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カルテNo.19 星に願いを

 処置台の上ではムンドさんが眠っている。

 調合した麻酔薬とサキュバスの催眠魔法のダブル麻酔でぐっすり夢の中だ。



「それでは、ナノキノさんによる肺内部探査を開始します。皆さん宜しくお願いします。」

「「「「宜しくお願いします。」」」」


 ナノキノさんとはナノサイズにまで小さくなったキノさんの分身たちのことだ、今回は彼女達に肺まで入ってもらって内部状況を探査するのだ。


 血中内酸素と脈拍はエリザさんとノワールの二人に任せて、肺の中のモニタリングはキノさん頼みだ。


 俺が出来るのは診断と患者に異常が見られないかの判断ぐらいだ。今回も皆に頼るしかないが俺の武器は医師として培った知識と経験だ。

 引け目を感じることなく目の前の患者に集中しよう。



「ナノキノさんの吸入開始します。」

「みんな…宜しく…。」



 目に見えない程小さくなったキノさんの分身がムンドさんの鼻から吸い込まれていく。



『ヨイチョマルー』『オケマルー』『ヒュイゴー!』



 俺はキノさんにナノキノさんの一部の感覚を共有して貰っているので状態が解る。

 鬱蒼と茂った鼻毛の森を抜けると早速喉の奥に到着した。


 ナノキノさんは身体が小さい分体感速度がとても速い、気を付けないと酔いそうだ。



「うわ…凄…い…。」

「コレが喉の中だね、あの大きい蓋みたいな物が喉頭蓋(こうとうがい)だ。」



 視線の先ではパカパカと肉の塊が上下している。

 喉頭蓋は食堂と気管を隔てる場所で、言うなればレールの分岐器のような役割をしている。


 息をしている時に水が気管に入ってしまっては意味が無いので、喉頭蓋が何かを食べたり飲んだりしている時は肺への道になる気管を塞いでいるのだ。



「次の呼吸であいたタイミングで飛び込もう。」

「おけまる…行く…よ!」



 気流の流れに併せて一斉にナノキノさんが飛び立つ。

 暗く空いた穴に向かって高速で飛び込むのはちょっとしたスリルがある。


 その直後所々でナノキノさんの悲鳴が上がった。



『ワー!』『ツカマッター!』



 ちらと見るとナノキノさんが壁から生えたうにょうにょした物につかまっている。



「あれ…なに…?」

繊毛(せんもう)っていう器官だね、肺の防御機構だ。」



 繊毛(せんもう)

 それは肺の中に生えている小さい毛のような器官だ。

 肺の中に紛れ込んだ異物を捕まえる役割を持っていからめとられた物は粘液で絡めとられ(たん)として排出される。


 つまりヌルヌルした触手ということだ。

 こう、何というか…薄い本が厚くなるな。



「…ねばねば…うざ…。」

「まだ先にもあるから気を付けて進もう。」

「りょ…。」



 こんな状況で不謹慎かもしれないがこうして実際に身体が機能しているのを見るのはちょっと感動的だ。


 ムンドさんには悪いがちょっとテンションが上がってしまう。人体について学んではきたが、肺の中を見る機会なんてそう無い。



「先生…分かれ道…沢山…。」

「ここから先はどんどん散っていこう、全体に異常があるはずだ。」



 呼吸の波に乗って突き進んでいくと沢山の分かれ道が現れ始め、どんどん管が細くなってきた。

 肺の奥に進んでいる証拠だが、見た感じ所々軽い炎症が見られるし、(たん)が蓄積している。



(やはりか。)



