カルテNo.20 夜明けの空
「本気ですの!?」
処置室にノワールの声が響いた。
先ほど話した治療術式に納得がいかないのだろう、前代未聞の方法だし無理もない。
「入って日の浅い私でも危険な事は分かりますわ!」
「だから君達にサポートを頼みたいんだ。」
この評価はお世辞でもなんでも無い、事実だ。
正直に言って吸血鬼の血流操作の技術は前の世界のレベルを超えていると思う。
リアルタイムで全身の血流の動きを感知し、操作までこなして見せる技術なんて世界中のどこを探してもないだろう、今回は吸血鬼である彼女たちがいるからこそ治療に踏み切れることを伝えたのだが…ノワールは納得がいかないらしい。
「だからって…!」
「ノワール。」
患者の安全性と吸血鬼側にかかる負荷、そして新たな治療方法である点それらを総合的に判断して苦言を呈しているのだろう、至極ごもっともだ。
だが、食ってかかろうとするノワールをエリザさんが遮った。その眼差しは諭すようでもあり、決意に燃えているようでもある。
「先生は私達を信じて【出来る】と思った、だからやると決断したの。その先生の期待に…私は応えたい。」
「お姉様…。」
説得というよりもはや決意表明だ、口に出されるとちょっとした恥ずかしさすら感じる。
ノワールもいつもの調子になるどころか覚悟に圧されたようだ。いかる肩の力を抜き諦めたような表情で持ち場に戻った。
「…失敗したら許さなくてよ、サカモト。」
「有難う、ノワール。」
全員の準備が整ったのを見届け改めてオーダーを伝える。
「それじゃ、メインの処置はキノさん。俺は術部の確認と指示出しをするのでそれに従って下さい。」
「…わかった。」
「ノワールには脈拍と患者容態のモニタリングを。もし血圧が上がったり何か違和感を感じたら報告してくれ。」
「分かりましてよ。」
二人ともそれぞれ責任重大なポジションを任せている。
処置を誤れば大出血で死に至りかねないし、酸欠や他の病変を見逃したら処置が遅れる。
そのことを理解しているのか二人の表情は硬いが責任感と自信にあふれている。
ここは任せて大丈夫だろう。
そして最後に…
「そして、エリザさん。」
「はい。」
「エリザさんには肺全体の血流モニタリングをお願いしたいのですが…いけますか?」
肺胞の数は約3億個、その中を流れる血管の数は計り知れない。彼女が血流操作に慣れてきたとは言え今までとは桁外れに難易度が高い処置になる。
俺が躊躇い半分に尋ねると、エリザさんは腰に手を当て呆れるような素振りをしながら笑いかけた。
「ユタカ先生、かける言葉が違いますよ。」
「え?」
「【任せた】って言えばいいんです。」
そういう彼女の瞳は真っ直ぐに俺を見据えている。
その眼はいつもより赫く、決意の炎が宿っているようだ。
(…参ったな、彼女の方が肝が据わってる。)
彼女の腕は間近で見てきたし、信じているからこそ今回も頼むんだ。
その自分の判断を、彼女を信じよう。
「…そうだね。それじゃ、任せた。」
「はい!」
さて、不治の病退治だ気を引き締めていこう。
◇
「それではミスリル粉塵起因性塵肺、【星塵肺】の治療を開始します。」
ナノキノさんの視界に意識を飛ばすと先程と変わらず肺胞壁が青白く輝いている。
神銀は魔力に反応して光り微弱な熱を発するが、 これが炎症を加速させる原因であり、胸の熱感の原因だったのだろう。
心奪われるような輝きだが率先して除去しなくてはならない。
「正面のミスリル塵の除去からいこう。」
「りょ…!いき…ます…!」
キノさんが振り絞った声に併せてナノキノさんが突進し
―――ビタンッ
肺胞壁に張り付いた。
絵面は東〇フレ〇ドパークのジャンプするアレみたいだ。
「なんだか思ってたのと違いますわ…。」
思わずノワールが言うのも解らないでもないがこれが治療法なのだ。
張り付いたままじっとナノキノさんは動かないが、もう既に少しずつ変化が現れ始めている。
「もう始まってる、気を抜かないで。」
「…ッ!分かりましたわ!」
僅かに、だが確かにナノキノさんが触れた肺胞壁が段々と萎み、変わりにナノキノさんの身体が少しずつ大きくなっている。
(まさか本当に出来るとはな…!)
