3-2 最初のつまずき
旅の始まりは、至極順調であった。
メイアが罪人扱いされているというリールの町から追っ手をかけられることもなく、馬車はぐんぐんと東に進んでいく。馬にまたがったジェンカがそれに並走するという想定外の事態も生じてはいたものの、彼女がそれ以上の騒ぎを起こすこともなかった。
ザンの町までは丸一日かかるので、間で宿場町を経由する。レヴィンよりもうらびれた、ごく小さな宿場町だ。宿賃の惜しかったガルディルは、用心棒の男とともに、宿屋に預けられた馬車の中で眠らせていただいた。こういう場末の宿場町では物盗りが横行しているので、たいてい用心棒の人間は馬車の中で眠るものであるのだ。
食事は、家から持ち出してきた食材によるスープである。
パセリとタマネギとニンニクを、塩の味付けだけで煮込む。魔石のおかげで、火と水には困らないのだ。あとはヒヨコマメのパンとチーズをかじれば、さほど家と変わらない晩餐であった。「お肉たべたい」とメイアがごねるのも、同様である。
「金には限りがあるからな。でもまあ数日分の食料は持ち出せたから、心配すんな」
ガルディルとしては、不満げな目つきをするメイアをそんな風になだめるばかりであった。
そうして夜が明けたら、また街道を東へと突き進む。
この馬車の持ち主と同じ宿屋に泊まったジェンカは、執念深く後をついてきていた。どうして追ってくるのだと尋ねても、「金貨はあたしのもんだ」の一点張りで、多くを語ろうとはしない。しかしガルディルには、ジェンカがそこまで金貨に執着しているようには思えなかった。
(まあ、他の連中にメイアのことを言いふらす気はないみたいだし、しばらくは放っておくか)
そんなこんなで、二日目の昼下がりである。
ガルディルがうたた寝をしていると、ふいに馬車が動きを止めた。
「さ、ザンの町が見えてきたよ。あんたらは、ここで降りてもらおうかね」
御者台の商人が、つっけんどんな口調でそのように述べてきた。
寝ぼけまなこをこすりながら、ガルディルはそちらを振り返る。
「何だよ。どうせなら、町の中まで連れていってくれねえか?」
「普段だったらかまわねえけど、今日は駄目だね。町の前で、検問をしてやがるんだよ」
「検問? ザンってのは、そんな大層な町だったかい?」
「普段だったら、素通りできるよ。きっとこの近在で、何か騒ぎがあったんだろうさ」
御者台の脇から覗き込んでみると、確かに町の入り口に人だかりができている。町に入ろうとする馬車を止めて、人相あらためを行っているようだ。
「あんたたちが罪人か何かだったら、俺まで巻き添えを食っちまうからね。さあ、とっとと降りておくれよ」
そうまで言われては、ガルディルも従うしかない。ガルディルは荷物とメイアを抱えあげて、馬車を降りることになった。
「まあ、ここまで乗せてくれただけでも、助かったよ。ザンでもいい商売をしてくれ」
「ああ。あんたもせいぜい気をつけるこったな」
商人は馬に鞭を入れて、町のほうに駆け去っていった。
街道の真ん中で「うーむ」と立ち尽くすガルディルのもとに、馬にまたがったジェンカが近づいてくる。
「何をうなってるのさ? ザンに行くんじゃなかったの?」
「そのつもりだったけど、人相あらためってのはなあ。……あんまりこいつの顔を人目にさらしたくねえんだよ」
「ふん。ザンとリールは領主同士がいがみ合ってるから、こっちにまで手配書が回されてるとは思えないけどね」
それは確かに、その通りなのだろう。リールからザンにまで手配書が回されていたならば、その道中にある宿場町にだって回されているはずであるのだ。しかし、レヴィンでも昨晩の宿場町でも、ついぞそのようなものは見かけていなかったのだった。
(だけど、何だか気に食わねえな)
メイアの身体を左腕で抱えあげたまま、ガルディルはしばし沈思した。
そこに、町のほうから馬車が近づいてくる。ザンから、レヴィンやリールに向かう馬車であるのだろう。その手綱を握っているのが温和そうな老人であることを確認してから、ガルディルは「おーい」と手を振ってみせた。
「悪いね。ちょいと話を聞かせてほしいんだが、あれは何の騒ぎだい?」
「うん? ああ、検問のことですかな? あれはどうやら、幼子の大罪人というものを探しているようですなあ」
にこにこと柔和な笑みをたたえながら、老人はそのように述べたてた。
「銀色の髪に紫色の瞳をした、たいそう美しい娘さんだそうで……でも、そんな幼子にどんな悪さができるというのでしょうなあ」
「……大罪人を探してるってのに、罪状は明かされてないってのかい? そいつは、おかしな話じゃねえか」
「まったくです。おおかた貴族様のご都合なのでしょうよ」
やはり、考えることはみな同じであるようだった。
