧色の瞳をうるうるとさせ、こちらを眺めていた。
気まずい空気になり、少しの間だけ時が止まった様に見つめ合う。
「私は一条杞紗。この写真部の2年だよ。きみは?」
春風になびく草原のような髪を揺らして、僕に問いかける。
(うっ…なんつー恰好をしてんの、この先輩)
よく見ると、襟元が大きく開かれており、メリハリのあるボディが強調されていた。
「僕は1年の伽神支緒です。写真部に入部したくてここに来ました」
僕は目線逸らしながら、答える。
僕の挙動から、先輩は自分の服装が乱れてる事に気付いたようだ。顔をピンク色にしていそいそと直す姿が微笑ましい。
「………」
そして、二つの疑問に気付き、先輩の言葉を待たず口にした。
「いつから居たんですか? それと、冷蔵庫のプリンって先輩の……ですよね?」
先輩は何かを思い出すように、顔をしかめて考え込む。
「朝、部室に来て入学式をサボろうと思って…机に隠れていたら、なかなか居心地良くて、気付いたらーー……寝てた?」
先輩がこちらを見て、不思議そうに首を傾げる。
「どうして疑問形なんですか! それに、サボっちゃ駄目ですよっ!」
脳を通さず、脊髄で反応してしまう。
「だって、めんどいじゃん」
先輩は邪気の無い笑顔をして、質問の続きを答える。
「そして、放課後になったらプリン食べようと思って冷やしておきました!」
黒いカチューシャからはみ出て垂れ下がった二束の長い髪が、ぴょこんぴょこんと跳ねているようにも見える。
「この学校はおかしの持ち込み禁止ですよ?」
僕は呆れながら校則の確認をとる。
「プリンはーー……スイーツですっ!」
「一緒ですっ!!」
勢いよくツッコむと、びっくりした顔をするので、「なんで『そうなの?』みたいな顔してるんだよ! 常識で考えろよっ!」とツッコミを入れてしまい、バツが悪くなって再び眼を逸らす。
すると、先輩は眼を細めて唇を吊り上げ、ニヤリと笑う。
「会ったばかりの先輩にタメ口とは、 “ふりょー”なんだねぇ~、支緒りんは」
「会ったばかりの後輩を変な呼び方する先輩に、不良呼ばわりされたくありません! 一条せ・ん・ぱ・いっ!!」
自分のミスを棚に上げて、少し強い口調で言い返す。
今度は機嫌を損ねたのか、いじけた顔をしたので、
「少し強く言い過ぎました。すみません」
と、謝る。
次は笑顔になり、偉そうに胸を反る。
「わかればよろしい!」
などと言い、すっかり機嫌を直す。
(表情がコロコロと変わるヒトだなぁ。そして非常に扱いやすいな。からかったら、面白いだろうな)
そんな失礼なことを考えていると、ドアがガラッと開き、影が二つ入ってくる。
「人のことがいえるのか、杞紗?
お前は人様に言う前に、そのダメ人間丸出しの生活態度をなんとかしろ。サボり常習魔の社会不適格合者」
「そんなことないですよ。杞紗さんはしっかりとしてますよ? 三梨さん」
僕と先輩はドアの方を振り返る。
背の高い、モデルのようにスラッとした体型に、腰まであるブロンドの髪が綺麗な美女と、少し…というか、かなり天然そうな黒髪ストレートの女子高生らしい女子高生の、異様とも言える組み合わせの二人が立っていた。
「あ。さっちゃんこそ、今すごく失礼なことを言ったあ」
先輩が金髪の美女に対して、不満な顔つきをする。
「本当のことだろうが、このアホが。年下相手に大人気無い。あと年上を“さっちゃん”とか、あだ名で呼ぶな、アホ」
美女はルビー色のきついツリ目を更にきつくして先輩にデコピンを喰らわそうとする。
「杞紗さんはアホではないです! 他の方より変わっていらっしゃるだけですっ!」
そこを黒髪の女の子が身を挺して庇いながら、さらっと失礼な言葉を先輩に向ける。
「杏くん? 庇うならちゃんと庇ってよ……」
先輩が顔を強張らせて苦笑いをする。
「それ、フォローになってないです」
僕も思わず呟く。
「ふえっ! すみません」
その人は何故か先輩ではなく、僕に向かって頭を下げる。
(いや、僕に謝られましても……ねぇ)
下げた頭から、水色のリボンに括り付けられた黒曜石の様なアクセサリーが零れ落ちる。
(変わったアクセサリーだ。なんだか見覚えがあるな)
しばし、その髪飾りを注視して考えてみるが、一向に思い当たらない。
そんな事を考えてる僕をよそに、三人のやり取りは続く。
「まあ、杞紗は変人だから間違ってないしな。謝ることもないだろう。変わってると言われても、褒め言葉とかだと思ってるだろ」
金髪の女性は可哀そうなモノを見る目で、冷やかに一条先輩を見つめる。
「ううっ……、わーん。杏くぅ~ん、さっちゃんがイジめるよぉ~」
その視線に耐え切れず、一条先輩が女の子に泣きつく。
「私はいつでも杞紗さんの味方ですよ」
「なら、私の敵だな」
金髪の女性がイジワルな笑みを浮かべる。
「そっ……それは困りますっ!
今のはどちらか一方の味方という意味などではなくて、ですねっ……。ふわわわわ、なんと説明したらよろしいのでしょうか――……」
黒い髪の困り果てる仕草を見て、金色の髪が握り拳を作って震える。
「くっ……可愛いなぁ、ちくしょー。冗談だよ。
私は杏のことが大好きだからな」
美女が黒い髪にぽんっと、白い手を置く。
「はうぅっ!?」
「ああっ! ズルいよ。私もきょーくんを抱きたーい」
先輩も抱き付こうとするが、あっさりと跳ね除けられる。
「しっしっ、こっち来るな! アホが感染る」
「なにおう、さっちゃんのドケチっ!