今回の治療は魔法を使っていない。
キノさんの特性である菌から創り出した【酵素】を応用している。
【酵素】というとダイエット食品が思い浮かぶ人が多いかもしれないが、その実酵素が何かピンと来ていないのではないだろうか。
酵素とは平たく言うと細胞が作る化学反応を引き起こすタンパク質、化学反応の種みたいなものだ。昔学校で習ったであろうアミラーゼなんかがその代表格だ。
そして今ナノキノさんが分泌している酵素は【プロテアーゼ】
この酵素の働きは【タンパク質を分解する】こと。
即ち肉を溶かすのだ。
この酵素は酢豚に入っているパイナップルと同じように肉を柔らかくする効果があるのだが、キノさんは最近の研究で自分が肉を食べる際にこの酵素を分泌していることを突き止めていた。
だから今回の施術は治療であり、病変部位を食べる食事でもあるという異色の方法だ。
前の世界では酵素をこんな風に使うアイディアなんて無かったから本当に目から鱗だ。
「うっかり毛細血管を傷つけないように気を付けて。」
「大丈夫…!エリザが…ガイドして…くれてる!」
処置に唸るキノさんの傍らでエリザさんが目をつぶって額に汗をかいている。
血管を傷つけないようにナノキノさんに血管のありかを知らせたり、削られた部分の止血作業を何億もある肺胞の血管で同時並行でやっているのだ、人間業じゃない。
キノさんも無数のナノキノさん達に指示を送りながら処置をこなしている、俺なんて一つの術野を裁くだけで精一杯なのにおそるべき集中力と技術だ。
今も目の前で肺胞壁に埋もれていたミスリル粉塵が取り外され他のナノキノさんによって肺胞の外へ運び出されている。
このまま処置を続けていけば問題なく治療出来そうだ。
(やるじゃないか、皆。)
自分が思っていた以上に皆腕が上がっているし、真摯に命に向き合う医療者の顔をしている。
そんな必死に治療に励む皆の姿を眺めているとふと、思ってしまった。
(…俺が居なくなっても大丈夫そうだな。)
ーーーラストさんに聞いたところ、俺を元の世界に送り返す魔法を使うためには1年ほど魔力を溜めないといけないそうだ。
現時点で俺がこの世界に来て4ヶ月、だからあと8ヶ月はこの世界にいる訳だが、多分あっという間の話だ。
正直なところ俺の知識全てを託せてはいないけれども基礎的な疾患に関する知識や問診の技術はかなり向上してきている。
特にエリザさんとキノさんの2人は俺の思考を先読みできるようになってきたので申し分ない。
それに前の世界では治せないと言われていた病気まで治そうとしているのだ、将来が楽しみでもある。
(帰りたいような、帰りたくないような…どうしたもんかね。)
処置中に上の空になることなどあってはならないことだが真剣な彼女達の眼差しを見ていると余計にそういったことを考えてしまう。
曇る俺の心模様とは裏腹に窓の外では朝日が空を照らしだしていた。
お読み頂き有難うございます。
そしていつもブクマや評価を頂き有難うございます。
今回で書き溜め分が終わってしまいました。ぐぬぬ…もっと書いておきたかったのですが…。
これからは随時更新になっていきます。
大まかにはあと15話分ぐらい構想はあるのですが、まだ文章に起こせていません、口惜しや。
しばし更新までお時間いただきますがご容赦下さい。




