カルテNo.7 私に出来ること
生きとし生けるものの敵
死と恐怖を振りまく夜の化身
それが私、吸血鬼というものだ。
そんな私にとって命とはとても軽いものだった。
血を吸い過ぎれば人は同族になるし、胸を抉れば死ぬ
いとも容易く消えてしまうロウソクの火、それが命
だが逆はそう簡単なことではないようだ。
命の火を消さないようにするのはとても難しい。
「エリザさん、もう少しスピードを落として。」
「…はい!」
目の前には横たわるゴブリンの子供、その腕からは糸状に伸びた血が宙を舞い、薬液と絡み合っている。普通はあり得ない光景だが、私の魔術【操血】ならば出来ない事ではない。
そう、今私は命を奪うばかりだった自分の魔術を命を救うために使おうとしている。
「うん、いい感じだ。落ち着いてそのまま…!」
「…頑張って…エリザ…!」
「はい…!」
ユタカさんから何度となく聞いた血管に薬を流し込む異界の技術。流し込む薬の量、操る血の流速、何かを間違えるだけで命が消えてしまうかもしれないのにユタカさんの世界ではごく当たり前に行われる事だという。
(繊細すぎて気が遠くなりそう…!)
血を操ることに対して右に出る者がいない吸血鬼の私でさえこれ程に注意を払わなければならないのに、魔術もない世界でこんな事が出来るなんて、本当に凄い。
ちょっとでも集中が乱れたら血の糸に乗せる薬の量を間違えそうになる。
(だけど…私は!)
この子の命を助けたい。
奪うばかりだった自分の在り方を変えたい。
そして…
視線の先には真剣な眼差しでゴブリンの子供の容態を診るユタカさんがいる。
(私は…あなたの役に立ちたい!)
◇
初めてユタカさんに出会った時正直『冴えない人間だな』と思った。くたびれた白い服に無精髭、目に浮いたクマから見ても不健康そうな印象だったからだ。
戦場で相対する人間の戦士とは真逆の細く白い体。
こんな人間を呼ぶために、私の不調を治すために魔王様は魔力を使ってしまったのかと憤りすら感じた。
だが、その考えはすぐに覆った。
ユタカさんはすぐに私の体に起きた異変を見抜き、あろうことか自分の血を差し出すことを是とした。
―――意味がわからなかった。
今まで自分と進んで関わろうという人間に出会ったことが無かった。差し出された腕に銀の剣が握られていることが普通だった。
元人間とはいえこっち側に足を踏み入れた瞬間、出会った人間全てから忌避され恐れられ憎まれる、そういう存在だと自分でも思っていたのにこの人は違った。
とてもじゃないが理解し難い存在だった。
暫く考え、側について魂胆を見極めようと思った。
幸い吸血鬼は吸血している相手が何を考えているか分かるので、そこで改めて判断しよう、そう思った。
(嘘でしょ!?)
初めて吸血した時の感想はその一言だった。
彼は本当に私の病気を治したい一心で血を差し出していた。
彼は魔王様から与えられた知識で吸血に激しい快感を伴うことを知っていたが、その快感の波にすら逆らい理性を必死に保とうとしているのが伝わってきた。
そこから先も診療所に現れる魔物達に偏見も持たず平等に接し、全力で治療に取り組んでいく姿に…私は段々と惹かれていった。
気付けば私は血を貰うばかり、仲間の不調を治してもらうばかりで何も恩返しができていない。
だから。
ユタカさんが話してくれる異界の技術、それを少しでもここで再現できないか必死に考え、出来そうなことは自分の体で練習した。
だからユタカさん、見ててね。
(この子は絶対助けてみせる…!)
◇
用意されたペニシリンが無くなると、血の糸が子供の体に消えていった。子供の顔色は心なしか良くなったように見える。
子供の脈、ペニシリンの投与部位を確認するが…
「先生…どうですか?」
「…どう?」
2人とも肩唾を飲んで見守っている。
エリザさんに至っては相当神経を使ったのだろう、玉のような朝が額に浮いている。
「大丈夫、容態は安定してる。あと4.5日もすれば元気になると思うよ。」
「良かったぁ!」
「さすが…凄い…。」
張り詰めていた空気が解け、2人とも大きく息を吐きだした。無理もない、少しのミスで子供が命を落としかねない状況だった。
俺としては普段何気なく使っている点滴セットと処置をしてくれる看護師さんの有り難みを再認識することになったが、今回は何よりこの場の誰1人が欠けても処置は間に合わなかっただろう。
「2人とも有難う、俺だけじゃどうしようもなかった。」
「やったぁ、褒められちゃっ…た。」
「エリザさん?!」
「エリザ…!?」
俺が礼を言うなりエリザさんがその場に崩れ落ちた。
思わず抱きかかえるとすぅすぅと寝息が聞こえる。
無理もない、今日は太陽が出ている時間に力を使わせてしまったし、処置の時は神経を使う作業をさせてしまった。
貧血も治りきっていない中無理をさせてしまったな。
「…こんなに…嬉しそうなエリザ…久々に…見た。」
「え?」
エリザさんの寝顔を見ながらキノさんが呟く。
日本人形のように無表情だが、心なしかそういう彼女も嬉しそうだ。
「…エリザは…六魔将に…なってから…張り詰めてた…。」
「そうなんですか?」
「責任感…強いから…。他にも…理由はある…けど。」
人の上に立つ立場となると責任もつきまとうだろう。
見た目は20代前半の彼女だが苦労は計り知れない。
「先生…私から…お願い。」
「はい?」
「出来るだけ…エリザと…一緒に居てあげて…。」
「それはそのつもりですけど、何故?」
「…エリザには…幸せになって…欲しい…から。」
「どぅえっ!?」
それは、どういう…って、そういう意味なんだろうか。
正直エリザさんは気立てもいいし、美人だし一緒に居て落ち着くというか…じゃなくて!
「何だってそんな事を突然?」
「ふふ…秘密…。だけど…これは皆の…願い。」
「え?」
「さて…私は…帰るね。また…何かあったら…呼んで。」
そう言い残しキノさんは頭に編笠を被り闇夜に消えていった。最後の一言はどういう意味だろう。
気にはなるけどエリザさんを休ませなければ。
寝息を立てるエリザさんを担ぎながら今日の出来事に浸り…たいところだが、俺は患者の容体を診なければならないし…徹夜で診るしかないかな。
久々の徹夜だけどいつも以上にやり甲斐がありそうだ。
こうして俺のせわしなく。長い1日は終わりを告げるのだった。
頑張る女子って尊すぎて死ねる。
カビ語でいうと【やんごとなさすぎてお隠れになる】
今回の話静注してるだけなのに、無理やり盛り上げようとしたらこうなった。後悔はしていない。
◻︎静脈内投与って?
普通薬は口から飲むイメージがあると思うのですが、モノによっては口から飲んでも効果が出ません。
今回のペニシリンは酸に弱く、胃酸で効果を失ってしまうという特徴があるので静脈に投与することになりました。
他には『肝臓』の働きの一つである『毒物の浄化』の対象に薬がなって分解されてしまったり…などなど薬が効果を失う事はよくあります。
そういったことを避ける為に薬を投与する場所を変えるのです。
今回は静脈でしたが筋肉や皮膚、鼻、お尻から投与するなど色々と方法もあります。
人体ってよく出来てますねー。