しかも、間の宿場町を経由しないで、リールとザンの両方に同じ通達が回されているというのは、いっそうただごとではない。それはつまり、もっと立派な領地の貴族が、リールとザンの領主にそれぞれ助力を頼むために、伝書鴉か何かを飛ばした――としか思えない状況であるのだった。
(メイアを探してるのは、リールの領主よりもっと大物ってことか。こいつは、剣呑な話だなあ)
ガルディルがそんな風に考えている間に、老人はぺこりと一礼して馬車を走らせていた。
その馬車が遠ざかっていくのを見届けてから、ジェンカが皮肉っぽい目でガルディルを見下ろしてくる。
「こいつは、あてが外れたね。ザンの領主にその娘っ子を引き渡しても、おんなじだけの金貨がいただけそうだ」
「お前さんは、そうするつもりなのか?」
ガルディルが問い返すと、ジェンカは何故だか眉を吊り上げて、そっぽを向いてしまった。ガルディルは溜息をこらえつつ、腕の中のメイアに呼びかける。
「なあ、お前さんはここでも罪人扱いなんだってよ。どうしてそんな羽目になっちまったのか、やっぱり思い出せねえのか?」
メイアは、「うん」とうなずいた。
ガルディルは、「そうか」と息をつく。
「ま、思い出せねえもんはしかたねえな。もうちっと離れた町を目指してみるか」
とたんに、ジェンカが勢いよく振り返ってきた。
「町を目指すって、どうやって? ザンを抜けなきゃ、どこにも行けないよ?」
「何も街道に沿って進む必要はねえさ。世界は、こんなにだだっ広いんだからよ」
街道の左右は、雑木林にはさまれている。ガルディルは右手側、つまりは南側に進路を取って、茂みに足を踏み込むことにした。
「ちょ、ちょっと待ちなよ! こっちは馬連れなんだからさ!」
「だから、お前さんまでついてくる必要はねえだろう? メイアをさらって金貨を手にしたいなら、ここで斬りかかってくりゃいいじゃねえか」
「そんなの、あたしの勝手でしょ! あんたが気を抜く隙を狙ってるんだよ!」
本当にガルディルの隙を狙っているならば、本人の前で公言することはないだろう。ガルディルはひとつ肩をすくめてから、茂みの奥に足を踏み入れていった。
「もう! 待ちなってば! 馬の通れないような場所に向かったら、承知しないからね!」
ジェンカは馬を降り、手綱を引きながらガルディルを追ってきた。幸か不幸か、この辺りは樹木の生え方もまばらであるので、馬でも通れないことはない。ただ、あちこち邪魔な枝葉がのびているので、馬は不満げに鼻を鳴らしていた。
「……ねえ、これ取ってもいい?」
と、メイアがガルディルの髪を軽く引っ張ってくる。見てみると、メイアは顔の下半分に巻かれている織り布をつまんでいた。
「ああ。しばらくは他の人間とすれ違うこともねえだろうからな。でも、念のためにフードだけはかぶっておいてくれ」
「わかった」とうなずくや、メイアは織り布を引き下げた。その下から現れた白皙は、相変わらずの無表情である。
「あ、そうだ。お前さんには、こいつを渡しておくか」
歩きながら荷袋をまさぐって、ガルディルは金剛の魔石を引っ張りだした。純銀の台座に埋め込まれた、結界の護符である。壁に掛けるための鎖がついているので、それをメイアの首に引っ掛ける。
「光の精霊よ、ひとしずくの力を分け与えたまえ」
ガルディルが囁くと、透明の魔石がちかりと輝いた。
不可視の魔力が、メイアを中心に丸く広がる。かつての我が家をまるまる呑み込めるぐらいの範囲である。
「これで中級までの魔獣は近づけなくなるからな。いちおうの用心だ」
「わかった」と、メイアは無表情にうなずく。その白くて小さな指先が、何か愛おしそうに魔石の表面を撫でていた。
「ふん、親切なこったね! あんたはどうして、その娘っ子にそんな親切をほどこしてるんだい?」
「どうしてって言われてもなあ。行きがかり上、見捨てるわけにもいかねえだろ?」
「へーえ。普通だったら、そいつをリールやザンの領主に引き渡して、金貨で豪遊するんじゃないのかねえ?」
ガルディルは頭をかきながら、ななめ後ろのジェンカを振り返った。
「俺はそこまで善良な人間じゃねえけどな。強いて言うなら、貴族が嫌いなんだ。何かの悪巧みでこんな幼い娘っ子を追い回すような貴族なら、なおさらな」
「だったら、その娘っ子をどうするつもり? まさか、自分の子として育てようっての?」
「そんな甲斐性は持ち合わせちゃいねえよ。どこかの聖堂で預かってもらうさ」
そのように述べながら、ガルディルは頬に強い視線を感じた。きっとメイアが不機嫌そうな視線を突きつけているのだろう。
「……ま、何日か歩けば、リールやザンと関わりのない町に出られるだろうさ。それまでは、せいぜい旅を楽しむとしようぜ?」
ガルディルはそのように述べてみせたが、もちろんメイアの機嫌が回復することはなかった。