どーせ、そんなケチってばっかいるから胸の栄養までケチってんでしょ!」
先輩も負けずと、言葉の暴力でお返しをする。
「ーー……っんだと、お前よかマシだっ! ヘチマ頭。
頭に栄養がいかないで胸にばっかいって、脊髄で物事を決めてる奴よりはなっ!」
女性は先輩に近づき、金の髪を逆立てて睨みつける。
「あぁ? 随分と躊躇いなく、言ってくれるじゃん。
ハイ、私もうキレマシタ……泣かしてやんよ!」
先輩が指を鳴らして、歯を剥き出しにする。
「ふ、二人とも……」
ふるふると震えながら、女の子が止めようとする。
(虎と獅子に挟まれて、兎が震えているみたいだ…)
既に二人は聞く耳持たず、といった感じだ。
「ほう、どうやって? 教えて貰おうか、アホ女……。 泣くのはおまんだっつーのっ!」
鼻と鼻をくっつけて、二人が唸り合う。
「落ち着いて下さい…ぃ……」
必死に二人を止めようとする黒い小動物が弾き出される。
それがゴングとなり、取っ組み合いが始まる。
僕は長くなりそうなので、椅子に腰かけて話合いが終わるのを待つ。
―待つこと、三十分……。
「ん? ごめんね。自己紹介をまだしてなかったね。私は、三年の鷺ノ路三梨」
金獅子さんが呆然とする僕に気付き、声をかけてくれた。
かなり激しい話し合いだったらしく、服が肌けていて首飾りがちらっと見える。
(あっ…、さっきの髪飾りと同じネックレスだ。違うのは赤色ってとこだけだな)
少し考えてみたけど、やっぱり思い当たらなくて、まったく関係ない話をする。
「 “さぎのみち ”とは、すごい名字ですね」
何処かで聞き覚えのある名字ではあった。
「……よく言われるよ」
鷺ノ路先輩はフッと、笑いを浮かべる。
「ちなみにあだ名は、さっちゃん。りったんも可っ!!」
「黙れっ! アホ!」
会話に割って入った一条先輩が怒られる。
「アホ、アホって連呼しやがって…ぇ……さっちゃんなんて乳無しのくせにぃ~……」
とても悔しそうに歯ぎしりして、ぼそっと呟く。
「なんか言ったか? このアホ娘……」
(うわぁお、笑顔でキレていらっしゃる……)
「なんでもないです。すみません」
顔を真っ青に染めて、一条先輩が謝罪する。
どうやら、先ほどの話し合いは鷺之路先輩に軍配が上がっていたらしい。
「ったく、お前がいると話が進まない」
呆れた口調で、鷺ノ路先輩が溜息を零す。
「で、こっちにいるどんくさそうなのが…」
「どんくさそうとは、酷いですっ! 三梨さん」
半泣き顔になりながら、黒うさぎさんも自己紹介をする。
「三年の二連雀杏です。よろしくお願いします。えーっと……」
何と呼べばいいか解らず困っているので、自分の自己紹介がまだであることを思い出し、「あ、すみません。僕は1年の伽神 支緒です。よろしくお願いします」と自己紹介をする。
「はいっ、よろしくお願いします。支緒くん」
優しい笑顔で微笑まれて、思わず赤面する。
「あーっ! 支緒りんが杏くんに欲情してるぅー」
一条先輩が横で余計なことを叫ぶ。
「えっ!」
二連雀先輩が三度、困惑する。
「先輩! 変なこと言わないで下さい!」
僕は慌てて反論をする。
「それは困る。杏は私のものだからな」
にぃーっとイヤな笑いをひとつして、鷺ノ路先輩も乱入してくる。
「ふええっ!!」
更に、おろおろと困惑する二連雀先輩。
「さっちゃん。杏くんは、みんなのものだよっ!」
それはオカシイと、言わんばかりに一条先輩は意見する。
「それも、そうだな」
「杞紗さんも三梨さんも大好きですっ!」
「私もだよ~。杏くぅん」
(……三人で抱き合って、頬ずりし合ってる。なに? この空気……)
しばらく時が経つ。
(よしっ! 変な空気になってきたから換気しよう)と思い、質問をする。
「ひとつ気になったんですが、三人はどういった関係ですか?」
一条先輩は笑いながら胸を反る。
「幼馴染で親友なのさっ!」
続けて鷺ノ路先輩が答える。
「違うだろ! お前は近所の喧しいサルだ。
サルと人との間に、友情が成り立つと思っているのか? なぁ、杏?」
すると、鷺之路先輩のアイコンタクトに合わせて二連雀先輩が返す。
「おさるさんとは可愛らしいですっ! 杞紗さんによく似合いますね」
「杏くん、何気に酷いっ!」
一条先輩の扱いがあまりにも酷いので、僕も流れに乗り、
「大丈夫です。一条先輩は一応、人間ですよ」
と一条先輩に今日一番の笑顔を送る。
「君のが一番傷付いたよ……支緒りん……」
本気で落ち込んでいるみたいで壁に向かって座り込み、うなだれてしまった。
そして、「いくらなんでも酷いよぉ~」とすすり泣く声が聞こえてくる。
「杞紗は、ああなると長いんだ。早く謝った方がいいよ。
酷い男だなあ、君は。女性を泣かせるなんて信じられないなー」
鷺ノ路先輩が横で、自分を棚にあげて僕を責める。
(最初に言い出したのはあなたでしょ?)と思いつつも、一条先輩に謝罪する。
「一条先輩、言い過ぎました。すみませんでした」
更に一言、添える。
「先輩は表情がころころと変わって可愛いので、つい」
すると、一条先輩が耳まで赤くして照れ、「わ、わかればいいです…」そのまま、大人しく席に着く。
(本当に、からかい甲斐のある人だなぁ)
「……君は、私と同じ匂いがするね」
いきなり耳元で声がした。
「うぁっ!?」
振り向くと、鷺ノ路先輩は今にも唇が触れそうな距離にいた。
興味津々な瞳でこちらを、じーっと見つめてくるので耐えられずに離れる。
「近いですっ! 先輩」
「面白いなぁ、君は」
鷺ノ路先輩が悪戯に笑う。
(からかわれたのかな? 僕…)