 肺疾患の中でも特別厄介なあの病気の名前が頭の中に浮かんでいる。見るまでは確実には解らないが奥へ進むほどに疑惑が確信へと変わっていく。



「…突き当り…かな?」

「みたいだけど…真っ暗だね。」



 どこを歩いても壁に阻まれる様子から突き当りだということは間違いない。

 肺の一番奥、酸素の交換がされる器官肺胞(はいほう)に辿り着いたようだ。


 だが先程までは明かりを持ったナノキノさんが居たため辛うじて見えていたが、繊毛につかまったりはぐれてしまったりで真っ暗になってしまった。



「…灯り…つける…ね。」



 ナノキノさんを通して光源を作り出そうとすると異変が起きた。



「わっ…!?」

「なんだ!?」



 ナノキノさんが発する魔力に呼応して壁が青白く明滅した。

 ほの温かい熱感を持った光に肺胞(はいほう)内の全貌が明らかになった。



「こ、これは…!」




 ◇




「わぁー綺麗ですね。」

「まるで星空ですわね、お姉様。」



 視界を共有されたエリザさんとノワールが感想を零す。

 星空か、その表現は言い得て妙だ。


 共有された視界には満天の星空のように瞬く青白い光と金銀の光が乱反射している。

 肺の中にこんな幻想的な空間が広がっているのは…異常だ。



「先生…これ…なに?」

「そうだなぁ多分だけど、魔力に反応して青白く光るモノと聞いて閃くものは何かある?」

「そうだ、神銀(ミスリル)…!神銀(ミスリル)ですよ!」

「うん、俺もそれだと思う。」


 肺胞壁の中で光っているのはミスリル。

 そして周りで光り輝いているのは金鉱石と銀鉱石だろう。他にも土か石と思われる細かい黒い粒が肺胞の至る所に埋め込まれている。



「これは【塵肺(じんぱい)】という病気だ。」



 前の世界では鉱山や工事現場という細かい塵が舞うところで仕事をしている人がなる病気だった。


 基本的に人体には鼻毛や繊毛といった肺への異物の侵入を防ぐ器官が備わっている。だが、本当に細かい塵や埃は防御機構を通り過ぎて肺へ侵入してしまう。


 少量ならば問題ないが何年も塵を吸い続けると肺の中に塵が積もり塊となっていく。


 そうすると身体は塊を追い出そうと粘液、つまるところ痰を作り出すのだが奥まで到達した塵が排出されることは少ない。

 そればかりか肺は痰を作るために慢性的な炎症に苛まれることになり、結果として残り続けた粉塵によって無限に炎症が引き起こされることになるのだ。



「キノさん、そこの壁ぶよぶよしてるよね?」

「うん…聞いた話…だと…もっと…薄いはず?」

「そう、ムンドさんはまだ軽症だけどこれが進むと【間質性肺炎(かんしつせいはいえん)】という病気に変化するんだ。」



 炎症状態が続くことは腫れた状態が続くことと同義だ。

 どんどんと肺胞の壁が腫れ上がり分厚くなることで空気が触れる面積が減り酸素交換が出来なくなるのが息苦しさの原因だ。


 それほど恐ろしい疾患でありながらこの病気は治療法が見つかっていない。国が労働者を守るために法規制を敷いてまで発症を予防しようとしているぐらいだ。



「これ…治らない…の?」

「分厚くなった肺胞の壁を薄くできればいいんだけど、刃で削る訳にもいかないからね。難しいかな…。」

「ふーん…?」



 この疾患は非可逆性疾患と呼ばれ、二度と元に戻らない不治の病として認定されているのだが…?

 何かキノさんは思う所があるようだ。

 ぶつぶつと何か呟き思案している。



「…先生…少しずつ…薄くすれば…おけまる?」

「理論的には…ってもしかして何か考えがあるの?」

「うん…実は…。」



 そういうとキノさんは俺に耳打ちしてみせた。

 なんとなしに聞いたそのアイディアはまさに目から鱗だった。



「キノさん…実は天才じゃない?」

「へへ…。」



 イケるかもしれない。

 前代未聞の処置だがやってみる価値はある。



「皆さん聞いてください。検査内容を変更します。」

「先生どうしたんですか?」

「急に何ですの?」



 スタッフ全員に向き直り告げると騒めきが起こった。

 サポートに入っているサキュバス達も狼狽えている。


 正直言って未知の治療法を試そうとしている俺も不安だ。

 だけど指揮をとっている俺の不安は皆に伝播する。


 俺は出来るだけ落ち着いた声と表情で告げた。



「肺内部探査から検査を変更、このまま新術式で治療を行います。」

今回の展開ですが医療現場ではあり得ない展開が含まれていますので一応説明。



◇補足説明 患者同意

手術中の術式変更、追加はよくある話なのですが、前提条件として【患者の同意】が得られていることがあります。


検査や手術を受けたことがある人はご存知かもしれませんが、検査を受ける前に同意書という紙に署名を求められることがあります。

そこには検査手術の危険性や途中で処置が変更される可能性があるよ、という旨が記載されており患者の署名を得ることで同意を得た事となります


今回その描写が無いですし、未知の治療法をいきなり使うなんて危険すぎる話なのですが…そこはなんちゃって医療小説なのでご勘弁を。


◇補足説明 塵肺

高度成長期によく罹患している方がおられたそうです、テレビのCMで石綿、俗に言うアスベストの健康被害の話なんかを聞いたこともある人がいるのではないでしょうか。

この疾患は細かい粉塵が舞うところで生活、作業をしていると罹患するため意外にも教職の方がチョークの粉で塵肺になるケースもあるそうです。

最近では種類が少し違いますがタバコを起因とするCOPDの患者さんが増えています。タバコは本当に百害あって一利なしなので禁煙をお勧めします。(そういう作者も元喫煙者ですが。)

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