この人の前で一条先輩をからかうのは少し控えよう。
「三梨さん。忘れ物を取りに来たのでは、なかったのですか?」
二連雀先輩が何かを思い出したように、小さく口を開く。
「ああ、そうだった。つい長居をしてしまった」
そう言いながら、鷺之路先輩は黒い机に置かれていたアルバムを手に取る。
主を見つけたピンク色の本は机にあった時より鮮やかに、彩りを取り戻すみたいに輝く。
ただ単に光の当たり方でそう見えた……だけなのかもしれない。
だけど、僕には忘れられた存在が、見つけて貰えた喜びに、声を上げているように思えてならなかった。
自分が彼女に見つけて貰えた、あの時のように……。
「あ、そのアルバム。鷺ノ路先輩の物だったんですね。勝手に見てしまいました」
だけど、いずれは捨てられてしまう。
もう、いらない……って、なんの前触れも無く知らないうちに……。
あの本だって、捨てられた事も、置いていかれた事も、気付かずにいつか朽ち果てる。
そうして思い出に縛られ、前を見ようとしないで足元から緩やかに心が崩壊していく…。
そんな感情に支配されて、自分だけが全てから拒絶されたようなあの感覚を思い出す。
なぜかは解らないけど、僕はあのアルバムに自分を重ねてしまった。
「こんなつまらない写真で良ければ見ても構わないよ」
謙遜してなのか、あんなに素晴らしい写真を “つまらない”と、鷺之路先輩は勝手に見切りをつけてしまう。
忘れたはずの…置いてきたはずの痛みが、チクリと胸を刺す。
「そんなことないです。先輩の写真、とてもキレイでしたよ。爽やかな中に影があって、ソコに惹かれました」
だから、僕は勿体無いと感じて、そう言った。
いや、本当は自分が否定された様に思えて、嫌だっただけなのかもしれない。
「……っ! …ありがとう」
鷺ノ路先輩が驚いた顔をした後、嬉しそうに笑う。
僕に、その笑顔は眩しすぎて苦しくなり息をすることも出来なくなる。
(この人は奏に似ているんだ。だから、アルバムと自分を重ねてしまうのかもしれない。嫌だ……やっと捨てる事の出来た感情が、忘れさせない。とまた顔を覗かせるなんて耐えられないっ! ……どうか、お願いします。僕の心に触れないで下さい。気付かないで下さい……)
僕はこの黒い気持ちが暴かれたのでは……と、少し怯える。
平静を装っているつもりではいるが、出来ているのかもわからない。
「二・三年は今から式場の片付けがあるので、そろそろ教室に戻るよ。
すまないが、放課後まで待っているか、また明日来てくれ。あと、そこのアホはどうせサボるだろうから、暇つぶしに使うといい」
くるっと振り返り、鷺之路先輩が歩いていく。
「私はおもちゃですか!?」
後を追うように、二連雀先輩も去っていく。
「では、また会いましょう。杞紗さん、支緒くん」
「無視っすかぁ!?」
二人は笑いながら出ていく。
しばらく部室が静まりかえる。
「ぷっ…」
思わず、吹き出してしまった。
「なぁ~に、笑っているのかな? 後輩クゥ~ン?」
先輩の顔が引き攣り、眉がピクピクと動く。
「だっ、だって先輩。必死にツッコんでいるのに、シカトされてるんですもん。
お、おかしくて笑っちゃいますよ。アハハハ…」
「わ、笑うなぁ~!」
相当恥ずかしかったみたいで、先輩は顔を赤くする。
(顔を真っ赤にして怒る一条先輩も可愛いな)
とか、そんなことを考える。
「ところでさ、支緒りん。私たちを見て、何か感じなかったかな?」
いきなり神妙な顔で尋ねてくるので調子を外される。
「 皆さんキレイな人達だなあ。とは、思いましたけど――……」
なんと答えればいいか解らず、思ったことをそのまま口にする。
「ふ~んーー……まあ、いいけど。
それともう一人、部員が居るからあの子にも多分同じ事を聞かれると思うよ」
一条先輩の言葉を不思議に思いながらも、もう一人の先輩について尋ねる。
「もう一人の先輩って、どういう人なんですか?」
……先輩の顔から血の気が消える。
(もしかして、地雷でも引いちゃった…? やばい、意外とめんどくさいぞ…この人)
さっきまでの煩いテンションは何処へいったのか……まるでお通夜のように場が凍りつく。
「そうだ! 私も片付けに行かなくちゃ! じゃね!」
先輩が部室から逃げようとする。
「なに、逃げようとしてるんですか? 教えて貰えませんか、逃げる理由?」
「黒いっ! 笑顔が黒いよ、支緒りん…」
慌てる姿が可愛いので、つい追い詰めてしまう。
じりじりと後ずさる先輩を逃がさないようにドアの前に回り込む。
(うわ、めっちゃ目ぇ泳いでる! 絶対、何かあるな…)
僕が視線を向けると、すぃーっと目を横に逸らして吹けてない口笛まで吹き始めた。
「逃げてなんかないデス。やだなあ、勘違いダヨ……そんなの」
先輩は意味のないやり取りに堪えれなくなったのか、苦虫でも噛み潰したみたいにあからさまな態度で、口ごもごもに答える。
「……」
先輩の肩を掴み、無言で問いただす。
「彼女はとてもイイ子……デスヨ? ハイ。支緒りんモ、気に入るト思イマス……」
よほど、もう一人の事を褒めたくないのか、それともこれ以上は話題にもしたくないのか、言葉の端々に拒絶の色が滲んでいる。
「ちょっと待ってください。今の間は、なんですか?」
「イエ。特に意味ない、デスヨ?」
「なら、なぜ語尾がカタコトなんですか?」
「う、イタイところをつくね。まあ、会えばわかるよぉ…」
「さいですか…」
一条先輩の涙ぐむ様子を見て、これ以上、聞くのは酷だと判断し問うのをやめる。
ーーブブッ…ブブブッ…ブッ?
唐突に携帯デンワが震えた。
慌てて電話に出る。
「もしもーー……」
「コラぁーっっ! 今日、一緒に帰る約束したでしょ!」
電話越しに、すごい怒声が聞こえてくる。
「あの、間違い電話デスヨ」
「そうですか、すみませんでした」
ーーガチャッ。プーッ、プーッ…。
電話が切れて、一呼吸はいる。
ーーブーッ! ブーッ! ブブブブ、ブーッ!
また、電話が震える。
「なあにが、『間違い電話デスヨ』なの。
やっぱり、しいの電話じゃない! 騙される訳ないよっ!」
再び、喧しい怒声が耳に刺さり脳が震える。
「一度、電話を切ったのにぃー?」
待ち合わせを忘れた自分に非がある訳なのだが、こうも五月蝿いと腹立つので、少し意地悪に尋ねる。
「うぐっ……べ、別に騙されたわけじゃなくてぇ…えぇ…と、騙されたフリをしたのっ!
しいのしょうもないボケに合わせてあげたのっ!」
話ながら一所懸命に考えた解り易い言い訳を、得意気に言い放つので、「『今、思いつきましたあ。』なんてレベルの言い訳で勝ち誇るのは、バカのやることだぞ」と、言い返してやる。
「そ…そんなことっ、ないよぉー」
電話越しの声がひきつっているから動揺してることが手に取るように判る。
「アー、ハイハイ。ソーデスネ。 じゃあ、そういう事にしとくよ」
電話なので表情は見えないが、口惜しがっている姿がハッキリと見える。
「ホントなのにぃ~。とっ、とりあえず早く中庭の自販機の前に来るように。おけーい?」
「りょーかい」
「んじゃ」
ーーガチャッ。
(アイツはバカか……わかりやす過ぎる。もう少し動揺を隠せよ)
ケータイを閉じて、溜息をする。
「というわけで、お先に失礼しま―……」
あの音量なら聞こえただろうと思い、そう言いながら先輩の方を向く。
「なになに? 彼女ですか?」
「……。」
えらくゲスな顔をして、こちらを見ていた。
だから、爽やかに答えてやる。
「そーですよ。今のは三番目の彼女ですね」
「うけけ、やっぱりねぇ。…って、えっ、えぇ! 三番目ぇえーっ!?
彼女、三人もいるの!!!??」
すると、一条先輩は眼を皿にして顔芸をかます。
(やっぱり、いいリアクションするなあ)
面白いくらい、良い反応が返ってくる。
「はい。あと、キープしてるのが二人ほど」
楽しいから、もうひとつ嘘を吐く。
「ぶふぅーっっ! 支緒りん、草食なフリしてメチャ肉食な方でしたかっ!
このナンパヤローめぇぇぇええーっ!」
先輩の声が部室にこだまする。
思わずニヤけてしまう。
「嘘に決まってるじゃないですか。彼女なんていませんよ」
今度は無表情になり、荒んだ眼で睨まれる。
「ハッ、嘘ですか? そうですか! すっかり、騙されましたよ!
どうも、本当にありがとうございます!」
怒ると面白いのでつい、からかってしまう。
「こんなヤツがモテる訳ないじゃないですか。では、お先に失礼します」
ドアを半分ほど開けてから、
「先輩。悪い男とオレオレ詐欺に気を付けたほうがいいですよ?」
心配なので、そう忠告して部屋を出る。
「余計なお世話ですぅーっ!!」
先輩の声がドア越しに響いた。
中庭に行くと、自販機の前でハチ公みたいにちょこんと座って、誰かを待っている女の子が居た。
まあ、待ち合わせの相手というのは僕なので、めんどくさいが声をかけてやる。
「あのね…心の声がマル聞こえなんだけど。てか、声に出てるよ。人のことを犬扱いしたり、めんどくさいとか言いたい放題すぎだよ」
「ああ、ごめん。ハチ公の方が賢いから、捨て犬のほうがしっくりくるかな?」
「あんた、人をなんだと思っているの? キレるよ?」
「まあまあ、なんか飲む? おごりますよ」
「やたっ!」
この様に少し餌付けするとすぐに機嫌が戻る、とても単純で扱い易い生態をしているのは、僕の幼馴染で隣に住む同じ一年の祭鳩寺四紅蓮。
細身で背は平均よりちょい上、見た目だけはかなり良く、異性・同性問わず人気がある。
右眼が金の様に輝く黄色に、左眼が銀がかった灰色の一般に言われている “虹彩異眼”って、やつである。
普段は左眼を前髪で隠しているので、滅多に見ることはないのだが……何故、隠しているのかはそのうち解るだろう。
因みに本人曰く体重が軽くて食べても太らないことが自慢らしいが、それは胸が乏しい上に頭の中身が少ない。
故に考え事をする際、人の何倍ものエネルギーを消費しているからだ。
ーーと、長年の付き合いからそう結論付けている。
ーーごんっ。
鈍く、鋭い音が頭の中でする。
「ぐはっっ!?」
視界を白色が支配した刹那、鼻に激痛を覚えながら世界が90度傾く。
「黙って聞いてれば、デリカシーのカケラもないことを言いたい放題に言ってくれるよ!
あたしは希少動物か、なんかですかっ!? それともセクハラですか?
失礼ですよ! そんな失礼なことを女性にむかっていう男性いますか?
いますよ!! 『だれのこと?』みたいな顔で平然としているのがここにいましたねっ!
まったく、あたしはちゃんとした霊長類の人間です。ホモサピエンスですっ!」
「いやいや、同じ霊長類でもボスゴリ……おっと」
言いかけたところで、さすがにこれ以上は生死に関わるので口を紡ぐ。
「なにか…言った…?」
怖い眼で‥怖いどころか、“次は、殺る。“といった眼で睨みつけられる。
「……、なにも言ってないです」
「ホントに? そもそも、どうして急に説明口調でセクハラと人権侵害してきたの?」
「いや~、あなたを知らない人に会った時、解り易く説明できるように練習をしておこう。と、思いまして。次は野良犬も付け足してイタダキマス」
「なるほどねぇ……人前でそんなこと言ったら辞書で頭を割りますヨ?」
「はい。わかりました……」
四紅蓮の見慣れた筈の笑顔に、初めて恐怖を覚えた。
話は変わるが僕の家は学校から16キロ離れており、バスも電車も近くに無いので、自転車で通うしかない田舎だ。
山の中にあり、僕は子供の頃から四紅蓮と二人で日が暮れるまで山や川で遊んでいた。
僕が今の学校に受ける時も近くにある県内有数の進学校に受かるだけの学力があるのに、『しいと同じ高校に通う方が楽しいから』という、酔狂な理由で同じ高校を受けたのだ。
僕からすれば、近くの高校なら半分の距離で済むのにバカだなあ。と、思う。
「なに人のことをジッと見てるの? 惚れた?」
そんなことを考えていると、見ていることに気付いた四紅蓮がおちょくってくる。
「バ、バカ言うなよ。いいから、早く飲み物選べよ」
そう言って、見ていた事を誤魔化す。
「本当におごってくれるの? じゃあ、これ!」
指が示す先を見る。
四紅蓮の顔を見て、もう一度確認する。
「あずきバナナオレ・抹茶風味ぃ~? 絶対、地雷だろ。やめておけよ」
「いいの。美味しいかもしれないし、飲んでみないと」
四紅蓮がボタンを押す。
「お前、人の金だからってゲテモノ買いやがって。
どうせ不味かったら僕に飲ますつもりだろ?」
「うん」
清々しい笑顔で臆面も無く答えが返ってくる。
「……。そこは嘘でも違うって言えよ」
「まあまあ。細かいことは、気にしなーい。気にしないっ!」
四紅蓮は嬉しそうに自販機から黄色と黄緑のまだら模様の地雷を取り出し、プルタブに指を掛ける。
ーープシュゥゥ…ッ……ぅう……。
開けた時の効果音だけでアウト臭い……心なしか、変な煙を上げている様にも見える。
四紅蓮がそのゲテモノを飲むのを固唾を飲んで見守る。
ゆっくりと、四紅蓮の喉が動く。
「ゴクッ――……」
そして、一口飲んで缶をまじまじと見つめる。
僕は解りきった感想を尋ねる。
「…どうだった? 味は」
「予想の裏の裏をつかれました」
虚を突かれ、気の抜けた声が出る。
「へぁ? 意味が解らないんだけど…?」
「まあ、飲めばわかるよ」
四紅蓮から渡され、しばし躊躇った後、覚悟を決めて飲む。
「……うぇぇぇえ!! 予想したまんまの味じゃないか。
なにが、『予想の裏の裏をつかれました。』だよ! 少し期待したじゃないかぁぁ!」
口の中を得もしれない風味が支配し、嗅覚までも狂わせる。三半規管がズタズタにされて視界がグラグラと歪む。
「えっ? もしかしたら美味しいかも……と見せかけて、やっぱり不味いんでしょ。と思いきや、その予想を超えて意外にもバナナがあずきの甘さを惹きたてて、それを抹茶がほろ苦く、けどそれでいて優しく包み込んで、これは社会現象になるかもーー……って思い、予想の裏の裏をつかれた。と言ったんだけど……」
四紅蓮のアホっぷりに頭痛を覚える。
「はぁー、とりあえず病院に行け」
僕は県立中央病院を親指で指す。
「どういうコトっ!?」
「そのまんまの意味だ」
「えぇー。これ美味しいと思うけどなぁー」
そう言いながら本当に美味しそうに飲んでいる四紅蓮を見て、
(本人が幸せならいいか…)
と、半ば呆れ気味に飲み終わるのを待つ。
「んくんく……ごちそう様でしたっ!
ありがとうね、しい」
飲み終えた四紅蓮が満足そうに手を合わせて、僕にお辞儀をする。
「どう致しまして。じゃあ、帰るぞ」
「うん」
学校を出て、しばらくすると、
「そういえば、お母さんに買い物を頼まれていたんだった。一緒に付き合って」
と、言うので
「別に、いいけど」
と、答える。
「やった!」
ショッピングモールに入り、買い物を済ませて歩いていると四紅蓮の足が止まる。
「これ、可愛いー」
ショップの前にある目つきの悪いクマのストラップを見て、四紅蓮がはしゃぐ。
「これのどこが可愛いの? 人相悪い変なクマだろ」
僕がぼそっと言った言葉に反応して、四紅蓮がこっちを見てくる。
「しいは乙女心が分かってないよ。ばかっ!」
そう言って、ぷくーっと頬をふくらませる。
「どういうこと?」
「もういいっ! トイレ行ってくるから、荷物持ってて!」
怒りながら、つっけんどんな態度で荷物を押し付けて歩いていってしまう。
(………………。もしかして、このブサイクなストラップ、欲しかったのかな?)
しばらくしてから、その思考に辿り着き、そそくさとストラップを買う。
さっきのやり取りを見られていたらしく店員さんに、
「彼女さんと仲直り出来ると良いですねぇー」
なんて言われたものだから恥ずかしさと照れくささから耳まで赤くなる。
(彼女じゃないけどね……そんなキラキラな目で言われたら恥ずかしいじゃないですか)
いつもの三倍くらい五月蝿い心臓を落ち着かせようと、数学の公式をひたすら唱える。
待っているうちに、いつの間にか耳をじんじんとさせていた熱がひいていた。
(いつまで待たせる気だ……)
携帯を開いて、時計を見る。
「うげっ。もうトイレに行って十分以上経つよ…」
思わず、口に出る。
(……しょうがない、探しに行くか)
四紅蓮を探しにトイレへ向かう。
トイレの近くに来ると、ざわついていた。
「あっちのトイレ前で、女の子が危なそうな奴らにからまれてたぞ」
「お前、助けてやれよ」
「えー、無理だろ。知らぬが仏って言うだろ。見て見ぬフリした方がいいだろ」
そんな情けない会話が聞こえてくる。
僕はもしやと思い、尋ねる。
「そのトイレ、どこですか?」
「えっ? そこを曲がったところにあるトイレだけど…関わらない方がいいと思うよ」
「ご忠告有難うございます。でも、自分のツレかもしれないので」
これはマズイぞ…と、脱兎の如く走る。
別に四紅蓮の心配をしている訳ではなく、その不良達の為を思って急ぐ。
道を曲がってトイレの前に着く。
そこには見事、不良にからまれた四紅蓮さんが居たので声をかけて注意を促そうとする。
四紅蓮は髪をほどき、隠している眼を左眼から右眼にして、「羽虫が……」と口調も変える。
(ハァ……、遅かったか……)
そう思いながらも、声をかける。
「あのー、今すぐその子から離れたほうが良いですよぉー。って、もう遅いか……」
すると、不良たちが振り返る。
「あんだ? てめー、文句あんのか? ぶっとばすぞ!」
次の瞬間、四紅蓮の一番近くにいた男が宙を舞い、頭から落ちた。
「あべしっ!」と、言い残して召される。
(人って、こんなに飛ぶのかぁ…。まさしく、木の葉返し…だな)
感嘆しながら見ていると、四紅蓮が口を開く。
「ふぁーあっと、寝た子を五月蠅いダミ声で起こしやがって。ゴキゲンな奴らだぜ。
代わりに、てめーらを寝かせてやるよ」
眉間にしわをつくり吊り上った眠たそうな銀目を細めて、ニヤッと笑う。
「いっちまいなぁっ! クソゴミ共! 死罪確定だぜぇ!」
などと罵声を浴びせながら、不良達を蹴散らす。
こうなったら、もう誰にも止められない。
不良達の慄きながら吹っ飛び、屍の山と化す様を見て、
(ああ、こういうゲームがあったな。確か戦国武将が出てくるヤツだったっけな? あっ、今50コンボだ。そろそろ、終わりだな……)と、巻き込まれない位置でコンボ数を数える作業を淡々と行う。
気が付くと、隣で子供が白目をして立ち尽くしていた。
「ねえ、少年。これはr‐15指定物だから見ない方が良いよ」
多分、母親のトイレを待っていたのだろう。
お母さんとの楽しいお買い物に来てお菓子を買ってもらい喜んで食べていたら、こんなトラウマ級のショッキング映像を見せられるとは、想像もしなかったことだろう。
あまりの出来事に、折角のお菓子を床にぶちまけて可哀そうに……心中、お察しします。
これでこの子が女性恐怖症にでもなって将来ご両親を悲しませる事になったら、どう責任を取るのですか。ならないとは思うけど―……いや、なりそうだね…これは。
ーー……ねえ、四紅蓮さん。アナタ、やり過ぎですよ。
「っんとに、ゴキゲンな奴らだぜ」
四紅蓮が眠たそうにあくびをする。
(これじゃあ、ドッチが悪者か判ったもんじゃない。最悪だな、コイツ……)
僕はしゃがんで、虫の息の不良を看取る。
ついでに、少年のお菓子と将来も看取る。
「だから老婆心ながら離れたほうがいいって言ったのにね」
不良達は、「す…すみませんでしたぁ…」と言い残して召される。
「なにしてんだ? 行くぞ」
四紅蓮が踵を返す。
四紅蓮の背中を見つめる子供に哀愁が漂っていた事は言うまでもないだろう。
「私は眠いから後は任せるぞ」
四紅蓮はポツリと呟く。
また左眼を隠し、髪を縛る。
「もうっ! 自分勝手なんだからっ!」
一人芝居でもしているかのようだ。
僕は笑いながら、四紅蓮に話しかける。
「毎度毎度、面白いね。見ててスッキリするよ。……ただ、やり過ぎではあるね。アナタは未来ある若者の将来を二つの意味で奪ったのです」
四紅蓮は僕の指さす先の少年と不良の屍を見て苦笑いをする。
「アハハ……、大げさ過ぎるよ。それに、見てたなら止めてよぉ」
「ムリムリ。あんなのを止めにいったら命が幾つあっても足りないよ」
肩をいからせた四紅蓮がすごい剣幕で詰め寄ってくる。
「人を化物みたく言わないでよっ! バカっ!」
僕はいつも通りにからかう。
「てか、悪魔そのものだったよ」
いつもの調子で言ったら何故か四紅蓮はとても悲しそうな顔をして、
「そう…」
と一言だけ呟いた。
「ごめん」
気まずくなって僕は謝る。
すぐ近くに四紅蓮の母親が経営する喫茶店があるので頼まれていたものを届けに寄る。
「いらっしゃっ……なんだ、娘か。客かと思った」
中に入ると、少しガラの悪い女性が暇そうにカウンターに座っていた。
「しかもお前まで一緒にいるのかよ。言っておくが四紅蓮はキサマにはやらんからな」
こちらを見て、あからさまに嫌そうな態度をとる。
「一応、僕は客なんだけど。蓮花さん?」
いつものことだから適当に受け流す。
「けっ、なあにが客だ。お前なんか来たら他の客が寄り付かなくなるわ。このクソガキが!」
煙草をふかしながら気怠そうに悪態をついてくる。
「どんな理屈だよ。そんなことばかり言ってると本当に客が来なくなるよ?」
「お前、一匹を見かけたら、百匹は近くに居る。って、言うからな。……うおっ!? 想像したらホントに居そうで気色わるっっ!」
「居るかっ! 僕はゴキブリかっ!」
「うるせえよ。今すぐこの場から、ほっぽり出すぞ」
見かねた四紅蓮が間に入る。
「もう…母さんはどうしてすぐ、しいに絡むのかな? 本当はお気に入りのくせに」
悠長に煙草をふかしていた蓮花さんが咽る。
「ばっ……お前、んな訳ないだろ。お前についてる害虫に好意を持つ訳ないだろ。
それに、いつもヘラヘラしていて男らしくないしな」
「へえー。私がしぃと同じ高校行くって言ったときに、『あいつと一緒なら安心だな』とか、言ってたのにぃ~?」
四紅蓮がそういうと嘘を見抜かれた子供の様にそっぽを向く。
「あれはだなぁ……お前のことをよく知っているから万が一、紫蓮の奴が出てきても誤魔化してくれるだろうという意味で、な……。
決して信用してるとか、四紅蓮を任せられるのはこいつだけだとか、お気に入りだからカラかっているとかって、訳ではないんだよ。
ホントのホントに気に入らないクソガキだから、罵っているだけだ」
耳まで赤くして必死に反論しているが語るに落ちてる気がする――…。
「成る程ねえ。母さんは照れ隠しでいつも強くあたるんだね。意外にシャイなんだね。
今風に言うと、“ツンデレ”ってヤツ?」
四紅蓮がトドメの一言を刺す。
すると、「ちっ、違うんだぁ~!」と絶叫しながら目に涙を溜めて蓮花さんが走り去っていってしまう。
「…お前、性格悪いぞ」
僕は蓮花さんを哀れに思う。
「お母さんをからかうと面白くて、ついやり過ぎるんだよね。いつまでも子供というか、なんか可愛いよね」
「こいつ、真っ黒だ。自分の母親をからかって遊ぶなんてブラック過ぎる…」
的を射られたからか、四紅蓮が反論に出る。
「誰が真っ黒だよ! しぃにだけは、言われたくないよ!
カラスみたいに、真っ黒くろの真っ黒クロスケのくせにぃ!!」
黒、黒と連呼され癪に障ったので、こちらも反撃する。
「僕が真っ黒なのは否定しないけど……」
大きなため息を一つ吐いて四紅蓮に笑顔を送る。
「お前よりはマシだと思っているよ。
なんたって人様に、“死罪確定 ”とか、“羽虫 ”とか、暴言吐く人には敵わないからね」
「やっぱり、しいは真っ黒だあっっ!」
顔に憤りの色を滲ませて半泣きで叫ぶ声が頭に当たり跳ね返る。その時、ドアが開いて店にお客が入ってきた。
ーーカラン、カラン。
「いらっしゃいませ。空いてる席へどうぞ」
さっきまで半泣きで叫んでいたのに、四紅蓮はすぐに接客モードに切り替わる。
(さすが長年の間、蓮花さんの手伝いをしてるなあ。切り替えが早い)と、感嘆する。
「ウインナコーヒーとシフォンケーキを二つずつ下さいっ!」
(なんだか聞き覚えのある声だな…。)
「かしこまりました。少々、お待ち下さい」
「ここのケーキ、美味しいんだよねぇ」
「楽しみですっ!」
(んんっ? またもや、聞き覚えがあるな…まさかーー…)
足音が近づき隣の席に二人の女の子が座る。
そして、こっちを見るなり、
「ああっ! 支緒りんだあっ!」
「また会いましたね、支緒くん」
と、声をかけてきた。
「ですよねえ。テンプレでごめんなさい」
その二人組の女の子たちは一条先輩と二連雀先輩だった。
「えっ? 何の話?」
一条先輩達は訳が分からない、といった顔をする。
四紅蓮もカウンターで、?(はてな)を浮かべる。
「いえ、何でもないです」
とりあえず笑顔で誤魔化す。
(おっと、思ったコトが口に出てしまった)
「しい、知り合いなの?」
四紅蓮が当たり前というか、ベタな質問をしてくる。
「ああ。知り合いというか何というか、今日会ったばかりの写真部の先輩だよ」
(一条先輩はだらしないから先輩と呼んで良いのか、微妙だけど)
「今、失礼なこと考えたでしょ?」
(うっ、なかなか勘が鋭い)
「そんなことないですよ」
出来る限りの作り笑いをする。
「絶対、考えてたね。何となく分かるんだからね?」
(ニュータイプかよ…侮れないな)
「部室に長い間、二人きりで居たからかな。寝こみを襲われたし。オモチャにされたし」
「ぶほあっ!?」
さらっと飛び出した爆弾発言に勢い良く噴き出してしまう。
「襲ってませんし、オモチャにもしてないですよ! 誤解を招く言い方しないで下さい」
「事実でしょ? あんだけ弄んどいて知らないとは言わせない!」
「しい、サイテー」
四紅蓮が汚いモノを見る目で僕を見てくる。
「事実無根だあ! 本気にするなよ」
二連雀先輩にですら目を逸らされてしまう。
「あながち間違いでもないと思うけどなぁー?」
僕は一条先輩に騙されている二人の誤解を解く為、死にもの狂いで補足を入れる。
「確かに先輩が寝てる時に部室に居ましたけど、あれは居るなんてこと知らなかった訳ですし。入る時も、失礼します。と一言、言いましたから」
「そーなの?」
「そうです、そうです」
僕は弁明を続ける。
「あと、オモチャにしたとか言ってますけど、四紅蓮との電話での会話を聞いて先におちょくってきたのは先輩じゃないですか? だから、お返しにからかっただけですよっ!」
「ま、いっか。そろそろ許してあげようじゃないか」
全力の抗議が功を奏したのか、流石に哀れになったのか、一条先輩がはふーっと溜息を落とし、僕の肩に手を乗せて、「ごめんね」と小さく目尻を下げる。
「ホントに、もう。質の悪い嫌がらせは勘弁して下さい」
「先輩をからかうと痛い目に遭う。という事を憶えておきなさいっ!」
「ごめんなさいでしたっ!」
そんなやり取りをしていると、
「へぇ、写真部の先輩かぁ。
初めまして。私、祭鳩寺 四紅蓮です。しいの幼馴染です」
と、四紅蓮が自己紹介をする。
(何故、幼馴染を強調する…)
「私は2年の一条 杞紗。よろしくね、しーちゃん?」
二人の間に、見えない火花が飛び散る。
「四紅蓮さん、杞紗さん。 落ちつい…」
「「うっさい!! 男はすっこんでて!!」」
「あ、はい。すみませんでしたぁ…」
二人から同時に怒鳴られ、しどろもどろとしていると「お二人とも喧嘩はだめですよ」と、二連雀先輩がナイスカットをしてくれる。
「私は3年の二連雀 杏と言います。今後ともよろしくお願いしますね、四紅蓮さん」
二連雀先輩のふんわりとした雰囲気が殺伐とした空気を和らげる。
「助かりました、二連雀先輩。ありがとうございます」
安堵しながらお礼をする。
「あれ? お客さんかい?」
さっきまで泣いてた様で目の周りを赤くした蓮花さんが帰ってくる。
「こんにちは、蓮花さんっ!」
一条先輩が髪をぴょんぴょんと振って蓮花さんにすり寄っていく。どうやら、知り合いみたいだ。
「おう、杞紗じゃないか。今日は娘がコーヒーを淹れてくれるみたいだ。味わって飲めよ」
蓮花さんが一条先輩の頭をわしゃわしゃと揉む。
「ええっ!? しーちゃん、蓮花さんの子供なの? てっきり妹さんだと思った」
一条先輩が蓮花さんと四紅蓮を見比べながら驚く。
「嬉しいこと言うねぇー。よし、サービスだ。タダで飲んできな、そっちの友達もな!」
蓮花さんが気前の良いことを珍しく口にする。
「ありがとうございますっ!」
「ただし……てめえは金を払えよ、支緒。てゆーか、男なんだから全員の飲み代くらい払え」
僕を煙草で指さしてメチャクチャなことを宣う。
「男女差別、はんたーい!」
一応、抗議をする。
「男なんだから当然の義務だろが。このスットコドッコイ!」
とか言いつつ、なんだかんだで僕の分もタダにしてくれた。
ケーキを食べ終えた先輩達が帰り、店内も静かになって、落ち着いた時間が流れる。
「まさか、しいの先輩が来るとは思わなかったよ。ビックリしたよ」
飲み終えたコップとか、ケーキがのっかっていた皿とか、切り分けた包丁やらを洗いながら、四紅蓮が話しかけてくる。
「僕も驚いたよ。まさか、ここで会うとはね」
蓮花さんは難しい顔して新聞を眺めている。
ジャズの音と水の音が心地良く響く。
「私も写真部に入ろうかな。面白そうだし」
「良いと思うよ。先輩達は良い人ばかりだから」
「そうかな。じゃあ、明日は一緒に部室に行こっ!」
「わかった。また、自販の前に集合ってことで」
「うん」
四紅蓮が洗い物を済ませて帰り支度をする。
「じゃあね、母さん」
「ご馳走様でした、蓮花さん」
“GOLDEN BAD ”と書かれた箱を取り出しながら、蓮花さんが不愛想に手を振る。
帰り道、ポケットに違和感を覚えて手を入れると四紅蓮に渡すプレゼントが入ってた。
渡すタイミングが解らずまたポケットの奥に押し込んだ。